第5話 悪役のさだめ


 リチャード様まで私を探していたなんて思いもしなかった。


「リチャード様……申し訳ありませんでした」


 私が咄嗟に謝罪すると、リチャード様は驚いたような顔をした。


「いや、僕は勝手について来ただけだから気にしないで。それよりも君に何もなくてよかったよ。ね、ランドルフ」


 リチャード様は殿下にそう話を振った。だけど、殿下は無表情のまま何も言わなかった。


「おーい、聞いてる……?」


「……ああ」


「……?」


 リチャード様は殿下の態度に不思議そうな顔をした。だけどそれ以上は踏み込もうとせずに、今度は私に向き直った。


「それにしても、君が迷子になったって聞いた時は驚いたよ」


 にこりと笑って、いつもより数段と明るいトーンで話すリチャード様。私たちの空気を察して気を遣ってくれてるのが分かる。申し訳ない気持ちが増したけど、さっき殿下に言われたことに対するモヤモヤはまだ消えない。

 リチャード様は私たちの沈黙を埋めるように話を続けた。


「ランドルフったら血相変えて飛び出したんだよ」


「え……」


「僕はたまたま用があって王宮にいたんだけど、いつも冷静なランドルフがあんなに焦ってたから只事じゃないって思ったんだ」


 そうだったの……。


「それだけ君のことが心配だったんだよ。そうだよね?」


 リチャード様は殿下に同意を求めた。だけど殿下の口から出た言葉に、薄れかけていた心のモヤモヤが再び現れた。


「……別に。もう君の我儘に振り回されるのは御免だよ」


「なっ、何言ってるんだよ」


 リチャード様が焦ったように反論したけど、殿下は言葉を止めない。


「君はもっと誠実で周りを気遣える人だと思っていた。……こんなに誰かに失望するのは初めてだ」


 冷たい眼差しで殿下はそう付け加えた。

 それを聞いて唇が震える。分かってもらえない悔しさと、突き放された寂しさと、どこにぶつけたらいいのか分からない怒り。


「ちょ、ええ? 言い過ぎだよ。君らしくない」


 リチャード様は動揺した様子で殿下にそう言ったけど、その後すぐに私の顔色を伺った。


「気にしないで。ほら、ランドルフが意地悪で性格が悪いのは生まれつきだから! ね、今に始まったことじゃないからさ」


「……」


 知ってる。それでも根はとっても優しくて、思いやりのある人だってことも。殿下のことをよく知ってるからこそ、さっきの言葉が重く感じる。


 いつかこんな日がくるんじゃないかって思ってた。嫌われないよう今日まで頑張ってきたけど、こうやってボロが出てしまう。

 ずっと運命に抗おうと必死だったけど、これが悪役ディアナのさだめなら、もう受け入れるしかないのかもしれない……。この一件で殿下の隣に相応しいのは私じゃないってこともよく分かった。

 

「殿下、お願いがあります」


 そこまで言いかけて、一旦息を吸った。ゲームの中のあのディアナが、今の私に重なったような気がした。声が少し震える。


「どうぞ今すぐ婚約を破棄してください」


 私の言葉に、殿下とリチャード様は目を見開いた。

 婚約破棄―――いつか告げられると覚悟してはいたけど、まさか自分から切り出すことになるなんてね……。

 頭の中で、花が咲いたように微笑むジュリアちゃんの顔が浮かんだ。あの子なら、殿下をこんな風に不快にさせることもないはず。

 私は少し早口になって言葉を続けた。


「殿下にはもっと相応しい人がいると思いますので」


「なら、そうしようか」


 私の言葉に被せるように、殿下は低い声でそう言った。

 その一言で場は静まりかえった。

 


 ……これでいい。

 これでもうポプラレスのことで殿下に嘘をつかずに済む。巻き込むこともない。それにこれ以上失望されることもない……。これでいい。これでよかったんだ。


 涙が出てこないように、目を伏せた。

 ふと、先輩たちの卒業記念パーティーで殿下と踊った時の記憶が蘇った。


『簡単に手を離さないでください。来年もその次の年も、一緒にいてください』


 もう。なんで今それを思い出しちゃうんだろう。

 

『当たり前じゃないか。どれほど私がディアナのことを想っているか』


 あの時の殿下の言葉に救われた。

 自分の事をこうも真っ直ぐに想ってくれている人が、この世界にいる。そんな喜びを教えてくれた。

 ああ……でも、結局こうなるのなら一回ぐらい好きって言っておけばよかったな。この世界にはヒロインがいるからとか、そんなこと忘れて自分の気持ちに正直になればよかった。……ってもう遅いよね。




「ねえ、ちょっと二人とも頭冷やそうよ。ねえってば、もう! お願いだから喧嘩しないで!」


 リチャード様が懇願するみたいに声をあげた。だけどそれも耳に入らない。近くにいるのに遠く聞こえる。

 もう少し。もう少ししたら泣こう。

 殿下とリチャード様から離れて、地下室へ行くまでの道のりで一人こっそり泣けばいい。

 そう思っていると、殿下が一歩私に近付いた。貼り付けたような作り笑顔で、その目は氷のように冷たい。


「これで君の思い通りになったね。満足した?」


 その一言に、グサリととどめを刺された気分になった。

 満足……? 満足なんてしてるわけない。だって私、本当に殿下のことを……。

 我慢していた気持ちが溢れそうになる。

 ……だめだよ。だめだめだめ。だめだってば。泣いたらだめ。

 視界が歪む。目の前の殿下にフィルターがかかったみたい。目尻が熱い。頬が冷たい。ぽろぽろと涙が溢れ落ちて止まらない。

 ああ、だめなのに。泣いてしまった。


「うっわ信じらんない!! サイッテー!!!!」


 静まっていた空間に、リチャード様の声が響いた。


「ディアナ嬢大丈夫?……じゃないよね。これ使って」


 リチャード様は私に向かってそう続けて、ハンカチを手渡そうとしてくれた。どこまでいい人なんだろう。だけど私は首を横に振って断った。甘えるわけにはいかない。

 自分のハンカチを使おう。あれ、見当たらない。ああ、そういえば今日は持っていなかったな。

 結局私は手の甲で涙を拭った。それでも十分視界がクリアになった。目の前には心配そうにするリチャード様。そして、なぜか面食らったような顔をした殿下がいた。


 もう後戻りはできない。私は背筋を伸ばして二人に向き直り、頭を下げた。


「幼い頃からお二人には感謝しかありません。ですがこの関係も今日でおしまいです。これ以上はもう、私に関わらないでください」


「ちょっと待ってよ。そんな一生の別れみたいな事……」


「ディアナ、何を……」


 二人の声に答えることなく、私は地面に手をついて深呼吸した。土属性の戦闘魔法を発動する構えだ。

 学園の外でこんな大きな魔法を使ったら、きっと退学になる。だけどもういい。


 私は早く地下室に向かわないといけないし、二人にそのことを知られないようにするには魔法を使うしかない。これ以上嫌われても構わない。ポプラレスの問題に二人を巻き込むことはできないから。


砂嵐ストム!!!!」


 ザザザザザ、と耳を塞ぎたくなるような音と共に地面が盛り上がって砂が舞った。砂嵐を起こして一時的に視覚と聴覚をくらます魔法。

 殿下とリチャード様にこれを使うのは心が痛むけど、優秀な二人なら上手にかわしてくれるはず。

 目の前一面が砂嵐になり、二人の姿が見えなくなった。今のうちだ。私は走りだした。


「ディアナ……!」


 遠くで殿下が私を呼ぶ声が聞こえる。だけど振り返らずに走った。……地下室に向かおう。

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