第20話 七海の決断


「七海さん……?」

「もう、これはおままごとなんですから。七海さん、じゃないですよ?」



 人形の体を左右に揺らしつつ、七海さんの視線は、俺の目を捉えて、俺の視線も七海さんから背けることができなくなる。

 扉を閉めたことによって生まれる無音の空間が、より俺の心臓の音を大きく、はっきりと認識させる。



「……設定が、その」

「ん? ダメですか? 夫婦のおままごとですよ」

「夫婦は、その……」

「一度やってみましょう。ほら、アナタが家に帰ってこないと始まりませんよ?」



 おままごとセットは家の一室になってる。

 玄関があって、廊下を抜けるとリビングがある。

 どこかのアパートをモチーフにしたのか、七海さんの持つ人形は、玄関でカタカタと左右に揺れている。


 これは一回しないと終わらないんだろうか。


 俺は覚悟を決めて、手に持っていた人形を玄関前に立たせる。



「……ただいま」

「ふふ」



 照れながら口にすると、七海さんは口を抑えて笑った。



「……ちょっと。笑われると、余計に恥ずかしくなるんですけど」

「ご、ごめんなさい、なんだか……ううん。おかえりなさい、アナタ」



 カタカタと揺れる二つの人形。

 そして俺の持つ人形が玄関を入ると、



「今日もお仕事ご苦労様でした」



 七海さんの持つ人形が家の中へと向かう。

 どうやら設定として俺は、社会人になってるらしい。

 そう思うとどこか非現実的で、これは遊びなんだと感じて、少しだけ緊張がほぐれた。


 人形はリビングへ。

 すると、七海さんの持つ人形はソファーに座った。



「となり、どうぞ?」

「あ、はい……」



 右手に持った七海さんの人形の位置が左側に移動すると、七海さんの顔や、体が、右隣に座ってるから俺へと少し近付く。

 そんな些細な体の移動に、やっぱり緊張が強くなる。


 それから七海さんとの夫婦という設定でのおままごとは続いた。

 これはおままごと。

 料理を作ったり、仕事で何があったかとか、そんな夫婦らしい会話が続く。


 そんな実際とは違う会話に、俺の緊張は少しだけど和らぐ。



「そういえば」



 そんな俺を見てか、七海さんは人形に向けていた視線を俺へと向ける。

 ドキッと、七海さんの顔が近くに見える。



「また、膝枕してあげましょうか?」

「なっ! なんで急に……」

「ふふ、陸斗くんが恥ずかしそうな表情をしてくれなかったので、つい。します?」



 俺の表情を見て楽しげにする七海さん。



「べ、べつに、してもらわなくていいですから……」

「でもあの日は、嬉しそうでしたよね?」

「……」

「嫌、でした?」

「イヤ、ではない、です……」

「ふふ、良かった。でも落ち着きませんか? ああやって、肌を触れ合わせるの」



 その肌を触れ合わせるという単語はどうなんだろうか。

 そんなことを俺が思っていても、七海さんは何も考えてないのか、純粋な気持ちで聞いてくる。


 七海さんは天然なんだろうな。


 だから俺も、変に意識や妄想せず、真面目に答える。



「もう子供じゃないので、するなら、妹菜だけにしてください」

「恥ずかしいから?」

「ええ、恥ずかしいです」

「そう、残念。陸斗くんが喜んでくれると思ったのだけど」



 少ししょんぼりする七海さんを見て、俺は慌てて否定する。



「いえいえ、まあ、恥ずかしかったですけど、その……落ち着きましたよ」

「ほんと? 良かった」

「だけど子供扱いは、その……」

「大人として見られたい?」

「はい。というより、もう高校生なので」

「そう……」



 七海さんは人形を置くと、手を膝に乗せる。



「陸斗くんはもう立派な大人ですよ。しっかり妹菜ちゃんやお母さんのことを考えて頑張ってますから」

「まだそんな」

「だけどね。陸斗くんを私は甘えさせたいんです」

「どうして、ですか?」

「陸斗くんが大変そうだから、少しでも、心のより所になれればいいなって」

「……嬉しいですけど、結構ですから」

「なんで?」

「なんでって……やっぱり、恥ずかしいから……それに妹菜とかには、しっかり者のお兄ちゃんでいたいんです」

「そっか。陸斗くんは偉いもんね」



 断ったのに七海さんは、どこか嬉しそうに、うんうんと何度か頷く。


 だけど、



「別に妹菜ちゃんの前でしなければいいと思うの。そう、二人のときならいいんじゃないですか? 妹菜ちゃんの前では立派なお兄ちゃんでいて、私の前では、弱さを見せていいんですよ?」

「……」



 それもそうなんだけど、もし、それをやってしまうとその優しさにずっと甘えてしまいそうになる。

 だけど心配してくれる七海さんに、はっきりと断るのは申し訳ないし、自分の本心をさらけ出すのはもっと恥ずかしい。


 すると、七海さんは「じゃあ」と言って、



「試しに、ここで甘える練習してみましょうか」



 七海さんはソファーに座らせていた人形を、俺の持つ人形の正面に立たせる。



「ギューッて、してあげます」



 人形が両手を伸ばす。

 正面から抱きしめて甘やかせる、ということだろう。それも人形で。だから練習なのだろう。



「いや、人形じゃ意味ないですよ」



 笑いながらそう言った。

 特に何も考えなかった言葉。だから七海さんはムスッとした表情で、



「だったら。はい、どうぞ」



 七海さんは俺から離れると、さっきの人形みたいに両手を広げた。

 天使のような笑顔でこちらを見つめてくる。



「なっ、それは、ちょっと……」

「人形だと意味ないんですよね? だったら、はい。お姉さんがギューッてしてあげます」

「いや……」



 七海さんは本気だ。

 その目が、そう訴えてくる。



「どうしました?」



 首を傾げながら天使が誘惑してくる。



「もしかして、恥ずかしいですか? ギューッて、するだけですよ」

「いや、それが……」

「外国では、ハグもちゃんとした挨拶の一種です。別に変なことではないですし、これは練習ですから。はい、どーぞ」



 俺が子供だから恥ずかしいのか。

 七海さんは大人だから、そういった経験があって恥ずかしくないのか……。


 もし慣れてるのだったら嫌だな。

 そんな気持ちが生まれて、首を振って否定する。


 自分は七海さんの何でもないのに、嫌だなって、それじゃあまるで──。



「──じゃあ、こっちからしてあげます」



 七海さんがゆっくりとこちらへ膝立ちのまま近付いてくる。

 俺の体は動かない。

 動けないんじゃなくて、心のどこかで、動きたくないと思ってるのかもしれない。

 自分からは恥ずかしい、だから、七海さんから。

 そんな意気地なしな考えを持ってる時点で、まだ俺は子供なのかもしれない。


 そして、そのまま俺を包むように、七海さんの腕が背中へと回り──。



「──ちょっと待ったー!」



 だが、そんな空気を切り裂くように、後ろの扉が勢いよく開かれる。

 振り返るとそこには、ムスッとした柚葉さんがいた。



「柚葉さん、えっと……」

「……迂闊だった。安心し過ぎてたよ。まったく……」



 靴を脱いでそのまま中へ入ってくる。

 そして俺の手を掴んだ。



「りっくん、妹菜ちゃんがもう帰りたいって!」

「あ、はい、わかりましたけど」



 立ち上がりながら七海さんに視線を向ける。

 七海さんも立ち上がると、どこか幸せそうな笑顔を浮かべていた。



「私の用事も終わりましたので。陸斗くん、今日は楽しかったです。付き合ってくれて、ありがとうございました」

「いえ、その……こっちも楽しかったです」

「ふふっ、それは良かったです。では次は本番を、しましょうか……?」

「本番!?」



 その言葉が何を意味してるのかわからない。ただその笑顔に、俺の脳内で様々な憶測や妄想が行き交っていた。


 そして、柚葉さんは更にムスッとした表情になり、七海さんに視線を向ける。



「結構です! りっくんはこれからお家で、私と、本番するんですから!」

「なんのですか!?」

「ん、それは、もちろん……」



 頬を赤らめながら恥じらう柚葉さん。

 何を考えてるのかわからないが、身の危険を感じたのは確かだ。



「ふふ」



 だが、七海さんは一切の表情も変えず、頬に手を当てながら余裕の笑みを浮かべた。



「どうぞ、ご自由に」

「なんですか、その余裕の表情は……さっきまで迷ってたくせに」

「ええ、迷ってましたよ。ですがアナタのお陰で決心が付きました」



 どこか覚悟を決めた、みたいな表情の七海さん。

 そして、その七海さんの表情を見て、笑みを浮かべる柚葉さん。



「そう。そう、わかりました」



 この二人って初対面じゃないのか?

 そんな疑問を持ったけど、柚葉さんに腕を引っ張られる。



「私は負けませんから。絶対に。ほら行くよ、りっくん」

「えっと、はい……七海さん、また」

「はい、また……ねっ」



 手をひらひらと振る七海さん。



「……りっくん、あの女は駄目だから」

「なにがですか?」

「なんでも。駄目なものは駄目なの。……牽制したのに、もう吹っ切れた顔してたもん」



 柚葉さんは何かをブツブツと口にする。

 そして、妹菜を真ん中にして、俺と柚葉さんは妹菜と手を繋ぎながら家へと帰っていった。

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