第22話

「あははは、ふかふか! おっきいベットみたいだね!!」


「ホント、コレすごーい!! 楽しいね!」




 体育倉庫のマットの上に寝転がって、ハルカと透子はとてもはしゃいでいた。




「そうだなあ!」




 それに俺も調子だけ合わせて明るいふりをする。




 結局その日は家に帰ることも出来ず、俺達は学校に泊まることにした。外に行ったら追手にみつかるかもしれない、俺はそう言って二人を説得した。だってこれがハルカと過ごす最後の夜、俺達三人で過ごす最後の時間だ。湿っぽくなるのはいけないと思って、俺は泣きそうな気持ちをぐっとこらえた。




 俺を真ん中にしてハルカと透子と、三人で川の字で寝転がった。俺は両親ともこんなふうに寝た記憶が無いので実は少し嬉しくって、だけどこれで最後なのかと思うとすごく悲しかった。


 それから俺達はいろいろな話をしたが、次第に疲れによって口数も少なくなっていった。まあ今日は山登りもしたのだし仕方がないか。




 最初に意識を手放したのは透子だった。気がつくとすぐ隣りの彼女は、穏やかな寝息を立てていた。あれだけはしゃいでいたハルカの声ももう聞こえない。寝てしまったのだろうか。


 そんな二人とは反対に、俺は寝付けなかった。これから先のこと、ハルカのことを考えれば考える程頭のなかに色々な感情が渦巻いて、寝ている場合ではなくなってしまう。




「はあ…………」




 体育倉庫の天井を見ながら、一つため息をついた。いくら考えたって、俺には何も出来ない。何も変わらない。悔しくて悲しくて、眠ることができない。眠ってしまったらそこでこの時間は終わってしまう。俺達は終わってしまう。それが耐えられない。ハルカに背を向けて顔が見えないようにして、やりきれない気持ちに奥歯をギリリと噛み締める。




「……ねえ。もう、寝ちゃった?」




 すぐ隣から、遠慮がちな声が俺に呼びかける。




「……いや、まだ起きてるよ」




 今の歪んだ顔を見せたくないから、俺は彼女に背を向けたまま答えた。




「そっか、良かった……」




 透子を起こさないよう気を遣った抑えた声、でもそこから彼女の嬉しそうな様子は伝わってきた。




「あのさ、ちょっと教えて欲しいことがあるんだけど……」


「何だよ?」


「……す、好きな女の子のタイプ、とか」


「はあ?」




 一体こいつは、この非常事態に何を言っているんだ。予想外の質問に、俺は彼女に向き直る。




「べ、別に大した意味なんて無いんだけど。ちょっと気になっただけっていうか、その、深く考えないで欲しいんだけど」


「はあ……」




 何だよこいつ、自分から聞いてきたくせに。変なの。




「た、例えば、髪型は? 長い方が好き?」


「んー、まあ……」




 どっちでも良いけど。




「そっか、ロングが好み……じゃあ性格は? 大人しい方がいい?」


「ああ、うん。そう、かも」




 突然こんな訳のわからないことを言わない娘の方が助かるのは確かだ。




「他には? 料理上手とか、運動は得意な方がいいとか」


「……あー、料理が上手いのはいいかもなあ」




 その後も繰り返される問いに、俺は適当に答え続けた。




「う~ん、そっかぁ。ロングヘアーで大人しくて、料理が上手、か…………それって……ちゃんみたいじゃない」




 ハルカは納得したようなしていないような、微妙な声で言った。




「どうしてそんなこと聞くんだ?」


「ふ、深い意味はないの」


「ふーん……」




 それで会話が途切れた。体育館倉庫を再び沈黙が包んだ。聞こえてくるのは透子の穏やかな寝息だけだった。




「……なあ、ハルカ」


「何?」




 このままじゃお前は機関に殺されてしまうんだ、俺達は今晩でお別れしなきゃいけないんだ。その真実を言うかどうか迷って、




「……何でも、ない」


「ふふ、変なの」




 結局言えなかった。彼女の命を左右する問題なのだから、きっと本人に打ち明けるのが正解だ。でも俺は、そうすることが出来ない。怖くって、言えないのだ。そんなことを考えていると、




「…………ごめんね、辛い思いさせて」




 唐突にハルカは言った。




「え?」


「きっと、すみれから聞いたんだよね。私の頭のなかのチップのこと」


「お前、それ知ってたのか!?」




 彼女の驚くべき発言に、俺は起き上がって問いかけた。そんな俺の驚きとは正反対に、ハルカは穏やかな顔で言った。




「静かに、透子ちゃんが起きちゃうから」




 ハルカは口の前に指を立てて、静かにするよう促す。




「いや、お前、だって!」


「お願い、透子ちゃんには知られたくないの。ね?」


「くっ……」




 ハルカの真剣な瞳に、俺は渋々引き下がった。一度深呼吸をして気持ちを落ちつけた。




「……そのこと、知ってたのかよ?」


「うん。施設にいた他の子から聞いたことがあって」




 糞、すみれの奴『何があの娘はそれを知らない』だ。機関も情報管理がなってないじゃないか。




「だったら……だったら何で俺たちにそのことを言ってくれなかったんだ?」




 そのことを知ったからって、どうにか出来はしない。それは分かっている。それでも、ハルカに隠し事はしてほしくなかったのだ。




「ごめんね、二人を巻き込みたくなかったんだ…………って、中途半端に能力のこととか話しちゃったし、もうばっちり巻き込んじゃってるよね。本当にごめんなさい」




 俺と透子を機関に巻き込まないため、ハルカは能力のことも自分の脳内のチップのことも黙っていたのか。




「最初は能力のことも黙ってるつもりだったんだけどね、失敗しちゃった」




 苦笑いを浮かべながらハルカは言った。でもそれは転落する俺を助けるために起こったもので、俺はその失敗に感謝してもしきれない。




「本当は能力のことなんて何も言わないで、二人の前からいなくなるつもりだったの」


「いなくなって、どうするつもりだったんだよ? 施設に帰るのか?」


「……うーんとね。最初にお父さんとお母さんに会って忘れられてたことが分かったときは、もうこのまま何処かでじっとして、そのまま死のうと思ってた」




 言っていることはとんでもなく暗いことなのに、ハルカの表情は穏やかなものだった。




「でもね、そう思っている所で私は二人に出会えた。二人と一緒に過ごしたここ何日かは、今までで一番楽しかった」




 そう言うハルカの笑顔が、胸に突き刺さった。




「きっと私が施設に戻ったら、二人は私のことを忘れちゃうんだよね?」




 ハルカは、自分の置かれている状況をしっかりと理解していた。




「それは……」


「も~。暗い顔しないでよね」




 そしてこの自分の悲劇的な境遇を知って、なおも穏やかに笑っている。俺は悔しくて仕方がなくて、あんなに苦しんだというのに、ハルカは笑えていた。どうしてハルカはこんなに強いんだろうか。




「……ごめん」


「ううん、謝らないで。私はこんなに楽しい思い出をくれた二人に感謝したいんだよ? こんな化け物と友だちになってくれて、本当にありがとう」




 ありがとうなんて、言われたくない。だって俺はハルカを助けることができていない。




「それでね。もし二人に忘れられてしまうんだったら……だったら私は」




 この先、彼女は言ってはいけない言葉を口にする気がする。絶対に言わせてはいけない。そんな悲しい言葉を、諦めの台詞を言わせてはいけない。




「おい、ハルカ……」




 そう思って俺は口を挟むが、




「――私はね、もう生きていても仕方ないんじゃないかって思うの」




 彼女は言ってしまった。諦めを、絶望を受け入れてしまった。彼女の笑顔は、その感情からくるものだったのだ。駄目だ、そんなの、絶対に、許してはいけない。まだ俺に出来る事はないけれど自分の命を、未来を、希望を捨てるような言葉は、使ってはいけないのだ。




 俺はハルカの諦めの笑顔を真っ直ぐに見つめて、




「――そんな言葉は使っちゃダメだよ、ハルカちゃん?」


「え?」




 しかしそう言ったのは、俺ではなかった。




「やあ、初めましてハルカちゃん。僕の名前は氷上慎吾。僕は君を助けに来た、いわば正義の味方ってやつかな?」




 いつの間にか倉庫の入り口は開けられ、そこには長身の男が立っていた。スマートな体型に白いスーツ、そして爽やかな笑顔を浮かべたその男は、まるでアニメにでも出てくるような出で立ちだ。




「正義の、味方?」


「そうだよハルカちゃん、僕が君を悲しい運命から解き放ってあげよう」




 男は芝居がかった大げさな口調でそう言って、こちらへ歩み寄ってくる。




「何だよお前、ここに何しに来た?」


「ふふふ、会いたかったよハルカちゃん」


「お前もすみれと同じ機関の人間か? ハルカを助けるってどういうことだ?」




 この男は本当にハルカを助けられるのだろうか、そんな僅かな希望が芽生える。




「政府に僕達能力者が管理されるなんて、そんなのは間違っている。」




 男はずんずんこちらに進んでくる。その表情はにこやかで、まるで子供向け番組の歌のお兄さんみたいな優しく、そして――




「 むしろ僕達が、彼ら無能を管理するのが正しい。有能な種族が無能を支配する、これが正常だとは思わないかい? だから僕は君を迎えに来たんだ」




 ――そして酷く作り物めいていた。その笑みは鳥肌が立つほど不気味なものだった。




「おい、お前ちょっと待て。こっちに近づくな、止まれ」




 一直線に近づく氷上に制止をかけ、ハルカの前に割って入る。




「ん? 君、ちょっと退いてくれるかな。君に用はないから」


「嫌だ、とにかくまずは俺の質問に答えろよ。お前は何者だ? 機関の関係者か?」




 この状況で信用出来ない奴をハルカに近づける訳にはいかない。




「ちっ、邪魔だよ無能のガキ。退けって言っただろうが、日本語も分からないのか?」




 今までの紳士的な態度から一転して氷上は冷たい目で俺を見て言い放つ。




「えっ?」




 そしてその豹変ぶりにあっけにとられる俺を、氷上は思いっきり蹴り飛ばした。




「がはっ!!」




 腹に前蹴りを入れられて、俺は後ろに飛ばされた。跳び箱がぶつかった衝撃で崩れて、ガラガラと大きな音が倉庫に響き渡った。




「け、啓介!」




 ハルカが飛ばされた俺に詰め寄る。俺は痛みにうずくまるしかなかった。




「え、何? 何なの?」




 どうやら透子がこの騒ぎに目を覚ましたらしい。全く呑気な奴だ、俺は咳き込みながらそんなことを思った。




「あなた、何するの!?」


「君こそ、一体何を怒っているんだい? こんな無能な、何の価値もないガキを蹴って何がいけない? 僕には分からないよ」




 ハルカの怒りが心底理解できないというような表情で、氷上は言った。駄目だ、こいつはおかしい。狂っている。やはり先ほど感じた不気味な印象は間違っていなかった。




「そんなことより早く行こうハルカちゃん、君に残された時間は少ないんだろう? 僕らの技術なら、君の脳内のチップを取り除くことが出来る」


「……あなたの目的は、一体何?」


「さっきも言ったとおり、君を機関から助けることさ。君は僕達の同志になるに相応しい能力者だ」


「げほっ……何だよ同志って。はっ、まるでテロリストじゃないか」




 咳き込みながらも起き上がって、俺は氷上に向かって言った。こんな奴にハルカを渡す訳にはいかない。




「テロリストだなんて失礼な呼び方はやめたまえよ、僕たちは世界を正常な姿へと導き、能力者たちを解放するために活動しているんだ。解放軍と呼んでくれ」




 冗談みたいな発言、でも本人はまるで冗談を言っているような顔ではない。本気だ、こいつは本気で自分の行いが正義だと思っている。




「どうして、ハルカを狙うんだ?」


「今日の夕方頃、このあたりで偶然大きな力の発現を感知してね。機関の無線を傍受したら、ビンゴ。ハルカちゃんの情報が見つかったってわけさ。あんなに強い念動力を持った能力者は中々いない」




 なるほど、あの時俺を助けた能力によって、ハルカが見つかってしまったのか。




「さあ行こうハルカちゃん。そして僕達と一緒にこの腐った世界を粛清して、新たなる世界を創りだそう」




 氷上はハルカに手を差し伸べる。ハルカはその手を見つめて黙りこんでしまった。




「おい、解放軍。お前のところにいけば、ハルカは助かるのか? 脳内のチップは取り除いてもらえるのか?」


「ああもちろん。彼女が僕達の志に賛同してくれるのなら、援助は惜しまない」


「……じゃあもしあんたたちの目的に従えない場合は?」


「まあ僕らの崇高な使命を分かってもらえないなんてことは万に一つも無いと思うけど。もしそんなことが会った場合は仕方がない」




 仕方がなく諦める、なんてそんな甘いこと――




「僕らの理念に従えないっていうなら簡単さ、頭にメスを入れて脳みそ弄って従順な人形にするだけさ」




 ――そんな甘いことはやはりあり得ない。こんな狂った奴にハルカを任せてたまるか。こんな奴の操り人形になるくらいなら、すみれと一緒に施設に戻るほうがよっぽど安心だ。俺達の記憶からハルカは消えてしまうかもしれないけど、こんな奴に渡すよりずっとマシだ。




 俺はハルカに目配せをして、逃げるタイミングを伝える。先ほどすみれから逃げる時と同じだ、ポケットの水鉄砲を使って、




「水鉄砲、ねえ。僕も昔はよく遊んだよ、実に懐かしいねえ」




 奴を一時的に止める作戦が、何故だか漏れていた。まだ俺はポケットに手も入れていないのに、だ。とにかく今はハルカと透子を逃がす時間を作らなくてはならない。そしたらもういい、全力で突進して奴を押し倒そう。幸いにも奴は男にしては華奢だ。足元に思いっきりタックルを決めれば、




「そしたら僕は膝を合わせて、君の鼻でも折ってやろうかな」




 バランスを崩すことが出来ると思ったが、何故だかまた読まれた。どうしてだ、そんなに俺の思考は顔にでるのか。




「ふふふ、焦ってるねえ。でも安心していい、別に君が特段顔に出やすいタイプという訳でもない」


「お前、もしかして……」




 こいつは先程自分のことを能力者だと言っていた。だとするとこいつの能力は、




「そう、僕の能力は読心だ。今も君の考えていることが、手に取るように分かるよ」




 なんてことだ、俺の予想通りだったというわけだ。




「さてハルカちゃん。そろそろ行こう、時間が惜しい」




 もう一度氷上はハルカに手を伸ばす。しかしハルカはそれには応えない。




「嫌、私はあなたとは行かない」


「へえ、そう……」




 氷上はその返事にうろたえることはなかった。相手の思考が読めるというのだから当然か。でも、だったらどうして返事が分かっていることを聞くのだろうか。




「うんうん、啓介くん。その答え、教えてあげよう」


「糞、また人の頭のなか覗きやがって」




 ニヤニヤ笑いながら氷上は歩いて行く。その先に居るのは――




「へ? 何、何なの?」




 起き抜けでぺたんとマットに座り込んだ透子だった。そうか、奴は透子を人質にする気だ。


 まずい、そう思って俺は叫んだ。




「透子、逃げるぞ! 走れ!!」


「う、うん!」




 俺はすぐ近くのハルカの手を掴んで走りだした。目指すは倉庫の出口だ。




「へえ、中々読みがいいねえ君」




 ハルカの手を掴んで全力疾走した。倉庫を出て体育館に飛び出す。




「はあ、はあ、絶対あんな奴に捕まったらダメだからなハルカ!」


「うん!」




 後ろを振り返る。透子もしっかり付いてきている。氷上との距離も十分ある。よし、このまま体育館を抜けて外に出られれば隠れるところは沢山ある。そこでしっかり作戦を立てれば――。


 そう思っていた矢先だった。




「きゃあ!!」




  後ろから、叫び声が聞こえてきた。まさかと思って、俺は足を止めて振り返る。




「ふふふ、何だ、君は随分ドン臭いんだねえ。助かったよ」




 透子が、転んでいた。転んだ透子が起き上がる前に氷上は距離を詰める。




「失礼するよ」


「透子っ!!」




 いけないと、そう思った時にはもう遅かった。




「きゃあ!」


「あんまり騒ぐなよ、余計な力が入っちゃうかも知れないだろ?」




 氷上は透子を抱えて、首元にナイフを突きつけた。




「おい、てめえ!!」


「おっと、あまり迂闊な真似はしないほうがいいんじゃないかな?」




 飛びかかろうとした俺に、氷上は自信満々にそう言った。そうか、こいつの狙いはコレだったのか。




「うんうん、理解してもらえたようで何よりだ」


「放して! た、助けて!」




 つまり透子を人質にとることで、ハルカを従わせるということだ。何てゲスな野郎なんだろう。怯える透子を抱えて氷上は余裕たっぷりに俺達の方へ歩み寄る。




「何が正義の味方だ、この卑怯者!」


「ふははは、この腐った世界を正すためには犠牲が必要なんだよ。だから僕は卑怯じゃない、正義だ」




 氷上は自分の正しさを何一つ疑っていない。狂っている、許せない、そんなのは正義じゃない。




「さあハルカちゃん、僕と一緒に来てくれるね?」




 でも俺に出来る事は、ない。氷上に力では敵わないし、何か策を練っても全ては筒抜けになってしまう。このままでは手詰まりだ。何か、何かあいつを倒す方法を見つけなければいけない。そうしないとハルカがあんな奴の手に渡ってしまう。それだけは絶対に嫌だ。




 頭をグルグル高速回転させて打開策を探す。


 だがしかし、




「…………分かったわ、あなたに従う。だから透子ちゃんを放して。啓介くんにも乱暴しないで」




 そんな俺の気持ちとは裏腹に、ハルカは氷上の言葉に頷いてしまう。




「待てよ、ハルカ!」




 ふざけるな、そんな簡単に諦めるんじゃない。きっと何か方法がある、あいつを出し抜く方法があるはずなんだ。そうじゃなきゃ困る、そんな間違った世界があっていいはずがない。




「確かに君の大好きなアニメやゲームなら、こんな時ヒーローが颯爽と現れて君たちを助けてくれるかもしれない」




 氷上は心底愉快そうな顔で続けた。また俺の思考を読んだに違いない。止めろ、それ以上喋るな。お前の言葉は聞きたくない、こんな救いのない展開は受け容れられない。




「でも残念、これは現実なんだ啓介くん。圧倒的な力を前にしたら、君のような無能なガキには何もすることが出来ない。都合のいいお助けヒーローなんて、現れないんだよ!」




 つきつけられる残酷な事実。そう、俺は何も出来ないガキだ。ただアニメやゲームが好きなガキ。頭が良い訳でもなければ、運動だってそこまで得意じゃない。ハルカや氷上の様に超能力なんてものも持っていない。


 無力だ、無能だ、モブだ、脇役だ、エキストラだ。主人公にはなれない、ヒーローにはなれない、ヒロインの危機を格好良く助けることなんて出来ない。




 でも、だけどでも、そんなことは分かっているけれども、俺は諦めることは出来ない。そんな糞ったれた展開は認められない。悔しさに、また涙が溢れる。




「啓介くん、透子ちゃん。巻き込んでごめんなさい。私のことはもういいから、二人はいつまでも元気でね」




 止めろ、おいハルカ止めろ。そんな顔で笑うな。もっと楽しそうに、嬉しそうに、いつも通りの笑顔じゃなきゃ嫌だ。




「二人と一緒に居られて、本当に、本当に楽しかった。私は二人のこと、絶対忘れない。ありがとう」




 これで最後なんて嫌なんだ、そんなバッドエンドは最悪だ。俺を一人にしないでくれ。




「お前は、お前はそれでいいのかよ!? こんな訳の分かんない奴に捕まって、利用されて……俺達と離れ離れになって平気だって言うのかよ!?」




 何でハルカはこんなに簡単に諦められるんだ。どうしてこんなにあっさり、自分を諦めてしまえるんだ。それが俺には許せなかった。




「…………平気なわけ、ないじゃない!」




 無理やり作っていた彼女の笑顔が壊れた。ぐちゃぐちゃに歪んだ顔からは、涙がこぼれていた。




「私だって二人と一緒に居たい、一緒に遊びたい、学校に行ってみたい、普通の暮らしがしたい! でも、でも無理なんだもん、私は化け物だから!!」




 悲痛な叫び、今まで隠していた彼女の本心。ようやく聞けた彼女の本音。




「ふふふ、そう! そうだよそうなんだ無理なんだよハルカちゃん! 僕らは今のままの世界では人間らしく生きていけないんだ! だから革命を起こさなくちゃいけないんだ! 君の力が必要なんだ!」


「ふざけんなイカレポンチ! ハルカは化け物なんかじゃねえ!」




 得意げに叫ぶ氷上が、殺したくなるほど憎い。どうにかしてあいつをブチのめしてやりたい。




「はははは、糞ガキ。それじゃあ君に何が出来るっていうんだ、ん? 人質もとっているし、君の思考は僕に筒抜けだ。チェックメイトだよ、ふははははは!」




 確かにあいつの言うとおりだ、俺には何も出来ない悔しい悔しい悔しい。




「それじゃあ、ハルカちゃんこの首輪をつけ給え。なあに心配しなくていい、能力を封じるだけさ。ショックで少し気を失うけど、その間に君には我々の手術を受けてもらう。そうするとどうだろうか、目覚めた後君は新世界へ目覚めるだろう。あはははは!」




 氷上は歩み寄るハルカの足元にごつくて黒い首輪を投げつけた。ハルカはそれを自分の首に当てる。




「駄目だ、駄目だってハルカ!!」




 俺の必死の呼びかけも虚しく、




「ごめんね、きっとこれが私の、化け物の運命なんだよ」




 彼女はその首輪を着けて、そしてあっさり気を失って倒れこんでしまった。




「ハルカ!!」




 怪我をさせないよう、滑りこみで彼女の身体を受け止める。まるで眠っているような、穏やかな顔だった。




「おい、起きろよ! しっかりしろって!」




 身体を揺さぶっても、ハルカは目を覚まさない。糞。糞、糞。




「ふふふ、彼女が手に入ればもう君たちは用無しだ」


「きゃっ!!」




 氷上は透子の首元からナイフを離して、透子を蹴り飛ばした。華奢な透子はその勢いのまま体育館の床を転がる。




「てめえ!」


「五月蝿い、君もさっさとその汚い手を彼女から放すんだ」




 食いかかった俺も、顔面を思いっきり殴られて吹っ飛んだ。痛い、口の中が切れた。後頭部をぶつけてしまったのか、意識がグラグラする。立ち上がれない。




「さあ行こうか、ハルカちゃん。ふふふ、世界の夜明けは近い」




 氷上はハルカを両腕で抱えて歩き出した。行かせない、行かせてたまるか。




「……待て、ふざけんなよお前」




 立ち上がれないなら、這っていけばいいだけの話だ。俺は氷上の脚にしがみついた。




「ちっ、しぶといねえ君も。いい加減諦めたら?」




 そう言いながら氷上はまた俺を蹴った。頬に革靴の先っぽがめり込む。それでも俺はしがみついた手を離さない。




「放せよ無能、ほら、放せって言ってるだろ」




 何度も何度も顔面を蹴られる。痛くて痛くて仕方がない。血だって沢山出ている。それでも、この手だけは絶対に放してはいけないのだ。




「ああ、もう! いい加減に、しろっ!!!!」




 氷上の脚を掴んでいた手を思いっきり踏みつけられた。




「が、うあああっ!!!」




 猛烈な痛みのせいで手に力が入らなくなって、俺は奴の脚を放してしまう。




「ふんっ! 君みたいなガキは、本当に嫌いだ! 死ね、死ね、死んでしまえ」




 うるさいお前が死ね、なんて言う余裕も与えられず、俺は何度も踏みつけられた。顔を、手を、腕を、肩を、腹を、脚を、何度も踏みつけられる。もう身体中が痛くって、何処も動かせない。それでも悔しくって、意識だけは手放せなかった。




「さよならだ、無能のガキ」




 氷上はハルカを抱えて悠々と歩いて行った。追わなければいけない、でも身体はまだ思い通り動いてくれない。




 それでも何とか上半身だけを起こして、去っていく氷上の頭目掛けてポケットに入っていた水鉄砲を投げつける。手に力が入らなかったので勢いは殆ど無い。まさにイタチの最後っ屁だ。だがしかし、山なりの軌道を描いて水鉄砲は見事に氷上の後頭部に命中した。氷上の頭にぶつかった後、水鉄砲はガチャンという音を立てて床に落ちる。




「貴様ぁ……!!」


「へっ、ざまあみや……うぐっ!!!!」




 つかつかと氷上は戻ってきて、もう一度俺を思いっきり蹴った。




「も、もう止めてよ!」


「五月蝿い!!」


「きゃあっ!」




 俺に駆け寄った透子も、氷上に蹴られて倒れこむ。




「と、透子……がはっ!」




 仰向けになった俺の腹を、氷上は踏みつけて足をグリグリと押し付ける。苦しい、痛い、死んでしまう。




「ふん……」




 しばらくそうした後、氷上は最後にあいつは俺の顔面にツバを吹きかけていった。




「…………ハルカぁ」




 呼びかけた俺の声に、返事はなかった。氷上の背中が、どんどん遠ざかっていって見えなくなった。


 涙で視界が滲む。


 負けた、俺はあの氷上という男に負けてしまったのだ。ハルカはあいつに連れ去られてテロリストどもの人形になってしまった。


 俺と透子はその後、もう二度とハルカに会うことはなかった。
















【バッドエンド】


【ゲームオーバー】


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