第13話
夕方の自宅に、聞き慣れたチャイムが鳴り響く。その時俺はちょうど居間にいて、夕飯の出前をピザ屋に注文しようとしていたところだった。
「……まさか、なあ」
どうせ新聞の勧誘かNHKの集金だろう。そんな面倒くさいものに付き合いたくはないので、俺は呼び出し音を無視してピザ屋のチラシを眺め続けた。もう一度チャイムが鳴る。だが俺はそれを無視した。
「誰も居ないですよーっと」
またチャイムが鳴る。当然俺はそれに応えない。だがしかし、チャイムは鳴り止まない。
「……いい加減諦めて帰れよな」
その後も俺は無視を続けたが、長かった音と音の間隔は俺を急かすように徐々に短くなって行き、そして最後には連打になった。甲高いチャイムの頭の音が隙間なく押し寄せてくる。
「ああもう、うるせえな!」
遂に妨害に耐えかねた俺は玄関へと歩いて行った。一体どんな非常識な奴が勧誘に来ているのだろうか。写真撮ってネットにアップしてやろうか、糞が。
「はい、どちら様!?」
精一杯の不機嫌な声で来訪者に問いかける。さて新聞かNHKか、はたまた宗教勧誘か。どれが来たって思いっきり突っぱねてやるから関係ないが。そう、第一声はもちろんきっぱりとした拒絶の言葉。断固とした意志を見せつけるのだ。息を大きく吸って俺は準備をする。相手が名乗った途端に間髪入れず断ってやろう。
「啓介くん、私。遥香だよ」
「間に合ってるんで!!」
「ええっ!? ちょ、ちょっと啓介くん、間に合ってるってどういうこと!?」
ドアの向こうから焦る声が聞こえる。どうやら、勧誘や訪問販売の類ではなかったようだ。
「悪い、質の悪い訪問販売とかだと思って……え」
扉を開けた先には自称幼馴染の少女が『私服姿』で立っていた。眩しいほど白いシャツワンピースにピタッとした細身のデニム、足元はちょっとしたリボンの付いた白いミュール。オマケに頭上にはツバの小さい麦わら帽子みたいなのまでかぶっている。初夏に相応しい爽やかな装い。カジュアルながらも清潔感があって、彼女には非常に似合っているものだった。
「ど、どうしたの啓介くん?」
「いや、その服……」
「似合ってないかな、おかしいかな?」
似合っていないわけがない。
「そういうことじゃないけど……」
夕方ちょっと隣家に来るのにしては、明らかに気合の入り過ぎな格好じゃないだろうか。まるでこれからデートにでも行くのかというような雰囲気が出ている。
「そっか、良かったあ~」
「んで、何しに来たんだよ?」
俺の言葉に安心する遥香。これ以上服装についての感想を求められても面倒なので、俺は話を先に進めた。こんな服を来て家に来るなんて、一体何の理由なのだろうか。
「あ、うん。はい、これ御裾分け」
遥香はそう言いながら大きめのタッパーを俺に手渡してきた。中身は、煮物だった。触れた手がほんのり温かかった。
「何だよ、これ?」
「煮物だよ? ニンジンとかタケノコとかサトイモとか……あとシイタケも。野菜沢山入ってるから」
「いや、それは見れば分かるっての。何のつもりだよ?」
「啓介くん、晩御飯はどうせコンビニとかカップ麺とかでしょ? いつもそんなのじゃ身体に悪いよ」
「……俺だって自炊位する」
「ご飯炊いてもやし炒め乗っけるだけのあれ? それだって偶にしかやらないでしょ。ほとんどがコンビニ弁当、カップ麺、ハンバーガー、牛丼、宅配ピザとかそんなのばっかりなのは分かってるんだから」
どうして俺の食生活についてこんなに詳細に知っているのか、と思ったがそれも今更な問いだということに気がついた。何故だか分からないが、こいつは俺のことを熟知している。それも小学校の時出したラブレターの恥ずかしい失敗談までも知っているのだ。
「これ、お前が作ったのか?」
「お母さんと一緒に、だけどね」
「お母さん、ねえ……」
中庭さんちに子供は居なかったので、こいつの言う『お母さん』に俺はやはり違和感を覚える。
「ねえ、何だったらこれから一緒に家で晩御飯食べない?」
遥香の提案は確かにちょっとは魅力的だ。オバサンの作る料理はとても美味しい。
「流石にそれは、遠慮しておく」
でもそこまで深入りすることは出来ない。確かに中庭さん夫妻とは長くてそれなりに深い親交があるけれど、越えてはならない一線というのはある。俺がお邪魔したとしても、おばさんもおじさんも何一つ嫌な顔はしないだろう。それどころか歓迎してくれるに違いない。
「えー、いい考えだと思ったのに」
だけど俺は、行かない。あの人達の優しさに、甘えてはいけないのだ。もし一度でも俺が中庭家に甘えてしまったら、きっと俺みたいな心の弱い人間はその優しさに際限なく甘えてしまうに違いない。依存してしまうに違いないのだ。
「俺は晩飯は一人でゆっくり食いたい人間なんだ。だからこの煮物だけは有りがたく受け取っとく。おばさんによろしく言っといてくれ」
「うん、分かった! ちゃんとバランスよく食事するんだよ?」
「……ああ、分かってるって」
全くこいつは俺の母親じゃないんだから止めて欲しい、と思ったが俺の母親はこんなことを言う人間では無かったし、もう一ヶ月ぐらい碌に顔を合わせていない。
「じゃあ、またね。あんまり夜更かししちゃダメだからね」
夜は俺にとって一番忙しい、充実した時間なのだ。夜やったほうがゲームも捗るし、アニメは深夜に多く放映されるし、掲示板は深夜が一番面白いし。早く寝るのは人生の楽しみを損失する。
「うるせえ、早く帰れっての」
「は~い」
何故だか楽しそうに笑いながら、遥香は隣の家へ帰っていった。俺はこっそりその様子を最後まで見ていたが、彼女はどこかに寄るわけでもなく真っ直ぐ自宅へ帰った。
「……もしかしてこのためだけに、あんなにおしゃれして来たのか?」
彼女はやはり、意味不明な少女であった。
遥香を見送ってから居間に戻る。折角煮物を貰ったわけだし、今日の晩御飯はこれをメインにしよう。
「後はご飯と……ご飯と、ええっと…………まあ、ご飯だけでいいか」
他の用意出来るほどの自炊スキルなんて俺には無いし、ここまで来たら出来合いの惣菜を買いに行くのもかったるいし、今日は献立は煮物とご飯のみにしよう。
早速冷凍庫から凍らせていたご飯を取り出して、レンジに突っ込む。以上、晩御飯の準備は終了した。面倒なので煮物はタッパーのまま食べる。
「味が染みてて、美味いなあ……」
居間に俺のつぶやきだけが響き渡った。当然ながら、返事などない。こんなことには慣れているから、特に寂しくも何ともない。寂しくはないが、静かな食卓で何となくしみじみ、色々なことを考えてしまう。
この食卓で家族三人揃って食事をしたのは、何時が最後だったろうか。古い記憶を辿っていく。父は真面目で厳しかったので苦手だったが、母さんは優しくて大好きだった。俺がまだ幼稚園に通っていたときは父さんの仕事は忙しかったけれど週末は家に居た気がする。母さんも働いて居なかったし、この頃はまだ俺の家族は崩壊していなかった。俺の小学校の入学式のお祝いも三人でした記憶がある。でもそれ以降、父さんと母さんと俺、三人揃ってこの食卓についた記憶が無い。
「……ってことは、あの件があったのもその辺りなのかなあ」
家族が今のような状態になってしまった直接的な原因、父さんの浮気発覚。言葉にすると実に平凡でありふれたこと、悲劇でも何でもないと思う。こんなのはお昼のドラマなんかでもよく見るし、現実でもいたるところで起きていることだ。そんなありふれた出来事だったけれど、それは俺の家族に大きな変化をもたらした。
ただ気がつくと父さんは家に滅多に帰ってこなくなり、終いには単身赴任。母さんも自分の仕事を始めて俺と顔を合わせる時間がどんどん少なくなっていって、最終的に今のような状態に至った。当時俺はまだ小学校に上がったばかりだったので、細かい事情は教えられなかったし、父さんと母さんがどんなやりとりをしたのかも知らされなかった。ただ気がつくと、こうなっていた。状況の変化は劇的だったが、しかしその物音は静かだった。
まあでも俺は昔から父さんが大嫌いだったから、彼が帰って来ないことにことについては昔から大歓迎だった。父さんは俺のやることなす事全て頭ごなしに否定して怒鳴りつけてきたのだ。居間でテレビアニメを見ていると「こんなものばかり見ていたら頭が悪くなるから本でも読んでいろ」と怒り、黙って本を呼んでいると「部屋の中に引きこもってばかりいるな、子供なら子供らしく外で元気に遊び回れ」と叱られた。言っていることが無茶苦茶、気分次第で俺を怒鳴るので俺は父さんが居る土日はいつでもビクビク過ごしていた記憶がある。
だから父さんが家に帰ってこないのは、本当に冗談抜きで、俺にとっては嬉しいことだったのだ。しかし彼の浮気のせいで母さんが仕事にのめり込んでしまい家に帰ってこなくなってしまった。それは幼い俺にとっては寂しかったので、安心と孤独感でプラスマイナスゼロといったところだっただろうか。
しかしそう考えると俺の『ほぼ一人暮らし』状態も、もう十年になるのか。
「そりゃあ慣れる訳だ……」
洗濯も掃除も自分でできるし、十分な生活費があるので唯一できない料理だって無理にする必要もない。だから今の俺の生活には何一つ不自由なものなんて無いのだ。むしろ今更この暮らしの自由を奪われる方がよっぽど迷惑だったりする。もし父さんが戻ってきて母さんも仕事の量を減らしたら、もしまた三人で暮らすことになったとしたら。そんなありえない想像を一人繰り広げて見る。
「…………俺の部屋見たら、父さんは間違いなく怒るだろうなあ」
父さんは非常に厳しい人物なので、こんなエロゲやギャルゲやアニメにマンガなどにまみれた俺の自堕落な生活を知ったら激怒するに違いない。
まあでも、そんなことをいくら考えたって仕方がない。父さんがこの家に帰って来ることなんて、ありやしないのだから。
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