第9話

「ただいまー」




 中庭家に到着すると、遥香は当然の様にそう言った。まあ、自分の家らしいのだから当たり前か。どうして俺がこんなところにやってきているのかというと、もちろん彼女の素性調査のためである。




『ねえねえ、もうすぐ中間試験だし一緒に勉強しない?』




 幸いにも帰り道に彼女からこのテンプレめいたお誘いの台詞があったので、理由を作るのは難しくなかった。




「……お邪魔します」


「もう啓介くん、しょっちゅう来てるんだしそんな他人行儀な言い方しなくてもいいのに」


「なるほど、俺はやっぱりここにしょっちゅう来てたんだな」




 そうすると俺と中庭さん夫妻との関係も、昨日までと大きく変わっていないと考えられるかもしれない。




「遥香、啓介くん、おかえりなさい~」


「わうわうっ!」




 エプロン姿のおばさんとラブが今から玄関へと出てきた。




「えへへっラブ、ただいまー」




 遥香はトロけそうな笑顔でラブを撫で、ラブもそれにされるがまま、嬉しそうに身体を摺り寄せている。




「……ラブ、昨日からお前、何かビッチだぞ」


「あうん?」




 そんなに見ず知らずの他人に懐く子じゃなかったはずなんだが。昨日柳井にしていたように尻尾をブンブンと振り、まるで遥香が十年来の親友だとでも言うような素振りだった。犬耳でババアでビッチとかキャラ濃すぎるだろ、全く攻略する気にならないヒロインだ。




「さ、上がって上がって。私の部屋行こ?」


「お、おう、分かった」




 俺は伊達に長年も中庭さんちのお隣さんをやっていない。家の構造はしっかりと分かっているのだ。さて、彼女の部屋は一体どこにあるのか。


 遥香は迷いなく二階へと向かっていく。確か二階にあるのは中庭夫妻の寝室と物置部屋だけだったはずだが。




「はいどうぞ、いらっしゃいませ」


「……やっぱりここがお前の部屋になってるのか」




 物置部屋のはずだった場所は、予想通り遥香の自室と化していた。




「ん? じゃあ私飲み物でも取ってくるね。啓介くん、何がいい?」


「……バナナジュース。手作りで頼む」


「う~んバナナジュース、しかも手作りか。……ちょっと時間かかっちゃうけどいい?」


「ああ、ゆっくりで構わない」


「了解、じゃあちょっと待っててね」


「急がなくていいからなー」




 部屋を出て行く遥香の後ろ姿に、釘を指すように俺はそう言った。




「さて、と……」




 手作りのバナナジュースとなれば多少の時間は稼げるはず。彼女を追い出してまで、俺がしなければならないこと、それはもちろん証拠物品の押収である。




「悪いが調べさせてもらうぜ……」




 女子の部屋を漁ることに罪悪感はあるものの、そうしなければならない立派な理由が俺にはあるのだ。証拠になりそうなもの、彼女の存在についての手がかりになりそうなものを俺は探す。


 まずは部屋の中をぐるっと見回す。女の子らしいぬいぐるみや雑貨などそういったものは殆ど無い、シンプルな印象を受ける部屋だった。




「……むしろ殺風景、って感じだな」




 ベッドにソファ、勉強机、全身鏡。必要な最低限な家具しかこの部屋にはなかった。普通この年頃の女子の部屋って、もっとキャピキャピしたもので溢れているんじゃないだろうか。無駄がない、というより生活感がない言ったほうがこの部屋にはしっくり来るような気がした。家具も新しいモノばかりだし、まるで昨日引っ越してきたばかりのような感じのする部屋だった。彼女はよっぽど几帳面で神経質な人間なのだろうか。




「ん? これって……」




 そんな部屋の中で1つだけ、異質なものを見つける。勉強机の上のボロボロの写真立て、そこに写っているのは、




「……俺、なのか?」




 幼い俺と、長い髪の女の子とショートカットの女の子が3人、手をつないでいた。




「何か変な写真だな、これ……」




 手にとって眺めてみる。写真の中の俺は何故か服もぼろぼろだし体中擦り傷だらけで、そしてさらにこれでもかって言うくらい満面の笑顔。長い髪の女の子は涙で顔がグシャグシャで、短い方の女の子も同じく涙を目尻に浮かべているが、それでもこちらは穏やかな笑みを浮かべている。




「一体どういう状況だよ……」




 自分の写っている写真ではあるが、こんな状況に全く覚えはないし、俺の両脇2人の女の子にも見覚えはない。




「でも多分、この部屋にあるってことは……」




 多分この顔をぐしゃぐしゃにして泣いているロングヘアーの女の子は、恐らく彼女に違いない。だとするならばこの写真は、俺と彼女が幼馴染である証拠に当たるのかもしれない。




「それを否定するために来たっていうのに、何てザマだ……」




 絶望感に、ため息をつく。周囲の人々の証言だけでは済まされす、物的証拠も出てきてしまった。ここまでくると、俺は彼女が幼馴染であるということを認めなければいけないのだろうか。




「でもやっぱ、記憶には一切ねえんだよなあ……」




 そうするとすみれ先生の言ったパラレルワールド説が有力になってくるのだろうか。俺は「中庭遥香という幼馴染がいる世界」に迷い込んできてしまった異邦人なのだろうか。そうならば元々この世界にいた俺はどこへ言ってしまったのか、そして元の世界の俺はどうなっているのだろうか。いくら考えても分からないことだらけだった。




「……とりあえず、他にも色々探してみるか」




 そう言った疑問をひとまず脇に置き、捜査を再開する。次に俺はクローゼットの扉に手をかけた。やましい気持ちなんて無い。全くない、一切ない。こういう大きなものが隠せる場所はやはり怪しい。




「中から死体が出てきたりして……」




 冗談交じりに言ってみるが、実際物騒なものが出てきた場合どうすればいいのだろうか。そう思うと扉を開くのに躊躇してしまう。




「そんなことあるわけ無い、そんなことあるわけ無いって!」




 自分にそう言い聞かせて、勢い良く扉を開く。果たしてクローゼットの中にあったものは、




「…………ですよねー」




 もちろん、当然、普通に洋服だった。制服とかコートとか透明の衣装ケース、そういった類のものしか見当たらなかった。制服やコートなどはこれまた几帳面に、クリーニングに出したときのようにビニールがかかっている。




「……よし、衣装ケースの中も一つずつ見ていくか」




 誤解しないで欲しい、やましい気持ちなんてこれっぽっちもない。俺は自分が置かれた異常な状態について、その打開のために調査をしているだけなのだ。正当な理由があって俺は引き出しの中を一つずつ、丁寧に、隅々まで捜査するのだ。




「これは必要なことなんだ、調べなきゃいけないんだ……」




 繰り返す。これは大義のための調査なのだ。だからそう、うっかり俺が彼女の下着なんかをたまたま、偶然見つけてしまったとしてもそれは仕方がないことなのだ。そしてそれらは重要な証拠物品、捜査資料なのだ。持ち帰って、徹底的に調べるのにも何ら問題はない。いや、むしろそうするべきなのだ。




「はあ……はあ……はあ……」




 極度の緊張で呼吸が乱れる、引き出しに触れる手が震える。落ち着け、落ち着くんだ俺。


 そうだ、一度深呼吸しよう。まずは大きく息を吸い込む。




「すー……」




 ああ、これが女の子の部屋の匂いなのか。よく分からないけれど、やっぱり俺の部屋とは違う気がする。どうしてだろうか、同じ人間なのに何が違うんだろうか。




「はー……」




 よし、少し落ち着いた。さあ、いざ開こうではないか。この禁断の箱を。楽園へと続く、この扉を!




「お待たせ~、手作りバナナジュースの完成でーす!」




 と、引き出しに手を掛けた瞬間元気よく遥香が部屋に戻ってくる。俺は最高速でクローゼットを閉じて何事もなかったかのようにその場を離れた。




「…………早かったんだな」


「えっへへ~、啓介くんのリクエストだし超特急で作って来ました」




 糞、余計な気を遣いやがって。折角のチャンスを逃してしまったじゃないか。残念だ、もちろん捜査が進められなくてという意味だ。彼女の下着を手に入れられなくて、という意味ではない。絶対にない。邪な気持ちなんてないのだ。全くないのだ、うん。




「何突っ立ってるの? さあ座って座って」




 彼女に勧められるまま、俺は部屋の中央に据えられたテーブルのそばに腰を下ろした。




「はい、座布団。どーぞ」


「お、おう」


「さあ、テスト勉強始めようか!」


「その前に、一ついいか?」


「ん、どうしたの?」




 このまま彼女に流されてしまっては、学校に居た時と一緒だ。まずはこちらのペースで会話をして、必要なことを伝えなければならない。




「……俺はさ、お前のことを知らないんだ」




 一呼吸置いてから、俺は話し始めた。




「もう啓介くん、またその話? 冗談にしてはしつこいよ」


「冗談じゃないんだ。本当に、俺は、お前のことを知らない。今朝起きたらいきなりお前が俺の幼馴染として存在していた。どうしてこんなことになったかは分からない。分からないけど。これは事実なんだ、すまない」




 もしここが俺の居た世界と別の世界だったとするなら、今ここにいる俺は彼女の望む俺ではない。だから俺は正直に話して、彼女に謝る。




「……啓介くん、本当に私のこと覚えてないの?」


「ああ、本当だ。俺はお前のことを知らない。俺には幼馴染は居なかった」




 確かに幼馴染がいる生活、それは魅力的なものだ。だがしかし彼女に流されるまま、彼女の幼馴染として存在するのは誠実ではない。




「そっか……」




 俺の言葉に、彼女はそう言ってしばらく黙りこむ。気まずい沈黙、中庭遥香は一体今、何を考えているのだろうか。表情をいくら覗いても、それは分からなかった。




「でもね、啓介くん」




 沈黙を切り裂くように彼女は言った。




「それでもやっぱり啓介くんは私の幼馴染だよ」


「だから、俺はお前のこと」


「啓介くんなら私のこと思い出してくれるって、私は信じてる」




 中庭遥香は笑っていた。穏やかで、優しい笑み。本当に言葉通り、俺に全面の信頼を寄せている。彼女の笑顔がそう物語っている。




「……そっか」




 今度は俺が、そう言った。




「うん、そうだよ」




 彼女の望む幼馴染の俺がどこかに居るならば、俺にこんなことを言われて彼女はきっととてつもなく悲しいはずだ。沢山の思い出を積み上げてきた幼馴染に、自分の存在を否定される。これほど悲しいことがあるだろうか。だがしかし、それでも彼女は、中庭遥香は笑っていた。穏やかに、俺のことを信じると、彼女のことを思い出すと信じると。




「……んな、馬鹿な」


「むぅ、私馬鹿じゃないもん」


「そういうことを言ってる訳じゃねえよ、バカ」


「あ、またバカって言った」




 俺は彼女に対して、どう接していけばいいのだろうか。彼女は何者なのか、善人なのか悪人なのか、やはりここまで来ても分からなかった。


 ただもう一つ、追加で分かったこと。


「バナナジュース、普通だよ」


「普通、かあ……。そういえばお昼のお弁当はどうだったかな?」


「……唐揚げが」


「唐揚げが?」


「唐揚げが……普通だったよ」


「また普通かあ。……ねえ啓介くん、何か厳しくない?」


「んなことねーよ」




 こいつの料理の腕は結構上手で、俺の好みを正確に突いてきている。


 全くもって、意味不明。

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