第24話

 薄暗い倉庫に俺の声が響き渡る。倉庫の中に、人影は見えない。広い空間には長いこと使われていない農機具や何が入っているか分からないダンボール箱など、様々なものがそこら中に転がっていた。一見して、そこは無人のようだ。




「――本当の正義の味方、だって? ははは、笑わせないでくれよ啓介くん」




 だがしかし、倉庫の中にそいつは確かにいた。




「残念ながら笑わせるつもりは無かったんだけどな」


「ふふふ、冗談はよしてくれ。あれほど力の差を見せつけたっていうのに、君はまだ分からないのかい?」




 不愉快な、ねっとりした笑みを浮かべながら氷上は物陰から現れた。




「君みたいな無能な、何の力も持たないガキが正義だって? そんなのはタダの口だけさ。実行力のない空虚な正義なんて最悪だね」




 俺を嘲笑うように氷上は言った。確かに何の力もない俺は正義の味方になんかなれない。そんなことは分かっている。分かっているけれど、今俺はこいつ以上の正義にならなければならない。どんなに口先だけでも立派に正義の味方をやって、こいつの言う正義が如何にちっぽけな偽物か見せつけなければいけないのだ。




「諦めが悪いねえ君も。……さて、でもどうしてここが分かったんだい?」


「ふん、真の正義の味方の能力だ」




 俺は入り口のすぐ近くに立って、氷上と距離を保ったまま言う。




「確かに氷上、お前の力は凄い。人の心を読める、それはとんでもない能力だ。……でもなんかさ、正義の味方って感じじゃないよなあ」


「……何が言いたいんだい、君は?」




 限りなく不愉快に聞こえるように、相手の神経を逆撫で出来るように俺は言う。氷上から発せられたこの言葉に、俺はかすかな希望を見出す。




「だってさ~読心能力って何か主人公っぽくないよな。完全に悪役の能力だよ。暗くて性格悪そうだ、ぷぷぷ」


「…………何だと?」




 氷上の声色が変わったのがハッキリと分かった。明らかに怒気が含まれている。それを感じながらも、俺は同じ調子で続けた。




「あとさーそういう読心能力持った奴って、微妙な感じあるよなあ。自分の能力のせいで自爆したりするし。悪役の中でも小物臭が隠し切れないって感じ? ラスボスにも似合わないし、かと言って主人公にもなれないし……所詮中ボスってとこ? ああうん、そんな感じだわ。我ながら冴えてる冴えてるぅ!」




 冴えてる連呼の所で、わざとらしくジャンプして小躍りしてみた。少し恥ずかしい気もしたが、それでも止めない。大げさなくらいが、きっと丁度いい。




「……おい、何が言いたい?」


「そうそう、こういう能力を持った奴って臆病者が多いよな。能力で心を覗かなきゃ、怖くて怖くて人付き合いも出来ない、みたいな。うわ、やっぱカッコ悪いな」


「おい、図に乗るなよガキ。もう一回ボコボコにしてやろうか?」




 来た、来た、来た。氷上の視線が一層厳しいものに変わる。大人の男の本気の怒り、初めて触れたそれは正直に言うと怖い。でも今はそこから逃げるわけに行かない。しっかり立ち向かうのだ、もっと焚きつけるのだ。




「へっ、かかってこいよ臆病者。お前みたいなダサい奴に二回も負けるわけねえだろ、バーカ」




 わざとらしく、子供らしくあかんべーをする。さあ来い、氷上。俺の方へかかってこい。




「お望み通りにしてやろう、今度はその生息な口が二度と聞けないようにしてやる」




 倉庫の壁に立てかけられた鉄パイプを手にして、氷上はこちらへ駆け出した。俺と氷上との距離は十数メートル、走ればほんの数秒で埋まる距離だ。この距離が俺の、俺達の勝機だ。そう安々と詰められてたまるか。




「おらっ、食らえよ!!」




 走りだす氷上めがけて、俺はポケットから水風船を取り出して素早く投げつける。




「そんなものが効くかっ!」




 氷上は投げられたそれに反応して、難なくそれを鉄パイプで振り払う。それを確認してから、俺は踵を返して氷上から逃げ出す。




「ふはははっ! 何だ何だどうした正義の味方! あんなに立派なことを言っていたくせに逃げるのか! 君のほうがよっぽど格好悪いぞ口だけだぞ!!」




 嬉しそうな氷上の声を背中に、俺は走った。




「へっ、悔しかったら捕まえてみろってんだ、このビビリ野郎が!」




 俺の足はそこまで遅くはないが、しかし氷上は大人で俺は子供だ。筋力は大きく劣るし歩幅も狭いので、どんなに頑張って走ってもいつか俺は氷上に追いつかれてしまう。




「はっ、はっ、はっ、何だよお前! ビビリの上に足も遅いとか、絶対子供の頃いじめられてただろ!?」




 それは分かっているが、今は氷上から逃げ切ることが目的ではない。追いつかれると分かっていても、氷上を挑発しながら俺は走り続けた。




「黙れ無能! すぐに殺してやる!!」




 倉庫から飛び出して茂みをかき分けながら走る。背中からには氷上の殺気に満ちた声が突き刺さる。徐々に俺達の距離は近づいていき、そしてついに氷上の攻撃が俺に届いた。




「おらぁ!!」


「ぐあっ!」




 鉄パイプが背中に打ち付けられて、俺はバランスを崩して前方に転がる。畜生、覚悟はしていたが痛い。




「見たか! お前みたいな無能どもは何回やっても俺には勝てないんだよ」




 転んだ俺を見下ろして、氷上が高らかに言う。




「ほらっ、何とか、言ったら、どうだ!」




 ごろごろと転がりながら俺は氷上の攻撃をかわそうとするが、何発かは鉄パイプを食らってしまった。絶体絶命のピンチ。ほぼ決まった俺と氷上の勝負の結果。




「ふふふ、ふふ、ははは…………」




 そして夜の森に響く笑い声。




「ははは、あっはははは……」




 笑いが止まらなかった。




「くふっ、ふは、ははは……」




 だがしかし――




「……おい、ガキ」




 ――この押し殺した笑い声は、氷上のものではない。




「ふはっ、ははははっ。どうしたんだよ氷上?」




 無様に転がって、泥にまみれて、それでも笑ってるのは氷上ではない。俺だ。




「貴様、どうして笑って……まさか、糞!」


「お、ようやく心を読む余裕が出来たか?」




 動揺する氷上に、俺はゆっくり立ち上がりながら言った。計算通り、あまりにも自体が上手く行きすぎて笑いが止まらなかった。




「ちっ!」




 舌打ちをして踵を返す氷上、しかし俺を氷上にしがみついて行動を邪魔する。今氷上にここを離れられると困る。




「おっと、逃げるんじゃねえよ臆病者」


「ぐっ、放せこの糞ガキ! まさかお前が囮だったとは!」


「今更気づいても遅いんだよ、バーカ!」




 ――そう、俺はハルカを救出するための囮だ。本命は透子、俺が氷上を引きつけている間に彼女がハルカを救出する手はずになっている。




「なあ氷上。お前の能力の有効範囲、実はあんまり広くないだろ? せいぜいが十メートルかそこらだ」




 俺の指摘に氷上は表情を歪める。




「くっ、なぜそれを…………あの時か!」


「お、相手が思考を読んでくれると説明しなくて済むから助かるな。お前、結構便利じゃん。それと今の反応、やっぱりオンオフがあるみたいだな。常に読心能力を発動させてるわけじゃない」




 まず最初に氷上がハルカを連れ去る時、背後から俺が投げた水鉄砲を氷上は避けることが出来なかった。そこから氷上の読心能力の有効範囲が推測できたのだ。


 だから俺は今回、倉庫の入口付近で氷上と距離を取ってそこから氷上を挑発した。




『……何が言いたいんだい、君は?』


『……おい、何が言いたい?』




 その推測は氷上のこの台詞二つで確信に変わった。もしあの距離が能力の有効範囲内なら、氷上がこんなことを言うはずがないのだ。




「ははは、自分の能力の限界を俺に教えちまったってことだよ」


「このガキィ……」




 氷上は血走った目で俺を睨む。俺はそれに怯えることなく、更に挑発的に続けた。




「武術の達人でもないお前にとって、読心能力は白兵戦なら基本的にカウンター向きだ。それをまんまと挑発に乗せられて追っかけてくれるなんて、くくく……バカだなあ」




 正義の味方を名乗る自分が、無能のガキに臆病だ卑怯者だと馬鹿にされる。自分の能力に絶対的な自信や誇りを持つ彼にとって、それは耐え難い屈辱に違いない。




「今頃透子がハルカの首輪を外して、安全なところに移動させてるはずだぜ……っと、噂をすれば透子からの合図だ」




 氷上が潜伏していた倉庫の方から花火が上がった。小さいけれど綺麗な赤い花が空に咲いた。




「はははっ! おい氷上、あれが見えるか? ハルカはもうお前の手を離れたわけだ、ざまあ見やがれ!」




 これで形勢逆転、俺は氷上に向かって勝利宣言をした。




「何を言ってるんだ! 今すぐ貴様をブチのめして、もう一人のガキを探し出せばいいだけだろう!? 図に乗るなよ無能力者がぁ!!」




 激昂する氷上。そう、確かに氷上の言う通りこれでは完璧でない。だけど、これだけで勝った気になるほど俺も甘くないのだ。




「…………なあ氷上。超魔界救世主ワタライってアニメ知ってるか?」




 先週のワタライ、敵は自分の攻撃を全て先読みする武術の達人。




「子供だましのアニメなんて知るか! さあ、さっさとこの手を……」




 龍王丸はどうやってその敵を倒したかというと――




「ふん。じゃあ氷上、俺の頭ん中見てみろよ」




 ――来ると分かっていても、絶対に避けられない攻撃。それを編み出したのだ。




「何だと? 貴様何を言って……バカな!?」




 エンジン音が遠くから聞こえてる。茂みの中を駆け抜け、エンジン音がどんどんこちらに近づいてくる。タイミングが良い、打ち合わせ通りだ。




「うーん、やっぱり心を読んでくれると会話が楽だなあ」




 今俺と氷上が立っている場所は丁度木々の切れ目、廃棄された農道だ。氷上を透子から引き離すのと、ここに氷上を誘い出すことが今回の俺の作戦の肝だ。


 あのトラックを動かしているのはもう一人の協力者、すみれ。俺や透子では流石にトラックの運転は出来ない。




「何を呑気なことを言っているんだ! 今すぐ放せ!!」


「嫌だよ、バーカ」


「あんなものがぶつかったら、貴様も無事では済まんぞ!?」




 農道を猛スピードで駆け抜けて来るのは大型のトラック。ヘッドライトが眩しい。




「……そうかもな」




 このトラックを避ける策は、実は無い。このままだと俺は氷上と一緒に数秒後にトラックに跳ねられるだろう。




「き、貴様正気か!?」


「お前なら分かるはずだろ? ……俺が本気でお前と心中するつもりだって」




 俺は正気じゃないのかもしれない。でもまあ別に、それでもいい。こうすることでハルカは助かるのだ。こんなテロリストに利用されることもなくなるのだ。ヒロインを救うために敵と一緒に心中なんて、全く安いドラマな感じもするが、何はともあれこれでバッドエンドは回避だ。頭の悪い俺にはこいつに勝つ方法がこれしか思いつかなかった。




「糞っ、糞っ! 放せ、放せえええええええええ!!!」


「ははは、見苦しいなあ超能力者」




 別に自分の命を諦めただとか、そういう理由ではない。俺の第一の目的がハルカの救出でその次が氷上の打倒。それを同時に果たすことの出来る選択肢が、これしか思いつかなかったというだけなのだ。




「ああああっ、うあ、うっ、ふあああっ!!! おい、ガキ! 今すぐ放せ!!!」




 しがみつく俺を氷上は何度も殴りつける。しかしそれでも、俺は放してやらない。今度こそは絶対、最後まで、こいつを放さない。もう二度とあの時、ハルカを連れ去られた時のような思いをするのはゴメンだ。


 トラックは、もうすぐそこまで迫ってきていた。あと数秒で俺と氷上はこの巨大な鉄の塊の突撃を食らうことになる。




「まあ、完全勝利って訳じゃないけど……それでもハルカが助かるなら、それで俺は――」




 良いかと、そう思ったが、




『良い訳、無いでしょ!!』




 この声が、どこからか聞こえてきた。耳が捉えた音声ではない、不思議な感覚、頭のなかに直接彼女の声が響くような、そんな感覚。それと同時に、猛烈な力で俺の身体が氷上ごと空へと持ち上げられる。




「なっ、これっ!?」


「何だ!? 何がどうなってるんだ!?」




 不意に感じた浮遊感に、俺も氷上も驚きを隠せない。




『ああもうっ、重いからそいつは下ろして!!』




 その声に従って、俺は数十センチ浮き上がったところで氷上を掴んでいた手を放した。




「ぐぁっ!」




 氷上はマヌケな声を上げて尻餅をついた。落下した氷上とは正反対に、俺はどんどん浮き上がって行く。




『お願い、間に合って!!』




 叫びが、脳内に木霊する。トラックはもう目と鼻の先だ。




「あああああああああああ!!!!!!!」




 氷上の叫びが耳に突き刺さる。あと少し、あと少しでトラックがぶつかる。もう氷上には為す術がない。もちろん俺にも為す術はなくって、でも氷上とは少し違う。俺には、彼女が居た。俺を引き上げる力があった。間に合うだろうか、俺は助かるだろうか。まあ別に、助からなくっても問題は無いか。俺はハルカが助かればそれで良い。




『絶対、諦めちゃダメだから!!』




 何て考えは読まれてしまったのか、そんな言葉が脳内に届く。


 おいおいさっきまで自分の命を諦めてたのは誰だよ、なんてツッコミを頭のなかでしながら、少し口元を釣り上げて俺は笑った。




『正義は絶対、勝つんだから!!!』


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