第12話 憶測

 

「へえ、始末書ってこんなことまで書かなきゃいけないんだね」


 分厚い紙の束を片手に、リチャード様はそう言いながらジュリアちゃんを見た。


「はい、規則ですので……」


 ジュリアちゃんはそう答えると、居心地が悪そうに目を泳がせた。

 そりゃ、そうなるよね。だって今、テラスのテーブルを囲んでジュリアちゃんと殿下、そして私とリチャード様が座っているんだもん。

 もしこれがゲームの中だったら、ヒロインと攻略対象と悪役が同じテーブルを囲んでいるってことになる。まさしくカオスだ。

 私ってば殿下に手を引かれたのが嬉しくて、つい何も考えずに来てしまったけど……もっと慎重になればよかった。


 ジュリアちゃんが一生懸命書いていた『始末書』には、びっちりと反省文が書かれていた。これは先週ジュリアちゃんが“魔力の暴走”を起こしてしまった件について書かれているらしい。


「毎回こんなに書かないといけないなんて、大変ですね」


「いえ、私が皆さんにご迷惑をかけてしまっているのが悪いんです。ですから、このぐらいはなんてことありません」


 私の言葉を聞いて、ジュリアちゃんはそう言って微笑んだ。……やっぱり可愛い。


 私がそんなことを思っている隣で、殿下は何か考え込んでいる様子で黙っていた。


「どうかしたんですか?」


「いや、少し引っかかっていることがあってね」


「何それ、どうしたの。よかったら話聞くけど?」


 リチャード様がそう言うと、殿下は少し考えた後に真剣な表情で口を開いた。


「私はここ数か月、ジュリア嬢の“魔力の暴走”がなぜ起こるのか……その真相を調べていたんだ」


「真相?」


「ああ、だが彼女のように突然変異で魔力を保持した人間は極めて少ない。だからいくら調べても、不確かな憶測ばかり出てくる」


「その憶測っていうのは……“暴走”は彼女の感情の変化や動揺で起こるっていう話のことだよね」


 リチャード様は冷静な口調でそう言葉を返した。

 ジュリアちゃんの“魔力の暴走”の原因は、ゲームでもそう説明されていた。だけど殿下はそれが違うって言いたいみたい。


「私はあの“暴走”は、ジュリア嬢の身の危険と関係するものだと考えているんだ」


 ん……? 


「えっと……話が見えないけど」


 うんうん、私も全然話が見えない。

 するとジュリアちゃんがはっきりとした口調で話し始めた。


「“暴走”はいつも学園にいる時に、しかも一人でいる時だけ起こるんです。よく考えてみると、私の感情はあまり関係ない気がします。それがずっと心に引っかかっていて……ランドルフ殿下に相談していたんです」


「そうだったのですね」


 確かに、感情の変化で起こるなら一人でいる時ばかり“暴走”が起こるのはおかしい。何か他に法則がありそう。


「それに加えて最近では、誰かの視線を感じることがあるのです。そしてその後には必ずあの“暴走”が起こります」


 ジュリアちゃんの話を聞いて、リチャード様は突然顔を引きつらせた。


「なんだか急に話がホラーになってきたね」


「いえ、そういうお話ではなくて、本当に誰かに見られているんです。そして先日、あやうく死ぬところでした」


「ええっ?」


 私とリチャード様は声を揃えて驚いた。

 だけどジュリアちゃんの口調は落ち着いていた。


「一体何があったのですか?」 


 私はそう聞かずにはいられなかった。ただでさえジュリアちゃんはポプラレスから狙われてる。これは深刻な事態だ。

 もしかして、もうすでに暗殺計画が始まってるの? ディアナわたし抜きで? それならゲームのシナリオとかなり違ってくる。



 ジュリアちゃんは、ゆっくりと言葉を選ぶように話を続けた。


「私には、『禁忌』の食べ物があるんです。リンゴなんですけどね。小さい頃にそれを一口食べて倒れたらしいのです。それ以降、お医者様にはもう決してそれを食べてはいけないと言われました」


 禁忌の食べ物? 食物アレルギーみたいなものかな。


「それで、万が一誤って食べてしまった時のために、いつもこれを持ち歩いているんです」


 ジュリアちゃんはそう言ってペンのような銀色の小さな筒を取り出した。何これ?


「これは……昇圧剤の自己注射だね。『禁忌』を間違えて食べてしまうと血圧が急激に下がって意識を失うから、これを打ってそうなるのを防ぐんだ」


 おお……! リチャード様、さすが魔法医のたまごだ。

 なるほど、そんな物があるんだね。


「はい、そうです。まだこれを使ったことはありませんが、もしもの時のために肌身離さず持っていたのです」


 ジュリアちゃんは筒のキャップを外した。すると短くて細い針のようなものが見えた。


「ですが先日、学園でこれが突然なくなったんです」

 

「なくなった?」


「はい。その日の朝には確かにあったのですが、気が付いたらなくなっていました。バッグの中のスペアもです」


 そうなんだ……。なくなったのが一つだけならまだしも、スペアまで一緒になくなるなんて事は普通はありえない気がする。

 誰かが仕組んだのかもしれない。心当たりはある。

 私は咄嗟にグレンズ先生の名前を出そうとした。だけどその瞬間、言葉が詰まった。そして小指の指輪がギラリと光った。ああ、あのが効いてるのね。


 そうこうしているうちに、ジュリアちゃんの話は進んでいた。


「その日は『禁忌』が含まれたものを口にしないように注意して過ごしました。そんな中、カフェで出されたお水を飲もうとしたら……その瞬間、いつもの“暴走”が起こったんです」


 ジュリアちゃんの話に、リチャード様は思い出したと呟いた。


「いきなり竜巻が起こった日のことだよね? そこにあった物が全部ダメになったって聞いたよ」


「はい……派手にやってしまいました。そのあと色々調べていただいたのですが、私が飲もうとしたお水にリンゴの果汁が多量に含まれていたそうです。しかも魔法で匂いと色まで消してありました」


「そんな……」


 これはただのイタズラじゃない。

 ジュリアちゃんがリンゴのアレルギーだと知った上で、治療薬を奪い、わざわざ水に見立てたリンゴジュースを飲ませようとした計画的な犯行だ。


「もし君がそれを飲んでいたら、最悪の事態になっていたかもしれないね。飲まなくてよかった」


 リチャード様はほっとしたように息をついた。



「……つまりは、ジュリア嬢は誰かから狙われていて、その危険に反応してあの“暴走”が起きているのかもしれないってことだよね?」


「そうだ。だが、これはまだ私の憶測にすぎない。だから彼女の安全を確保しつつ、もう少し様子を見ようと思う」


「なるほどね。事情は分かった。何かあれば僕も協力するよ。できれば君の思い違いだと願いたい話だけどね」


 リチャード様は少し皮肉っぽくそう言った。それを聞いた殿下はまったくだよ、と呟いた。


「あとディアナには、テネブライの生徒達の動きを見ておいてほしい。疑いたくはないが、学園関係者が彼女に危害を加えている可能性もあるから」


「……はい。分かりました」


 咄嗟にそう答えていた。

 あれ、なんか……変だ。私はいつの間にか、すごく汗をかいていた。

 すると殿下がこっちを見て、驚いた様子で声を上げた。


「ディアナ? どうしたんだ。顔色が悪いよ」


「えっ……」


 殿下の言葉に、リチャード様とジュリアちゃんの視線も私に集まった。そのせいで余計に冷や汗が出てきた。


「ディアナ嬢、ちょっとごめんね」


 リチャード様はそう言うと、私の額に手を当ててきた。隣のジュリアちゃんは心配そうに私を見ている。


「熱はないけど……すごい汗だね。一応医務室に行く?」


「だ、大丈夫です。ちょっと頭が混乱してしまっただけですから」


 私はそう言うしかなかった。息を整えて、三人から視線を逸らした。

 きっと私、動揺してるんだ。だってこれはポプラレスが関係しているに違いないから。だけど今の私はどうすることもできない。分かっていても指輪のせいで何も話せない。……もどかしい。


「すまない。この話はまだ君に言うべきじゃなかったのかもしれない」


 殿下の瞳が不安そうに揺れた。

 ……しまった。殿下に余計な心配をかけてしまった。


「いいえ! 私もお力になりたいですから。テネブライの方で何か怪しい動きがあればすぐに報告しますね」


「ありがとう、助かるよ」


 殿下の声がいつもより優しげに聞こえた。


 この三人がポプラレスの真相に近付いていったらどうなるんだろう。その時私は、殿下の目にどう映るんだろう……。

 いや、そんなことは今はどうだっていい。

 みんながグレンズ先生に危害を加えられる前に、とにかく私はできることをやらないと。早くこの問題を解決して、平穏な生活を取り戻すんだ!

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