第14話
『本当に、いいの?』
彼女は玄関の前で尻込みしてしまって、中々玄関に入って来ようとしない。
『ああ、いいから早く入れって。ほら』
『ひ、引っ張らなくても大丈夫だってば』
じれったい彼女の手を引いて、俺は家の中に引き入れた。
『お、お邪魔します』
彼女のその台詞に、家の中からの反応は無かった。
『本当に誰もいないんだね』
『だから言ったろ?』
『うん……』
彼女は未だに不安そうに家の中を見回す。
『行くところが無いならさ、好きなだけここにいろよ。どうせ俺以外誰も帰ってきやしないんだから』
『お父さんも、お母さんも? 兄弟もいないの?』
『兄弟はいない。父さんはどっかに行った。母さんも仕事に行っててほとんど帰ってこない』
『そうなんだ……』
彼女は安心したような、悲しんでいるような、そんな微妙な表情で言った。
『あなたも私と一緒で、一人なんだ』
『そう、なのかな……でもさ、これからはきっと違うよ』
『え?』
俺は彼女と握ったて持ち上げて言った。
『一人と一人が合わさったらさ……ほら、もうこれで俺たちは一人じゃない』
『……あ』
『ほら上がれって、晩飯何にする?』
何だか照れくさかったので俺は話を逸らした。
『何でもいいけど……』
『ん~それじゃあ、俺の得意料理を食べさせてやるよ』
『得意料理って?』
『もやし丼!!』
※ ※ ※
「勉強が苦手で運動が得意。それで晩御飯を御裾分けしてくれる、ねえ。……他にもっと情報ないわけ? 特に勉強と運動の件は、私だって同じ現場にいたんだから知ってるわよ。今日はテスト前だから部活は休みだけど、私も暇な訳じゃないの」
このような報告を柳井にした所、思いっきり呆れた顔で見られた。特に遥香の胸についてのくだりを話した時の顔が最高に冷たかった。
「ま、まあ待て慌てるな。ここからが報告の本番だ」
俺と柳井は放課後、屋上で遥香についてのお互いの調査の結果を報告しあっていた。運良く俺達の他に生徒は誰もおらず二人きり。柳井はフェンスに寄りかかって腕組みをしながら俺の話を聞いていた。
「あいつさ、怪しい行動がたまにあるんだよ」
「怪しい行動って?」
「携帯電話が鳴ってさ、どっかに行くんだよ。そんで十分から十五分くらいで戻ってくるんだ」
この前の放課後昇降口で待たされたのと同じようなことが五、六回はあった。突然遥香の携帯に着信があって、彼女は何処かにいなくなって、しばらくすると何事もなかったかの様に戻ってくる。
「どっかってどこよ?」
「それが分からないんだよなあ」
「は? 何よそれ」
「本当に分からないんだよ。怪しいと思って何度か後をつけたことがあったんだけど、その度上手くまかれちゃって」
尾行しても彼女はいつの間にか俺の目を離れてしまうのだった。
「なるほど、やっぱり怪しいわね……」
柳井は顎に手を当てて考えこむ姿勢を取った。
「で、そっちは何か分かったのか?」
「……ええ、まあこっちもそれなりに」
柳井はフェンスに預けていた身体を起こし、一息ついてから話し始めた。
「まずは彼女に関する記録関係について調べたわ。生きていたら色々な記録が残るはずでしょ?」
「まあ、そりゃそうだな」
十六年間普通に生きている人間ならば、それなりの足跡というのが残るものである。そう、普通に生きている人間ならば、だ。
「住民票なんかはそう簡単に取れないから、手始めに小学校の卒業アルバムに彼女が居るかどうか、ここから調べ始めたの」
なるほど、遥香の言うとおり俺達が幼馴染だとするならばそこには必ず彼女がいるはずだ。
「小学校のにも中学校のにも、彼女は居た。クラスの集合写真には必ず写ってるし個人写真も合った」
「そうか……」
この調査では遥香は白、彼女の存在は肯定された。
「一応文集とかも確認したけど、やっぱりそこにも彼女の作文があったわ。残念ながら記録に関して、今のところ彼女に怪しいところはなかった」
「何だ、柳井も進展は無かったのか」
自分は大した情報も掴んでないくせに俺の報告に文句をつけるとは、何て酷い女だ。押し入れから卒業アルバム引っ張りだしただけで大したことしてないじゃないか。まったくそれだけで偉そうにしやがって、もっと働けよ。あれか、所詮口だけか。
「まだ話は終わってないわよ。大体卒業アルバム見て終わりな訳無いでしょう」
「そうだよな、あ、あはは……」
「あんた今、失礼なこと考えてたわよね」
「……お前、実はエスパーとか?」
「馬鹿ね、エスパーなんている訳……いや、そうとも言い切れないか……」
「柳井?」
「何でもない。ともかく、あんたの考えそうなことくらい簡単に分かるの」
俺ってそんなに考えが顔に出る人間なのだろうか。
「あの娘に関しての聞き込みをしたのよ、小学校や中学校の同級生を訪ねてね。もちろん昔の先生とかにもしたわよ。全部で三十人くらいかしら」
「お、おお……」
聞き込みとは、本格的な感じだ。やるじゃないか柳井透子。
「で、結果はどうだったんだ? 驚愕の新事実は?」
鼻息あらく俺は柳井に尋ねる。
「近い、離れて。残念ながら大した情報はつかめなかったわ。やっぱりみんな、彼女のことについて覚えてる」
「……そうですか」
結局聞き込みでも成果はゼロということか。彼女の正体は以前闇の中、か。
「でもね、そこでちょっと引っかかることがあったのよ」
だがしかし、柳井の話はまだ終わっていなかった。まるでここからが本番だと言わんばかりに俺に向き直った。
「確かに皆、彼女の存在を知っているし覚えている。でもね、彼女にまつわるエピソードが見つからないの」
「あいつにまつわるエピソードってどういうことだ?」
彼女の言いたいことが、俺にはいまいちピンとこなかった。
「そう、エピソード。具体的な記憶や印象、思い出、とか言ったほうが分かりやすいかもしれないわね。普通一緒に学校生活を過ごしたら、その人に対する具体的な思い出とかって一つや二つ出来るものでしょ?」
「……確かにそうだな」
俺が持っている柳井に関するエピソードは、中学時代の辞書の件だ。うわ、思い出しただけで何かイライラしてきた。
「それが彼女には、中庭遥香にはそういったものが無いのよ。誰に聞いても出てこないの。誰に聞いても出てくる言葉は二つ。普通の子だったっていうのと、私と遠山の幼馴染だっていうこと。これっておかしくない?」
存在に関しては皆記憶がある。しかし彼女がどんな人間だったか、それについては誰も覚えていない。名前と俺達の幼馴染という肩書き、それしかないスカスカの人物。それが柳井が聞き込みで得た、中庭遥香という人物像。三十人もの人に尋ねたのだから、存在感が薄いとか普通だとか、そういう言葉で片付けられる問題ではないだろう。
「ちなみに聞くけどさ、柳井は今までの俺に対するそういう思い出みたいなのってあるか?」
柳井と俺も一応約十年程知り合いを続けているのだ。柳井は俺のことをどういう人間だと思っていたのだろうか。
「そうね、それなりあるわよ。遠山、結構目立ってたし」
「そ、そうか。ははは、何か照れるなあ~。具体的にはどんな?」
「例えば小学二年の時、休み時間に学校の池に落ちて、泣きながらびしょ濡れで教室に帰って来たこととか」
「……そんなこともあったなあ」
「他には小学五年の時、朝の通学路で拾った如何わしい雑誌を教室まで持ってきて、よりにもよって授業中読み始めて没収されたとか」
「……は、ははは、あの頃は俺も若かったんだなあ」
「同じく小学五年の夏休み、捨てられた如何わしい写真集を探しに何人かで山に入っていって、あんただけ遭難して警察沙汰になったこととか」
「何でお前がそれを知ってるんだよ!? っていうかどうしてそんなに格好悪い話ばっかり出てくるんだ!?」
「仕方がないじゃない、遠山そういう奴なんだし」
柳井によって俺のの黒歴史を目の前でどんどん引きずり出されていく。当時の苦い記憶が蘇ってくる、最悪だ。
「後は中学二年の時……」
「もう止めて下さい」
「理科の実験で高い実験器具机から落っことして、先生にめちゃくちゃに怒られてたわね。結局その日はそれ以降授業にならなくってもう大変。クラス中皆大迷惑」
「鬼、悪魔!」
いやらしい笑みを浮かべながら柳井は続けた。こいつ実は、すっげえ性格悪いんじゃないだろうか。第一あれは誰にも言ってないけれど俺が落っことした訳じゃなくて――
「でも本当はあれ、遠山が落としたんじゃないんだよね」
「……え?」
――そう、柳井の言うとおり、あれを落としたのは俺じゃないのだ。
「実はあの実験器具、机から落としたのはあんたのすぐとなりに居た秋元さん。大人しい娘だったよね、懐かしい」
「いや、お前、どうしてそれを……」
「見てたから、秋元さんの肘がぶつかって落ちてくとこ。偶然だけどね」
柳井は事も無げにそう言った。
「あの先生普段から凄い怖かったし、気の弱い秋元さんは青い顔になって何にもできなくなっちゃって。それで代わりに同じ班だったあんたが怒られに行ったんだっけ」
四年前理科室で起きた出来事が脳裏に蘇ってくる。理科室に響くガラスが割れる音と、それを機に静まる変える教室、秋元の青い顔。その時の俺は、ああこいつやっちまったなあどうすんだよこれ高いんだぞ、ぐらいにしか思っていなかった。
「でもあれ、別に俺は秋元を庇おうとか」
「そういうことは別に思ってなかったんでしょ? それも見てれば分かったわよ。秋元さんが頭真っ白で何にもできなくなったから遠山が代わりに先生に片づけの指示を貰いに行って、そしたら先生にあんたが落としたんだと勘違いして怒られただけ」
またしても先回りして柳井はあの時の真実を語った。
「……なんだ。それじゃ俺が女の子庇って格好良かったっていう話じゃないのも分かってんのか」
「ええ。残念だったわね、正解よ」
結局柳井の思い出の中の俺は、格好悪いばかりということか。最後の話でちょっとだけ期待してしまったが、あえなくそれも叶わなかった。まあ自分でもそんなに格好の良い思い出が出てくる覚えなんて無いのだけれど。
「……でも最後まで本当のことを黙っていたっていうのは、ちょっと位は格好良いんじゃない?」
柳井はいたずらっぽく笑いながらそう言った。
こいつ、こんな顔で笑えるんだ。今まで約十年間彼女のことは知っていたけれど、こんな顔で笑う彼女を見るのは初めてだった。
その笑顔を見て俺は、
「柳井、お前もしかして」
「あんたのことは好きじゃないから安心して」
柳井がデレたのかと思ったが、そんなことはなかった。鉄壁だな、柳井透子。
「話が逸れたわね。中庭遥香、とにかく彼女の存在はおかしい所だらけってこと」
「でもあいつが何者なのか、この現象の原因は何なのか、俺達はどうすればいいのか。それは結局分からなかった訳だ」
具体的な彼女の怪しい点、不自然な点については調査によって明らかになってきている。だがしかし、結局肝心なところについては分からないままだった。
「そう、あんたの言う通り今のところあの娘の正体についての確証は得られていない。でも推測なら出来ると思う」
「なるほど。じゃあ柳井はあいつの正体、何だと思うんだ?」
俺の中での推論は①壮大なドッキリ説、②平行世界説、③中庭遥香宇宙人説、大きくこれら3つに分けられる。①に関しては一番現実的な話ではあるが目的が見えない。こんな一般人のために入念で壮大なドッキリを仕掛けるメリットなんてどこにもない。
続いて②、これはかなりSFっぽくて現実味に乏しいけれど、今の状況を考えるとありえない話ではない。俺と柳井が『幼馴染・中庭遥香のいる世界』に迷い込んできた、確かにその可能性はある。だがしかし今回の柳井の調査結果、中庭遥香の人物像はスカスカであるということを考慮にいれるとこれも違うような気がしてくる。
そうすると出てくるのは③、中庭遥香は宇宙人で皆を洗脳して地球人になりすましている、という説だ。だがしかし、この説にもやはり問題がある。なぜ俺と柳井だけはその洗脳を逃れているのか、この説はここがネックとなる。地球人に紛れ込むのが目的ならどうしてそんな不完全な洗脳を行い、なおかつその洗脳が不完全な相手に近づくような真似をするのか、そこに説明がつかない。
さて柳井はどんな説をぶち上げるのか。彼女はこの奇妙な現象を十分に説明できる仮説を立てることが出来たのだろうか。
「あくまで推測だから、笑わないで聞いて欲しいんだけど……」
柳井が話し始めようとしたその時、屋上の鉄扉が開く音と、ここの所聞き慣れてしまった声が聞こえてきた。
「あー、二人共こんなところにいたんだ! もう探しちゃったよ~」
噂をすれば影がさすとは、まさにこのことだろう。屋上に現れたのはこの話の中心人物、中庭遥香だった。
「ホームルームが終わるなり啓介くんも透子ちゃんもどこかに行っちゃうんだもん。気がついたら二人共いなくって、私ビックリしちゃったよもう」
「お、おう……」
遥香はニコニコ笑いながら、何の害意もなさそうな表情でこちらに近づいてきた。
「……随分とタイミングがいいのね。あなた、何しに来たの?」
遥香の表情と対照的に、柳井は非常に険しい顔付きをしていた。警戒心むき出しの鋭い口調で、柳井は遥香に問いかけた。
「一緒に帰ろうと思って。透子ちゃん、今日は部活休みなんでしょ? ねえねえ、今日は三人で帰ろうよ、ね?」
「どうして私を誘うの? 一体何が目的な訳?」
無邪気に語りかける遥香に、柳井はなおも厳しく問い詰める。
「どうしてって、もちろん透子ちゃんは私の幼馴染だから」
「はっ、またそれ? そんなのもう聞き飽きたわ」
遥香が最後まで言い切る前に、柳井は吐き捨てるようにそう言った。その顔からは遥香への不信感や、この状況に対するストレスが簡単に見て取れた。
「ねえ、もう隠し事は止めにして本当のことを全部教えてくれない? 何なのよあなたは、何なのよ幼馴染って? ふざけないで」
この時の柳井の表情は、今まで見た中で一番迫力があった。こんな顔で睨まれたら、俺ならばきっと本当のことを打ち明けてしまうに違いない。それ位、柳井は本気だった。
「……私は、ふざけてなんかないよ。透子ちゃんも啓介くんも、私の大事な幼馴染だもん」
だけど、遥香も負けていなかった。一歩も退かず真っ直ぐにに柳井の目を見て、自分の正しさを主張する。
「まだそんなことを……もういい、話にならない」
柳井はそう言い終わると、屋上の出口に向かって早足で歩き始めた。
「透子ちゃん待ってよ、どこに行くの?」
「決まってる、帰るのよ。……遠山、話はまた今度。あと、危ないと思ったらすぐ逃げるのよ。その娘、やっぱり私は信用出来ない」
柳井はそれだけ言い残して屋上を去った。重い鉄の扉が嫌な音を立てて閉まり、俺と遥香の二人だけが屋上に取り残された。
遥香は俯いて、しばらく何も言えずにその場に立ち尽くしていた。俺も遥香と同じように、黙って立っているだけだった。
彼女に何と言っていいのか、さっぱり分からなかった。俺も柳井の様に彼女を責めるべきなのか、それとも落ち込む彼女を慰めるべきなのか。いや、慰めるだなんて俺は一体何を考えているんだ。頭をブンブン振って、甘い思考を追い出す。中庭遥香は信用出来なくて、正体不明で、危険な存在なのだ。彼女を追及することはあっても、肩を持つことはできない。だから俺も遥香を糾弾するのが正解で、真相を問い詰めるのが正しい行いなのだ。
それは分かっている。もちろん分かっているのだけれど、
「……あはは。透子ちゃん、帰っちゃったね」
だけど俺は、彼女のこの苦笑いを偽物だと言い切ることが出来るのだろうか。
「……私達も、帰ろっか」
その答えは相変わらず分からなくて、やっぱり俺は何も言えなかった。きっとゲームの主人公なら目の前の美少女を信じて、悲しむ彼女を抱きしめたりするんだと思う。でも俺は現実に生きる冴えない童貞エロゲオタクで、そんなことをやってのける勇気は持ち合わせていなかった。
黙って立ち尽くす俺を見て、遥香は優しく笑って言った。
「啓介くんは、やっぱり優しいんだね。昔から、全然変わってない」
「……意味分かんねえよ」
やっと出た一言がこれだった。俺はちっとも優しくはないのだ。
「ふふっ、そうだね」
自分の格好悪さが浮き彫りになって、非常に落ち込む帰り道だった。
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