第6話
「……なあ義史、俺とうとう頭がおかしくなっちゃったのかもしれない」
教室に入るなり、俺は義史にそう言った。頭が混乱していた、誰かに聞いてもらわないとおかしくなりそうだった。いや、もう俺はとっくにおかしくなっているのかもしれない。
「おはよう啓介。やっと気づいたのか? お前の脳みそはとっくにグズグズのズブズブで最悪だったぞ」
お前にだけは言われたくない、その言葉を俺はグッと飲み込んだ。
「……ははは、そうだったな。俺遂に幻覚が見えるようになってしまったんだ」
「は、幻覚?」
「……そう、美少女の幼馴染が見えるようになっちゃったんだ」
見に覚えのない幼馴染が朝起きたら急に存在していたなんて、ホラー以外の何ものでもない。
「何いってんだお前?」
「その幻覚は嫌にリアルでさ、声が聞こえるとか姿が見えるとかそれだけじゃなくて、触れるし触ってくるんだよ」
「……大丈夫か啓介、熱でもあるのか?」
義史が心配そうに俺の顔を覗きこむ。おお親友、俺の苦悩を理解してくれるのか。ありがたい、こういう時ほど友人の存在というのが心の支えになるのだ。神は俺を見捨てていなかったのだ。神は存在したのだ。
「そうなの、啓介くんったら朝からずっとこの調子なんだよ」
ああ、また幻聴が聞こえる。もう止めてくれ、美少女なのは嬉しいが頭がおかしくなりそうなんだ。
「ああ、おはよう遥香ちゃん。啓介のやつ、どうしたんだ?」
「それが私にもさっぱり分からないの。妙によそよそしかったり、私のこと無視したり」
「…………なあ義史、お前もしかして、見えるのか?」
「啓介。いくらお前でも幼馴染を幻覚扱いとか、どうかしてると思うぜ?」
「…………神など、いなかった!」
どういうことだ、一体どういうことだ意味が分からない。俺には幼馴染なんていなかった、少なくとも昨日まではいなかったはずだ。今朝からだ、今朝起きたら謎の美少女が俺の部屋にいて、俺を起こして、俺の幼馴染だと名乗ってきて、友人までもが彼女の存在を認めている状態。異常だ、異常すぎる。俺がおかしいのか、それとも世界がおかしくなってしまったのか、どちらが正解なのか全く分からない。
「なあ義史、こいつ、やっぱ俺の幼馴染なのか!?」
「決まってんだろうが、本当にお前大丈夫か? 何か顔色も悪いぞ」
「あ、啓介くんまた夜更かししたんでしょ? 昨日も遅くまで部屋の電気ついてたし」
「ど、どこから見てやがった?」
「どこって、私の部屋の窓からだよ?」
「お、お前の部屋? どうしてお前の部屋から……はっ!」
ここまで言いかけて俺はとんでもないことに気がつく。自らを幼馴染だと名乗り、そして朝起こしにくる。それならば、もしかするとそれならば彼女は、
「お前の苗字はもしかして……『中庭』?」
彼女はひょっとすると、俺のお隣さんだったりするのではないだろうか。幼馴染と言うのは主人公の隣の家や近所に高確率に生息するものなのである。
「そうだけど、どうかした?」
「……マジ、かよ」
中庭さん夫妻はふたり暮らしで、ずっと子供が居なかったはずだ。それは間違いない。
「お、お前の両親の名前を言ってみろ!」
「何で? そんなの啓介くんだって知ってるでしょ」
「いいから、早く!」
「変なの。お父さんが隆之でお母さんが恵、これで満足した?」
「ぐ……正解だ」
少女は俺の問いに、事も無げに答えてみせた。
「ちょ、ちょっと待ってろ!!」
俺は携帯電話を持って廊下へとかけ出した。
『はい中庭です』
「あ、もしもしおばさん? 俺、啓介」
『あら啓介くん、どうしたのこんな時間に? 忘れ物は体操服? コンパス? 給食費?』
俺は彼女の言ったことの真偽について、中庭のおばさんに確かめるべく電話を掛けた。彼女と義史の馬鹿が俺を騙すために結託している可能性だってあるのだ。
「そういうんじゃないから! おばさん、遥香って女の子、知ってる?」
『え、啓介くん? 何言ってるの?』
よし、この反応は奴を知らないものだ。何だよあのエロゲ脳、俺を陥れるためにこんなドッキリを仕組むなんて、ふざけたことをするもんだ。俺の幼馴染フェチを利用してこんなことしやがって、許せねえ。
「ははは、そうだよねおばさん。そんな子知ってるわけ」
『あの娘がどうかしたの?』
「あったんですか……」
どんどん体中に嫌な汗が出てくる。
「ちなみにおばさん……その遥香って子はおばさんの」
これ以上聞きたくない、聞いてはいけないと頭の奥でサイレンが鳴り響く。
『もうさっきからおかしいわよ啓介くん。遥香は私の娘、そして啓介くんの幼馴染でしょ?』
「はは、ははは……」
『ちょっと啓介くん、本当に大丈夫? もしもし、もしも』
電話を切って俺は一人で笑う。おかしい、こんなのはおかしすぎる。だって有り得ないじゃないか。確かに俺は幼馴染が欲しいと思っていたけれど、幼馴染っていうのは急にできるものではない。時間が、絆が、幼馴染には必要不可欠なのだ。
「よし……」
まだ折れるな俺の心よ、突然現れた女子が俺の幼馴染だって? ふざけるな、そんな舐めたことは誰が許してもこの俺が許さない。幼馴染と呼ぶためには、厳しい条件をいくつもクリアしなければならないのだ。
教室に戻り、彼女と正面から対峙する。
「あ、おかえり。どこ行ってたの?」
「お前に幾つか質問がある!」
「もう、話聞いてよ」
「な、啓介ってホント人の話きかないよな」
彼女の抗議もアホな義史も無視して、俺は質問を始める。
「中庭さんちで飼ってる犬。名前は、犬種は、年齢は!?」
「ラブ、犬種はラブラドールレトリバー、10歳、メス」
「むむ、じゃあ俺の中学の時の部活は!?」
「剣道部、ちなみに私はテニス部だったよ。思い出した?」
「ぐぬぅ、俺の好きな食べ物は!?」
「ラーメン、味は醤油か豚骨」
「じゃ、じゃあえーっと……俺の好きなカップ麺は!?」
「ヤマモト食品のネギらーめん。いっつもそればっかり薬局で買ってるよね」
「小学校一年生の時の担任は!?」
「井上先生、優しい先生だったね」
「くそっ、小学校の時のアダ名は!?」
「アダ名? ……特になかったような気がするけど、強いて言うなら」
「やっぱいい、止めろ! 思い出させないでくれ!」
「ヤス、だよね」
「止めろって言っただろうがああああ!!」
小学校の時の俺の黒歴史が今、白日のもとに晒された。
「どう啓介くん、これで満足した?」
「ぐ、ぐぬぬ……」
分からない、どうしてこんなことまで知っているんだ。俺はこいつのことが全く記憶に無いのに、彼女は俺のことを何でも知っている。目の前の少女に、とてつもない恐怖を覚えた。鳥肌が立つ。
「なあなあ、ヤスってどういう意味?」
「確か小学校4年生くらいの時だったかな。啓介くんの書いたラブレターで」
「ストップ! それ以上言うんじゃない!」
封印しておきたい苦い思い出が掘り返されそうになるところで、彼女に制止を訴える。ラブレターの文中で俺は『YASでもNOでもいいから返事が欲しい』と、そう書いてしまったのだ。そして何故かそのラブレターはクラス中に晒されて、それからしばらく俺のアダ名はヤスだった。綴りミスから生まれた記憶から抹消したい俺のアダ名。そんな細かい経緯までバラされたら、恥ずかしすぎて逃げ出したくなる。引きこもってそのまま不登校になってしまう。
「言えば啓介くんも私のこと思い出すかなって思ったんだけど、どうかな?」
見知らぬ美少女はニコニコ笑いながら俺へプレッシャーをかけてくる。だがしかし俺はこの程度の圧力に屈したりはしないのだ。
「だ、だから俺はお前のことなんて……」
「その時書いたラブレターでね、啓介くんたら」
「分かった、思い出したから! もう止めろ!」
悪魔だ、この女は悪魔に違いない。やっぱり神なんていなかったのだ。
「はい、それでは啓介くん。私は誰ですか?」
「……中庭、遥香さんです」
「もう、いつも通り呼び捨てで構わないのに。それで、私は啓介くんの、何ですか?」
どうしてこんなことになってしまったのだろう、理由は分からない。
俺と世界、どっちがおかしくなってしまったのか、それも分からない。
彼女の正体も、狙いも一切不明。
「は、遥香は俺の……お、お、」
「お?」
ただ一つだけ分かることは、
「……幼馴染、です」
「はい、よく出来ました」
俺の日常は、変わってしまったということ。ただそれだけだった。
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