第25話

 結果から言うと、俺は助かった。生きていた。トラックをギリギリ躱すことが出来た。




「終わった、か……」




 浮遊を終えて、俺は地面に座り込んで一息ついた。数メートル離れた地面に横たわった氷上の方へ視線を向ける。




「死んでは、いないみたいだな……」




 彼は間一髪助かった俺とは違って、トラックに思いっきり跳ねられ意識を失って倒れている。すぐに意識を取り戻して、俺達に襲いかかることは無いだろう。何せ腕や脚の関節が曲がってはいけない方向に曲がっている。何やら思ったより大分悲惨なことになってしまったが、それは気にしない事にした。うん、正義の為に犠牲はつきものだ。なんちって。




「何とか上手く行ったみたいね」




 トラックのエンジンが止まり、すみれが降りてきた。




「うん、何とか色々間に合ったみたいだ」


「全く本当よ。ハルカが目を覚ますの、間に合わなかったらどうするつもりだったのよ?」


「…………そのときはそのときだ」


「はあ……呆れた」




 やれやれと言った具合で肩をすぼめてすみれは言った。本当は別にあのまま死んでも良かった、なんてことは面倒な事になりそうだから言わない。




「ねえ啓介くん」


「ん?」


「……ありがとう、ね」




 すみれは俺に頭を下げながらそう言った。




「止めろよ、俺とあんたはお互いに利用し合っただけだ。礼なんて言われる筋合いはない」




 そう、俺達はハルカを助けるという同じ目的のために一時的に協力し合っただけなのだ。 


 俺は未だに脳内にチップを埋め込むなんていう機関のやり方に納得なんかしていないし、記憶を消されてハルカとお別れなんていうのも嫌で嫌でたまらない。




「それでもありがとう、あなたのお陰でハルカは助かったわ」




 そう思っているのだけれど、美人のお姉さんににこんなことを言われると照れる。照れるから、ムカツク。




「お~い!!」




 そうこうしている内にハルカと透子がこちらに向かって走ってきた。どうやら二人共しっかり無事なようだ。俺はホッとし胸をなでおろす。




「はははっ、やったね! 作戦大成功!!」




 透子は作戦の成功を大はしゃぎで喜び、ぴょんぴょんと跳ねまわった。




「……ったく、はしゃぎ過ぎだよ。バーカ」


「だってだって、私たちの勝ちなんだよ? あのテロリスト、私たちの力で倒したんだよ?」


「はいはい……」




 確かに嬉しいけれど、それでも俺はやっぱりボコボコにされた訳だし。もう少しスマートなやり方もあったのかもしれないと思うと、嬉しさよりもやはり自分の未熟さを痛感する。




「…………あの、その、ええっと」




 そんな透子の後ろで、ハルカは微妙に困った表情でもじもじとしていた。




「……よう、怪我はないか?」


「うん、私は大丈夫だけど、その……」




 二度に渡って氷上と戦闘を繰り広げたズタボロな俺を見て、ハルカは言った。




「ああ、別にこれぐらいは……」


「ほら、格好付けないの」


「痛ってえ! あにすんだよ、すみれ!」




 氷上から攻撃を受けた部分をすみれにつつかれて、思わず声を上げてしまう。




「…………どうして、どうしてそんな無理したの? 私のことなんてどうだって」


「どうだって良い訳ないだろ!」




 不安げなハルカの言葉を、俺は途中で遮った。




「お前があんなやつに利用されるなんて、絶対に嫌だった! 勝手に自分のことを諦めたお前が許せなかったんだよ!」




 自分は化け物だから、なんて卑屈な言葉は絶対にもう言わせない。ハルカが勝手に自分の命を諦めるなんて、俺は絶対に許さないのだ。ハルカは一人で考えて、一人で答えを出して、一人で諦めた。


 一体何なんだよそれは。俺達はもう一人じゃないんじゃなかったのか。




「バカ! そのためになんでこんな危ないことしたの!? 本当にトラックに轢かれて死んじゃうかもしれなかったんだよ!?」


「うっせえなあ、それしか思いつかなかったんだよ!」


「バカバカバカ、アホ! それで死んじゃったら元も子もないでしょ!」


「お前を助けられなかったら、俺にとってはそっちのほうが問題だったんだよ! これでもそれなりに考えたんだ! バカバカ言うな、バカ!!」


「何度だって言うもん! そっちだって私が間に合わなかったらどうするつもりだったのさ! 私を助けるために自分のこと諦めるの? 言ってることとやってることが滅茶苦茶だよ!」


「う、それは……」




 確かに、痛いところを突かれている。




「私だって……私だって啓介がいなくなるのは絶対に嫌だもん! 私が助かっても、啓介がいないなんて嫌!」


「ハルカ……」




 彼女の目元には涙が溜まっていて、今にも零れ落ちそうだった。


 俺達はお互いがお互いを助けようとして、それでお互い自分を犠牲にしようとしていて、だからお互い怒っていて、ハルカは泣いている。何だかとても滑稽な構図だった。




「その、何つーか……心配かけて悪かった、な」




 ハルカの涙を見るのは、やっぱり嫌だった。嫌だったから、俺は謝る。自分が間違ったことしたとは思っていないけれど、こういう時は男のほうが折れるものだとテレビで見たことがある気がする。


 ハルカに近づいて、頭ポンポンとを撫でてあげる。こんな風に子供扱いしたら怒られるかもしれないけど、これでハルカが泣き止むならと、そう思った。




「……啓介ぇ」




 正面から、ハルカに抱きしめられた。




「うお、え、ちょ」




 身体には軽い衝撃、だけど心には大きなショック。




「……ありがとう、啓介」


「お、おう、うん、まあその、あれだ、俺も無茶して悪かったっていうか」


「うん、うん、ありがとう……」




 ハルカは俺の胸に顔をうずめて、涙を流しながら何度もありがとうを繰り返す。女の子に抱きしめられるなんて初めてで、俺はどうしていいか分からない。




「……ほら、こういう時はガッと抱きしめ返して、甘い言葉を囁けばいいのよ」


「ん、んなこと出来るかっ!」




 そんな俺の様子を面白がってすみれがそんなことを耳元で囁く。




「あらあら、あんなに大人ぶってたのにあなたもやっぱり子供なのねえ」


「うるせえ」


「ふふふ、啓介くんにも可愛いところあるんだね」


「だあ、お前も黙ってろよ透子!」




 ああ糞、何で俺がこんなに冷やかされなくちゃいけないんだ。ハルカは相変わらず俺の胸に顔を押し付けて泣いているし、透子とすみれは俺を見てニヤニヤ笑っているし、とても居心地が悪い。




「けーすけぇ、けーすけぇ……」




 ハルカの涙や鼻水で俺のボロボロの服は更にグズグズになってしまっている。もう最悪だ。




「はあ……」




 最悪な状況にため息を一つついた。




「ねえ、ここはため息じゃなくってキスの一つでもするところじゃないの?」




 最悪だけれど、ハルカは確かにここにいる。




「だからうるせえって言ってるだろうがすみれ」




 ハルカだけじゃない、透子もすみれも、俺も無事だ。




「き、キス!? わ、わぁ~」




 だったらこれはきっと、バッドエンドじゃない。




「透子、何でお前が興奮してんだよ」




 でもだけど、確かにバッドエンドではないけれど、この先のことを考えるとハッピーエンドでもない。だからせいぜいノーマルエンドってところだろう。




「だ、だってぇ!」




 それでも今は、笑っていいのかもしれない。




「ふふふ、けーすけぇ。……キス、する?」




 ハルカはいつの間にか泣き止んでいた。涙の跡は消えていないけれど、それでも笑っていた。




「バカ。んなことしないよ」




 それならきっとノーマルエンドも、悪くはない。




「啓介、照れてる?」




 希望は完全に絶たれたわけではないのだ。




「照れてねえし」




 ――俺達の別れが避けられないとしても、今ならそれは決してバッドエンドじゃないのだ。






















































「……それじゃ、始めましょうか」




 空の端から深い青を侵食してオレンジがやってくる頃、すみれは静かにそう言った。




「準備はいい、ハルカ?」


「……うん」




 俺達の最後の夜が、もうすぐ終わる。もうすぐ機関の定めたタイムリミットが訪れる。




「全く、あなたが念動力を持っていたのにも驚いたけどまさかこんなことまで出来るなんて……呆れたわ」


「うん、実は施設では出来る事をほとんど隠してた」


「はあ、あなたって娘は……テレポートに念動力に記憶操作。多分あなた、今までの歴史上で最強の能力者よ」


「実は他にも発火とか治療もできたりして」


「すげえな、格好良い」




 最強のエスパーなんて、アニメやゲームの主人公みたいで滅茶苦茶憧れる。




「止めてよ啓介、こんな能力本当はいらなかったんだから」


「……悪い」




 でもその能力がハルカから両親を、普通の暮らしを奪ったのだ。格好良いだなんて、憧れるだなんて、言っていい言葉ではなかったのかもしれない。




「でも、この能力のお陰で私は啓介と透子ちゃんに出会えた」




 反省しようと思ったが、ハルカは笑ってそう付け加えた。




「ハルカちゃん……」




 透子はそのハルカの言葉に目を潤ませていた。




「だからこの能力のことは恨んでもいるけど感謝もしてる、って感じかな」


「……そっか」


「うん、そうだよ。二人に出会えて、私は本当に良かった」




 眩しい笑顔だった。




「ハルカ、お前は強いな」




 思ったことがそのまま口に出ていた。ハルカは強い。突然芽生えた超能力によって両親と引き離されて、やっとの思いで施設を抜けだして再会した両親は自分を忘れていて、やっと出来た友人ともこれから別れなければならない。そんな境遇でも、彼女は笑っているのだ。とても俺には信じられないほど、彼女は強い。




「そんなことないよ。本当はこれから先のことが怖くて仕方がないの。でも私は啓介を、透子ちゃんを信じてるから」


「ううっ、ハルカちゃん……やだよぉ、お別れなんてやだよぉ」




 潤んでいた透子の瞳からは、大粒の涙がボロボロとこぼれていた。




「泣かないでよ透子ちゃん……もう、泣き虫なんだから」


「だってぇ、ハルカちゃんはこんなダメダメで、ドン臭い私に出来た初めての友達で……」


「透子ちゃんはダメダメなんかじゃない。だって私を助けてくれたでしょ? あんなこと、皆できないよ?」


「でもぉ……」


「もう、仕方がないなあ」




 ハルカは透子を抱きしめて、その涙を受け入れた。ハルカは優しく透子の頭を撫でる。




「じゃあ透子ちゃん、もう一回三人で約束の確認しよ? そしたらさ、きっと悲しまなくても良くなるから。ね、啓介?」


「……ああ、そうだな」


「……わかったぁ」




 そう言うと透子はハルカから離れて、ゴシゴシと涙を拭う。




「まず最初は私の約束ね」




 俺達は別れるにあたって、いくつかの約束をした。これからバラバラになる俺達の約束。バラバラになる俺たちを繋ぎ止めるための、大事な約束だ。




「私は施設に戻って、能力を磨く。いくつも、いくつも、沢山の任務をこなして、自由を手に入れる。最強のエスパーになって、二人のところに戻ってくる。これが、私の約束」




 能力を磨いて機関に貢献すれば、今ここにいるすみれのように外に出る機会をもらえるのだ。だからハルカはそれを目指して、どんどんその力を高める。




「はい、じゃあ次は啓介と透子ちゃんの番」


「おう」




 まだ涙が止まらない透子の手を、俺はぎゅっと握る。




「俺達はこれからハルカに関する記憶を全部封印される。でも再会したときは、絶対に思い出す。自力で、何があっても絶対に、お前のことを思い出す」


「ぜったい、ひっぐ……はるかちゃんのことぉ、わすれっ、ません!!」




 透子も涙ながらに、力強くそう誓った。




「うん、私も二人のこと信じる。絶対に思い出してくれるって、信じてるから」


「ああ、俺も信じる。お前が最強の超能力者になって、俺達に会いに来てくれるって」


「ばたじも、じんじるぅ!」




 ハルカは実績を積んで外に出てくることを、俺達は再会した時にハルカを思い出すことを、それぞれ誓い合う。誓い合うのだけれども、ハルカが外に出られるようになる保証も、俺達がハルカを思い出せる保証も実際どこにもない。




 それでも俺達は約束する。ハルカはきっと、この先の任務で何度も命の危機に合うだろう。氷上のような、いや氷上より危険な奴らを相手にすることもきっとあるだろう。死んだほうがマシと思うような状況にも出会うかもしれない。でも、だからこそ約束するのだ。この約束がきっと、ハルカの生きる希望になる。自分の命を諦めない理由になってくれる。




「でも啓介って頭悪いし、薄情だから私のこと思い出せなくなっちゃうかもよ? 誰だよお前、お前なんて知らないとか言ってさあ、きっと私に冷たくするんだ」




 冗談めかして笑うハルカ。いつもならうるせえの一言で終わらせたり、意地悪して忘れるかも何て言うかもしれない。でも今はしっかり言い切ろう。




「絶対、忘れない。一時的に思い出せないかもしれないけど、絶対に思い出すから。信じてくれよ」


「…………うん、信じるよ」


「わたしもぜったいに、おもいだすからね! つぎにあうときは、だめだめじゃないわたしになってるからぁ!」


「ふふっ楽しみにしてるね、透子ちゃん。あと……決着はその時につけよう、抜け駆けしたらダメだからね」


「うんっ!!」


「なあ、決着って何だ?」


「啓介には教えてあげませーん」


「むう、何か納得行かない……」




 そして俺達は、もう一度三人で指切りをする。




「ゆーびきーりげんまん」




 潤んだ瞳、だけど笑顔のハルカ。




「うーそつーいたらはーりせんぼんのーます」




 ボロボロでぐしゃぐしゃの透子。




「ゆーびきった!!」




 そして、傷だらけの、透子とは別に意味でボロボロの俺。


 大事な大事な約束を交わした。俺と透子はこの約束のことすら忘れる。だけどそんなのは関係ない。だって絶対に思い出すのだから。




「……ねえ、記念撮影しよっか。すみれ、お願い」


「はいはい、分かったわよ。はーい、じゃあ三人ともそこに並んで」




 俺を真ん中に、両隣にハルカと透子が寄り添う。ハルカの目尻に溜まった涙と、ボロボロ泣きじゃくる透子のそれに、昇ってきた朝日のオレンジが反射して輝く。




「綺麗、だな……」




 思ったことが、そのまま口に出てしまった。




「え、私が?」




 ハルカはニヤニヤしながらそんなことを聞いてきた。全く、こいつはこんな時まで俺をからかう気マンマンかよ。悲しみを隠すためなのは分かるけれど、ちょっとムカツイたので俺はこう返した。




「……ああ。ハルカ、綺麗だよ」


「ふぇっ?」


「何赤くなってんだよ、バーカ」


「も、もう啓介!!」


「ほら、撮るわよー」




 きっとこれが最後の時間になるから、俺はハルカとのやり取りを目一杯楽しむ。ハルカとこれで終わりなんて絶対に嫌だと、改めて思った。




「あれ、カメラは?」


「それならすみれが念写するから大丈夫よ」




 なるほど、やっぱり凄いな超能力は。




「笑って笑って~! はい、チーズ!」




 シャッター音もフラッシュもない、奇妙な写真撮影だった。しばらくするとすみれの手元に1枚の写真が出来上がっていた。




「…………これ、宝物にするね」




 それを受け取ったハルカは、大事そうに胸に抱えて言った。




「それじゃあハルカ、そろそろ……」


「うん、分かってるすみれ……」




 そしてついに、別れの瞬間がやってくる。




「啓介、透子ちゃん。この一週間本当に楽しかった。ありがとう」




 ハルカの後ろから朝日が昇る。オレンジが、眩しい。




「約束、絶対に忘れないから」


「……ああ」


「うん……」




 ハルカが、右手を俺達の方へ向ける。目に突き刺さる橙色が、一層強くなった気がした。ああそうか、ハルカの手からもオレンジの光が出ているのか。だからこんなにも眩しい。


 それでも、最後の一瞬まで俺は目を瞑らない。少しでもハルカを長く見るために、彼女の姿を記憶に焼き付けるために。




「それじゃあ、またね。二人共、大好きだよ」




 意識が、遠のいていく。


 ハルカの笑顔が、何より大切なものが遠ざかっていく。


 ハルカの言葉に返事がしたい。またねって、俺も大好きだって、そう言いたいのに。




 ハルカ、俺は、絶対に、お前の、こと、を――。


















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