第2話 猫先輩とクール美女


 俺こと──宇野陸斗の高校での学生生活は、いってしまえば一人のことが多い。


 というのも、放課後とかに誰とも遊ばずバイト漬けの生活を送ってるからだ。

 ちゃんと友達はいるけど、そこまでの仲の良い友達はいない。


 深くなく、浅くなく、そんな感じ。


 だけど苦しくはない。

 学校で少し話すくらいが丁度いいと思ってるからだ。


 そして学校が終わると、俺は真っ直ぐバイト先へ向かう。


 朝は新聞配達のバイトをして、学校が終わると街の本屋で働く。

 昼間は大勢のパートさんがいるけど、夜間は俺みたいな学生が多い。


 バイト先でブレザーを脱いで、Yシャツにエプロン姿に着替えていると、



「あっ、りっくんじゃん!」



 休憩室の扉が開かれると、明るい声が響いた。


 振り返るとそこには、書店員の地味なエプロンとは似つかわしくない明るい髪色の美鏡柚葉みかがみゆずはさんが、猫みたいな愛くるしい感じの笑顔を浮かべていた。



「お疲れ様です、美鏡さん」

「もう、また美鏡さんって。柚葉でいいって言ったでしょ?」

「ははっ、わざとです」

「もう、また年上をからかって! そういえば、りっくん今日はこっちのバイトの出勤日だったんだね」

「そうなんですよ。美鏡さんも──」

「──柚葉、だよ?」



 ぷくーっと頬を膨らました柚葉さんは、苗字で呼ばれるのがあまり好きじゃない。

 なので名前で呼ばないと怒るのだが、その反応が面白くてよく苗字で呼ぶ時がある。



「柚葉さんも今日は出勤だったんですね」

「そだよー! 三、連、勤! 大学から直行でね。出勤前からぐったりだよー」



 柚葉さんは、自分のロッカーの中に鞄を置くと、大きくため息をつく。


 美鏡柚葉さんは大学二年生で、年齢は上なんだけど、バイトでは俺の後輩にあたる。

 だからなのか、柚葉さんは敬意を称して俺のことをりっくんと呼んでくる。

 いや嘘だ。ただからかってるだけだ。


 明るく派手な茶色の髪を肩幅まで伸ばして、クルッと巻いた髪形。

 柚葉さん曰わく「いま流行りのゆるふわカール」なんだとか。

 見た目は派手な感じで雰囲気も明るい。誰とでも仲良くなれるタイプの女性だ。


 そんな柚葉さんはYシャツにエプロンを付けると、「そういえば」と何かを思い出す。



「りっくん、店長が呼んでたよ」

「えっ、綾香さんがですか?」

「そそっ、なんかシフトのことで話があるとかないとか」

「どっちなんですか」

「さーねー、だから勤務始める前に来てって。んじゃ、りっくん先輩」



 適当な性格をしてる柚葉さんは、ピシッと敬礼のポーズをする。その口元はなぜか緩んでいた。



「私は先に仕事をしてくるので、店長とよろしくやっていてください!」

「……変な言い方しないでくださいよ。それとおかしな敬語は止めてください」

「ふふん、ナイスツッコミだよ、りっくん!」

「はあ……というか、なんで俺が店長とよろしくやるんですか」

「むふふ、それは秘密なのだよ。店長だって、もうそろそろ結婚とか考える年頃ですからのう」



 口元に手を当て、プスプスと笑い出す柚葉さん。

 後でチクってやろう、綾香さんにいつもみたいに怒られればいいんだ。



「それじゃーねー」



 柚葉さんが売り場へ向かい、俺は休憩室の奥にある店長室へと向かった。


 ──コンコン。


 ノックすると、すぐに「どうぞ」と声がした。



「失礼します……って、タバコくさっ」



 入った瞬間にわかるほど、扉を開けた瞬間にタバコの匂いがした。



「ああ、すまない。換気するのを忘れていたよ」



 部屋の中は本棚で埋め尽くされている。ここは応接室という名目の部屋なのだけど、誰かが来た時に通す部屋なのだけど、長テーブルには本が山のように積まれていた。


 机の前に置かれた椅子に座っていたここの店長──冴草綾香さえぐさあやかさんは、疲れた表情でノートパソコンを閉じると立ち上がった。


 気だるそうな表情だが、綾香さんはどこか格好いい女性と呼ぶに相応しい。


 そのまま窓を開けると、テーブルに散らばった原稿が風に吹かれてこっちまで飛んできた。



「また締切に追われてるんですか?」

「残念なことにね。だがもう少しで目処がつきそうだ」



 風が室内へと吹き抜けると、綾香さんの長い黒髪が揺れる。


 綾香さんは小説家をやっている。

 まあ、兼業作家というやつらしい。

 小説を書きながら書店を経営してるが、忙しい時はお店にいても、この店長室にこもって執筆をしている。



「……これ、拾って大丈夫ですか?」

「ん、ああ、それは構わないよ。私の原稿じゃないからね」



 俺は散らばった原稿を拾って、テーブルに置く。


 綾香さんが執筆してる小説のジャンルは誰も知らない。それはペンネームもだ。

 なぜだか綾香さんは『小説家』だと名乗るけど、その作品とかは教えてくれない。


 ──卑猥なの書いてるんじゃないですかー?


 と、柚葉さんが聞いたことがあった。

 だけどそれを聞いた次の月。柚葉さんは酷なシフトを組まされていた。

 おそらく深入りしようとすると、店長権限で待遇を悪くされるのだろう。


 なので誰も、綾香さんの出版してる作品にも、ペンネームにも触れようとしない。



「それで、柚葉さんがシフトについて綾香さんが呼んでるって言ってたんですけど?」

「ああ、それか。前に出してくれた来月のシフト希望、陸斗は本当にあれで良かったのか?」

「来月の……ああ、8月のですね。特に問題はないですよ」

「そうか。だが陸斗の高校でも夏休みだろ? なのにずっとバイトというのは……予定とかはないのか?」

「予定は、まあ……」



 俺が苦笑いを浮かべると、綾香さんは腕を組んでため息をつく。



「学生の本分は勉強。だけど私は青春もだと思ってる。なのに君のシフトは週5勤務……家庭環境も理解してるが、もう少し休んだらどうだ?」

「そうですね。ただ、自分はバイトしてる方が楽しいので」

「……君がそう言うなら、わかったよ。こちらとしてもこの時期に出勤してくれるのは有り難い」



 ──ただ、


 と、綾香さんはかけた黒ぶちの眼鏡を外すと、立ち上がりこちらへと近付いてくる。

 スラッとしたモデルのような体型の綾香さんが歩く姿は、まるでランウェイを歩くモデルのようで華やかに映る。

 前に綾香さんは年齢を隠していたが、柚葉さんが28歳とバラしていた。

 だけどその年齢を聞かされても、若くて綺麗な女性という印象しか受けない。


 綾香さんが目の前に立つ。

 俺の身長の方が高いはずなのに、目の前に立つと、踵の高いヒールを履いてるから同じ目線になる。

 そして綾香さんの手が、俺の頭に置かれた。



「無理はするな。無理して倒れたりしたら、悲しむのは君が助けようとしてる母親と、陸斗を大好きな妹さんなんだからね」

「……はい、わかってます。なので頭を撫でないでください」

「おっと、つい」



 綾香さんは手を避けると、笑みを浮かべる。

 普段はクールな感じなのに、どこか抜けていて、俺を子供扱いしてくる。



「それじゃあ、俺はもう出勤時間なので」

「もうそんな時間か。すまないね、時間を取らして」



 俺は首を振って店長室を出て行く。


 この職場は好きだ。

 いつもニコニコと明るい柚葉さんがいて、

 クールな感じだけど優しい綾香さんがいる。

 二人ともよくしてくれるから、働いていても疲れない。


 ──だけど、この時の俺は知らなかった。


 後にこの二人が、今の俺が抱く印象とは全く別の雰囲気へと変貌して、俺を甘やかせようとしてくることを。

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