第10話 彼女は天使か、それとも小悪魔か? 2

「陸斗くん、どうしたの!?」

「おにいちゃん?」



 なぜか涙を流す俺を見て、七海さんと妹菜が心配そうにしている。



「いえ、なんでもないんです……少し、嬉しくて」



 テーブルの上にはご馳走が並んでいて、折り紙で作られた飾りなんかもある。

 何の祝い事もない今日、二人は辛そうにしてる俺を心配して、パーティーを開いてくれたんだろう。


 その心遣いが嬉しくて、涙を流して笑っていた。



「もしかしたら、頭にクラッカーから出た紐とか飾りを付けてる七海さんが面白かったのかもしれません」



 照れ隠しに、頭上へ向けてクラッカーを発射した七海さんの、髪の上に乗った色鮮やかな装飾を見て笑ったと嘘を付いた。



「えっ、うそっ、なんで、もう……」



 恥ずかしそうに頭に付いたそれを取る七海さん。



「しいなせんせー、かわいいっ!」



 しゃがみながら頭の上を払う七海さんを、妹菜が取ってあげる。

 そんな光景は、心が落ち着く。

 俺もしゃがんで、七海さんの頭の上に乗った紐や飾りを取ると、七海さんは優しい微笑みを俺に向けてくれた。



「少しは、元気になりましたか……?」



 その笑顔は反則で、美しすぎて、俺は俯きながら頷いた。



「良かったです。それじゃあ、ご飯にしましょうか。お鍋を持ってきて終わりですから、陸斗くんは座って待っててください」



 全て取り終えると、七海さんは再びキッチンへと向かった。



「おにいちゃん、こっち、こっち!」



 俺は妹菜に手を引かれ、テーブルの前に座る。



「妹菜、七海さん困ってなかったか?」

「ん? なんで?」

「いや、料理まで作ってもらって」

「ううん、だいじょぶ!」



 大きく頷いた妹菜を見て、俺は「本当かな」と苦笑いを浮かべる。

 すると、キッチンから鍋を持ってきた七海さんは、テーブルを挟んで真向かいに座る。



「困ってませんから大丈夫ですよ」

「すみません、こんな……あっ、材料とかって」

「材料でしたら、帰りに妹菜ちゃんと買ってきました」

「後でお金お支払いしますので」

「いいんですよ、別に。どうせ帰っても一人で食べるだけだったから、私は二人と食べれて嬉しいんです。だから気にしないでください」

「でも」

「じゃあ、美味しく食べてください。感想を貰えたら、それで十分ですから」



 そう言ってニコリと微笑んだ七海さんは、俺に箸を、妹菜にスプーンとフォークを渡す。

 これ以上は、きっと七海さんを困らせるだけかもしれない。



「すみません、七海さん。ありがとうございます」

「いえいえ。それじゃあ、いただきます」

「いただきます」

「いただきます!」



 テーブルに乗せられたご馳走は、パーティーと呼ぶだけあって豪勢な料理たちだった。

 ローストビーフを筆頭に、サラダやお寿司、それからお鍋なんかもある。

 お寿司はスーパーのものだと思うけど、他は違う。これだけの量を揃えるのには、かなりの時間と労力を要したはず。


 それを申し訳なく思う。

 だけどその気持ちよりも、嬉しく思う気持ちに変わったのは、ローストビーフを口にしてからだった。



「美味しい……」



 昨日、俺が作ったローストビーフとは違って、外側が焦げてなくて、中心部分から赤みを帯びていて綺麗だった。

 妹菜も「うまっ、うまっ」と喜んでいて、七海さんは「良かった」と安堵した表情を浮かべる。



「ほら、妹菜ちゃん、口元に付いてるわよ」



 妹菜の口元に付いたソースを拭き取る七海さんは、保育士だからというよりも、素の優しさが溢れていた。



「ありがと、しいなせんせー!」

「どういたしまして。妹菜ちゃん、こっちも美味しいわよ」

「わーい!」

「陸斗くんも、いっぱい食べてくださいね」

「ありがとうございます、いただきます」



 どんどんテーブルに乗せられた料理たちは胃袋へと消えていく。


 ──けれど、半分ぐらいを食べたころには、お腹の中は満腹になっていた。


 量が多かったのか、それとも、妹菜があまり食べてなくて量が誤ったのか、それはわからない。

 だけどこの満腹感と残りの料理たちは比例しない。



「おなかいっぱいー!」

「そっか……作りすぎちゃったかな」



 残った料理を見て、七海さんが悲しそうな表情を浮かべる。



「そんなことないです! 俺、まだまだ食べられますから!」



 お腹の中はもう満腹だと訴えるけど、俺はどんどん料理を食べていく。

 母さんが入院してから、俺が作った料理は美味しいとは言えなかった。だけど七海さんの作る料理は美味しい。

 まだまだ食べられる、そんな気がした。

 それに七海さんが家に来て作ってくれたのに、残すことなんてできない。



「無理、しなくていいんですよ?」



 そう言われるが、俺は首を振って食事を続ける。



「ふふっ、ありがとう、陸斗くんは優しいんですね。あっ」



 七海さんはティッシュを俺の口元へと伸ばし、



「陸斗くんも、こぼしてますよ」



 口端に付いたソースを拭いてくれた。

 それが恥ずかしくて、だけど、なんだか嬉しくて、俺はお礼も言えずに頷くしかできなかった。


 ──そして、俺は全ての料理を完食した。



「ぷはあっ、美味しかったです、七海さん。ごちそうさまでした!」



 皿の上が綺麗になるのを見て、七海さんは笑顔を浮かべる。



「こんな綺麗に食べてくれたら、なんだか作る身として嬉しいですね。ありがとうございます」

「美味しかったですもん。お礼するのはこっちですよ」

「ふふっ、良かった。それじゃあ、片付けてきますね」

「あっ、いいですよ。それは俺がやりますから」

「いいんですよ、私が」

「いえいえ、料理を作ってもらったのに、そこまでしてもらったら申し訳ないですから」



 慌てて立ち上がると、俺は皿を持ってキッチンへ向かった。

 水道を出しながら皿を洗っていく。

 すると、妹菜と七海さんの会話が聞こえてきた。



「しいなせんせー、きょうはかえっちゃうの?」

「「えっ!?」」



 七海さんと俺の驚いた反応が被る。



「えっと、その……今日は、料理を作りに来ただけでね」

「でも、あした、ようちえんおやすみだよ!」

「あ、えっと、あのー」

「妹菜、七海さんは忙しいんだから無理を言ったら駄目だぞ」



 さすがに七海さんが困ってるのが見てわかった。

 だから俺は洗い物をする手を止め、妹菜の元へ向かう。

 妹菜は不思議そうに、子供ならではの表情を浮かべて首を傾げる。



「だけど、しいなせんせー、まえにまいながおとまりしてっていったら、いいよっていってくれたもん」

「えっ!?」



 俺が七海さんへと顔を向けると、七海さんは赤面しながら、勢いよく顔を俺から背けた。



「それは、ずっと前に、あの……おままごとでの会話で……」

「そうだったんですね。じゃあ」

「え? ちがうよー! まいな、おままごとしてないときにきいたもん! しいなせんせー、いってたよ」

「えっと、それは、その……」



 どっちが本当かわからない。

 だけど七海さんの反応を見てると、妹菜の言ったことが正しいのではと思ってしまう。

 それでも、急に泊まってというのは困らせてしまうだろう。



「妹菜、七海さんは今日、忙しいんだ。だからね、それはまた今度で──」

「──今度!?」



 子供への上手いごまかしなのだけど、バッと勢いよく七海さんが俺に顔を向ける。

 その瞳は、どこかチワワのようにうるうるさせていた。



「いや、その、これは例えであって……」

「おにいちゃんも、しいなせんせーがとまってくれたら、うれしいよね? だって、まえにいってたもんね?」

「──なっ!?」

「前に……?」



 妹菜の純粋無垢な視線と、七海さんのよくわからない視線が痛い。

 前にそんなこと言ったか?

 全く思い出せないけど、家で七海さんの話をしたのは一回や二回じゃないから、その時に、何か言ってたのかもしれない。



「これは、その……」



 自分でもはっきりと慌てているのがわかる。

 変な誤解をされて嫌われたくない、そう思って口を開こうにも、何を言えばいいのかわからない。


 すると、七海さんは「わかりました」と、そして言葉を続けた。



「……陸斗くんが、お邪魔でないなら……今日は泊まっていきます」

「えっ、それは……」



 妹菜が「やったー、やったー」と手を伸ばして大はしゃぎしてる。

 だけど七海さんは俺をジッと見つめて、どこか静かな空気の中、どっちがいいか選択を委ねるような視線を向けてくる。



「……じゃあ、妹菜が喜んでるので、もし迷惑でなければ、泊まっていってください……」

「……は、はい……妹菜ちゃんが喜んでるので、そうします」



 妹菜が、と付けると少しだけ変な言葉にならなくて済む。それはきっと、七海さんも同じなのか、もしくは、本当にそう思っているのか、それはわからない。


 七海さんは「お泊まりの準備しますので、一度だけ帰りますね」と言い残して帰っていった。

 俺はその後ろ姿を見送ると、お腹の中の空気を全て吐き出すような──ドキドキした気持ちのままため息をつく。

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