第17話

『こ、こんなとこ入って大丈夫なの、啓介くん?』


『大丈夫だって、ほら早く来いよ』


『そうそう、早く来ないと置いて行っちゃうよー』




 その日俺達三人は、近所のどんぐり山と呼ばれる場所に遊びに来ていた。




『でもここ、立入禁止って』


『細かいことは気にすんなって』




 いつも大人しい彼女は怯えていたが、今日はここを探検すると決めていたのだ。立ち入り禁止だなんて関係ない、絶対にてっぺんまで登ってやる。




『私もついてるから大丈夫だよ、ね?』


『う、うん……』




 彼女とは正反対に、もう一方の少女は積極的だった。その励ましによって決意が固まったのか、おどおどしながらも付いてきた。隊列は俺が先頭、真ん中に怯えながら歩くロングヘアーの彼女、その後ろには積極的なショートヘアーという順番だ。


 どんぐり山の中は整備されていない状態だったが、俺達のように探検に来た悪ガキたちが踏み固めた獣道があった。その道を辿って、俺達は頂上を目指す。






『ひゃあっ! む、虫が服の中に入っちゃったよぉ~』


『はいはい、取ってあげるからじっとしてなさい』






『うぇ~ん、転んじゃったよぉ。歩けないよぉ』


『大丈夫か? ほら、おぶってやるから。ひとまず立てって』






『ほら啓介、ゴキブリ! ゴキブリって台所だけじゃなくて山の中にも居るんだね!!』


『馬鹿、お前そんなもん近づけんじゃねえよ!』








 そんなこんなの珍道中の経て、俺達は遂にどんぐり山の頂上までたどり着いた。昼過ぎに山に入ったのだが、もたついている内にすでに夕方、空は赤く染まっていた。




『ふぅ、やっと着いたな~。お前が寄り道するからだ』


『む、啓介が道間違うのが悪いんじゃんか』


『仕方ないだろ、俺も初めて来たんだし』




 口論する俺たち2人を尻目に、道中疲れきっていた彼女は喜びを爆発させていた。




『うわあ、いい眺め!! えへへ、ここまで来てよかったなあ~』


『途中からはほとんど俺がおぶってたんだけどな』


『うん、ありがとう啓介くん!』


『お、おう……』




 嫌味を言ったつもりが素直に御礼を言われて、俺は面食らってしまった。




『啓介、何照れてんの?』


『う、うるせえっての!』




 俺達は三人で頂上から見える夕焼けを、オレンジに染まる街を眺めた。山登りで火照った身体に、冷たい風が当たるのが気持ちよかった。




『あっちが俺んちの方だな』


『それであれがいつも遊んでる公園か』


『私の家は、ええっとぉ……』


『おい、あんまりそっち行くと危ないぞ』


『平気平気、大丈夫だって』




 彼女は自分の家が見える場所を探して、キョロキョロしながら歩いて行って。




『あ、見つけた! ほら、あっちの……うわっ!!』




 案の定ドン臭い彼女はバランスを崩して、急斜面へと倒れこんでいく。




『危ないっ!!』




 間一髪でそれに追いついて、俺は彼女の手を掴む。倒れそうな彼女の腕を思いっきり引っ張ってこちら側へ引き寄せることはできたが、自分の前へ進む勢いを殺すことが出来なくて俺は彼女の代わりに崖下へと倒れこんでいく。ああ、これはやばいかも。




『啓介くん!!』


『啓介っ!!』




 俺の名前を呼ぶ二人の声が聞こえたような、そんな気がした。




























※        ※        ※   


























 ――そして落下の衝撃で、俺は目を覚ました。




「……いてえ」




 気がつくと俺は自室のベッドから転げ落ちて、床に身体を横たえていた。何だか落下に関する夢を見ていたような気がするが、内容は思い出せなかった。




「そんなに寝相は悪いほうじゃないと思ってたんだけどな……」




 首や肩を回しながらそう呟いた。ベッドから落ちて目が覚めるなんて、生まれて初めてかもしれない。


 壁にかかった時計を見る。時刻は六時三十分ちょっと前、なるほどもう明るい訳だ。いつもの起きる時間までは、あと三十分ほどある。もう一度寝るにしては、あまり時間がない。丁度いいので今日はもう起きよう。




「ふぁ~、いい天気だなあ」




 カーテンを開いて大きく伸びをする。朝の日差しが眩しい。空には雲ひとつ無い。快晴だ。




「ん? あれは……」




 窓からは俺の家の門を開ける遥香の姿が見えた。その手にはカバンと、食料品が詰まっているスーパーの袋があった。




「……毎朝ご苦労なことで」




 これから多分あいつは俺の朝ごはんを作って、そして俺を起こしに来るんだろう。




「しょうがねえな……」




 折角起こしに来てくれるなら、俺は寝てなくてはならない。仕方がないので俺は落ちた掛け布団を持って、もう一度ベッドに戻った。


 ベッドに横になっていると、玄関が開く音と軽快な足音が聞こえてきた。遥香が家に入ってきたようだ。さて今日の朝ごはんは何だろうか。俺は基本的に朝は和食がいいと思っているが、たまには洋食もいいかもしれない。トーストにカリカリのベーコン、スクランブルエッグ。うん、お腹が減ってきた。朝ごはんが楽しみだ。


 と、リビングに向かうと思っていた足音は、階段を登って俺の部屋に近づいてきた。何だろうと思うが、ひとまず俺は寝たふりをして彼女の来訪に備えた。




「おはようございま~す……」




 ほとんど息だけの掠れた小さな声と共に、遥香はゆっくりとドアを開けて部屋に入ってきた。




「啓介くん、まだ寝てるよね?」




 ああ寝てるぜ、なんて返事はせずに俺は寝たふりを続けた。彼女が近づいてくる気配を感じる。




「ふふふ、今日は結構寝相いいんだね~」




 そりゃまあ、さっき整えたばっかだし。っていうか今日はって何だよ。いつも寝相悪いみたいな言い方しやがって。




「無防備な寝顔しちゃってもう」




 とか言いながら、遥香は俺の頬をツンツンと突く。




「ぐっすりだねー。どうせ昨日も遅くまでゲームやったりアニメ見てたりしてたんでしょ? 夜更かしはダメって言ってるのに」




 仕方ないだろ、そういうのは深夜のほうが捗るんだっての。だから嬉しそうにほっぺた突付くの止めろっての。こうなったらこっちだって考えがある。




「……ん、あ」




 ここらで俺も反撃に出ることにした。やられっぱなしは性に合わないのだ。




「あ、この辺にしないと起きちゃうかも。早く朝ごはん作って来ないと」




 彼女の指が離れて、気配が遠ざかる。部屋から出て居間へと向かうのだろう。ここで当初の目的は取り敢えず達成できたが、ここで反撃の手を緩める俺ではない。




「……ん……はる、か」


「へ? い、今私の名前、気のせいかな……」




 ふっ、気のせいじゃないぜ。今俺は確かにお前の名前を呼んだんだ。寝言で。




「…………はるか」


「気のせいじゃない、よね? 確かに今……寝言、だよね。もしかして私の夢でも見てるのかな。どんなのだろう」




 遠くなった彼女の気配が再び近づいてくる。




「……はるか、やめろ」


「や、やめろって、私何してるの?」


「だ、だめだってこんなところで……人に、見られる」


「え、え、え? なになに、何なの?」




 俺の寝言に焦る遥香の声が聞こえた。ぐふふ、作戦通りだ。




「おい、やめ、そんなところ舐めるなよ……くふっ、うあっ」


「…………………………………………」


「は、ああっ、そんなにされたら俺……もう、限界っ、だ」


「………………………………啓介くん」


「は、はるかぁ! 俺もう、もうっ!!」


「……………………起きてるでしょ」




 目を開けると、顔を真赤にしてこっちを厳しい目で睨む遥香の顔が飛び込んできた。




「ん? ああ、遥香じゃないか。おはよう。気持ちいい朝だな、色んな意味で」




 そんな遥香に俺は最高に爽やかな笑顔で朝の挨拶。




「も、もう啓介くんのエッチ! 朝ごはん作ってくる!!」


「はいは~い、何か今日は洋食の気分だからよろしくな~。あ、ウィンナーとか食いたかったら冷蔵庫に」


「そんなのいらないもんっ!!」




 愉快な朝だった。こういうのもきっと、悪くない。

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