第17話 好き好き好き好き好き好き好き好き好きッ!


「いやいや、なんでその格好なんですか!?」



 周りに人がいても関係ない。

 俺は歩道の真ん中で全力で拒む。

 だけど柚葉さんは、不思議そうに首を傾げながら詰め寄ってくる。



「なんで? 好きでしょ、ナース服」

「好き、っていうか……そ、その格好で家に来て、何するつもりですか!?」

「ふふん、それはね、りっくんを甘えさせるためだよー。この格好で、りっくんのことをいっぱい甘えさせてあげたいの」



 ウィンクした柚葉さんを見て、背筋がゾクッとなり唾を飲む。

 柚葉さんは本気だ、目を見ればわかる。

 そして、ウィンクした柚葉さんを見て、ナース服を着ながら迫られる未来が想像できる。


 ──いや、妄想してしまった。


 柚葉さんは魅力的な女性だ。

 七海さんとか綾香さんよりも若いけど、高校生の俺にとっては大人の女性っていう印象しかない。

 そんな柚葉さんが家に来て、看護大学の実習で使ってるナース服で迫られれば、俺の理性は崩壊する。


 ──柚葉さんに溺れる未来しか想像できない。


 そんな俺の考えを見透かすように、柚葉さんはニヤリと笑みを浮かべながら、一歩、また一歩と近付いてくる。



「……りっくん、今さ、私のナース服姿でどんな妄想してるの?」

「──なっ、バ、バカじゃないんですか!? そ、そんなこと……そんなことしてませんよ!」

「えー、ほんとにー? じゃあ、いいよね? お家で、たっぷりと甘えさせてあげるから、ねぇ?」



 柚葉さんが唇を舐めた瞬間、このままここにいては駄目だと、俺が俺でいられなくなると本能が警告した。


 だから俺は柚葉さんに背中を向け、



「ム、ムリですから!」



 柚葉さんから走って逃げた。

 振り返ることなく、ただただ、真っ直ぐ柚葉さんから逃げ出した。


 ──家に来られたら駄目だ、俺が壊れる。


 俺が妹菜のお兄ちゃんであり、母さんを支えられる良い子供でいるためには、この誘いは受けたら駄目だと感じた。








 ♦








「──顔を真っ赤にして逃げちゃって、りっくん、かわいいなぁ」



 美鏡柚葉は看護大学に通う二年生だ。

 派手な見た目でありながら、大人の色気を兼ね備えたルックスに加え。快活な雰囲気と気さくな性格から、男女問わず大学には多くの友人がいる。

 そして異性からの人気は高く、ナンパされることも告白されることも多々ある。


 ──けれどそれを、柚葉は全てお断りしている。


 相手を傷付けないよう丁重にではあるものの、その返答速度は「好きです、付──」と口にされた瞬間には「ごめんなさい」という返事が出るほどだ。


 そんな彼女に、どうして彼氏ができないのか?

 そう疑問に持つ同性の友人は多い。もしかすると既に彼氏がいるのではないか、と思う者もいる。


 だが実際のところ、柚葉には彼氏がいない。

 それも生まれてこの方、ずっといない──言わば処女である。


 なぜここまで完璧な彼女が誰とも結ばれないのか、その理由は、彼女の恋愛対象がとてつもなく狭く、社会的には厳しく、そして──歪んだ性癖があるからだ。



「……りっくんフォルダに、また1ページ。ふふ、ふふふっ」



 陸斗の背中を写真で収めた柚葉は、不敵な笑みを浮かべた。


 ──柚葉は年下にしか興味がない。

 迫られるよりも、自分から迫っていきたい。

 いわゆる肉食系女子で、年下好きで、陸斗が大好きな変態だ。


 そんな柚葉は、新聞配達をしながら本屋で働く彼を好きになった。

 幼さを見せながらも一生懸命に頑張る姿に一目惚れしたのもあるが、その理由は、何度も通いつめていき、彼がどうしてバイトしてるのかを知ったときだった。


 母親のため、妹のため、母子家庭に生まれた陸斗が高校生ながら頑張る。

 そんな健気な姿に、柚葉は今までの人生では生まれなかった愛しさを感じた。

 頑張る陸斗に愛情を注ぎたいと強く思った。


 だけど彼は高校生。

 簡単に手を出していいものではない。

 それに恋愛をしていられるような家庭環境にない陸斗に好意を告げて、自分が彼の負担にはなりたくない。

 なので柚葉は、同じバイト先で働くだけで、ずっと自分の気持ちを自制してきた。


 少しでも元気になってほしいと、笑ってくれるようにバカなことを言ったりするだけで、頑張ろうとしてる彼の背中をただ見つめるだけで、他には何もできなかった。


 ──けれど今は違う。


 母親が検査とはいえ入院してしまい、前に家事は苦手だと言っていた彼が、今は妹と二人っきりで生活している。

 誰にも頼らず、彼は一人で頑張っている。


 そんな過酷であろう彼の現状を、隣に寄り添い、手を貸し、ずっと一人で頑張ってきた彼を甘えさせるなら今しかない。


 だから柚葉は思い切って行動した。


 別にナース服を着て迫るつもりはなかった。だけど陸斗が、他の女性の存在をほのめかしたから、つい言ってしまった。

 負けたくない、自分が甘えさせるんだと、男子高校生では強すぎる武器を使ってしまった。


 そして結果。

 彼は恥ずかしさから逃げてしまった。


 けれど柚葉は後悔していない。

 むしろそんな後ろ姿を眺めながら、頬を赤らめ更に興奮していた。



「あぁ、やっぱ、好き……。りっくん、好き……もっと見せて、りっくんのいろんな表情、私だけに見せ、て……」



 小指で唇を弾くと、熱を持った吐息が漏れる。


 柚葉の陸斗への愛は異常だ。


 今回は急いで陸斗に会いに来たためラフな格好だが、いつも大学に通うときはオシャレをしない。

 バイトのときだけ、彼の前だけ、柚葉はオシャレをする。


 陸斗と出会う前まで伸ばしていた長髪も、彼がバイト中に、雑誌に映っていたモデルの髪型が好きだと耳にして、バッサリ短くして、時間のかかる巻き髪にした。


 バイトのシフトも、陸斗が出勤する日と合わせてほしいと綾香に頼み、時間帯や日にちが被るようにした。


 全て。全て全て全て。

 陸斗と出会ってからの柚葉の人生は、彼中心で動いていた。


 ──そして最も異常なのは、柚葉のスマートフォンに入ってる【ロックをかけたフォルダーの中身】だろう。


 そのフォルダーに、今さっき撮った写真を保存すると、柚葉はクルッと回る。

 周囲の男たちは彼女に視線を奪われる。

 柚葉の火照った顔や、大人の魅力に、並の男なら見てるだけで興奮してしまう。

 それほどのフェロモンが、今の柚葉は外側へと漏れ出てしまっていた。



「素直になれないりっくんのために、別の方法を使っちゃおっかな……ふふ」



 柚葉は不気味な笑みを浮かべながら、目的地へと向かって歩き出した。











 ♦











「──妹菜ちゃん!」

「ん……あっ、ゆずはおねぇちゃん!」



 柚葉が向かった先は妹菜が通う幼稚園だった。

 そこで妹菜は、柚葉を見るなりこちらへと走ってくる。


 柚葉と妹菜は何度も会ったことがある。

 陸斗の母親が体調を崩すたびに、綾香の厚意でバイト中は預かっていたからだ。

 休憩中に柚葉は、何度も妹菜と遊んでいた。


 だから妹菜は、柚葉を知っている。



「ゆずはおねぇちゃん、どしたの?」



 ギュッと足に抱き付く妹菜。

 柚葉はしゃがむと、頭を撫でながら笑顔を向ける。



「えっとね、りっくんからお母さんのこと聞いたの。それで、りっくんと妹菜ちゃんが心配で、お手伝いしようかなって」

「ふへー、そうなんだ!」

「そうだよー、それで、りっくんはまだ来てないの?」

「うん! ママのとこいってから、おむかえにきてくれるって!」

「そっかそっか」

「──妹菜ちゃん?」



 その時、妹菜へと一人の保育士が声をかけた。

 清楚な黒髪に、少しおっとりとした天然な雰囲気がある女性。

 そんな彼女を見て、柚葉は察した。



「はじめまして。私は宇野陸斗くんと一緒のバイトをしてる美鏡柚葉っていいます」

「こちらこそ、はじめまして。私は椎名七海です。ここの保育士をしてます」

「そうなんですね……」



 柚葉は、声のトーンを下げ七海に質問する。



「りっくんのお家にお泊まりした保育士さん、ですよね?」

「えっ! そ、その、どうして」



 七海はモジモジとしながら、赤面した表情を隠すように俯く。

 そんなわかりやすい反応を見て、陸斗が言っていた保育士が彼女だとわかり──彼女が陸斗に少なからず好意を抱いてることも、同じ女として理解できた。

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