第19話 七海さんと大人のおままごと
「えっと……」
「りっくん、おかえり!」
「おにいちゃん、おかえりー!」
妹菜を迎えに幼稚園へ来ると、そこにはなぜか、妹菜と一緒に柚葉さんが砂遊びをしていた。
子供っぽい笑みを浮かべて、泥団子を俺に見せる。
「どうどう、めっちゃ綺麗じゃない?」
褒めてと言わんばかりの笑顔を浮かべた柚葉さん。
頬にも少し泥が付いていて、その印象は元気な子供のようだった。
「そうですね。だけど、どうしてここに?」
「どうしてって、さっき話したじゃん」
「……もしかして、本気なんですか?」
「本気も本気、大本気だよ!」
「大本気って……えっと、お気持ちは有り難いんですが」
丁重にお断りしようとした。
気持ちは有り難いけど、柚葉さんを家に入れたら、自分が自分でいられなくなると思ったから。
だけど一緒に遊んでいた妹菜が、ぐちゃぐちゃな泥団子を手にしながら、
「ゆずはおねえちゃん、きょうね、うちにとまってくれるって!」
「え……」
妹菜の言葉を受け、柚葉さんを見る。
どこかしてやったりな、勝ち誇った笑みを浮かべている。
もしかして、俺には断られると思って、妹菜に……。
「だ、だけどね、妹菜。柚葉さんは大学生で、明日とかも学校で」
「ふふーん、りっくん、心配してくれてありがと。だけど安心して。明日の講義は午後からだから。夜更かししても、安心だよ?」
「──ッ! 夜更かしって……だ、だけど」
夜更かしに異常に反応してしまった。それを見て、柚葉さんのにやけ顔が増す。
この流れは駄目だ。何か上手いかわしかたをしないと。
「でも、ですね」
「ふーん、そっか……」
柚葉さんは妹菜に視線を向け、悲しそうな表情をする。
「……妹菜ちゃん。お兄ちゃん、私のこと、お家に入れたくないって。私のこと、お兄ちゃんは嫌いなんだって……妹菜ちゃんと私、遊びたかったのに」
ズルい!
だけどその悪巧みを否定する前に、
「おにいちゃん! ゆずはおねえちゃんをいじめたら、ダメッ!」
「いや、いじめてなんか……」
頬をぷくーっと膨らませた妹菜の陰に、柚葉さんはニヤリとした笑みを浮かべていた。
これは断れない。妹菜を味方に付けられたら、さすがに……。
「……わかりました。じゃあ、お願いします」
俺は頭を下げる。
柚葉さんは俺たち兄妹を心配してくれてる。それなのにその厚意を無碍に断るなんて、さすがに失礼だろう。
──俺が柚葉さんの誘惑に堪えられれば、それでいいんだから。
俺が折れると、柚葉さんと妹菜の表情はパアーッと明るくなる。
「良かったね、妹菜ちゃん! 今日は一緒にお風呂に入れるね!」
「うん! おふろ、スキっ! ゆずはおねえちゃんとおふろっ! おにいちゃんもいっしょ?」
不吉な言葉が聞こえて、俺は妹菜ではなく柚葉さんを見る。すると、柚葉さんはニヤリと不気味な笑顔を浮かべる。
「どうしよっかぁ……三人でお風呂、はいっちゃおっかぁ?」
「入りません! 俺は入りませんから!」
「えー、いいのー? 妹菜ちゃんも、お兄ちゃんと私と三人で、お風呂に入りたいよねー?」
「うん! まいな、おにいちゃんとおねえちゃんとおふろしたい!」
「ほらほらー、妹ちゃんもこう言ってるよー? どう、しよっかぁ?」
純粋無垢な笑顔を浮かべる妹菜と違って、明らかに悪い笑顔を浮かべる柚葉さんは、俺の動揺した表情を見て楽しそうだった。
「しない! 絶対にしない! 二人でどうぞ!」
俺は二人から逃げた。
柚葉さんは、なぜ、急にこんなに悪い人になってしまったのか。
背中からは、
「あららー、照れちゃって」
と、どこか楽しげな声を漏らす。
そして、逃げた先には七海さんが一人で、建物の中でおもちゃを片付けていた。
「七海さん!」
「──ッ!」
声をかけると、七海さんは一瞬だけ肩を大きく反応させた。
そして俺に向けた笑顔は、どこか悲しそうで、寂しそうな、そんな表情に感じられた。
「……陸斗くん」
「元気、ないですよね? どうしたんですか?」
「ううん、なんでもないんです。それより……」
七海さんは視線を別に向ける。
その先には、柚葉さんと妹菜がいる。
「……彼女とは、友達なんですか?」
「彼女……柚葉さんですか? 柚葉さんはバイトの……まあ、そんな感じですかね」
数少ない知り合いのうちの一人なんだから、柚葉さんを友達だって言っても問題ないだろう。
すると、七海さんは「そう」と小さく声を漏らし、
「友達、ならいっか……」
初めて笑顔を向けてくれた。
「聞きましたよ。今日、彼女が家に泊まるんですよね?」
「なっ、どうしてそれを……」
「ふふっ、彼女が嬉しそうに言ってました。陸斗くん、急いでないなら、こっちに来てお話ししませんか?」
七海さんのいる場所は、幼稚園に通う園児たちがおもちゃで遊んだり、お昼寝をしたりといった教室の一室だろう。
何組とかクラス分けされてたはずたけど、ここがどこかはわからない。
「入ってもいいんですか?」
「ええ、どうぞ。入って、扉を閉めてください」
柚葉さんと妹菜は、まだ砂遊びしてる。
泊まってくれた時にご飯とか作ってくれたお礼もちゃんとしないといけないし、少しぐらいなら、大丈夫だろ。
俺は中へ入り、扉を閉める。
子供の絵が壁に飾られ、子供たちが遊んだのであろうおもちゃが、箱に入れられてなくて床に散乱している。
そこでエプロン姿の七海さんは、ニコリと笑みを浮かべて、窓から遠く離れた場所へ移動する。
「こっちに、来てください」
どうして?
と疑問に思ったものの、七海さんに言われたとおりに入口からどんどん中へと入っていく。
夕焼け空の外からはカラスの鳴き声が聞こえる。だけど、建物内からは人の声も、足音も物音も聞こえない。
「昨日お料理を作ってあげたので、今度は陸斗くんが、お片付け、手伝ってくれますか?」
散らばったおもちゃを見つめて、七海さんはクスッと笑顔を浮かべる。
「もちろん、ちゃんとお礼したかったですから」
「そうですか、良かったです。ではここに座ってください」
おもちゃが散乱する近くに腰を下ろす。
戦隊モノのおもちゃだったり、動物のぬいぐるみだったり。
それにおままごとセットなんかもそこにはある。
「こういうおもちゃ懐かしいですね。子供のころ、よく遊んでましたよ」
「ふふ、もうこういうおもちゃは卒業しちゃいましたよね」
「まあ、ですね。さすがにもう遊んだりはしないです。でも妹菜と家で遊ぶことはありますけど」
「そっか。陸斗くんの子供のころ、見たかったな」
立っていた七海さんの声が、背中から聞こえ、真横から聞こえる。
「えっ」
右隣に座った七海さん。
肩が触れ合う距離。そして、左耳に髪をかける。
「……どうしました?」
「どう、って……その」
距離を離そうとすると、腕をギュッと掴まれる。
「シーッ。小さな声で、お話ししましょ?」
どこか囁くような声に、俺の心臓が激しく音を鳴らす。
これはあの日の夜、七海さんの本性が見えた時と同じ感じだ。
本能的に危険だと察知したのに、体を何かに縛られてるような、俺の体は、七海さんの隣から離れられなくなっていた。
「陸斗くんは、おままごととか、しましたか?」
「おままごと、ですか……? えっと、俺はしてないですね」
「そう、残念。楽しいですよ、おままごと」
七海さんは近くにあった、手のひらサイズの人形を俺に手渡す。
「してみますか? ……大人のおままごと」
男性の人形を持った俺。
女性の人形を持った七海さん。
七海さんは頬を赤く染める。
息遣いや、熱がはっきりと感じられる。
そして、近くにおままごとセットである家を置くと、七海さんは家の中に、持っていた女性の人形を立てると、
「──おかえりなさい、アナタ?」
そう、俺の顔を見ながら、色っぽい声で演技に入った。
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