第9話 嵐の前の静けさ

 

 翌日、私はいつもよりも早めに学園に着くと、そのままグレンズ先生の研究室に向かった。まだ授業開始までに時間がある。もう一度話をするなら今がチャンスだ。


 人気ひとけの少ない廊下を歩きながら、先日の出来事が頭をよぎった。あの時のグレンズ先生はいつもとは別人のように冷淡で、何をされるか分からない怖さがあった。

 私は一度立ち止まり、ガラス窓に映る自分の姿を確認してみた。

 ……大丈夫だ。ここは学園だからグレンズ先生も下手には動けないはず。それに今日の髪型には、ちょっとした仕掛けがある。編み込みでまとめられたシニヨンの中に、護身用櫛タクティカルコームを潜めてある。だからもし危険な予感がすれば、これで攻撃する。

 そう身構えていると、どこからか声がした。


「やあ、ディアナ嬢じゃないか!」


「アーロン先輩、おはようございます」


 向かいから元気よくやってきた先輩は、こんな朝でも相変わらず声のボリュームが大きい。


「もう朝練ですか?」


「ああ。だがその前にグレンズ教官に用があってね」


「奇遇ですね。私も今から向かうところです」


「そうなのか。でも残念だが教官は不在だったよ」


 そう言って先輩は溜息をついた。来る時間が早すぎたのかな。そう思ったけど、グレンズ先生はいつも早くから学園に来てる。だから、この時間が特別早いってわけではないはず。


「いつもならもうキャサリンとエスメラルダの餌付けをされてる時間なのに、その二匹の気配すらないんだよ。まったく、今日に限ってどこへ行かれたんだろうね」

 

 どうやら先輩も私と同じことを考えていたみたい。

 ちなみにキャサリンとエスメラルダは、先生のペットの大蛇のことだ。二匹は先生の研究室で飼ってるから、授業以外はその部屋にいるはずなんだけど……。


「まあ、分からないことを考えたところで筋肉はつかない。出直すとしよう!」


「は、はあ……」


 そりゃ、それで筋肉はつかないでしょうね……。


「今日の朝練は上腕二頭筋重視の特別メニューの日だけど、君は参加できるかい?」


 屈託のない笑顔が眩しい。善意しかない先輩には悪いけど、今日の私は筋トレをやってる場合じゃない。


「えーっと、今日は外せない所用がありまして……」


「そうか残念だ! だが、総裁の忙しさは私がよく知っているからね。所用とは何のことかは知らないが、君ならできる! 頑張りたまえ!」


「ハ……ハイ、ガンバリマス」


 アーロン先輩は、相変わらず熱くるし……いや、熱血だなぁ。

 とにかく私はグレンズ先生を探さなくては……。




―――



 だけど結局、グレンズ先生は学園に現れなかった。

 授業には代理の教官がやってきて、その後すぐさま『諸事情により本日よりグレンズ教官の講義は休講』という紙が張り出された。

 みんなはそれを見るなり、がっかりしていたり、嬉しそうだったり、反応は様々。そんな中で私は、ただ立ち尽くしていた。

 今までこんなことがあっただろうか。それにこのタイミングっていうのが引っかかる。何だか嫌な予感がする。

 そう思っていた矢先、私のちょうど後ろの方でクラスメイトのご令嬢たちの声がした。


「まあ、素敵!」


「『仮面舞踏会』なんて、古典小説の中だけのお話だと思っていましたわ!」


 人がまばらになった講義堂で、彼女達の声がよく響く。振り返るとそこにはリンダ様とシシィ様もいた。二人はクラスメイトのご令嬢たちと楽しそうに談笑していた。

 いつもなら、私もその輪に混ぜてもらうところだけど、今日はそんな気分じゃない。

 ご令嬢たちは楽しそうに会話を続けている。


「ふふ。あの場所は仮面さえつければ、身分や地位など関係なくなりますのよ」


「ロマンティックですわね!」


「それに何より、驚いたことがありますの。昨晩、とある素敵な殿方と踊ったのですけど、それがどこかで見覚えのある方だったのです」


「あら、タチアナ様ったら! 貴女は素敵な婚約者様がいらっしゃるのに……」


「ふふふ、面白くなってきましたわね! それはどこのどなたなのです?」


 ご令嬢達は口々にそう言った。みんな楽しそうだ。何と言うか、このクラスの女の子達は本当にませてるな……。

 そして話の中心にいたご令嬢、タチアナ・エバンス様は得意げな表情で口を開いた。


「仮面をつけていましたが、私には分かってしまったのです。あれはきっと……グレンズ教官ですわ!」


 えっ……。

 タチアナ様の爆弾発言に、一同は驚いていた。もちろん、私も衝撃を受けた。

 えーっと、今の聞き間違いじゃないよね……?


「まあ、それは驚きですわ!」


「今日はお休みされていますけど、その仮面舞踏会と何か関係があるのかしら?」


「……あの! そのお話、私にも詳しく聞かせてください!」


 驚くご令嬢達の声に続いて、思わず私も声を上げてしまった。自分でもびっくりするぐらい前のめりな姿勢だった。

 周りの子達も話の中心にいたタチアナ様も目を丸くしていた。


「もちろんですわ。ディアナ様に興味を持っていただけるなんて光栄です」


 タチアナ様はそう言って、にこりと笑った。きっちりとセットされた縦巻きロールの髪に、隙のない雰囲気を纏っているタチアナ様は、どこかゲームのディアナに似ているような気がした。

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