第21話 病室でナースは…… 1


 七海さんの様子がおかしかった。

 それは昨日、何も言わずに帰ったのと関係があるのだろうか?

 それはわからない。

 だけど最後に見せてくれた笑顔は怒ってる感じじゃなかった。


 じゃあ、なんだ?


 そう疑問に思うも連絡先を知らないから今日は聞けない。というよりも、俺は携帯を持ってないから聞くことはできない。


 それに──。



「おにーちゃん! 見て見てっ!」



 家に到着するなり、七海さんについて心配する余裕は俺にはなかった。


 目の前には妹菜。

 妹菜の格好はいつもと違う。



「どうしたの、その格好……?」



 ピンク色の白衣を着た妹菜はその場でクルリと回転する。



「ふふん、ゆずはおねえちゃんがきせてくれたのー! かわいい!?」

「うん、可愛い」

「やったー!」



 ぴょんぴょんと跳ねて大喜びする妹菜。

 その姿は純粋に兄として可愛い。というより、そのままギュッてしたい。

 自分でもシスコンだと自覚してる。だって、両頬にお団子を付けたみたいな丸顔の妹が可愛いんだもの。


 だけど、



「──もう、妹菜ちゃん! 一緒にお兄ちゃんに見せるって約束したじゃん!」



 その後に待ってる柚葉さんを意識して、素直に妹のコスプレを堪能できなかった。

 このピンク色の子供用のナース服を着せた張本人。

 そして、今の俺の鼓動を速くさせる張本人。


 その女性は脱衣所から出てくると、自信満々の笑顔を俺に向けてくる。



「りっくん、どうかな?」



 太股まで伸びるレース生地のタイツ。純白スカート。巻き髪の上にちょこんと乗るキャップ。

 看護学校に柚葉さんは通ってるのだから持っていて当然なのに、どこか柚葉さんが着ると、コスプレっぽくて色気を感じる。


 こんなナースに看病されたら……。



「……綺麗、です」

「ふふ、良かった」



 扉に手を触れた柚葉さんは、そのままゆっくりとこちらへ近付いてくる。

 首元のボタン二つ。普段は閉めてるんだろうけど、それを今はなぜか一つ開けている。



「今日はお姉さんが、たっぷりと看病してあげるからね?」

「──ッ!?」



 目の前で四つん這いになると、開いた胸元からはっきりと谷間が見える。

 それに白の下着も……。

 俺は慌てて視線を背け、小さな声で伝える。



「……見えてます」

「ん? なにがかな?」



 知ってるくせに。

 というより、わざとだろ絶対。



「ん? どしたの?」



 気付いてないのは「おにいちゃん、おかお、りんごちゃん!」と喜んてる妹菜だけ。



「どうしたんだろうね、お兄ちゃん。お顔真っ赤にして」

「ねつあるの? だいじょうぶ?」



 首を傾げた妹菜を見て、柚葉さんはニヤリと笑みを浮かべる。



「かもしれないね、妹菜ちゃん。それじゃあ、看病してあげようかぁ」



 四つん這いのまま、柚葉さんが迫ってくる。

 それは看病じゃない、誘惑だ。

 だけど妹菜はそれに気付かず、笑顔のまま俺に迫ってくる。



「ちょ、ちょっと柚葉さん、話があるので来てください」

「あっ、りっくん強引だなー」



 妹菜をリビングで待たせて、俺は柚葉さんの腕を掴んで別の部屋に連れて行く。

 そこは妹菜と俺の部屋。寝室とも呼ぶ。そこには三つ折りに畳まれた布団が置かれており、それを見た柚葉さんは、何か悪いことを考えてるような笑みを浮かべた。



「もう、りっくんたら……まだ妹菜ちゃん、寝てないんだよ? 我慢できないの?」

「ち、違いますって、ふざけないでください!」

「ほんと?」

「本当ですから……と、というより……妹菜がいるんですから、その……さっきみたいな、変な、その……」

「誘惑しないで、って?」



 頬に手を当てた柚葉さんは、それはそれは嬉しそうな表情で俺を見つめる。

 柚葉さんも七海さんと同じでSっ気があるのだろうか、とも思ったけど、それとは少し違う感じがした。



「誘惑というか、その……」

「りっくんはさ、今まで恋したことある?」

「は? なにを急に……そんなのあるわけないじゃないですか」

「そっか。じゃあ私の気持ちはわからないよ。恋ってね、時には引けない時があるの」

「だから何を──」



 その瞬間、俺の唇に柚葉さんの人差し指が触れられた。

 そのまま俺の背中は壁に追いやられ、逃亡を防がれる。



「私のこと、軽蔑した……? 変態だって」

「そんな、こと……だけど、その……様子が変だって、思って」

「そうかも。ちょっと暴走してるかも。だけどね、りっくんが悪いんだよ」



 今の状況は壁ドンだ。

 体勢は男女逆で、俺の背中が壁に付き、柚葉さんの左手が頭の横に、右手が俺の胸元に置かれてる。

 ドクドクと心臓の音が激しくなり、柚葉さんの太股が、俺の脚に絡みつく。



「ずっと、ね……」



 吐息が首筋を撫で、胸元に置かれた右手がゆっくりと下へと移動する。

 しなやかな指先が触れた箇所が敏感に反応して、俺の口から声が漏れる。


 そんな俺の反応を見て、柚葉さんは今までに見たことのない、例えるのならどこか蕩けた表情をしていた。



「柚葉、さん……」

「ずっと、ずーっと、我慢してきたの……それがりっくんのためだって、そう思ったから……だけど違った」



 俺の体を這うように下がっていった指先は、気付くと柚葉さんの脚が絡む太股に触れていた。

 だけどそれを拒むことができない。まるで全身が痺れてるかのように、身体が言うことを聞かない。


 そして柚葉さんは、俺の身体に体重をかけるように上半身を重ねた。

 柔らかな胸が潰れ、耳に唇が触れ、吐息が温かく優しく撫でる。



「りっくんを渡したくない……これからはずっと、私が甘えさせてあげる。他の女なんて目に入らないぐらい、心と身体も、私だけで埋め尽くしてあげるから、ねぇ」



 そこまで言って、柚葉さんの唇が、俺の耳たぶをついばむ。

 少し濡れた唇に挟まれ、全身の痺れは更に強く、俺の理性を蝕んでいく。



「柚葉、さん……」

「りっくんはこのまま、妹菜ちゃんの優しいお兄ちゃんで、お母さんの良くできた子供でいていいよ。だけど疲れたら、私が優しく看病してあげる」

「その……」

「大丈夫。何も考えないで。私はずっと一緒にいるから。嫌なことがあったら優しく話を聞いてあげる。嬉しいことがあったら一緒に喜んであげる。ムカつくことがあったら、私が一緒に解決してあげる。だから全部。ぜんぶ、ぜーんぶ、私と共有しよ? りっくんの全てを私が──」



 ──受け止めて、愛してあげるから、ね?


 鼻先が触れ合う。

 両頬に熱を帯びた手が添えられ、柚葉さんの瞳を見てると、吸い込まれそうになる。


 そして、

 ──それって、幸せなことじゃないか?

 そう、思ってしまった。


 ずっと一人で頑張ってきた。それがとても辛くて、逃げ出したいって思ったときも沢山あった。

 だけど弱さを妹にも母さんにも見せられなくて、俺はそれを隠して生きてきた。


 苦しい時と、悲しい時と、ずっとずっと我慢してきた。ストレスだって、溜まってた。

 誰にも打ち明けずにずっと一人で抱えてきた。


 ──だけど柚葉さんは受け止めてくれると言った。

 そんな柚葉さんと一緒にいれば、苦しまずに、嫌なことを抱えなくていいんじゃないか?

 柚葉さんの瞳を見てると、そう、思えてくる。



「今までよく頑張ったね、りっくん……だけどこれからは、私が側にいてあげるから。もう、一人じゃないから」



 どこか心地良い、全身を包み込んでくれるような湖に堕ちていくような、そんな気分になっていく。

 自分が何故、誰にも甘えないようにしてきたのか、それすらも思え出せないほどに、柚葉さんの言葉一つ一つが甘美な囁きに聞こえる。



「だから……」



 柚葉さんは俺の頬にキスをした。

 チュ、とはっきり音を鳴らして。


 そして身体が離れると、舌なめずりをする。



「今は、ほっぺにキスで我慢して? だけどもし、りっくんがここから先のことがしたくなったら、いつでも言ってね。その時はこの先のことを、私が、私だけが、してあげるから……いつでも、待ってるからね」



 そう言い残すと、柚葉さんはリビングへと戻っていく。

 聞こえてくる妹菜に向ける声は陽気な、いつも通りの柚葉さんの声だった。

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