第3話 陰と陽、もしくは、陽と陰
「──りっくん、店長との密会はどうだったのさ?」
レジに立っていた柚葉さんは、何かを期待してるような笑みを浮かべる。
「何を期待してるのか知らないですが、普通に来月のシフトはこれでいいのか、って聞かれただけですよ」
「えー、ほんとにそれだけー、怪しいなー」
「本当です。それ以上、変な妄想するなら綾香さんに言いますよ?」
「それはダメ! また怒られるか、変なシフトにされるから」
ぷんぷん、と頬を膨らませた柚葉さん。
「だったら変なこと言わないでくださいよ」
「なんだー、つまんないの。わたしはてっきり、婚姻届でも渡されてるのかと思ったよ」
「……なんでそうなるんですか。というより、店長をどういう目で見てるんですか」
「ふふーん、まあねー」
柚葉さんはニヤリと悪い笑みを浮かべた。
それを見て、俺はため息をつく。
「柚葉さんって、いつもそんな感じですよね」
「ん、そんな感じって?」
「適当な感じです」
「ヒドい! いつわたしが適当だったわけ?」
「いつもです」
「もう! わたしは寂しいよ……りっくんが年上をバカにするようになって」
「柚葉さんだけですよ。それに……」
そういう風にしか見れないから仕方ないですよね、と言おうとしたが、お客さんが来たので止める。
店内は静かで、お客さんは数名しかいない。
いつも夜はこんな感じで、あまり忙しいといった職場ではない。
それから数時間ぐらい働いてから、
「二人とも、お疲れ様。そろそろ閉店の時間だよ」
20時になると、店長室にいた綾香さんに声をかけられる。
柚葉さんは「はーい」と言って帰る準備を始め、俺は正面のシャッターを閉める。
そして三人で帰っていく。
ここは街中から離れた場所にあって、少し歩けば電車の通った駅へ着く。
柚葉さんと綾香さんは駅へ。
俺は駅を越えた先にある家へ。
帰り道は一緒なので、街灯と家の明かりに照らされた住宅街を、三人のシフトが同じときはいつも一緒に帰っている。
「てんちょー、わたし今日で三連勤なんですけど。なんとかなりません?」
「三連勤ごときで……というより、休みが欲しいと言わなかったのは君だろ。いまさら文句を言うな」
「だけどー」
「まったく。少しは陸斗を見習ってほしいものだ」
ため息混じりで綾香さんが言うと、柚葉さんは文句がありそうな表情を俺へと向ける。
「りっくんが頑張り屋さんなだけですよーだ」
「俺がというか……まあ、柚葉さんの働きたくないは口癖みたいなものですからね?」
「あー、ヒドい! りっくん、いつからわたしのことイジメるようになったの!?」
自分の体を抱きしめながら悲しそうな表情をする柚葉さん。
「まあ、最初からですね」
笑いながら冷たく言葉を返す。
年上とか年下とか、そういうのを感じさせない柚葉さんの良いところだと言えば、柚葉さんが喜びそうなので止めておこう。
すると、柚葉さんは泣き真似をする。
「ううっ、ヒドいよ……りっくんは、年上への敬意ってものがない。すぐ女性をイジメてさ……。わたしはそっちの気がないのに」
「そっち……?」
「柚葉、健全な高校生に変なことを吹き込むのは止めないか」
眼鏡の奥に見える切れ長の目を柚葉さんに向ける綾香さん。だけど柚葉さんは一歩前に飛んで振り返ると、意味深な笑みを浮かべた。
「今時の高校生ですぐにピンとこないのは、りっくんぐらいですよ」
「……だとしてもだな」
「りっくんりっくん、どういう意味か教えてほしい?」
首を傾げた柚葉さんを見て、俺は目を細める。
「別に何を言おうとしたか想像つくので止めておきます」
「おっ、知ってたかー。まあ、そうだよね。んでんで、どうなのさ。純朴そうに見えるりっくんは、実は……?」
「そういうのは知りません。というか、興味ありません」
「なーんだ、残念。りっくんは恋愛とか興味ないの?」
「恋愛ですか? そうですね……柚葉さんはどうなんですか?」
話を逸らすように話題を柚葉さんに振ると、不思議そうに、それでいて当然のように、柚葉さんはいつも通りの返答をした。
「ん、わたしはモテるよ?」
「……はあ」
「はあってため息つかないでよ! いつも言ってることでしょ?」
「まあ、そうですけど」
「だけどさ、わたしは追われるよりも、追いたいタイプなんだよね」
「肉食系なんですか?」
「んー、ちょっと違うかな」
柚葉さんは少し考えているような雰囲気を出してるけど、たぶん、何も考えてない気がする。
「まっ、どっちにしろ世の男どもが、わたしを放っておかないってやつだね!」
「……尻軽っぽい見た目をしてるからだろ」
綾香さんが毒つくと、柚葉さんは不機嫌そうに頬を含ませる。
「店長、それどういう意味ですか!? わたしのどこが尻軽ビッチっぽいんですか!?」
「……見たままだろ。それにビッチとは呼んでない。あと、声のトーンを落とせ。近所迷惑だ」
その通り、と頷いていると、柚葉さんの怒りは収まらないようで。
「店長が堅物すぎるんですよーだ! だから、その年──」
「──おい、来月のシフトを増やされたいのか?」
「……パワハラ!」
柚葉さんはそれ以上は何も口にせず、再び俺の隣を歩く。
二人は仲が悪いように見えて意外と仲が良いらしい。
まあ、それは柚葉さんが言ってるだけで、綾香さんは何も言ってない。聞けば嫌な顔をされる気がするから聞けない。
そして、しょんぽりした柚葉さんは俺へと視線を向ける。
「それで。りっくんは好きな子とかいないの?」
「また俺に話を戻すんですね……。まあ、無いですね」
そっか、と小さく呟いた柚葉さん。
「……それも、家庭の事情?」
「まあ、そんなところですね」
恋愛なんてしてたら、それだけ時間を取られるし、何よりバイトの時間が減るのは駄目だ。
すると、隣を歩く綾香さんは小さな声で、
「……まるで呪縛だな」
「えっ?」
何かを言ったような気がした。
だけどその疑問を、柚葉さんの大声で消された。
「あっ! りっくんこれ!」
綾香さんへ向けていた視線を柚葉さんに向けると、頬に指先が突き刺さる感触があった。
「痛っ、なんですか……」
そしてすぐに、目の前がスマートフォンのライトに照らされ、カシャッという音が響く。
「ふっふっふー。今日の一枚」
「また俺の写真を撮って……訴えますよ?」
「えー、別にいいじゃん! バイト仲間のほのぼの写真。誰にも売らないよー?」
「そういう問題じゃ……って、売れませんからね!?」
クックックと悪い笑みを浮かべる柚葉さんは、華麗なる指さばきでスマートフォンで何かを操作すると、鞄の中に閉まった。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。誰にも見せないから安心してよ。これはただ、りっくんの毎日の成長を記録に残してるだけなんだから」
「……それを止めてほしいんですが。ちゃんと後で消してくださいよ?」
「やーだよーだ」
駅が見えると、柚葉さんは子供のように走り出す。
駅構内から漏れる眩い明かりをバックに笑顔を浮かべる柚葉さんは、普通にしてたら綺麗なのに、どこか勿体ない気がする。
「それじゃあ、りっくんまた明日ねー」
まあ、それも柚葉さんの良いところだと、俺は思うんだけど。
「はいはい、また明日もよろしくお願いします」
ぶんぶんと手を降ってる柚葉さんに手を振り返す。
そして綾香さんが駅へ向かおうと前へ歩くが、すぐに足を止める。
「陸斗、柚葉だけは止めておけよ?」
「えっ、どういう意味ですか?」
手を大きく振っている柚葉さんを見ながら、綾香さんは小さな声で、それも真剣な表情で言葉を続けた。
「ああいう、いつも明るいタイプが一番──闇が深いんだよ」
その言葉の意味を理解できなかった。
それは俺がまだ子供だからなのか、それはわからない。
だけどいつも明るい柚葉さんが闇が深いとは、とても思えなかった。
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