第15話
『お、そろそろ六時じゃん。12チャンつけないと!』
『え~、まだオセロ終わってないよ?』
夕方六時からのお決まりのアニメを見るために、俺は彼女とのオセロを中断してテレビの前に陣取った。
『ダメなんだよ、俺は超魔界救世主ワタライを見ないといけないんだ』
ワタライは俺の大好きなロボットアニメだ。特に回を重ねるごとにどんどん変形能力を増やしていくのが良い。一番好きなのは攻撃力特化の剣神龍王丸だ。先週は武術の達人が操縦するロボットに自分の動きを先読みされて、全く刃が立たず絶体絶命のところで終わってしまった。続きがとても気になる。
『……本当にアニメが好きなんだね』
『俺はアニメだけじゃなくて、漫画もゲームも好きだぞ。お、始まった』
いつものオープニングテーマと共に放送がスタート、俺は彼女のことを意識の外に追い出してテレビにのめり込む。
『ふーん、何で?』
『んー……面白いからかなあ』
彼女の問いを適当に流す。前回とオープニングの映像が微妙に違うこともあるし、集中して見なければ。
『でも他にも面白いこと一杯あるよ。私は鬼ごっことか隠れんぼとか、だるまさんが転んだとかの方が好きだけどなあ』
『うん……』
『ねえねえ何で?』
『うん……』
『もう、聞いてる? ねえ、ねえー』
『あーもう、うるせえなあ』
俺はアニメに集中したいのに、彼女は構わず俺に話しかけてくる。何とか納得してもらわないと静かにアニメも見られない。
『あれだ、アニメはちゃんとハッピーエンドだからだよ』
『ハッピー、エンド?』
『そう、俺はハッピーエンドが、完璧な話が好きなの。正義は勝つのが好きなんだ』
適当に言ったことだったが、意外に筋が通っていると思った。
現実は上手くいかないことばかりだ。世界には犯罪が溢れているし,正義が必ず勝つとは限らない。それに現実の愛や恋も不完全だ。自分の両親のことを思えば、小学一年生でもそれくらいは分かる。
だけど物語のなかはそうではない。正義は一度は負けたとしても最後には勝つし、愛や恋は時に世界より重い。腐った現実よりも創作物の世界の方が完璧で美しい。
まあでも、そんなことは今は大事ではない。目の前のワタライに集中しなければ。
『ふーん、正義の味方が好きなの?』
『ん? ああ、そうだな……んおっ!? 鳳凰龍王丸のフィギュアかっけー!!』
すぐ隣りの彼女はそんな風に少し間違えた解釈をしているけれど、そんなことも大した問題ではないのだ。
※ ※ ※
重い気分で普段の通学路を辿って、遥香と別れ自宅の玄関へとたどり着く。ポケットから鍵を取り出して、鍵穴に入れる。
「挿入……なんちって」
こんなくだらない事を言えるのだから、俺もまだ本格的に落ち込んでいる訳ではないのだろう。虚しく一人で笑って鍵を回す。が、
「あ、あれ? 鍵、開いてる」
いつもと同じ方向に回しても、鍵の開く感覚は無い。どうしてだろうか、今朝も家を出るときはしっかり鍵を掛けたはずだ。それはしっかり覚えている。だというのに一体どうして開いているのか。嫌な汗が身体を伝う。もっとも考えられるのは、空き巣だろうか。確かにこの辺りは静かな住宅街で、人通りも多くない。その上我が家は住人が学生の俺しかいないため、昼間は無人だ。明らかに狙い目の物件だろう。まずはピッキングでこじ開けられた跡がないか鍵穴を調べてみる。
「特に傷はなし、か……」
鍵穴にこじ開けられたような跡は無い。だとしたらどうやって鍵は開けられたのか。どこかの窓を割ってそこから空き巣は侵入し、物色を終えて家から出るときに内側から鍵が開けられたのかも知れない。俺はそう考えて、庭の方に回りこんで空き巣が侵入した形跡がないかを探す。まだ空き巣が潜んでいる可能性もあるので、慎重に物音を立てないように歩いた。
まずは一階の居間に面した窓から見て、
「……え」
窓ガラスが割れているのより、もっと深刻な問題を俺は見つけてしまった。男が、リビングのソファに座ってテレビを見ながらくつろいでいた。空き巣だとしたら随分大胆で、マヌケなやつだ。いや、いっそ空き巣のほうが良かったと思うくらい、そこに存在するのは俺にとって厄介な人物。
「……マジ、かよ」
ソファで偉そうにくつろいでいるのは紛れもなく俺の父親、遠山慎太郎だった。
俺は自分の父親が苦手だ、いや嫌いと言ってもいい。偉そうで、高圧的で、何かあると意見も聞かずにすぐに怒鳴りつけてきて、嫌われる要素を沢山持ち合わせている。だから俺は彼が帰ってくる度、非常に重い気分になってしまうのだ。
「最悪だ、最低だ、ふざけんな」
そんな言葉が自然と口から出てきてしまうほど、俺は落ち込んでしまった。最後に顔を合わせてからどれくらい経ったのだろうか。多分俺が高校に入学してからは会っていないので、最低でも一年は経過していることになる。
何とか顔を合わせずに済まないだろうか。あいつに俺の帰宅を気取られず、自室に戻る方法。……玄関からこっそり入って二階の部屋に引きこもってしまうというのはどうだろう。よし、そうだそうしよう。今までのパターンから考えると、あいつが家に居るのなんて短時間だし、今晩中には間違いなくいなくなるはずだ。
意を決した俺は家の中にこっそりと入っていく。物音を立てないようにドアを開け閉めして、板張りの廊下を慎重に歩く。まさに抜き足差し足忍び足。我が家は居間を経由せずに二階に上がれる造りになっているので、この廊下と階段をクリアすれば自室に到達することが出来る。緊迫した潜入ミッションのスリルに鼓動が早くなるのを感じた。
さあ、あと少しで階段に差し掛かる。ここもゆっくり慎重に足音を立てないように――
「おい、何をしている」
――したところで、後ろから声を掛けられた。心臓が、止まるような思いがした。
「う、あ……」
ミッション失敗、見つかってしまった。潜入かくれんぼゲームであるならばアラートが周囲に鳴り響くシチュエーションだ。ノーアラートトロフィーの取得に失敗で即やり直し。だけどこれは現実で、ゲームのように相手を気絶させる能力なんかは俺は持っていないし、リセットボタンもない。この現実に向き合って、対処しなければならない。
「なんだ、お前か。空き巣か何かかと思ったぞ」
冷たい目で、平坦な口調で父さんはこう言った。
「……一年ぶりにあった息子に最初に向ける台詞がそれかよ」
「なら、一年ぶりに会う父親への挨拶はそれでいいのか?」
この男、更に腹が立つ事に頭の回転も早い。学歴も現在の職業も一流のエリートで、容姿も端麗。もしこいつのような奴が同級生いたとしても、俺とは住む世界が違いすぎて接点はないような、そんな人間だ。死んでしまえ。
「……どうして居るんだよ?」
「居たら悪いか? ここは俺の家だ」
「別に悪いとか、そういうことを聞いてんじゃねえよ……」
確かに言う通り、ここはこいつの家だ。こいつの稼いだ金で建てられて、こいつの稼いだ金で俺が生活している家なのだ。だから悪いなんてことは言えない。
「たまたまこの辺りで仕事があったからな、空いた時間に立ち寄っただけだ。すぐに帰る」
すぐに帰る、と父さんは今言ったが、それはこの家が彼にとっての帰る場所でないということだ。別にそのことに対して悲しいと思うことは全くない。やっぱりか、という気持ちしか起こらなかった。
「そうか、じゃあ俺は部屋に行くから」
これ以上話すこともないし話したくもないし、俺は自室に撤退することに決めた。
「ちょっと待て」
階段を登って逃げ出そうとした所で引き止められた。
「あんだよ」
「お前が戻ってくるまで時間があったからな、部屋にも入らせて貰った」
「なっ……」
父さんの言った内容に、思わず言葉が詰まってしまう。
「随分とひどい部屋じゃないか。あれか? お前、オタクってやつなのか? 模試の結果なんかも落ちていたから見せてもらったが、酷い有様だな」
ため息をついて、父さんは俺を冷たい目で見つめた。彼の言った内容を理解して、怒りが沸き上がってきた。
「ふざけんな、何勝手に入ってんだよ!?」
頭に血が登っているのが自分でも分かった。自分の大切なものを汚されてしまった怒りで一杯だった。
「俺はお前の保護者だからな、お前の生活を知る権利がある」
「ずっと放ったらかしにして今更何が保護者だよ!?」
「だったらお前は誰の金でこうやって生活しているんだ? 言ってみろ」
「くっ……!」
金、金、金。そればっかりで腹が立つ。だがしかし正論、こいつのいうことは誰が聞いても正論だ。正論だと分かっているが気に食わない。どうしても納得したくない、こいつの言っていることを認めたくない。
「俺の稼いだ金でお前はあんな下らないものに金をかけて、碌に勉強もせずヘラヘラ生活をしているなんてな。全くお前は救いようがないほど屑だな」
「……下らない、だと?」
今こいつは俺の大好きなものたちを、素晴らしいと思っているたちを『下らない』の一言で一蹴した。そこにどんな美しいものが、綺麗なものがあるのかも知らず、ただ勝手な価値観に基づいて否定したのだ。
「自分の息子が気持ちの悪いオタクに成り下がっているとは、恥ずかしいことこの上ないな。水ノ登高校に合格したときは中々だと思ったが、やはり育て方を間違えたか……」
許せないと思った。許してはいけないと思った。
「……俺は、あんたに育てられた覚えなんてない」
「何だと?」
威圧感のある声、表情、眼差し。震えそうになる身体を、声をぐっと堪える。
「それに俺はあんたみたいな父親が居ることのほうが、よっぽど恥ずかしい」
「おい、どういう意味だ」
「分からないのか? 意外に頭悪いんだな、あんたも」
俺の言葉に対して父さんの眼光が強まる。押し負けてはいけない。
「浮気して、家族捨てて、愛人と暮らして、子供まで作りやがって。そんな父親を恥ずかしいと思うのは可笑しいのかよ?」
こいつは、最低だ。最低の人間なのだ。汚い、穢らわしい。父親として一切尊敬するところのない、俺以上の屑なのだ。そんな奴がアニメを、ゲームを馬鹿にするだと。ふざけるな、お前にそんなことを言う資格があるわけないだろうが。
「愛を、恋を何だと思ってるんだよ!? ふざけんな、あんたが下らないって言ったエロゲの方が、アニメの方が! あんたよりよっぽど高尚なんだ、完璧なんだ!!」
「……ガキが、何を言っている。現実とゲームを一緒にするんじゃない」
自分の言っていることのほうが滅茶苦茶なのは分かっている。それでも止まらなかった。
「ともかく、あんたに俺の大事なものを否定される謂れなんかねえんだ!! 早く帰れよ、馬鹿、アホ、糞野郎!!」
小学生レベルの暴言を吐いて、俺は彼の目の前から逃げ去る。
「おい、待て啓介!!」
呼び止める声を無視して俺は家の外へと走っていった。もう一秒でも早く、父親から逃げ出したかった。
「はい、水瀬です。……はい、お疲れ様です。……ええ、こちらはまあ多少の問題はあるものの、上手くやっていますよ。概ね予定通りですかね。それで今日はどういった用件で……ええ、はい、彼ですか。もちろん覚えてますよ。今更どうしてその名前が…………脱走、ですって? ちょっと待って下さい、それはいつの話ですか? …………どうしてもっと早く気が付かなかったんです、って部長にそんなこと言っても仕方がないですね、申し訳ありません。……はい、こちらでも警戒します。そちらでも何か動きがあり次第、連絡下さい。……はい、それでは。…………よりによってこのタイミングであいつか。面倒なことになったわね……。仕方がない……ちっ、こういう時に電話出ないなんて、ったくもう……」
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