第18話

 何だか彼女は朝から不機嫌で、こっちが目を合わせようとしてもすぐにそっぽを向かれてしまっていた。まあ別に彼女と仲良くしなくても俺の生活には全く影響なんて無いのだけれど、それでも何となく気になった。




「遠山、ちょっと」




 気になっていたので、昼休みに向こうから話しかけられたのは僥倖だった。




「何だよ、柳井?」


「いいから、来て」




 まだ弁当だって食べていないのに。柳井は俺の返事も聞かずに教室を出て行った。俺も慌ててそれに付いて行く。




「なあ、どこ行くんだ?」




 後ろを見ずにずんずん進んでいく柳井に、俺は後ろから声を掛けた。腹が減ったから手早く終わらせて弁当が食べたい。




「人のいないところよ」


「人のいないところって……お前俺にい、いや」


「いやらしいことをするつもりなんて、さらさら無いから」


「お、おう……」




 いつも通りの対応ではあるが、いつもよりも機嫌が悪い様に感じる。


 柳井の歩みは休むことなく進んでいって、ついに靴を履き替えて校舎からも出ることになった。そしてやってきたのが、




「……またここですか」


「ここが一番人が来ないしね」




 つい最近柳井に呼び出されたこともある体育館裏だった。今日も相変わらずここは静かで人気がない。




「んで、何の用だ?」


「中庭遥香の件よ」




 そうだろうな、という予想はついていた。その理由も大体なんとなくは考えつく。




「遠山、あんた一体どういうつもりなの?」




 俺に問いかける柳井はいつも通り表情の変化に乏しいものの、それでもその言葉からは明らかに怒気が感じ取れた。




「さって、何のことやら」


「とぼけないで。私、あの娘は危ないって言ったわよね? 信用するなって言ったわよね?」




 何だかあるヒロインにデレデレしてたらもう一人に嫉妬されたシチュエーションみたいで良いな、なんて呑気なことを俺は思った。だけどそんなことを口に出そうものなら、柳井にゴミを見るような目で見られることは必至だ。それはそれで悪くはないのだけれど。




「遠山、あんた前より彼女と仲良くなってない? 今朝も並んで登校してきたし」


「それは前からしてたろ」


「それはそうだけど、何か雰囲気が違ったっていうか……あと授業中も何か意味ありげに視線交わし合ってたじゃない」


「気のせいだろ」




 本当は突然教師に当てられて困った遥香が俺に助けを求めてきただけなのだが。




「それに遠山、あんたこれからあの娘とお弁当食べるつもりなんでしょ? さっき休み時間に楽しそうに話してたわよね」


「……気のせいだろ」


「嘘ね、今日のお弁当は中華らしいじゃない。あんたの好きな麻婆茄子、入っててよかったわね。随分喜んでたみたいだし」


「そこまで聞いてたのかよ……」




 柳井と俺達の席は離れているはずなんだが、どうして献立まで知っているのか。柳井ってヤンデレの気質があるんじゃないだろうか。




「改めて聞くわ。遠山、あんた一体どういうつもりなの?」




 柳井は鋭い眼差しで再び俺を問い詰めてきた。ここでまた俺がとぼける訳にはいかないだろう。一つ深呼吸をしてから、俺も真っ直ぐその目を見返して話を始めた。




「あいつに……遥香に害はないって、俺は判断した。つまりそういうことだよ」


「なっ……!」




 俺のその言葉に柳井は驚きと怒りとが混じったような表情をした。彼女が言葉を失っている間に、俺は話を続けた。




「確かにあいつが俺の幼馴染だなんていう記憶はないし、怪しいところも腐るほどある。それは分かってる」


「だったらどうして!?」


「でも何て言うかさ……それでもあいつが何か悪いことを企んでるとか、そういう風にはどうしても思えないんだよ」




 遥香の笑顔や行動に裏があるとは俺には思えなかったし、その存在に俺が少なからず救われているのも事実だ。




「あんた正気? あんな娘信じるの?」


「まあ全面的に、って訳じゃねえけどさ。あいつを信じたいって、そう思う」




 疑わしいところは沢山あるけれど、それでも俺は彼女に俺たちを騙そうだとか利用してやろうだとか、そういう意図があるとは信じたくなかった。あの無邪気な笑顔を、俺は信じたくなったのだ。




「何よ、それ……信じらんない」


「そっか」




 もちろん柳井にまで俺の気持ちを強要するつもりはない。俺と柳井、どちらが正しいだとか、そんなことは決められないし決めようとする必要もない。俺が遥香を信じたくなった、ただそれだけなのだ。




「……あんただけは、私の味方だって思ってたのに」


「別に俺はお前の敵になった訳じゃ」


「一緒よ、あの娘の存在を認めている時点であんたも他の人たちと一緒」




 吐き捨てるように柳井は言って、ふらふらとフェンスに歩み寄っていった。その足取りはいつも気丈な彼女とは異なり、非常に弱々しいものだった。




「おい、体調悪いのか?」


「……遠山には、関係ない」




 フェンスに寄りかかって、柳井は力なく空を仰いだ。よく見ると顔色も悪いし、目も充血している。




「もしかして、寝不足か?」


「だったら何だってのよ」




 問い返す柳井の表情は固い。




「……あんまり無理すんなよ」


「お気楽なあんたと違って、私は色々大変なのよ。最近は変な夢も見るし、頭も痛くなるし……」


「変な夢って何だ?」


「……別に、遠山には関係ないから」




 そう言って柳井は俺に背を向けて歩き出した。その足取りは相変わらず頼りなかった。


「おい、大丈夫かよ」




 追いついて柳井の腕を取ったが、




「いい、一人で歩ける」




 柳井はそう言いながら俺の手を振りほどき、こちらを一瞥もせずふらふらと歩いて行く。その背中はいつもより小さく、弱く見えた。やっぱり放っておけない。




「ああもう、いいから肩貸すってば!」


「いらないって言ってるでしょ! ……あっ!」




 差し出した俺の手は、先程よりも強く弾かれた。勢い良く身体を動かしたせいか、柳井はバランスを崩して、そのままふらふら数歩進み、崖とのフェンスに倒れ込んだ。いつもの彼女ならこんなことでバランスを崩すことなんて考えられない。肉体的な疲労と精神的なショックが重なって柳井はかなり弱っているようで、フェンスに身体を預けたまま中々体勢を戻せていない。全く強がりも大概にしてほしいものだと呆れながら、柳井を起き上がらせるためにフェンスに近づいていって、




「だから無理すんなって……っつ!!」




 そこで俺は柳井の寄りかかったフェンスが、今にも崖下に倒れていきそうなのに気がついた。




「柳井、危ない!!」


「……え?」




 柳井はフェンスが倒れそうなのに気がついていない。このままでは崖下に落下してしまう。糞、誰も近づかない場所だからフェンスも長いこと手入れされていないのだろう。ふざけやがって、これだから金のない公立高校は。俺は彼女を助けるために、柳井の方に駆け寄っていく。




「ぼさっとしてんじゃ、ねえっ!」




 間一髪で柳井の手を掴んで、こちら側へ引き寄せる。




「きゃあっ!」




 柳井は尻餅をついたが、何とか落下は防ぐことはできた。これで一安心だ。転落事故を見過ごすことは無くなった、柳井を助けることができたのだ。




「よ、良かったぜ、ははは」




 柳井は助けることができた。それは良かった、本当に良かった。良かったのだけれど、




「と、遠山!!」




 自分の勢いを殺し切ることが出来ず、柳井の代わりに絶壁へと落下していくことになってしまったのは、まあやっぱり全然全く良くない訳で。




 ああこれはかなりやばい事になったと呑気に考えながら、俺は頭から崖下へと突っ込んでいく。


 何だろう、前にもこんなことが会ったような気がする。


 バランスを崩して落ちていく女の子を助けて、代わりに自分が落下する。




「啓介くんっ!!!」




 ――そうそう、その時もこんなふうに上から俺を心配する声が聞こえてきたんだっけ。


 それでその後はどうなったんだったか。こんな風に落ちて行ったら、普通大怪我をするはずだ。そうだったんだろうか。


 あれ、でも俺今までそんな大怪我なんてした覚えはないな。じゃあその時は助かったんだっけか?




「掴まって!!」




 ああそうだ、助かったんだ。丁度今みたいに上から飛んできた彼女の手を言われたとおりに掴んだら、落下のスピードが急に緩くなって――




「へ?」




 ――そこまで考えて、今の異常な状態に俺は気がついた。




「ま、間に合って良かった~……」




 物理の成績が最悪な俺でもこの状況は普通でないと、それこくらいは分かる。




「な、え、おい、これ……」




 俺は彼女と一緒に、浮遊していた。重力に逆らって、崖の中腹をふわふわしながらゆっくりと下に向かっていた。まるで見えない力が俺たちを包み込んでいるようだった。




「啓介くん、何処も怪我してない?」


「あ、ああ……それは、大丈夫、だけど」


「なら良かった、ビックリしちゃったよもう~」




 いや、ビックリしているのはこっちだから。




「あんまり無理なことしちゃダメだからね、啓介くん」


「え、あ、おう……」




 いや、この物理法則に逆らった状態は無理じゃないのか、無茶じゃないのか。そんな考えが浮かんできてはいるのだけれど、この状態への驚きが圧倒的に勝っていて上手く言葉にすることが出来なかった。


 俺の混乱をよそに、そのまま俺達は崖下の地面へ、無事着地。




「ふう、これでよしっ……と」


「なあ、おい、お前」


「ん、どうかした?」




 深呼吸して気持ちを整理してから、俺は彼女に向かって話しかけた。




「まずは、その……助かった。ありがとう」


「えへへ、どういたしまして」




 彼女は照れたように笑みを浮かべながらそう返した。


 うん、よし。取り敢えずここまではオーケー。人に何かをしてもらったら、まずは御礼を言う。これは大切なことだ、うん。




「それで、だ……」




 よし、そしたらいよいよ本題に入ろう。




「うん、何?」




 さっきから、落下中からずっと気になっていたことを聞こうじゃないか。




「――なあ遥香、お前は何者なんだ?」




 俺の落下を不思議な力で助けてくれたのは、自称幼馴染で、信じようと決めたばかりの少女だったのだ。




「何者ってそりゃあ……………あ」


「いや何でここまで来て『やっちまった』みたいな顔するんだよ!!??」




 まるで俺の問いかけで初めて『自分のやったことに気づきました』と言わんばかりの反応だった。




「……ちょ、ちょっと急用が出来たから! またね、啓介くん!!」


「あ、おいちょっと待て! 逃げるな! 質問に答えろ! だから待てってば!!」




 遥香はとんでもないスピードで俺の目の前から走り去って行って、その姿はあっという間に見えなくなってしまった。




「は、ははは……これってもしかして、そういうことなのか?」




 俺の脳裏に屋上での柳井の言葉が蘇る。




『馬鹿ね、エスパーなんている訳……いや、そうとも言い切れないか……』






 大正解じゃねえかよ、畜生が。

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