第14話 震える手


 地下通路を進んだ先に見えたのは地上への階段だった。そして何より驚いたのは、階段の先を見上げるとそこには人影があったこと。

 息を潜めて近付くと、そこには黒いローブを被った人物がいて、こちらを見て目を丸くしていた。たぶん私も今、同じ表情をしていると思う。


「ディアナ!」


「殿下……! なぜここに?」


 私の言葉に答えるより先に、殿下は歩調を早めて駆け寄ってきた。私は思わず固まってしまった。

 これは幻?

 だって私は殿下を失望させてしまったし、婚約破棄まで申し出て、おまけに砂嵐まで起こして遠ざけた。それなのにどうして……? どうして今、目の前にいるの? 


「こんな所まで、一体何を……」


「無事でよかった」


 情けなく動揺していた私の声と、殿下の安堵したような声が重なった。

 殿下は真剣な表情をして、私に目線を合わせた。


「すまなかった。私は君を疑って酷いことばかり……」


「な、なんで殿下が謝るんですか。私が嘘をついて勝手なことをしたんですよ」


 まさか謝られるなんて思ってもみなかった。頭が混乱してしまう。

 それにそんな目で見られていると、悪役になりたくないって気持ちがまた出てきてしまいそうになる。そんなのだめだ。私は思わず目を逸らした。


「……ディアナ、ポプラレスのことはこちらでなんとかする。だから帰ろう」


 その言葉を聞いて、逸らしていたはずの視線が再び戻った。


「今……ポプラレスって言いました? どうしてそれを……」


「君の居場所を調べているうちに辿り着いたんだ。その反応だと、やはりあの指輪はポプラレスの仕組んだものだったか」


 指輪がなくなった私の指先を見て、殿下はそう言った。


「そこまで知っているのですか」


 こんなことってある……? 

 物凄く勘がいいってことは知っていたけど、こんなに早くポプラレスの存在に気付くなんて。

 殿下は私の目を見て、複雑そうな表情で口を開いた。


「今まで一人で抱え込んでいたんだな。辛かっただろう」


「……」


 そんな優しい声で言わないで欲しい。うまく話せなくなってしまうから。

 だけど殿下はそのまま話すのをやめない。


「だが私はもう揺らがない。何があってもディアナを信じるよ」


「殿下……」


「早くここから離れよう。追手が来る前に」


 そう言った殿下は、私の後ろに広がる暗い地下通路を見通した。私も振り返り、その暗闇を見つめた。そこでやっと、現実に引き戻された気がした。

 ここから離れる? だめだよ、そんなの。このまま一緒に逃げたいなんて思ってはだめ。私の役割を思い出して。ここで逃げたら、またタチアナ様のように関係のない人が巻き込まれてしまう。それに計画を邪魔した殿下をポプラレスが放っておくとも思えない。被害が一番少なくなる方法を選ぶのよ。私一人の問題に皆を巻き込んではいけない。しっかりしなさい、私。

 意を決して私は静かに声を発した。


「だめです。行けません」

 

「……なぜだ?」


「ごめんなさい」


「私のことを許したくないのなら、それでいい。だけどそれで自分の身を危険に晒すのはやめてくれ……頼むから」


「違います。そうじゃなくて……」


 言葉が詰まった。

 こんな薄暗い地下通路は殿下には似合わない。真っ直ぐで善良な視線を向けられて、ますます住む世界が違うのだと思い知らされて辛くなる。

 耐えきれなくなって、私はついに背を向けた。お願いだから、もう構わないで欲しい。


「関わらないで欲しいんです。これは私の問題で、殿下は関係ありません。ポプラレスのことは私一人でなんとかできますからご心配なく」


 思っていたよりも冷たい言い方をしてしまって心が痛む。だけど大丈夫。これでいいんだ。

 さっきの物置部屋に戻ろう。誰かが鍵を開けてくれたかもしれないし。私はそう思って、そのまま一歩踏み出そうとした。だけどそれは殿下によって阻止された。


「いやだ」


「ちょっ……」


 後ろから手を掴まれて、私は思わず立ち止まった。


「さっき言っただろ。私は君を信じていると」

 

 その言葉とともに身体ごと引き寄せられた。背後から抱きしめられているという事実に気付くのには数秒の時間がかかった。

 突然のことで頭が真っ白になって、私はそのまま身を委ねることしかできなくなってしまった。

 頭の後ろのすぐそばで、殿下の静かな息遣いが聞こえる。


「……だから私は、そんな言葉で君を嫌いになったりしない」


「どうして……」


 どうしてよ。どうして私にそこまでしてくれるの。

 

「ディアナ、全て一人で抱え込もうとするな」


 殿下ははっきりとした口調でそう言った。その言葉に何故か涙が溢れそうになった。


「周りを頼っていいんだ。もうこれは君だけの問題じゃない。私達二人の問題にしてしまえばいい。それの何が悪い?」


「……っ」


 殿下の手が私の手の上に重なる。

 今まで気が付かない振りをしてたけど、私はここに連れて来られた時から何度も指先が震えていた。だけど今、殿下の手に包まれてその震えは消え去った。


「君は一人じゃない。だから一緒に最善の策を考えよう」


 殿下の腕に力が入る。

 ……そうか、私は一人じゃなかった。


 ああ、私……今までずっと強がってたんだ。一人で背追い込んで、周りを見ずに突っ走ってた。それが皆にとって、そして殿下にとっても最善だと思い込んでたから。だけど本当は一人でうまくやれるか不安で、怖くて仕方がなかった。私はそんな気持ちに蓋をして、ただがむしゃらになってた。私には、そうする道しかないと思ってたから。だけど……。


「……私、間違ってましたね」


 私は自分の気持ちを確かめるように、そう呟いていた。

 こんな風に、誰かの温もりでほっとしたのは初めてだった。この人と一緒なら、不安や恐怖に打ち勝てる気がした。



「ディアナ、一緒に帰ろう」


 殿下は再びそう言った。

 私はゆっくりと殿下の方へ向き直って、視線を交わした。もう迷いはない。


「はい」


 今度はそう大きく頷いていた。




 階段を登り、そのまま地上に出た。そこは暗闇の中の廃墟だったけど、地下よりはずっといい。冷たい空気に触れて、清々しい気持ちになった。

 まだ追っ手は来ていない。だけど時間の問題だと思う。私達はそのまま外へと向かった。

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