第二章「出て行け!」

第9話「ゴキブリヘッドの嫌味攻撃! 成瀬奈々子のハートに痛恨の一撃!」


 その日はとにかくついていなかった。

 どれくらいついていなかったかというと、以下のようなバッドイベントが発生するくらいの……っと、まぁ、いつもの事なんだけどね。


 まぁとにかく、イライラが募るには充分な日の事だった。



「ねぇねぇ。な~なこちゃ~んさぁ」


 職場にて。中央のデスクから偉そうにふんぞり返った、頭頂部のさみしげな中年小男が声をあげる。


「ちょ~っと。ねぇ、ちょ~っと」


 目と目が合う。どうやら私の事で間違いないらしい。


「ちょっと、ちょっ~とだけ。いいかなぁ?」


 この男のお小言がちょっとで済んだためしが無い。


「これさぁ~。ん~? さっき君が入れてくれたお茶なんだけどねぇ?」


 中央デスクにどっしりと座った禿げちらかした小男。


 伊藤黒郎いとうこくろう


 通称『コクローチ』。


 またの名をゴキブリヘッド。


 あだ名の由来は当然、黒郎という珍ネームと、テカテカとゴキブリの如く輝く頭頂部、そして我が部のヘッドである事。この三つの要素が複雑に絡み合った絶妙な結果によるものだ。


 我が総務部の部長様であるゴキブリヘッド様は、これでもかといわんばかりの、男にしてはやたらとうすら甲高い、不快極まりないキモメンボイスで、今日も今日とて、暇つぶしがてらに私に因縁難癖を付けて来るのだった。


「温い」

「はぁ」

「はぁじゃないよチミ。温いんだよねぇ。このお茶。ん~?」


 ん~? と言うのがこの男の口癖だ。実に気色悪い。


「これ入れたの、誰だっけ?」

「はい、私です」

「君だよね? 間違いないよねぇ? ん~?」


 ん~ん~うるせぇなこのクソハゲと思いながらもじっと我慢の人となる私。


「温いとどうなるかわかるかなぁ? な~なこちゃ~んさぁ。ん~?」


 な~なこちゃん、なんてふ~じこちゃ~んみたいな呼び方をされる言われはない。

 成瀬さんときちんと呼べと小学校で習わなかったのか? このクソハゲ。という言葉を煮え湯を飲む気分で飲み干す。


「わかるよね? わからない? ん~?」


 うっせぇなこのクソハゲ。


「まずい」

「はぁ」

「はぁ、じゃないんだよ。まずいんだよ。このお茶ぁ~。ん~?」


 この調子で長々とイチャモンを繰り返すのが仕事だと思っているとしか思えないほどに、ウザイ戯言を長々と繰り返す男なのだ。こいつは。


「温いとね? まずいの。わかるよねぇ。ん~?」


 熱い方が猫舌の人には辛いだろうし、ゆえに温い方を好む方もいらっしゃると思いますが、という反論をそれこそあっつ~いお茶を飲み干すが如く嚥下する私。


「わかんないかなぁ。僕さぁ。“君に”お茶、頼んだよねぇ? ん~?」


 君に、を強調するゴキブリヘッドクソ野郎様。

 ぶっちゃけセクハラだよね? 女性社員だからって本来の仕事以外にお茶汲みまでさせるのって性差別じゃないの?

 とは思いつつもグッとこの意見も飲み干す私。お腹パンパン。嫌味で孕ますつもりか?


「お茶頼んだって事はこれ、お仕事なんだよねぇ。君。わかるかなぁ。ん~?」


 だったら本来の業務があるのでこの無駄な嫌味タイムをさっさと終わらせてほしいんですけど。

 という言葉をやっぱり飲み干す私。ゲロ吐きそう。


「って事はだよ? お仕事なのにだ。君はさぁ。こんな適当な事してくれちゃった訳だ。ん~?」


 いつまで続くんだ? いい加減我慢も限界なんだが。

 ってか、温いってさ。アンタが長々と電話してるからそうなったんじゃないの?

 さっき電話しながらチビチビと美味そうにすすってただろうがよぉ。

 電話してる間に飲んだ味は記憶されて無いのか? 痴呆か? あ?


「ん~? なんだ? その目は。私が電話していたから温くなるのも仕方ないとか、思っちゃってるのかなぁ? ん~?」


 心を読まれた。うっぜぇ。


「でもさぁ? それも含めての、お仕事だよねぇ? わかるかなぁ? ん~?」


 たかが「温くなっちゃったから新しいの入れて」で済む会話をここまで不快に長々とできるこいつの才能は何のためにあるのだろう。


 神は一体なんの因果でこのような試練を人に与えるのだろう、とか哲学的かつ宗教的な思考へと脳が逃避を始める。


「君さぁ。ここに入ってどれくらいだっけ?」


 何年、とは言えない事を知りつつこのような質問を投げかけてくる。本当に狡猾なクズだ。


「半年です」

「半年!? もう半年にもなるっていうのにこんな事もできないのかね!?」


 うぜ~。


「少しは悔しいと思ってくれないとねぇ。どんなコネで入社したのか知らないけど。甘やかしてもらえるなんて思わないことだよ? 社会はそんなに甘くないんだからね?」

「はい」

「いいね? これはお仕事なんだからねぇ? ん~?」

「はい、申し訳ありませんでした」


 心にも無い謝罪を口にしながら頭を下げる。

 こうでもしないとね。お仕事だからね。

 そりゃ言いたい事もあるよ。いくらだってある。

 けどね、言いたいこと全部言って、ぶん殴ってやめる訳にはいかないもんね。

 私は勇者なんかじゃないんだから。ただのしがないモブOLに過ぎないんだからさ。


 それに、コネってのは間違いじゃないし。

 だからこそ、就職に失敗して悩んでいた私を見て、無理にこの会社へと入れてくれたあの子の面子も考えれば、それこそやめる訳にはいかない。


 それに、今は勇者様の事もある。

 ただでさえ金のかかる食い扶持の事考えたら。とてもじゃないけど、これくらいの嫌味でブチ切れてやめるなんてとてもとても。

 笑顔を無理に顔に貼り付けて、私は顔をあげるのだった。


「半年もここでお仕事経験してたらさぁ? 電話が終わる頃には温くなってるかもって、わかるよねぇ? ん~?」

「はい、申し訳ございませんでした」

「謝って欲しいわけじゃないんだよ? わかんなかったのかなぁ? って聞いてるんだよ? ん~?」

「私の無知が原因で温いお茶を飲ませてしまい本当に申し訳ございませんでした」

「だからぁ、そういうのは良いんだよ。そういう言い方されちゃぁさぁ? 僕が悪者みたいになっちゃうじゃない? ん~?」


 どうしろってんだよ。


「まぁ普通さぁ、電話が終わる頃には温くなるってわかるはずだから、それに気付いたらもう一度入れなおすよねぇ? 普通はそうするよねぇ? ってお話な訳。わかるかなぁ? ん~?」

「はい」

「ちょっと君、常識がなってないんじゃないかなぁ? ん~?」

「申し訳ございませんでした」

「はぁ~……」


 クソでかため息を付くとネットリと私を睨む。

 長い。何十秒も無駄な時間が経過していく。


「もういいよ。次からは気をつけてよね? これもさ、お仕事だから」

「はい」

「頼んだよ? ん~?」


 ニヤニヤと笑みを浮かべ私の顔を見やるゴキブリヘッドくそ野郎。

 満足して気分がすっきりしたのか、やっとの事で解放される私。


 本当、酷い目にあった。


 いつもこうなのだ。この男。酷いときには、長々と十分以上にも渡るお説教を垂れておきながら、その挙句、「ほらぁ、もう十分も時間が経っちゃってるよぉ? ん~? お仕事さぼらないでよね~? この時間にもお給料出ちゃってるんだからさぁ~。ん~?」とか抜かすくせに、じゃあお仕事しなければ、と聞きながら作業でもした日には、「君聞いてるのぉ? ん~? 普通さぁ人の話聞く時は作業やめるよねぇ。常識がなってないんじゃないのぉ? ん~?」などと二重の手を使ってまで嫌味をかましてくる嫌がらせのプロなのだ。


 その証拠に。


「岩島くぅん。君さぁ。ここに入って来て何年目だっけぇ?」


 ほぉら始まった。

 ねっとりと手を肩に絡めて耳元で囁くようにウザ絡みをしながらお小言を始める。

 どんだけ暇なんだよお前は。


「何年仕事すればまともな仕事ができるのかねぇ君はぁ。この書類。ここぉ、誤字、あるよねぇ? ここもぉ。今度は脱字だよぉ? ん~?」


 ここからが長いんだ。

 結局、ゴキブリ野郎は三十分もネチネチと今のミスから過去のミスまでを持ち上げて部下に対する粘着質な嫌味で時間を潰すのだった。


 そして、お決まりの文句を口にする。


「ほらぁ、もう三十分も経っちゃったよぉ? ん~? どうするのぉ? この時間にもお給料出ちゃってるんだよぉチミィ~。ん~? まったくサボってんじゃないよぉ。ダメな奴だねぇ君はぁ」


 お前のせいだろうが!


 私はもう何度目になるかさえわからない、反論の言葉を飲み干す忍耐の時を過ごすのであった。

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