第2話
その日の放課後、俺は校舎のある場所にやってきていた。教室のあるA棟ではなく、特別教室の集まったB棟の最上階にそれは位置している。
「そういやこの辺、入学してから初めて来たかもしんねえな」
B棟四階にあるのは第二理科室、理科準備室、数学科職員室、地歴公民科職員室、多目的室B。まあ俺の高校生活にこれらの部屋は関わりがない。第二理科室は科学部の部室だし職員室なんて用はないし。そして俺の目の前のこの部屋にも、俺は用事もないし、世話になるつもりもなかった。
「なかったんだがなあ……」
もとは物置だった一室を片付けて出来たのがこの『生徒相談室』。他の教室の三分の一ほどの広さしかなさそうな狭い部屋。中には非常勤のカウンセラーがいて俺らの心の悩みを真摯に聞いてくれる、らしい。もちろんここに来るのは初めてだから、いまいち実態は分からない。
「ったく義史の野郎、俺を精神病扱いするなんて……」
ふざけやがって、何が『あなたは統合失調症の恐れがあります』だこの野郎。ニヤニヤしやがって糞が。脳みそズブズブのエロゲ脳にだけは決して言われたくない。
「はあ……」
やっぱり、こんなとこ行くの止めて帰ろうかなあ、なんてそんな考えが頭をよぎる。
「そうだよし今日は帰ろう、帰って昨日の深夜アニメを見返そう積んでるエロゲを消化しようそうだうんそうしよう」
そうして踵を返しこの場から立ち去ろうとした時、
「まあまあ君、寂しいこと言わないで。せっかくここまで来たんだから遠慮せずに寄っていきなさいよ、ね?」
背後の扉が開き、肩をぐっと掴まれた。振り返ると、
「うわ、美人だ」
思わず呟いてしまう程の美人がそこに立っていた。
「へえ、なかなか嬉しいこと言ってくれるじゃない」
俺の目の前に立つ白衣の女性がにやりと口元を釣り上げる。大人だ、非常にエロい顔だ、赤いフレームのメガネが似合っている。長くて茶色がかった髪の毛は後頭部でまとめられ、白く妖艶なうなじが覗く。そして何より、そのプロポーションが素晴らしい。白衣の下の赤いセーターが豊かな二つの丘からクビレへのラインを際立たせている。そしてタイトスカートと黒ストッキング。悩ましい腰つきと、そこからスラリと伸びた長い脚。ああやっぱり黒ストッキングって最高だよな、膝のとことかがこう微妙に透けてるっていうのがさ。
「じゃあ美人なお姉さんと、ちょっとお茶でもして行かない?」
「ナンパですか、お姉さん。全く、勘違いしないでくだい。自分はちょっと美人な女性に誘われたくらいでホイホイついて行くほど、安い男じゃないんです」
「……それは部屋に入って、しかも椅子にしっかり座ってから言う台詞かしら?」
「はっ……!!」
気がつくと俺は相談室の中に入って、備え付けられた椅子にバッチリ腰掛けていた。
「もしかして先生……エスパー、なんですか? 俺の身体のコントロールを奪って無理やり部屋の中に連れ込んだ訳ですね。なるほどこのあと俺はエッチなお姉さんに身体の自由を奪われたまま弄ばれちゃう訳なんですね」
「はあ……そんなことする訳無いでしょう」
「ええそうですよ、俺はあなたの期待通り童貞ですよ。あなたの大好物の童貞ですよ」
「人の好みを勝手に決めつけないでもらえる?」
「でも俺は身体の自由が奪われたって、決して屈服はしない。身体は墜ちても心だけは守りぬいて見せる! さあ、来い、早く来いお願いします早くしてくださいもう我慢出来ませんこの通りです!」
「……相変わらず面倒くさい子ね」
俺の土下座にぴくぴくしながら苦笑いする姿も素晴らしい、エロい、調教されたい。そのハイヒールで踏んで下さい。
「ん、相変わらず? 俺、先生と前に会ったことありましたっけ?」
こんな美人のカウンセラーがうちの高校にいたなんて知らなかった。知っていたらもっと早く来ていただろうに。用がなくても来ていただろうに。
「ああ、何でもない何でもない。それで、何か悩み相談かしら?」
「分かったナンパの常套句ですね! あれ君どっかであったことない? みたいな!」
「……もうそれでいいわ」
「先生はとんでもない逆ナンパ師ですね! エロいですね、最高ですね、このビッチが!!」
「……どうして私、今罵られてるのかしら」
ついに先生は頭を抱えてため息をついてしまった。いかん、美人を見るとついテンションが上がって妙なことを口走ってしまう。悪い癖だ。
「ごほん、私はカウンセラーの水瀬すみれです。よろしくね」
「はいすみれ先生、よろしくお願いします! 自分は遠山啓介と言います!」
「はい遠山くん、よろしくね」
「啓介くんで!」
「はい遠山くん、よろしくね」
「啓介くんで!」
「はい遠山くん、よろしくね」
「むしろけいちゃんで!」
「はい遠山くん、よろしくね」
「……ちっ」
「あら舌打ちなんて態度が悪いわよ、遠山くん?」
なかなか手ごわい女だ。だがしかしそれでこそ攻略のしがいがあるというものだ。
「それで遠山くん、今日はどんな御用かしら? まあ別に用がなくても気軽に来てくれて構わないのだけれど」
「……実はですね」
いつまでもふざけていたら日が暮れてしまう。そろそろ目的を果たそう。俺は最近感じる謎の視線について、すみれ先生に説明した。流石カウンセラーと言うべきか、先生は俺の話に口を挟まず最後まで聞いてくれた。
「ふむふむ、謎の視線ねえ」
「ええそうなんです。実害はないんすけど、何か気味が悪いっていうか……」
「そう、大変だったのね」
そう、とても大変だったのだ。特に俺のような思春期真っ盛りの男子高校生には重大な問題だ。
「はいとても大変です。特にどこが大変かというと見られてる気がして、おちおちオナ」
「うん、事情は分かったからその先は言わなくて結構よ」
「オナニーも出来ないんです」
「……言わなくていいって言ったのだけど?」
「ははは、すみません。自分ちょっと耳が悪いんですよ。もしあれだったら、膝枕して耳かきしてもらっても全然構わないんで」
「はあ、まったく君って子は……」
この部屋に入ってから、もう何回目かわからないすみれ先生のため息。俺に呆れてはいるが、それでも俺のことをバカにしてもいないし軽蔑してもいない。良い人だと思う。カウンセラーという立場だからか、それともこの人個人の性質なのか分からないが、ともかく俺はこの先生を好ましく思っている。初めて会ったとは思えないほど打ち解けられている。
「ふふっ。先生って、何だか変わってますね」
穏やかな気持ちになった俺は、すみれ先生に向かって渾身のイケメンスマイルを放ってみる。
「ふふっ。遠山くんにだけは言われたくないわ」
流石、鉄壁である。俺の必殺イケメンスマイルを食らって全く動じないなんて。ちなみに今までこれを受けた女の子は全員、俺と口を聞いてくれなくなった。皆照れちゃったんだな、まったくシャイなんだから。
「んで先生、俺はこの奇妙な現象に対して一体どうすればいいでしょうか?」
「そうねえ……」
顎に手を当てて考えこむすみれ先生。その姿も様になる、それだけで絵になるから美人って得だよなあ。
「まずはそうね、健全で健康な生活を心がけて見たらどうかしら?」
「健全で健康な生活、ですか?」
「ええそう。健全な精神は健康な肉体に宿るって言うでしょ?」
「俺、特に健康に問題はないと思うんですけどねえ……」
そんなもので俺の問題は解決するのだろうか。何だか胡散臭い。
「いいえ、そんなことないわ。まずその目の下のくま、結構夜更かししてるんじゃない?」
「うっ」
確かに深夜アニメは極力リアルタイムで見るようにしているし、ついゲームが盛り上がって夜更かししてしまうこともままある。
「深夜まで起きてるとお腹減るわよね。カップ麺とかよく食べちゃうんじゃない?」
「いやあ、深夜に食うラーメンって何であんなに美味いんですかね」
冷ご飯なんか入れちゃったりしたらもう堪らない。大好物だ。
「それに遠山くんは運動部じゃないし、運動も足りないんじゃない? 体育で張り切るタイプでも無いでしょうし」
「ぐふっ」
見抜かれている、俺と言う人間がこの人に見抜かれている。出会ってまだ1時間も立っていないのにこれだけのことを見抜かれるなんて、カウンセラーと言うのは恐ろしい存在だ。
「不規則な睡眠、不規則でジャンクな食事、足りない運動量。完璧ね遠山くん、あなたは不健康よ」
まさにごもっとも、仰る通りの正論でぐうの音も出ない。
「よく動いて、栄養のあるものをしっかり食べて、ぐっすり寝ることね。そうすればきっと大丈夫よ。まずはそこから始めましょう?」
「……はあ、そうですね」
先生もこの件については俺の気のせいだ、という結論に至ったらしい。少し残念だが、まあそりゃそうだ。そうとしか言いようがないことは自分でも分かっている。もしすみれ先生に、
『遠山くん、あなたは実は透明人間に見張られているのよ!』
とか言われても信じられるはずもない。あまりにも荒唐無稽で笑ってしまう。そんなこと、現実に起こりはしないのだ。最初から相談室に来てこの件が解決するなんて期待も大してなかったし、美人なお姉さんと会話できてラッキーくらいに思っておこう。
「そしたらすみれ先生が僕においしいご飯を作って、一緒に楽しく適度な運動をして、そして運動が終わったらそのまま同じベットでぐっすり眠る。これで問題は解決ですね!」
「本当にあなたの脳みそって不健康ね。こんな人、今まであなた以外に会ったこと無いわ」
「こんなの初めてってことですか? 僕が先生の初めての人って訳ですか?」
「ええ、もうそれで良いわ……」
何とか笑みを浮かべようとするすみれ先生の表情は、良い感じにエロかった。お腹が一杯になった俺は、すみれ先生に丁重にお礼をして相談室を後にした。また近いうちに来よう、そう決めた。
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