第13話「社会の奴隷」



「はぁ……」


 溜息が止まらない。


 ついでにあくびも。


 眠い。


 昨日はなかなか寝付けなかった。


 原因は主にアイツのせいだ。



――あの勇者野郎。



 いやね? 全部善意から来てるのは知ってる。


 うちの家計の事考えてくれたんだったのはわかる。


 それでもさぁ。


 常識ってもんが無さ過ぎでしょ。


 いやね?


 異世界から来たんだし、常識が違うのも仕方ない。それはわかる。


 けど。



――イライラする。



 昨日の職場での出来事も含め、あの勇者のとどめが利いてイライラして、昨夜は一睡も、とはいわないものの寝つきが悪かったのだ。



 そして何より――。



 ちょっと言い過ぎた。


 普通に叱り付けるだけならまだしもだ。


 職場での不快な出来事からの幸せタイム、それを台無しにするアレ。


 そういったアレやコレやで怒りが何だか膨大に爆発してしまい、今まで溜まっていたうっぷんもぶつけてしまい、結構な罵詈雑言、暴言罵倒までかましてしまったのだ。


 ……うぅ、自己嫌悪。


 私、大人気ない。


 へこむ。


 そんな自分への怒りも込みで……まぁ、寝つきが悪かったせいで、眠いのだ。


 そして、なんでこんなにへこんで悩まにゃならんのだ、と考えるほどにイライラするし、自己嫌悪で溜息も出る。


 当然。


「な~なこちゃ~ん?」


 部長からも長いお小言を受ける羽目になるし。


「成瀬さん?」


 お局様からも嫌味を言われる羽目になる。


 うっとおしい。



 全部ぶっこわしてぇ……。



「はぁ……」


 溜息が止まらない。

 あくびも。


「ん~……な~なこちゃ~ん?」

「あ、はい。なんでしょう」

「なんでしょう。じゃないよ。溜息」

「あ、すみません」

「さっきも言ったよねぇ。これで何度目だっけ?」

「えっと……今日のお小言は二度目です。申し訳ありません」

「ちがう。あくびだよあくび」

「え? えっと……さっきは四十三回だったので……四十四回でしたっけ」

「そう。で? ため息は?」

「えぇ? えぇっと……」

「六十五回」


 こいつどんだけ暇なんだよ。

 そんなん数えてる暇があったらお前が働け。

 ってかそんな風に数える暇があるってんならアンタがサボってるって事じゃないの?

 自分でも驚くくらいに、一瞬の内に膨れ上がる殺意。それを抑えて。私はハゲちらかしたクソ部長の方へと向き直る。


「ちょっとたるみすぎなんじゃないかね?」

「申し訳ありませんでした。以後気をつけます」


 とりあえず謝罪する。

 社会人としての常識的な平常運転スキルだ。

 だがしかし、そんな私の態度が気に喰わんとばかりに、相変わらず部長は嫌味とお小言をぶちかましてくる。


「謝るくらいならさぁ? ん~? 最初からやらないで欲しいんだけどねぇ? ん~?」


 まぁた始まった。


「そもそもさ。君、一体ここに何しに来てる訳ぇ?」


 そういえば、さっき電話でまたなんか謝ってたな。

 その鬱憤晴らしか……。


「ねぇ。君さぁ。ここに仕事に来ているって自覚ある? ん~? 遊びに来てる訳じゃないんだよぉ? ん~?」

「はい。大変申し訳御座いませんでした」

「ねぇ? 僕の話、ちゃんと聞いてるのかなぁ? さっきも言ったよね? 謝って欲しい訳じゃないの。改善して欲しいの。わかる? 謝るだけならお猿ちゃんでもできるんだよ? だからねぇ? 謝ればいいってもんじゃないんだよぉ君ぃ? あぁ~もうこんな時間に給料出ちゃってる。これがどれだけ罪深い事かわかるかなぁ? ん~?」


 どうせ謝らなければそっち方面で嫌味が飛んでくる。

 無言でいれば別の方面で。そして謝ってもこの通りだ。

 一体、どうすればいいというのか。

 一体、私にどうして欲しいというのだ?


 一体、どうすれば私はこんな地獄から抜け出す事ができるのだろうか。


「まったく。嘆かわしい。そもそもさぁ? 君ぃ、この仕事、向いてないんじゃないのぉ? もうさぁ、やめちゃえばぁ?」


 やめちゃえばぁ? でやめられるんならとっくにやめてるんだっての!


 お金に困ってるから仕方なく仕事してるんでしょうが!


 そもそもさぁ。向いて無い? そりゃそうでしょうよ。誰だって好きで仕事なんかしてる訳ないでしょ?

 こんな会社の商品に愛着なんてまったく無いし、好きでこの会社選んだ訳でもないんだよ!

 入りたくて入ったんじゃない。仕事しなきゃ生きていけないから仕方なく頭下げて入ってるんでしょ!?

 だったら……だったら向いている訳なんかないでしょうが!!


「いやいや、勘違いしないで欲しいんだけどねぇ? 別にぃ、君が憎くて言ってる訳じゃないんだよ? 君ぃ。ん~?」


 私の心の奥底にともる憎悪が見えたのか、冷や汗をかきつつも言い直すハゲ部長。


 へぇ。憎くないねぇ。

 憎くなければなんなんでしょうねぇ。憎いわけじゃないと言えば何言ったって許されるってんですか?

 へぇ、そりゃあ便利な言葉ですねぇ。

 なら、そのハゲたクソ頭に私が斧なり鈍器なりを全力で叩き付けたとしても、憎くてやったわけじゃないと言えば許されるとでも言うんですかねぇ?

 ふざけんじゃないよ!!


「む、むしろだねぇ? 僕は君のためを思って言ってあげているんだよぉ~? ん~?」


 私のためを思ってだぁ? よく言う。


 君のためを思って言っている。なんて言葉を使う奴に、本当に相手の事を思って言ってる奴なんているわけが無いんだ。


 私は知っている。今までの人生で知っている。いっつもそうだった! 君のためだ、なんて言う奴に、本当に相手の事を思って言ってる奴なんて一人だっていやしなかった!


 みんなそう言って自分の言葉を正当化させているだけだった。結局は自分の事しか考えてない。そう言う奴に限ってその言葉を使うんだ。


 君のためを思って言っている?嘘をつけ。ただ言いたいことを言っているだけのくせに。綺麗ごとでぼやかして相手のためだなんて押し付けがましい言い方して正当化して、自分の事しか考えていないくせに!!


「……君ねぇ。なんだねその顔は。ん~?」


 その時、私は一体どんな顔をしていたのだろうか。

 言われて、少しづつ冷静になってくる。


「社会人として、この会社の一社員として。やる気あるのかね?」

「それは……」

「やる気……ないんじゃないの?」

「そんな事は……」


 そんな事は、あるに決まってる。

 やる気なんてあるはずがない。誰だってそうだ。

 生きていくため、金のためじゃなかったら、誰が仕事なんて好きでやるものか。

 好きな趣味とも関係ない。楽しいわけでもなんでもない。ただ辛くて苦しいだけの作業……。

 ただ生きていくためだけのわずらわしい雑務。延々と繰り返し行われる同じような作業の繰り返し。

 嫌味な部長に頭を下げて、うるさいお局様のお小言を聞かされて、何が楽しゅうてこんな事……。


 その時、私の脳裏に一瞬だけ、あの時、勇者が言っていた言葉が思い浮かぶ。



――まるで、奴隷のようだ。



 その言葉だけが、重く、胸にのしかかった。


 そこから先はもう。何を言われたのかさえ一切覚えていない。

 ただただ空虚で、不快だった。


 やがて解放される私。

 空ろな気持ちのまま、無心で作業をこなす。


「……」


 確かに、今回の件については私に非があっただろう。


 けど、決してそれだけじゃない。


 だって、あからさまに、アイツはただ、鬱憤晴らしに私に対して不快な言葉を浴びせてきたのだ。


 気に喰わない事があったからという、ただそれだけの理由で。


 いかにも正論であるような、正しい言葉のふりをして、ただただ憂さ晴らしのために、だ。


 思い返せば思い返すほどに、不愉快だった。


 理不尽さに腹が立った。


 無意味に、ただ八つ当たりで不快な目にあったのだという事実が、吐き気をもたらすほどに私の心を傷つけていた。


 今までも、ずっとそんな事ばかりだった事を思い出す。


 それでも、例え理不尽であったとしても、耐え続けなければならない。


 それが、仕事だから。


 お金のためだから。


 生きるためだから。



――これが、奴隷以外の何であると言うのだろうか。



 自分にも非がある。それはわかっている。


 けど、アイツだってしょっちゅうあくびをしているし、溜息だってついている。


 それなのに、立場が違うというだけで反論さえ許されない。



 なるほど、確かに。



――これは奴隷だ。



 奴隷以外の何物でもない。


 私たち現代地球の人間社会とは、社会の歯車という名の奴隷となるべくレールを敷かれて、理不尽なルールの下で従い生きるしかない。



――それは、奴隷と何も変わらないのかもしれない。



 そんな地獄から逃れる方法がもしあるとすれば……。



――勇者ぼうりょくによる革命。



 けど、この軍事力の育ちきった現代世界でもはや暴力による革命など起こりえない。



 ならば?



 ……魔王けんりょくによる社会の支配。


 ……それは、勇者ぼうりょくによる革命と何が違うというのだろうか。



 結局、同じ暴力による支配でしかない。



 それ以外に、何も思い浮かばない。



 正しい改善策なんて、無い。



 実行可能な改善策さえ、無い。



 老人の事しか考えない政治家。

 老人票に勝てない社会。

 老人が若者を搾取する世界。



 絶望だ……。



 だったらどうしろというのだ。


 ぶちきれて、ぶん殴って、辞表でも叩きつければいいのか?


 そうしたら、その先はどうする?


 どうやって生きていけばいい?


 どうやって……暮らしていけばいい?



 しばらくの間、私はノロノロと働きながら考えていた。



 今思い返しても、なんだかよく思い出せない。



 やがて時間だけが過ぎ行き、いつの間にやら時刻は昼休みとなっていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る