第8話

【俺は至って正常なんだが世間が狂っている】


八話


「恋……か」

 二人みたいに相思相愛になれそうな相手なんか居ないし、俺にそんな相手が見つかるのだろうか?

 目の前で大人になっていく二人を見ていると、初めて危機感のようなものを感じた。

「なになに? 彼女作る気になったの?」

「か、母さん!? いつからそこに?」

 母さんは俺の部屋の前でニヤニヤしてる。

「でも、珍しいねえ。そんなこと言うなんて。母さんは嬉しいです!」

「俺は嬉しくないよ! どっか行って!」

「はいはーい。私はお仕事にでも行ってきますよ……」

「頑張って行ってきてください! ……今日はハンバーグ作っておくから」

 そう言うと母さんは子供みたいに瞳を輝かせて「うんっ!」と、言うと、鼻歌交じりに出て行った。

 部屋に居てもいい匂いがしてくる。

 あの日以来は朝ご飯だけは母さんが作ってくれるようになった。別にいいって前までは言っていただろうが、倒れたことを言われてしまうと弱い。

 母さんが作っていった朝ごはんと言えばなんだか母さんの成長を感じれるのだが、トーストや冷凍食品をチンするだけの簡単なものだ。

 まあ、母さんが作った飯を朝から食べるのはちょっとSAN値が下がりそうだから逆にありがたいが。

 なんだか久しぶりに感じるいつもの朝を自転車で駆け抜け、学校に着く。

 靴箱で上履きに履き替えているところで、吸い込まれそうな程に美しい赤い瞳と目が合った。刹那、そいつの拳が俺の顔に接触していた。

「……だから、なんで殴る?」

 櫻井はきょとんと首を傾げて、考えるように顎に手を当てた。

「目が合ったから?」

「お前は一昔前のヤンキーなのか?」

 そんな怖すぎる発言ができるんですかね? まあ、もう慣れたけど。

「女の極み目指してんで夜露死苦!」

「いや、冷静に考えたら昔のヤンキーもそこまでやってなかったよ。ということで君が一番だ。おめでとう」

 褒めたらもう一発殴られました。酷いね。

 でも、痛くないのは変わりないのでよしとするか。

「……そんなことより大丈夫なの?」

「あ、あぁ……大丈夫だよ。お見舞いありがとな」

「べ、べべべ別にお見舞いなんか行ってないし! 幻覚じゃないの!」

「お前は馬鹿なのか? これを貸してくれたのはお前だろ?」

 バックからノートを出して返してやると、櫻井は「あ……」と、思い出したかのように言った。

「そういうこった。お前、絵がまた上手くなったな」

「な、なんで!? 見たの!?」

 ノートを恥ずかしそうに抱いているが、もう手遅れなことに気が付いた方がいい。

「見たっていうかあんな色んなところに描いてれば目につくだろ。まあ、別にそんなことはいいんだ。頑張れよ」

「……え?」

「漫画家デビュー待ってるから」

 俺がそういうと何故か櫻井は俺の顔面に肘を入れてきた。流石にこれは痛い。

「……肘は固いだろうが! 肘は!」

「う、うるさい! いつまで昔のこと覚えてんのよ!」

「でも、いい絵だったぞ?」

「……もう! ありがと! じゃあね!」

 櫻井は怒りながらも、満面の笑顔でニコッと笑って、嬉しそうに去っていった。

「……なんなんだよ」

 誠に遺憾ではあるが、櫻井の浮かべた愛らしい笑顔に見とれてしまっていた。こんなのはおかしい。あいつは妹みたいなもんじゃないか……

 確かにあいつの事は嫌いではないし、さっきほんの一瞬可愛いって思ったのも確かだ。

 だが、何かが違う。アイツらとは明確に何かが違った。

 こいつとは小学校からの付き合いで完全に塞ぎ込んでいた俺に唯一、優しくしてくれた女の子だ。でも、それだけ。勘違いをしてはいけない。

 それにこれだけで好きだなんて決めてしまったら、本気で恋愛をしているヤツらに申し訳ない。だから、これはフェイクだ。この気持ちはいつも見ない彼女の一面を見てしまったから起きてしまった錯覚であり、嘘っぱちだ。

 自分にそう言い聞かせ、緩んでくる頬を叩いて矯正していると「全く、お前らを見ているとケツが痒くなるぞ!」なんて声が飛んできた。

 咄嗟に振り返ると、白衣を身にまとった宮岸先生は、長い黒髪を不機嫌そうに掻き乱し、ヒールをカツンカツン鳴らしてこちらにゆっくりと迫ってくる。

「な、なんですか?」

「はぁ……これだから青春とかいうのは嫌いなんだ。さっさとお前らはベロチューでもしてろ!」

「な、何言ってるんですか!?」

「じゃあ嫌いなのか?」

「……それとこれは話が別ですよ」

「あっそ。グズグズしてると誰かに取られちゃうぞ? あの子、結構人気あるしね」

「……俺には関係ないですよ」

「……そうか。んじゃ。私は先に教室行くな。あ、それとここは現実だ。セーブなんて出来ないからな。だから自分が納得できるまで悩めよ」

 先生はそう言うと、重たい足取りで階段を登って行った。

 別に元々俺のものじゃないのだが、あいつが居ることが当たり前で、これまで考えた事がなかった。彼女の横に俺以外の男が立っていることを想像しただけでどうしようもない喪失感が胸を締め付けてくる。

 それに俺には珍しくこのことについては答えはもう出てる。これは親心的なものだ。仮にあいつに彼氏が出来たって祝福してやれる……はず。そのはずなんだ。



「あ、こーはいくん!」

「賢人!」

 帰ろうと教室を出ると、左右から俺を呼ぶ可愛らしい声がした。これなんてエロゲ?

「先輩に……櫻井? どうしたんだ?」

 賢人か。久しぶりにあいつに下の名前で呼ばれたな。

 たるみそうになる口角を無理やり引き攣らせあげながら答える。

「あれ? 沙織先輩じゃないですか! どうしたんですか!?」

「あー! こーはいちゃんだ!」

 おいおい。その呼び方俺だけじゃなかったのね。それで多方面に伝わんのか? というか、沙織って言うんだ。告白までされたってのにまだ苗字も知らないけど。

 二人は俺の目の前で抱き合い顔を近づけ、百合百合し始めた。目の保養になるので俺的にはおっけーです! まあ、ともあれ。二人の関係は気になるよな。

「……二人は知り合いだったんだな?」

「まあねー! 中学校の頃の演劇部の先輩だよ! というか、知らないの?」

「うん。高校入るまでは知らなかったな」

 ここまで美人ならば中学校で会ってれば記憶に残るはずなんだが、全く見覚えがない。

 まあ、中学校時代は基本俯いて生活してたし当たり前っちゃ当たり前か。

「そうなんだー! まあいいや! こーはいくんデートしない?」

 先輩のエンジンがフルスロットル過ぎて、ローギアで走ってた俺にはその言葉の意味がわからなかった。

「……え?」

 横にいた櫻井も俺と同じなのかポカンとしている。

 だけど、デートの誘いなんて嬉しくないわけがない。あの手紙を貰った時と同じような感動があった。

「いいじゃん! デートしよーよ!」

 天真爛漫という言葉がぴったり枠に収まるような笑顔を先輩は浮かべていた。櫻井にちらりと視線をやると、櫻井は諦めたような顔をして俯く。

「……そっか。二人はそうなんだね。あはは……楽しんできてね。賢……いや、松平くん」

 彼女はどこか寂しそうに微笑むと、涙を流しながら廊下を走って去って行った。

「ありゃ? 行っちゃったね」

 そう言いながら先輩は俺の腕に身体を絡みつかせて、大きな胸を押し当てる。

「……いこ?」

 甘い誘惑に心臓が爆発しそうな程に脈打ってる。

 このまま流されてしまえば、いつか櫻井の涙なんて、忘れてあの二人のように幸せになれるはずだ。

「……はい」

 俺が頷くと先輩は嬉しそうに笑った。

 ……これでいいんだ。

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