第9話 彼女は天然か、それとも小悪魔か? 1
「──あっ、やっと出てくれた」
幼稚園の園内から少し遠く離れた歩道にて。
七海は保育士の服をそのままに、慌てた様子でスマートフォンを耳に付ける。
『……とうとう、休み時間にまで電話してくるようになったのね。末期よ。末期症状よ、あんた』
電話口の向こうからは、一ノ瀬華凛のため息混じりの声と共に、女性たちの笑い声が聞こえる。
「ごめんね、休憩中に電話して。だけど、どうしてもすぐ華凛に、相談したいことがあったの」
『相談したいこと……? んー、ちょっと待ってて』
華凛はそう言うと、電話の向こうから彼女が歩いてどこかへ向かう音が聞こえた。
『おまたせ、んで、どうしたの?』
「もしかして、休憩室から移動させちゃった……?」
『返答に困る内容だったら、まあ、あたしが困るのよ。それで、どうしたのよ。昼休み削ってまで電話してくるってことは急用なんでしょ?』
華凛は気を利かせてくれたのだろう。
申し訳ない気持ちもあり、七海も休憩中なので、手短に用件を伝えた。
「えっとね……男の人の家に行って、ご飯を作ってあげるのって普通……なのかな?」
『……はあ!?』
華凛の大声は音割れを生み、その後、華凛が周囲の人たちに謝る声がした。
『ちょっと……何よ、その急展開。もしかして、作りに行くの? いつよ?』
「今日、なんだけど……」
『ええ!? ……あっ、すみません、静かにしますので……。ちょっと、七海、いつの間に話が進んだわけ?』
「私も急で……それで、どう、かな? 普通? これ?」
恋愛経験も、恋愛話にも疎い七海は、狼狽するような不安な声を漏らした。
『まあ、普通ではない、かもね……付き合ってないなら、なおさら』
「だよね……」
『ちなみに、相手って?』
「えっと、前に言ってた高校生なんだけ──」
『──高校生!? 高校生に手料理って』
再び大声を出し、続けて華凛が周りに謝る声がした。
『ちょっと、七海! それ、大丈夫なわけ?』
「だ、だって、断れなくて……彼の妹ちゃん、あっ、うちの幼稚園に通う子に頼まれて」
『なんで、そうなるのよ』
「実は──」
七海は伝えられる範囲で華凛へと事情を説明した。
すると、華凛は『あー、それは』と納得するように相槌を打つ。
『確かに断れないわね』
「だよね」
『まあ、それぐらいはいいんじゃない? 今日だけでしょ?』
「たぶん」
『たぶんって……まあ、今回は相手への優しさだと思って頑張ってきなさい。特にその高校生を男として意識してないんでしょ?』
「──なっ、ないないないっ、ないよっ!?」
七海は控えめに出していた声を張り上げ、背筋もピンと伸びる。
その反応に、親友はうっすらと何か気付いたようで。
『……七海、もしかして?』
「ち、違う違う! 別に何かあるわけじゃないの!」
『本当……?』
「本当だってば、別に、その……」
疑われれば疑われるほど、七海の反応は萎縮して、華凛には不審に思われてしまう。
『……その子、今いくつ?』
「えっ? 16だけど」
『16ね。ふーん、そう』
意味深な声色に七海は首を傾げるが、華凛は『なんでもないわ』と伝えて、
『七海はさ、その子を元気付けたいの?』
「できるなら、そうしたいかな。頑張ってるの見てきたから」
『そう。そうね。じゃあ良いこと教えてあげようか?』
「良いこと?」
『ええ、その子を元気付けられる方法。今はメモとかできる?』
「うん、できるけど」
七海はエプロンのポケットから仕事用のメモ帳を取り出す。
『それじゃあ、教えてあげるわ。大人としての、高校生を元気付ける方法を、ね……』
華凛の声色からは少しだけ楽しそうな、そんな気がした。けれど、七海はその言われたことを忠実にメモしていく。
──違和感を覚えたが。
♦
「……え、帰ったって、一人でですか?」
学校が終わり、俺は幼稚園へ妹菜を迎えに来ていた。
だけど園長先生に言われたのは、もう帰ったということだった。
「ええ、園児たちをバスで送ったあと、椎名さんが妹菜ちゃんと……聞いてないの?」
「はい、聞いてはないです」
「そう。たしか彼女、陸斗くんの家庭のことを心配して負担を減らしたいって言ってたわね」
「七海さんが……」
七海さんが気を使ってくれたのかな。
「わかりました。それじゃあ帰りますね」
「はい、気をつけて帰ってね」
園長先生に挨拶をして、俺は家へと向かう。
「帰りにローストビーフの具材を買って、一緒に帰ろうかなって思ったんだけど」
昨日は失敗したけど、今日は図書館で調べたから失敗しないと思ったんだけど。
まあ、いいか。帰ってから、妹菜と一緒に買い物しよう。
そんなことを考えながら、帰り道を歩く。
そして、アパートに到着した。
「……あれ?」
鍵がかかっていない。
普段は母さんがいて鍵はかけるし、妹菜にも家に一人でいるときは鍵をかけるように言ってる。
何かあったんじゃないか。
嫌な予感がして、俺は勢いよく扉を開ける。
「妹菜!?」
「……え?」
扉を開いた瞬間、目の前には右手を伸ばして扉を開けようとしていた女性がいた。
綺麗な瞳が俺をジッと見つめ、パチパチと、瞬きをさせる。
「七海、さん……?」
そこにいたのは七海さんだった。
太股に密着するピチッとしたジーパンに、白色の薄手のシャツ。それから、母さんが付けていたエプロンを着ている。
「おかえりなさい。それと……お邪魔してます」
頭を下げた七海さん。
どうしてこうなったんだ、と異様な光景に驚いていたけど、
「しいなせんせー、ひっ、ひっ!」
妹菜がリビングの方から大声を出す。
ひっ? ひっ? とはなんだ?
そんなことを考えていると、七海さんは何かを思い出したのか、慌てた様子でリビングへと走っていった。
「ごめんなさいー! 火を止めてませんでした!」
「あ、はい……」
わからないけど、家の中からは何か良い匂いがする。
お肉が焼ける匂い。食欲をそそる匂いだ。
そして、七海さんと入れ替わりのように、妹菜が俺のもとへと走ってくる。
「おかえり、おにいちゃん!」
「ただいま……だけど、七海さんがどうして?」
「うんとね、きょうはパーティーなの!」
「パーティー?」
首を傾げると、妹菜は俺の手を引っ張る。
母さんが入院してから二つしか置かれない靴は、俺のを含めて三つ、綺麗に並べられて置かれる。
その光景がどこか不思議で、だけど、少し心が温まる。
そして、リビングの扉を開けると、
──パアン!
何かが破裂するような音が響いた。
俺は驚いて伏せていた目を開けると、そこにはクラッカーを持った七海さんが、俺に笑顔を向けていた。
「パーティー、です!」
なんのですか?
そう聞こうとしたが、七海さんが引いたクラッカーは真上を向いていて、細長い紙の紐や四角く切られた金銀の紙が七海さんの頭上に降り注ぐ。
「あれ? あれれ?」
天然なのだろうか。
慌てた七海さんを見て、俺はなぜだか、涙を流して笑っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます