第12話 彼女は天然か、それとも小悪魔か? 4
お風呂場からは、七海さんと妹菜の笑い声が聞こえてくる。
いつもは母さんや妹菜の笑い声があって気にならないお風呂場の音が、一人で待つリビングにはっきりと聞こえてくる。
「……平常心。……平常心」
何度も何度も繰り返し言葉を紡ぐが、お風呂場から聞こえる七海さんの笑い声や、様々な音に敏感に反応してしまう。
風呂桶で体にお湯をかける音が聞こえ。
湯船に浸かりながら二人で話す声が聞こえ。
また風呂桶でシャンプーやボディソープの泡を流す音が聞こえる。
その一つ一つに、俺の鼓動が早くなっていく。
──ガチャ。
そして、お風呂場から洗面所へ移動したのがわかると、俺は慌てて皿洗いを始める。
もう洗うお皿なんてないのに、何かしてましたよ、気にしてませんでしたよ、そういう雰囲気を出してないと、なぜだかいけないように感じてしまった。
「陸斗くん、お風呂どうもありがとうございます」
「上がってたんで──」
お風呂場から出てきた七海さんに声をかけられる。
ピンク色のパジャマが少し子供っぽくて、なのに、前のボタンを上から二つまで開けてるから、胸の谷間が見えてしまう。
無意識なのか、それはわからない。
俺は慌ててそっぽを向くと、七海さんは不思議そうに声を漏らす。
「どうかしました?」
ゆっくりと七海さんは俺へと近付いてくる。
ペタペタと素足で床を歩く音がして、離れているのに、微かに温もりが感じられる。
「い、いえ、じゃあ俺もお風呂に行ってきますね!」
「あ、ええ……」
七海さんを見ないようにしてお風呂場へ。
洗濯物には何も入っていない。着替えは、持ってきたカバンに入れたのか。
「そりゃあ、そうだよね……」
ため息をついてお風呂場へ。
何か期待してたのだろうか。七海さんが、自分の家と間違って着替えを入れてないかとか。
そう思ったが、すぐに首を振る。
「好意で泊まってくれたのに、変なこと思ったら駄目なんだよ……意識しないように、意識しないよう──」
だけど、湯気を発してる湯船を見て、俺は無意識に唾を飲んだ。
「七海さんの入ったお風呂……」
そんな変態チックな感想を口にした時点で、俺はもう、七海さんの存在を意識してるのだろう。
平常心を装っていたって、七海さんには気付かれてるかもしれない。
俺はため息をついて、今日はシャワーだけを浴びることにした。
♦
「……陸斗くん、お風呂から上がるの早いですね」
戻ってすぐに、妹菜の頭を膝に乗せた七海さんは俺を見てそう言った。
耳掃除をしてるらしいのだが、七海さんの表情は、どこか不機嫌な様子だった。
「えっと、まあ……」
「お風呂、ちゃんと浸かりましたか?」
いつもの、のんびりした声色とは違う、どこか子供を叱りつけるような声に、俺は視線を背ける。
シャワーだけだったから上がるのが早い。
俺は苦笑いを浮かべるだけで、返事ができなかった。
「……私が先に入ったからですか?」
「それは……」
違うと言えない。
だけど視線を七海さんへ向けると、七海さんは少し悲しそうにしていた。
「しいなせんせー?」
「ううん、なんでもないのよ。はい、妹菜ちゃん終わり」
すっかり髪を乾かした妹菜の頭を撫でると、妹菜は起き上がり、嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「陸斗くん、明日は新聞配達あるんですよね?」
「ええ、まあ」
「そう。それじゃあ、今日は早く寝ましょうか」
時刻は21時を過ぎたころ。
俺や妹菜はもう少し後の時間で寝る。だけど、七海さんは気を使ってくれたのだろう。
普段はもっと遅くまで起きてるんだろうな。
七海さんと妹菜は部屋へと向かう。
「それじゃあ、電気、消しますね」
「はい、お願いします」
二人が妹菜の部屋へ向かってから電気を消そうと思った。だけど、妹菜の手を握った七海さんは、俺が電気を消すのを待っていた。
「それじゃあ、おやすみなさい」
──カチャ。
明るさが失われ、カーテンの隙間から漏れる月明かりが部屋を照らす。
「……陸斗くんも、こっちよ」
月明かりに照らされた七海さんの表情が、ほんのり赤く染まっているのがわかった。
そして俺の体は前へ。七海さんに引っ張られていく。
「えっ、俺は母さんの部屋で寝ますから」
「ううん、陸斗くんもこっち。妹菜ちゃんが、三人で寝たいって言ってましたから」
「おにいちゃんもいっしょ!」
「でも──」
「──陸斗くん」
ピタッと足を止めた七海さんは振り返ると、俺をジッと見つめてくる。
大きな瞳は、どこか吸い込まれそうなほど、力強かった。
「私の前では、もっと甘えていいんですよ」
「えっ、ど、どういう、意味ですか?」
「周りを気にしすぎると、疲れちゃいますよ。……同じ部屋で寝ないようにしたり、私が嫌がると思って同じお風呂に入ろうとしなかったり……周りを意識しすぎです」
俺は何も言葉を返せなかった。
だって気にするんだ。それは七海さんだけじゃなくて、母さんだったり、妹菜だったり、関わる人には笑顔でいてほしいから。
だからその笑顔を無くさないように、そうなる可能性を排除する。
そんな生き方を、ずっとしてきたんだ。
何も言葉を返せずにいた俺の手を、七海さんは無言で引っ張った。
そして三人で狭い部屋に入ると、パタンと扉を閉められた。
「まいな、まんなかがいいー!」
妹菜が布団へと飛び込む。
その隣を、七海さんも横になる。
異様な光景だけど、横になる七海さんを直視できなくて、俺もすぐに妹菜の隣で横になる。
「……おやすみなさい」
七海さんはそう言いながら、妹菜の頭を撫でていた。
母親のような優しい表情に目を奪われる。それを見ていると、変に意識して眠れなくなる。
見ないように、見ないように。
そうやって目を閉じても、一向に眠れない。
時間が経てば、妹菜からはスヤスヤとした寝息が聞こえ、ゆっくりと夢の中へと入っていったのがわかった。
七海さんも寝たかな……。
そう思って顔を七海さんへと向けると、
「眠れないですか?」
七海さんは、俺を見ていた。
さっきのこともあって、ここで慌てて顔を背けるわけにもいかず、俺は苦笑いを浮かべて答える。
「ええ、はい……」
「やっぱり、緊張してますか?」
「そんなこと……いや、そうですね。緊張してます」
「ですよね。見てたらわかります」
クスクスと笑う七海さん。
その笑顔を見てると、普通に話せている。
「陸斗くん、寝れそうですか?」
「目を閉じてたら、いつか……。七海さんは、いつもより寝るの早いですよね?」
「ええ、私もちょっと寝れそうにありません」
小さな声で会話してても、妹菜が起きる気配はない。
そして、上半身を起こした七海さんは、扉を指差す。
「少し、お話ししませんか?」
「七海さんがいいなら」
そうして、俺と七海さんはリビングへと向かう。
月明かりや街灯が部屋の中を照らしていたけど、電気を付けると、眩しくて目を閉じる。
「陸斗くん、ここどうぞ」
座った七海さんは、太股を手で叩く。
「えっ、それって……」
「陸斗くんにも、耳掃除してあげます」
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