第9話

【俺は至って正常なんだが世間が狂っている】


九話


 夕焼けが沈んでいく中を、とびきり可愛い女の子と腕を絡ませて帰るなんて俺には無縁なことだと思っていたが、案外そうでもなかったみたいだ。

 でも、思っていた以上のドキドキはなく、なんだか冷めている。

 こんなもんなのか……なんて思ってると先輩の足が止まり、俺も引き留められた。

「どうしました? 急に止まって」

「こーはいくん! クレープ!」

 俺の腕に抱きつきながらお店の方を指して、ぴょんぴょん跳ねる先輩は子供が親に駄々をこねてるようにも見えなくもないが、一箇所だけ寧ろ大人らしい部分が上下左右にばいんばいん揺れ、俺の視線も吊られて動く。

「そうみたいですね」

「あれおっきい!」

「本当スイカみたいですねぇ……」

「スイカ?」

「こ、こっちの話です! それより行きましょう! 初デートですし俺の奢りでいいですよ!」

 そう言うと、先輩はぱあっと笑顔を咲かせ「うんっ!」と、言うと俺の後をトコトコ着いてきた。

「先輩は何にします?」

 ショーケースに並ぶ見本に目を落としつつ訊くと、先輩は一つの見本にかぶりつくように見入っていた。

「ギガスーパーメガビックスペシャルクレープ?」

 名前の通りに見本も大きく、値段も普通のに較べて十倍以上する。

「い、いやぁ……それは予想外というかやめません?」

「ダメ……かな?」

 なぜ大人が子供に対して財布の紐を緩めてしまうのかがよくわかった。上目遣いに涙目なんて反則だろ。

「……まあ、初デートだしいいですよ」

「やったー!」

 嬉しそうに笑う彼女が見れたんだし、安い買い物か……財布の中身がほとんど消えてもう十円玉が数枚しかないけど。

 数分後、甘い香りのする恐ろしいデカさのクレープが先輩の前に差し出された。

「本当に食べれます?」

「まっかせて!」

 先輩はそういうとクレープを口いっぱいに頬張り、食べ進めていく。口周りはクレープのクリームでベタベタだが、そんなところも子供っぽくて愛らしい。

「先輩。口出してください。拭きますから」

「ん!」

 先輩がこちらに向き直ると、クレープから白いベタベタしたものが先輩のはち切れんばかりの胸元に落ちた。

「きゃっ! ……もう、こーはいくん。出しすぎだよ」

「先輩がこぼすからでしょ? それに主語をつけてくださいね? ティッシュね? なんか、ひどい誤解を生みそうなので!」

 口元にもベッタリと白濁液が顔中に着いてる。やめろやめろ。俺の息子が元気ですかー! しちゃうでしょう?

「あー……胸にもかかっちゃった……」

 見ないようにしていたのにその一言で、俺の視線はそちらに釘付けになった。先輩は鬱陶しそうに胸を眺めながら制服のボタンを一個、また一個と上から外していく。

「せ、先輩!?」

「胸の間に落ちた……ベトベトして鬱陶しいの……とって?」

「そんなとこ取れるか! 自分で取ってくださいよ! クレープ持つんで」

 先輩からクレープを奪うように取ると、ちょっとずつ溶け始めていたアイスが先輩の程よい肉付きの脚や、顔にかかり大変なことになった。

「酷いなぁ。こーはいくんは。こんなにベトベトにして……」

「し、知りません! 早くどうにかしてくださいよ!」

 言いながらティッシュ箱を差し出す。

「……あーあ。ティッシュ無くなっちゃった。でも、甘くて美味しい!」

 程よい肉付きのモチモチとした太ももに付着したその白濁液を人差し指で綺麗に取ると、先輩は口元に持っていきぺろっと桜色の舌を出して指に付着した白いものを音を出して吸うように舐めとった。

「……どしたの? 前屈みになって」

 心頭滅却! 心頭滅却! ダメです! 童貞には堪えられません! 不味いわ……このままじゃ三年前と同じ。サードインパクトが!

「あ! 握りつぶさないでよ! クレープ!」

「あ……」

 手に力が入り、俺はクレープを潰していた。

「ご、ごめん……」

「まあ、結構食べれたしいっか……」

 とはいえ、このまま家に返す訳には行かない。胸元は透けてピンク色の下着がなんとなく分かる。これは目に毒だ。

「……一旦俺の家に寄ってってください。服とかは貸しますから」

「うんっ! いこー!」

「待ってくださいよ。って、家そっちじゃないし……」

「じゃあ……今日はお家デートだね!」

 そう言って恥ずかしそうにはにかむ先輩。

 違う。俺は家に彼女を連れ込みたかったわけでも、そういうことを期待しているわけでもない。

 そう。だから、これは未来ある男の子を思ってのことだ。今の先輩を普通に返してしまったら歪んだ性癖を持つ男の子がこの街に沢山生まれることになる。だから、決して、不純な動機がある訳では無い。

 俺のブレザーを先輩に貸して、なんとか隠しながら先輩を連れて家に帰ると、まだ母さんは帰ってきていなかった。

 少しその事実に安堵する。いや、なんで安堵してるんだろって感じなんだけど。

「おじゃましまーふ!」

 先輩はふ菓子を口に咥えながら両手いっぱいに駄菓子を抱えて、幸せそうに頬を綻ばせている。

「お邪魔されまーす……はっ!」

 俺は違和感を感じ財布の中身を背筋が凍る思いで見ると、財布に入っているのはレシートと、一円玉が二枚だけ。

 クレープ屋に居た時はまだちょっとはあったはずなのに……残りの金も使っちまったってのか。

「あ、これ、ありがと!」

「どういたしまして……」

 ……やっぱりそういうことらしい。

 ため息を吐きつつ彼女に視線をやると、依然として胸が透けていることには変わりなかった。

「お、お風呂はいってきちゃってください! タオルとかは用意しておきますから!」

「わかったーお風呂はどこかな?」

「出て突き当たりにありますから!」

「はーい!」

 手を広げてびゅーんと行く先輩を見送り、胸に手を当て一呼吸置く。

 ちょっとだけ冷静になれたが、母さんの服やらタオルやらをもって脱衣所に入ると、可愛らしい鼻歌が聞こえてきた。

 この先で先輩はあられもない姿に……

「って! いかんいかん……まだそういうのは早いんだし落ち着け俺」

 自分の頬を一発殴って床に目線を落とすと、ピンク色のヒラヒラとしたものがあった。

「こ、これは……さっきまで先輩の秘部をガードしていたレースとかレグとか名前がコロコロ変わるあれじゃないか……?」

 その一枚の布切れを前に俺はゴクリと生唾を飲み込む。

「んー? こーはいくん居るの?」

「あ、はい! 洗濯機の上に色々置いときますから! ししし、失礼しました!」

 女の子の着用していたあれの破壊力は凄まじい。この俺があとちょっとで手をかけてしまうところだった。危ない危ない。イエスパンティーノータッチ!

 駄菓子の件もそうだが、もっと気を引き締めなければ……

 それから暫く俺は座禅を組んで落ち着こうとするが、さっきのが逆に頭に浮かんできて全然落ち着かない。なんだよこれ! これになんの意味があるって言うんだ!

「あははっ! 頭抱えて何してるの?」

 覗き込むようにして先輩は俺の視界に現れた。

「な、なんでもないですよ!」

 視線を外そうとするが、蒸気しほんのり赤くなった頬や、しっとりと濡れた茶髪にいつもの先輩の子供っぽい感じはなく、大人の色っぽさを感じた。

「これ、ありがとね!」

 そう言って先輩は着ているもこふわパジャマをちょんちょんと伸ばしてみせた。三毛猫っぽいデザインでフードを被れば猫耳までこんにちはする逸品だ。でも、寝にくいからかフードは取られていた。

「それ母さんのパジャマだから別にいいよ。他にも犬とか羊なんかもある」

「知ってるよ! 私もこれ持ってるもん! でも……これちょっとこの辺りがキツい……」

 そう言って先輩は胸あたりを指した。

 刹那、ドンッ! と、廊下でなにかが倒れたような鈍い音がした。

「な、なんだ……?」

「なにか居るのかな?」

「確かにこのアパートは古いけど……そういうのじゃないだろ……きっと風とかだよな」

「えー! ロマンないなぁ。ユーレイ居たら楽しそう!」

「そんなの……あるわけないでしょう」

 恐る恐る俺らは廊下へと向かう。電気のついてない廊下は薄暗く、覗き込むだけでもちょっと勇気が必要だった。

「よし! 行くぞ!」

 ぱっと顔を出すと髪の長い女性が地面に手を付き、ゆっくりと這い寄って来る。

「さ、貞子……!」

「政子よ!」

 前に掛かった髪を退かしてそれは顔を見せだ。眉が寄っていたが、間違いなく母さんだった。

「……か、母さんか。驚かせないでくれよ」

「驚いたのはこっちよ! あの女っ気のなかった賢人か女の子連れてきてるんだもの! それにお風呂まで入れちゃって……何するつもりなの?」

 母さんは下卑た笑みを浮かべて、肘でつついてくる。

「な、何もしないよ!」

「お邪魔してまーす! 私、綾瀬沙織っていいます! この子の先輩です!」

「ふぅん……そっか。こういう子が好きなのね〜」

「だから違うって!」

「……違うの?」

「違わない訳でもないけど!」

 俺は先輩と顔を見合わせ、先輩は「えへへ」と、ニヤけた。なにこれ最高に恥ずかしいじゃねえか……

「そ、それより母さんなんで今日はこんなに早いの?」

「早く帰れる日があったってバチは当たらないわ。それに……ううん。なんでもない」

「そっか。あ、まだご飯作ってないんだ」

「別にいいのよ! それより貴方達は二人でイチャイチャしてなさい? 私がご飯作るから! 今夜はお赤飯よ! あ、沙織ちゃんも食べてくわよね?」

「いいんですか? やったー!」

「イチャイチャはしないから! それより大丈夫なんですか? 親御さん達が心配しません?」

「大丈夫! さっき連絡しておいたから!」

「そっか……てか母さんこそ大丈夫なの? ご飯作れるの?」

「最近お料理教室に通ってるの! だからね!煮付けとか作れるようになったのよー」

 確かに手には数枚の絆創膏が貼ってある。嘘ではないらしい。

「……じゃ、お願いしようかな」

「まっかせなさいな!」

 でも、なんでだろう?こんなにも充実してるって言うのになぜか、気分が晴れない。

 家族同然のように接してきたあいつの顔が。学校で別れた時に見せた悲しげな顔が今になっても脳裏をよぎるんだ。

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俺は至って正常なのだが、世間が狂っている クレハ @Kurehasan

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