選択③『分割でポイントを集める』(2/2)

 ある朝、車が走る音で目が覚めた。

 うるさいというより、懐かしい。この世界には存在しないと思っていたのに。空耳だろうか?

 玄関の戸を開くと、家の前に黒塗りのタクシーが止まっていた。運転席から猫のような顔をした、黒い制服の女が降りてくる。

 女はメモを片手に、こちらへ駆け寄った。

「すみにゃせーん。ちょっとお伺いしたいことがあるんですけど、このへんに平英望……現在は平凡仙人と名乗ってらっしゃる方がいらっにゃると思うんですけど、どちらにお住まいかご存知にゃいですかね?」

 にゃーにゃーと言葉は独特だったが、聞き取れないことはなかった。どうやら俺のことを探していたらしい。

「平凡仙人なら、俺だが」

「えー? うっそぉー?」

「他に人がいないのに、嘘つくわけないだろ」

 女は「ちょっと失礼」と、俺の体の臭いをかいだ。あちこち何度も確認したが、不思議そうに首を傾げるばかりだった。

「ん〜? 全然、死臭しにゃいにゃん。女神様の手違いかにゃん?」

「お前、女神の使いなのか?」

「そうにゃん。今日はおみゃえの命日にゃから迎えに来たんだにゃん。にゃけど、ちょっと早かったみたいにゃん。また来るにゃん」

 女は黒塗りのタクシーに乗り、猛スピードで山を降りていった。よく見るとタクシーではなく、霊柩車だった。




 それから百年経っても、千年経っても、一万年経っても、猫のような顔の女は来なかった。賢者というのは、相当寿命が長いらしい。

 だがふと、「ケンジーンはいくつで死んだんだっけ?」と思い返し、固まった。ケンジーンは歴代最高齢の賢者だったが、たった三百年でこの世を去っていた。

「俺……今、いくつだ? 女神の迎えはいつ来るんだ?」

 ここしばらく、体の衰えを感じていない。顔も体も若い頃のままだ。

 気になったので、女神に訊いてみることにした。実際に試したことはないが、女神との交信術はさほど難しくはない。受話器に「女神」と書いて、電話をかけるだけだ。

 女神はすぐには電話に出なかった。一分ほど呼び出し音が鳴り続けた末、つながった。

「も、もしもし……」

「久しぶりだな」

「あ、どーもー。ご無沙汰しております、女神ですー。お元気そうで何よりでございますです、はい」

 妙に白々しい。何か隠しているのは明らかだ。

 俺は単刀直入に訊いた。

「で、俺はいつになったら死ぬんだ?」

「あー……やっぱり気になります?」

「一万年くらい前、お前の使いだという女がうちに来た。死臭がしないと言って帰ったが、本当はあの時斡旋所へ送られるはずだったんじゃないのか?」

「す……すみませんでしたぁー!」

 電話の向こうからバタバタと音がした。

 斡旋所を透視すると、女神が電話の前で土下座していた。

「お客様、もう人間じゃなくなっちゃったんですよ! 私達、神に近い存在になった……みたいな?」

「じゃあ、転生は?」

「できなくなっちゃいました! まさか、転生十回目で"なって"しまわれるとは! フツー、十回程度じゃならないんですけどね! 才能ってやつですかね!」

「記憶を消してもダメなのか?」

「ダメですね! 過去も、未来も、技術も、才能も、人間関係も、運命も、因果律も、その他もろもろ何もかも完っっっ全に漂白しないと、"再利用"は無理です! お客様の最初の世界で例えるなら、汚れがこびりついた古いフライパンみたいな? こすってもこすっても取れないし、取れても表面がボロボロで使い物にならない、てきな? もう新しいの買ったほうが早いじゃーん! って。まぁ、私はフライパン使ったことないんで分かんないんですけど」

 女神は必死に言い訳している。

 ……彼女には悪いが、俺は転生できなくなって良かった、と安堵していた。

 今まで転生した世界で学んだこと、感じたこと、全てを忘れ、また一から生きるなんて、俺にはできない。想像しただけで反吐が出る。

「これから俺はどうすればいい? この世界から出て行ったほうがいいのか?」

「いえ、むしろそこから出ないでください。異世界へ行かれると、他のお客様にどんな影響が出るのか分からないので」

 でも、と女神は提案した。

斡旋所うちなら来てもいいですよ。私が常に監視できますし。こうして私と話せるってことは、自力での異世界転移も習得しちゃってらっしゃるんでしょう? ここは世界の狭間にあるので、異世界へ行くよりははるかに楽に来られるはずですよ」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 俺は目を閉じ、女神と出会った斡旋所を思い浮かべた。

 目を開くと、あの斡旋所の前に立っていた。女神は受話器を持ったまま、こちらを見て困ったように笑った。

「いらっしゃいませ。簡単に来られてしまいましたね」

 女神も、斡旋所も、あの頃のままだ。

 あまりの懐かしさに、一万数千年ぶりに涙があふれた。

「どうぞ、お茶とお茶菓子です。お客様のお口には合わないかもしれませんが」

 出されたのは、温かい緑茶とカステラだった。俺が最初の世界でよく食べていたおやつだ。

 似た菓子も、これより美味い菓子も、飽きるほど食べてきたはずだった。なのに、初めて食べた時と同じように、美味しくて感動した。

 女神もソファに並んで座り、お茶とカステラを美味そうに味わっている。

「客、来ないな」

「ですねぇ」

「全人類が、俺みたいに不老不死になったんじゃないのか?」

「あはは! さすがにそれはないですよー」

 変わらないもの。

 ありきたりな時間。

 あって当たり前の存在が、こんなに尊いものだったとは知らなかった。




 それからしばらくは斡旋所で過ごした。

 女神が俺を見張っているように、俺も自分と同じ被害者が出ないよう、女神を見張ることにしたのだ。女神は人間として生きたことがないせいで、彼らの感情や想いを軽んじて考えていた。

「本当にその異世界に転生するのか? こっちのほうが良くないか?」

「ちょっとー! 余計なこと言わないでくださいよー!」

「え、えーっと……」

 何人かの転生者を見送った頃、「異世界に干渉しない」という条件つきで、他の世界への移動を許された。接客中、俺が横から意見するのでうっとうしくなってきたらしい。

「ついでに、斡旋所の資料にない動物とか建物とかの写真を撮ってきてもいいんですよ? ここにちょうど、カメラもありますし! その世界にしかないお菓子とか民芸品とか、お土産に買って帰ってきてくれたら嬉しいなー……チラッ」

「分かった、分かった」

 許可が出てからは女神の期待に応えるべく、さまざまな異世界を旅した。

 斡旋所は全ての異世界をくまなく把握しているわけじゃない。新しい世界や人があまりいない世界は放置されがちだった。

 女神に写真とお土産を見せると、クリスマスプレゼントをもらった子供のように喜んだ。気に入った写真は現像し、斡旋所の壁に貼っていた。気づけば、まるで旅行代理店のようになっていた。

 俺が世界で見聞きした話をすると、女神は客を待たせてまで聞き入った。女神は人間として生きたことがないどころか、斡旋所から出たことすらない。人間や異世界について、斡旋所にある資料以上の知識は持っていなかった。

「平凡仙人さん、うちで働きません? ご意見番兼、特別派遣員として」

「断る。お前の部下にはなりたくない」

「えー? わりと本気なのにぃ」

 いつのまにか、女神は俺を「平凡仙人」と呼ぶようになっていた。

 俺も異世界から斡旋所へ帰ってくると、「ただいま」と言うようになった。




 END③「平凡仙人」



(了)

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女神運営☆異世界転生斡旋所〈とりっぷ〉 緋色 刹那 @kodiacbear

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