第19話
『な、なあお前、今のって……』
『…………………………』
目の前で怒ったことに対して呆然とする俺を前に、彼女は俯いて黙り込んだ。その表情はいつも明るい彼女とは正反対で、初めて見るものだった。
『………………ごめん、なさい』
しばらく黙り込んだ後、彼女は絞りだすようなか細い声でそう言った。
『今まで、騙してて、ごめんなさい……こんなの、こんなこと出来るのって、気持ち悪いよね』
彼女の目から、涙がこぼれだした。いつも元気な彼女が泣いている。女の子が、泣いている。俺が、泣かせてしまった。その事実に、俺はしばし言葉を失った。
『ごめんね、あはは……私、こんな……化け物にしか、見えないよね』
自分のことを化け物という彼女は、今までに見たことがないほど辛そうで寂しそうで悲しそうで。そんな彼女に俺は――
※ ※ ※
教室に戻っても遥香の姿は無かった。荷物もなかったし、どうやら俺と顔を合わせる前に逃げてしまったらしい。
「ったく、あいつ……」
探しに行くべきかとも考えたけど、今あいつに会って俺に何が言えるのだろうかと思ってしまって身体は動き出さなかった。仕方がないので席について授業を受けながら自分の混乱を落ち着けることにした。
「…………はあ」
そう、俺は混乱していた。というかあんな体験をして混乱しない奴なんているんだろうか。いない、絶対にいないと俺は断言する。
あの時、俺が柳井の代わりに崖下に落ちていった時、遥香は空から降ってきた。いや降ってきたというより飛んできたという方が正しいだろうか。まるでスーパーマンのように彼女は颯爽と空を飛び、落ちていく俺に追いついてその手を掴んだのだ。それからは何故だか落下のスピードが緩くなって、俺達は怪我一つなく地面に着地ができた。これを異常と言わず何といえばいいのだろうか。
――超能力、俺の頭に一番最初に浮かんできたのはこの言葉だった。マンガやアニメ、ゲームなんかで腐るほど登場するこの概念。恐らく彼女はそれか、それに準ずる能力を持っているに違いない。
まさか現実で遭遇するとは思ってもいなかった。もちろん彼女が超能力者とか、そういうファンタジーじみた存在ではない可能性もある。あの飛行や空中浮遊に何か科学的なトリックがあるのかもしれない。
だがしかし、あくまでそれは先程の現象単体で見た場合に成り立つ反論だ。幼馴染を名乗る謎の美少女が突然現れて、俺と柳井以外の全ての人たちはそれを認めている、というここに至るまでの状況も考えれば、無理にトリックだ手品だと考えるより、彼女が超能力者だという結論に至るほうが自然だ。
つまり彼女は超能力者で、その能力で人々を洗脳。『中庭遥香は遠山啓介・柳井透子の幼馴染だ』という認識を植えつけたのだ。
そう考えれば確かに今までの奇妙な状態への説明はつく。確かに超能力というぶっ飛んだ手法によってこの状態へ至った直接的な手段は説明がつくが、だがしかしそれだけでは重要なことを見過ごしているのだ。
「……どうしてあいつはこんなことしたんだ」
彼女が超能力者だったとして、この現象は彼女の洗脳能力によって引き起こされたとして、じゃあ彼女はどうしてこんなことをしたんだろうか? いわゆる犯行の動機とでもいうものだろうか、それがさっぱり分からない。それにどうしてその洗脳に俺と柳井だけはかかっていないのか、それだって説明が出来ない。
結局、肝心なことは何一つ分かっていなかった。遥香本人に話を聞かなければならないのだが、彼女は逃げて行ってしまったので今はそれも出来ない。
右隣の空席を眺めて、また一つため息。そこでふと、落下中に感じた謎の既視感について思い出した。あの時、俺は昔にも似たようなことがあったということを思ったのだが、一体どうしてそんなことを感じたのだろう。今まで俺は大きな怪我をしたことはないはずなのに、そうだというのに『確か昔にもこんなことがあった』などというぼんやりとした記憶が蘇ってきたのだ。あれは一体――
「……あ、あれ?」
何だったのだろう、と思い出そうと頭を捻っていると謎の頭痛が俺を襲った。別に風邪を引いている訳でもないし、肩が凝っている訳でもない。今まで何とも無かったのに謎の既視感について考え始めた途端、謎の頭痛が発生した。何だろうかこれは、まるで何かによってそのことを考えるのを妨害されているようだ。無視して思い出そうと続けると頭痛はどんどんとひどくなっていく。
「ぐ、ぐぬぬぬ……」
これはマズい、ズキズキとした痛みは高まり続けてまともな思考を続けるのが困難になってくる。痛みを回避するため、俺は必死に別のことを考えるようにした。今まで碌に聞いていなかった授業の内容を無理やり意識の中心に置いて、それ以外のことを考えないように試みる。
「……だ、駄目だ。さっぱり分からん」
黒板の文字や教科書、教師の話す内容を理解しようとしたものの、普段からマトモに授業を受けていないのでさっぱり理解できない。急に真面目になってみてもダメだということだろう。やはり勉強というのは日々の積み重ねが大切なのだと改めて実感した。実感したからどうということはないのだけれど、取り敢えず猛烈な頭痛からは解放されることが出来た。まあ、別の意味で若干頭が痛くなったが、それはこの際気にしないことにする。
『最近は変な夢も見るし、頭も痛くなるし……』
そういえば柳井もさっきこんなことを言っていた。もしかすると柳井も俺と同じような既視感、頭痛に襲われていたのだろうか。
「あ」
柳井のことを考えて、俺は大変なことを思い出してしまった。まずい、俺は柳井を探す。本来居るべき場所に、柳井の姿はない。そういえば遥香とのあまりにショッキングな出来事に、体調を崩した柳井のことを俺はすっかり忘れてしまっていた。あの時の柳井はかなり具合が悪そうだったので、もしかすると最悪あの体育館裏で倒れてしまっているかもしれない。
「まさかな、まさかそんなことあるわけ……」
ない、とは言い切れないのではないだろうか。特にあの頭痛を味わった後だと、そんな呑気なことを言ってはいられない。今初めてこの謎の頭痛を体験しただけでも、俺は精神的に大きなダメージを負ってしまった。もしこれが長期間頻繁に起こるようなら相当辛い。柳井の連絡先も知らないし、彼女を探しに行かなければ。
「せ、先生! ちょっと、具合が悪いので保健室に行ってきます!」
そうと決まれば躊躇している場合ではない。俺は勢い良く立ち上がってそう宣言する。
「は? 具合が悪いってお前……」
「はい、お腹とか頭とか猛烈に痛いんです、もう倒れそうです!」
「いや、元気じゃないか」
義史のツッコミが聞こえた気がするがお腹が痛いので返事はできないし、クラスメイトの呆然とした表情も視界が霞んでいるので見えない。
「んじゃ、そういうことで!」
「お、おい遠山、待ちなさい!!」
教室から走り去る猛烈に具合の悪い俺には、後ろで叫ぶ教師の声も聞こえないのだ。
授業中の静まり返った校舎を駆け抜けて、俺は体育館裏へと辿り着いた。教室からはそれなり距離があるため、運動不足の俺は到着する頃には息が上がってしまっていた。
「はあ、はあ……けっ、別にこんなに急いでくることもなかったか?」
肩で息をしながら、そんな悪態をついてしまう。
「け……ううん、遠山が運動不足なだけじゃない?」
それもそのはず、柳井は普通にそこに居たのだから。
「ずいぶん元気そうじゃねえか。」
柳井は体育館の壁に寄りかかりながら地べたに座っていた。多少顔色は悪いものの、意識もはっきりしているし先ほどのような焦燥感も感じない。
「元気、ね……。確かにさっきよりは体調はマシになったわ」
彼女の言う通り別れた時より体調は持ち直しているようだった。それは良いことなのだが、そんな彼女の様子に俺は違和感を覚えた。
「あんだよ、だったらさっさと教室来いよ……心配して損したっつーか」
「ふーん……私のこと心配してくれたんだ」
「そりゃあんな風に具合悪そうにしてたら普通は……」
「それにしては来るのが遅いんじゃない?」
「うぐ……その、すまんかった」
「別に、怒ってないわよ。あんたは私を助けてくれたんだしね。……ありがとう」
「お、おう……」
何だろう、柳井がやけに素直だ。思わず身構えてしまう。
「心配かけてごめんなさい」
やっぱり柳井は変だ。変だ、変過ぎる。俺の予想だと、柳井はこんなに落ち着いていないはずのだ。
「いや、その、うん。無事なら全然構わないんだけど……その、大丈夫なのか?」
「大丈夫って、何が?」
「何がって、お前……なあ、柳井もアレ見てたんだろ?」
『アレ』とはつまり俺が落下していく時のこと、落ちていく俺を遥香が不思議な能力で助けてくれたことだ。あれだけ遥香を怪しく思っていた柳井だ、あんな光景を目の当たりにしたのならこんなに落ち着いていられるはずがないのだ。それが俺の感じた違和感の正体だ。
「……ええ、見てたわよ。だからこそ気持ちを整理する時間が必要だった」
「気持ちの、整理?」
あの非現実的な出来事に面して、気持ちの整理なんて出来るのだろうか。この短時間でここまで落ち着くことなんてできるのだろうか。少なくとも俺には無理だった。今でも俺はあの出来事や謎の頭痛など突然起こったそれらで、頭の中はぐちゃぐちゃだった。
「……そっか、遠山はまだなんだ」
混乱する俺の様子を見て、柳井はそう言った。
「は? まだって一体どういう意味だよ?」
俺の問いかけに対して柳井は少し目を閉じて黙りこんだ。そして意を決したように目を開き、俺をまっすぐ見て話し始めた。
「遠山、私たちは……」
柳井が話し始めると、またしてもあの頭痛が俺を襲った。
「がっ……!」
しかも今度は最初から手加減なし、全力で俺の思考を妨害にかかってくる痛みだった。まるで俺に柳井の言葉を聞かせないようにするような、そんな絶妙なタイミング。何なんだよ、これは。
そんな時、そんな時だった。
「――――やあ。二人共、久しぶりじゃないか」
若い男が俺たちの前に現れた。年齢は二十代後半くらいだろうか。その男はスラっとした細身の長身で、まるでギャング映画にでも出てきそうな白いスーツ姿だった。男は爽やかな笑みを浮かべながら、軽い足取りでこちらへ近づいてきた。
久しぶりと男は行ったけれど、もちろん俺はこんな男に見覚えはない。
「あんたは……ぐっ!」
誰だと、そう言おうとしたところまたしても鋭い頭痛が俺を襲う。
『やあ、初めましてハルカちゃん』
痛む頭の中に一つの映像が浮かび上がる。畜生、何だよこれは。
『僕は君を助けに来た、いわば正義の味方ってやつかな?』
俺はこの男を、知っている。何時会ったのかは分からない。でも確かに俺はこいつを知っている。
「どうして、あんたがここに……」
今まで気だるそうに座っていた柳井は、いつの間にか立ち上がっていた。表情の変化に乏しい彼女だが、驚き戸惑っている様子がハッキリ見て取れた。
どうして柳井はこんなに驚いているのだろうか。柳井はこいつのことを知っているのだろうか。
「ああ、実に十年ぶりだろうか。全く懐かしいね、君たちは随分成長したようだ。特に君は随分雰囲気が変わったようだ」
「こ、来ないで!」
柳井の叫びを無視して、彼は悠々と歩みを進めた。
「僕が怖いのかい? そうだよねそうだよね、それはそうだよねえ。でもやっぱりショックだなあ、知り合いに拒絶されるっていうのは辛い。……おや啓介くん。君は」
男は俺の顔を見て、一瞬黙り込んだ。
「お前、何で俺の名前を知ってんだよ」
頭痛をこらえて、俺は男に問いかけた。男はしばらく俺と柳井の顔を見比べてから、
「……へえ、そういうこと」
――ニヤリと口元を釣り上げて笑った。全てを見透かすようなその笑顔に得体の知れない恐怖を感じて、身体が強張った。
「残念だなあ啓介くん。僕はこの十年間君のことを一日たりとも忘れたことなかったっていうのに」
「……何を、言ってるやがる?」
一体こいつは何者なんだ。俺はこの男の名前だって知らないというのに――
「氷上慎吾」
「え?」
「知りたかったんだろ、僕の名前」
そう言って男、氷上は愉快そうに笑う。どうして名前のことを考えていると分かったのか。
「ふふふ、この調子ならもうすぐ思い出せるかな? まあでも、別にもうすぐ死ぬんだから関係ないよね」
薄っぺらな笑顔を浮かべながら氷上が懐から取り出したのは、
「それじゃあ啓介くん、まずは君からだ」
「なっ……!」
黒光りする拳銃だった。突然現れたそれに思考が追いつかない。続く頭痛、現れたどこかで見覚えのある男、本物なのか分からない拳銃。急激な展開の変化に俺は付いて行くことができていなかった。
「でも大丈夫だよ、すぐに殺しはしない。君たちには大事な役割があるからね。死ぬのはそれを果たしてから」
しかしそれでも銃口はゆっくりと俺に向けられていく。
「よし、じゃあ始めようか」
「遠山っ!!」
柳井が俺に体当たりして来たのと、乾いた破裂音が耳に届いたのはほぼ同時だった。俺は訳が分からないまま、柳井に押し倒された。
「あれ、外れちゃったじゃないか。透子ちゃん、邪魔しないでくれるかい?」
俺の上に覆いかぶさる柳井の身体は、思った以上に柔らかくって、これは胸も思ったよりあるのかも、なんて場違いなことを思ったりした。
「ま、いいか。こうやって二人がくっついてくれてれば、銃弾も一発で済むしね」
そして彼はもう一度、俺達にその銃口を向ける。こいつは今、とんでもなく物騒なことを事も無げにあっさりと言った。それでようやく、命を狙われているのだと俺は実感した。実感して、体が震える。この男はおかしい、狂ってしまっている。
ここで氷上の凶弾に撃ちぬかれて、俺たちの人生は終わってしまうのだろか。唐突に、訳も分からないまま、殺されてしまうのか。そんなのは間違っている、許されない。こんな身勝手に人の命が奪われていいはずがない。俺はまだ死にたくない。何とか、何とかならないのか。ああ糞、引き金にかけられた氷上の指が――
「そこまでよ、氷上慎吾!!」
俺たちを撃ちぬくために動く直前だった。聞いたことのある女性の声が耳に飛び込んできた。
「おや、これはこれは……君も久しぶりだねえ。元気だったかい?」
「ええ。あなたが牢屋にぶち込まれていたお陰で、とっても快適だったわ」
いつもと同じ白衣姿ですみれ先生はそこに立っていた。しかし、いつもならば絶対に手にしない拳銃を彼女はその手に構えていた。どうしてここにすみれ先生がきたのか、そしてどうして先生までそんな物騒なものを持っているのか、更に混乱が続く。俺と柳井はまだ起き上がることが出来ずにいる。
「ははは、言うじゃないか。なるほど、僕を捕まえに来たのか」
「ええその通りよ。さあ、さっさと武器を捨てて大人しくなさい」
すみれ先生が持っている拳銃、本物かどうかは分からない。だけど氷上に向ける視線は真剣そのものだ。遊びでやっているとはとても思えない。
「嫌だね、僕はまたあそこに戻るつもりはない。僕にはやらなくちゃいけないことがあるんだ。分かるかい?」
「へえ、やらなくちゃいけないこと。その子たちに復讐することがそれなのかしら? 相変わらずしょうもない男ね」
「おっと、勘違いしないでくれよ。僕の目的は昔と変わってないよ、『革命』さ」
何なんだよ革命って、テロリストかよ。普段なら笑ってしまうようなちゃちな言葉、しかし命の危機に瀕した今それを笑うことなど出来なかった。
「彼らを狙ったのはその大きな目的の第一段階だよ。大いなる輝かしい未来へと向かうため、彼らには踏み台になってもらう」
「……やっぱりあなたは狂ってるわ。十年前とちっとも変わっていない。いや、もっとおかしくなってしまったみたいね」
『十年前』、この単語を耳にした途端また頭に痛みが走った。
「おかしいのは君たちのほうだよ。どうして政府の犬なんて続けて居るんだい? 僕達には能力がある、無能な人間どもを支配する力があるんだよ」
「妄言もそのあたりにしておきなさい、もうすぐ機関の増援が来るわ。いくらあなたでも多人数相手では」
「分が悪い、って? ふふふ、そうかもねえ。完全武装した部隊に囲まれたら流石の僕でもどうしようもないかもしれない。――それが十年前だったらね」
そう言って氷上は今までで一番邪悪な笑みを浮かべた。
「何を言って……くっ!」
笑う氷上とは対照的に、すみれ先生の表情が強張る。
「あれれ~、どうしたのかな? 早く僕を射殺したほうがいいんじゃないかなあ? そうしないと、僕は彼らを殺しちゃうよぉ?」
氷上は酷く愉快そうにそんなこと言った。暗い笑顔が輝きを増す。
「氷上、あなた何を……」
「流石に君みたいな高位の能力者だと完全に身体のコントロールを奪うことは無理だけど、それでも動きを封じるくらいは訳ない。僕だって十年間、黙って何もせずに閉じ込められてた訳じゃないのさ」
「このっ……あなた達、早く逃げなさい!!」
すみれ先生は俺達に退避を呼びかけた。事情はやっぱりさっぱり分からないが、どうやらすみれ先生は劣勢に立たされているようだ。
「でもすみれさん!」
柳井がすみれ先生に向かって反論の意を示す。確かに身動きの取れなくなったすみれ先生を一人で残して逃げることは出来ない。
「大丈夫、私にはすぐ増援が来るから! あなた達は」
「馬鹿だなあ、逃がすわけないだろ?」
氷上はそう言って俺たちを睨んだ。
「余計な動きをしたらすぐに撃つ、まあ動かなくてもこのままじゃ撃つことになるけどね。ああそれとすみれさん、君の言ってた増援だけどね、それも残念だけど期待できないよ」
「な、何を言ってるの? もうすぐそこまで……まさか」
すみれ先生の顔が青くなる。それと同時に、こちらに向かって走る重い足音がいくつも聞こえてきた。現れたのは十名ほどの完全武装した屈強な男たちだった。それはまさに映画でよく見るような人質救出に突入する特殊部隊さながらの風貌だった。
「あ、あなたちどうして馬鹿正直に敵の正面から一塊で来るのよ!? 何考えてるの!?」
その部隊の登場に、すみれ先生は焦った声をあげる。どうしたんだ、彼らは味方じゃなかったのか。
「はははははははははは!!! 残念、残念だったねえ! 彼らはもう、僕の操り人形さ!!」
「そ、そんな馬鹿な……」
氷上は心底愉快でたまらないというような声で笑った。武装した男たちは全員揃って虚ろな目で、携えた小銃をこちらに向けて構えた。一斉に向けられる銃口、拳銃一つとは比べ物にならない迫力だった。信じられないことに、どうやら本当にこの男たちは氷上に操られてしまっているらしい。
「どうして、対テレパス用の装備は万全に……」
「そんなちゃちな装備で僕の能力を防げると思っていたのかい? ははは、愚かだ愚かだ。どうだい君たち? これが僕の十年の成果、革命を果たすべく牢獄の中で磨き上げた能力だ。凄いだろう、怖いだろう。恐ろしいだろう? そりゃあそうだよねえ、僕は君たち劣った種族とは違うんだよ、支配者になるべき存在なのさ!」
氷上は恍惚の表情でこんなことを語った。その大きく見開かれた瞳からは彼の狂気が滲み出ていた。
すみれ先生の登場によって俺達は窮地を救われたかに思えたが、状況は絶望的なままだ。いや、むしろ部隊が氷上の駒になってしまったことで敵が増えてしまっている。
「さて二人共、待たせて悪かったね。これから君たちを適度に痛みつける」
「くっ……!」
いよいよ、万事休すか。俺は目を瞑ってやってくる衝撃に備えた。
「いい声で鳴いてくれよ、彼女が我慢できなくなるくらいにね」
氷上の言う『彼女』とは一体誰のことなのか。どうして俺達がこんな目に遭っているのか。そんなことを考える間も与えられずに――
「待って!!」
――その答えが、出た。
「お、お前……」
「はは、あはは………ははっ、あははははは、ようやく来た!! 待っていたよ!!」
「何で、来ちゃったのよ……」
「あなたは来ちゃダメだって言ったでしょう!?」
突如空から現れた彼女に俺は驚愕し、氷上は喜びの声を上げ、柳井は苦虫を噛み潰したような台詞を出し、すみれ先生は叱責の言葉を向けた。
「ごめんねすみれ。でも私、これを見過ごすことなんて絶対できない」
着地した彼女は――遥香はそう言って力強い視線を氷上へと向けた。
「二人を解放しなさい、氷上」
「久し振りだね、ハルカちゃん! 君を迎えに来たよ!! さあ僕といっしょにおいで、この腐った世界を一緒に作りなおそうじゃないか!」
氷上の言葉は遥香の命令の返事にはちっともなっていなかった。遥香の登場に舞い上がった氷上はなおも続ける。
「二人を解放しなさい、聞こえないの?」
「ああ、もちろん聞こえているよ。君が僕といっしょに来てくれるのなら、この二人は解放しよう!」
氷上の目的がおぼろげながら分かった。どうやら俺と柳井は、遥香を呼び出すための餌だったようだ。
「くっ、この卑怯者……」
「何とでも言うがいい、これは世界のために必要なことなんだ」
すみれ先生が漏らした言葉に、氷上は開き直ってそう答えた。
「ハルカちゃん、こいつのいうことなんて聞くこと無い! 絶対に行っちゃダメ!!」
俺のすぐ上に居る柳井が遥香に対して必死に叫ぶ。その叫びに遥香は柳井を柔らか笑みで見つめて、
「透子ちゃん……。そっか、思い出したんだ……」
そう言った。『思い出す』、またこの言葉だ。自分だけがこの状況に致命的に乗り遅れている、そんな気がしてならない。しかし頭が痛い、俺の頭痛は続いている。
「ごめんね、二人共。こんなことに巻き込んじゃって、本当にごめんなさい」
「……ハルカちゃん、ダメ。ダメだよ、やっと会えたのに」
柳井の目は涙で潤んでいた。こんな柳井の顔、俺は見たことがない。
『ううっ、ハルカちゃん……やだよぉ、お別れなんてやだよぉ』
「――っつ、がっ!!」
突き刺すような頭の痛みと共に、そんな映像が頭に蘇る。
もしかすると、俺が忘れているだけで、昔にも、こんなことが、あったのだろうか。
もう少し、もう少しで何かを思い出せそうな感じがする。あと一つ、何かきっかけがあれば全部が出てくるような、そんな気がしてならない。
「分かったわ氷上、あなたと一緒に行く。だから二人に危害は加えないで」
「ダメよハルカ!」
「行かないでハルカちゃん!!」
遥香は氷上にそう言って歩み寄っていく。すみれ先生と柳井の制止を無視して彼女は歩みを進めていく。
「ははは、物分かりがいいじゃないか。おっと、それ以上僕に近づく前にそれを付けてもらおうか」
氷上は近づいてくる遥香の足元に、何かを投げつけた。
「これは……」
「その首輪も懐かしいだろう? 効果はハルカちゃんも十年前に味わった通りさ」
「……分かったわ」
遥香は素直に足元の首輪を拾った。何だよ、首輪って。調教物のエロゲかよ。
「では、それを付けてくれ……はははは、さあいよいよ革命が始まるぞ、はははははは!!」
氷上は邪悪な笑いを隠すことなく振りまいた。
「ごめんね、すみれ。後のことは任せるから」
「…………ハルカ、あんたはやっぱりバカよ」
「うん、昔から迷惑かけっぱなしで本当にごめん。今までありがとう」
すみれ先生の声は、今にも泣き出しそうだった。どうしてこんなことになってしまったんだ。どうして、どうして。
「透子ちゃん。思い出してくれて、ありがとう。透子ちゃんとまた会えて、私本当に嬉しかった」
「……ハルカ、ちゃん」
どうしてもうこれでお別れのような雰囲気になっているんだ。何でだ、どうしてこんなに悲しい気分になるんだ。
『僕らの理念に従えないっていうなら簡単さ、頭にメスを入れて脳みそ弄って従順な人形にするだけさ』
氷上の声が、何故だか脳内に鳴り響いた。これは、俺の昔の記憶なのだろうか。恐ろしい内容だ。そんなことをされたら遥香は遥香でなくなってしまう。そんなことが許されるのだろうか。
『啓介くん、一緒に帰ろ?』
ここ数週間の遥香との記憶が脳裏に蘇る。
『ホントに!? ねえねえ、どこに行くの?』
放課後の寄り道に喜ぶ遥香の笑顔。
『ち、違うよ啓介くんのエッチ!』
俺のセクハラに顔を真赤にする遥香。
『啓介くん、晩御飯はどうせコンビニとかカップ麺とかでしょ? いつもそんなのじゃ身体に悪いよ』
俺の健康を心配して、料理を作ってきてくれた遥香。
『啓介くんは、一人なんかじゃないよ』
落ち込む俺のそばにいてくれた遥香。
『とにかく私は、啓介くんを一人になんてしないからね』
臭い台詞で俺を励ましてくれた遥香。
『だって私は、啓介くんの幼馴染だから』
中庭遥香、遥香、ハルカ、俺の幼馴染、大切な存在。
絶対に遥香を行かせてはいけない、止めなくちゃいけない、俺はこいつと離れ離れになんかなりたくない。俺はハルカを守らなくちゃいけない。
「行っちゃ、ダメだ!!」
すみれ先生と違って、俺の動きは封じられていない。身体は、俺の思った通りに動く。だから俺は立ち上がって氷上に飛びかかる。
「うおおおおおおおおお!!!!」
でかい声を出して、震える心に気合を入れる。
「け、啓介くん! 止めて!!」
ハルカの制止の声が聞こえるが、無視する。俺は彼女を守るために、氷上をぶん殴るのだ。
「うるさいな、黙れよ」
――そして俺は、
「だめええええええ!!!!!」
――氷上にあっけなく撃たれた。
「啓介くん!!」
「と、遠山!」
「遠山くん!」
気がつくと、俺は地面に倒されていた。地面に落ちた衝撃で一瞬息ができなくなって、
「がっあああ、うあ、ああああ!!!!」
その後、痛みが走った。身体がバラバラにされたような、今まで感じたことのないレベルの痛み。痛い痛い痛い痛い、それだけしか考えられない。
「全く、やっぱり君は人の話を聞かない奴だな。動くなと言っただろうに」
「氷上、あなたよくも……!」
「あれあれ透子ちゃん、君も痛い思いをしたいのかな?」
「くっ……!!」
「啓介くん、啓介くん!!」
気がつくと、ハルカが俺の顔をのぞき込んでいた。彼女は、泣いていた。泣きながら、俺の身体に触れる。
「大丈夫だからね、私がすぐに治してあげるから!」
バカ、こんなの治るわけが無いだろう。まさに土手っ腹に風穴開けられたんだぞ。俺のことなんてどうでもいいから、お前は柳井とすみれ先生を連れて氷上から逃げろよ。なんて思ったけど声にならなくって、
「さあハルカちゃん、早く僕と一緒に行こう。はははは、この世界の夜明けは近いぞ。ふはははははは!!」
氷上の不愉快な笑い声が、俺の最後の記憶となった。
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