第7話
【俺は至って正常なんだが世間が狂っている】
七話
翌朝、すっかり体調が良くなっていた俺は何個かの検査を受けて、その日の夕方には退院が決まり、病院から出ると夕焼けが眩しい。
ちょっと遅れてしまったが、言っておかなければならない。俺の決意も週末を挟んでしまったら残ってるかもわからない。決意も鮮度の良いうちに限る。
その日すぐに俺は陸斗の家に走って行った。陸斗の家は俺の家から結構近いので、荷物だけ玄関に放って彼の家に走った。
「あれ? 賢人?」
知った声がコンビニの前を通り掛かった所で聞こえてきた。
「あ、あぁ……その声……五代か?」
ぱっと目に入った一瞬、全く知らない別人に見えた。いつものあの堂々とした立ち振る舞いはなく、上下緑のジャージに髪もボサボサだし、眼鏡をかけてマスクをしている。
「う、うん……」
彼女はマスクを鼻の上辺りまで上げて、眼鏡越しのブラウンっぽい瞳くらいしか見えなくなってしまう。
「……その、ごめん。お前にも謝っとかないとって思ってさ」
「……ううん。私が悪いの。自分の体調くらい自分で管理出来ないであの子は……」
「……いや、俺が追い込んだんだ。ごめん。あの時は言い過ぎたよ……お前らの方がよっぽど覚悟して生きてたんだな……でも、なんで苦しいってわかってるのに子供が欲しいって思うんだ? 別にあいつと二人だっていいだろ?」
俺が聞くと彼女は空を見上げながら懐かしむような感じで言った。
「私さ、両親が共働きでずっと家に一人だったの。だから、お兄ちゃんとかお姉ちゃんとか妹や弟がすごく眩しく見えた。それにさ、時計の動く音くらいしか聞こえない物静かな家より、子供が壁紙破ったーとか壁に絵を描き始めたーとか、ワーワーギャーギャー騒がしい家の方が寂しくないしね」
それはなんとなくわかる気がする。
今の母さんが家にいる時は鬱陶しいくらいうるさいにしても、やっぱり一人の時間の方が多いから正直寂しかった。
まあ、そんなことは恥ずかしかったし、迷惑をかけたくなかったから言えなかったけど。
「……でもさ、やっぱり子供が子供を作るのは間違ってるんだろうね」
そう言って彼女は冗談でも言うように笑ってみせた。でも、その顔は無理をしている顔だってのは、彼女と深い関わりをしてきてなかった俺にもよくわかるものだった。
「……確かに子供が子供を作るのは間違ってるとは思う。けれど、しっかりなりたい理想を持ってるじゃないか。俺にはまだそれがない……だから、おまえら見てるとかっこいいって思う」
「……かっこいいかな?」
「あぁ。すげぇよ」
まだ何一つ決めてない俺には彼女らは遠くの人に見える。年は同じはずなのに……
「それは違うな」
急に肩から腕を回され、イケメンオーラの全くない生きてんのかも死んでんのかも分からないようなそいつは、くさった死体みたいな目で俺を捉えた。
「おま! 何時から居たよ!?」
「美咲と会うところらへんから」
奴は笑ってみせたが、やはり元気がないのは見て取れる。でも、腐ってもイケメンであることには変わりなく、普通の赤いジャージ姿だってのに妙に映えていた。
「最初っから居たのかよ……で? 何が違うって?」
「……それはただ人前でカッコつけてただけだ。まだ何も分かってないのに立ち姿だけ立派に見せようと頑張っていただけ。でもさ、それじゃ足りないんだよ。何もかも」
「出来るさ。お前らならな」
「……なぁ。もう、やめてくれないか? 俺らにはまだ早かったんだよ。お前の理想を俺らに押し付けるのは……やめろ。正直うんざりしてんだよ」
彼の目が鋭く光る。正直ギョッとした。やつのこんな姿は初めて見るから。でも……俺はこいつらの友人……いや、親友だ。
「大丈夫……お前らならな」
「そういうのをやめろって言ってんだよ! 気持ち悪いお前の理想は! 幻想はもう無いんだよ! 幻なんだ! それにお前だって言ってたじゃねえか。子供が子供を作るもんじゃねえって!」
俺の胸ぐらを掴み、壁に俺を叩きつける。痛い。だけど、彼らの方が絶対に痛いはずだ。だから、親友として一緒に背負ってやらないといけないんだ。それが俺の罪だから。
「……確かにその通りだ。でも、お前はいい父親になってやるって言ったじゃねえか! あの覚悟は嘘なのか!?」
俺は掴まれながらも同じように胸倉を掴み返す。
「……そんな覚悟出来るわけねえだろ」
奴は身体を震わせ、俺から手を離した。
「怖いんだ……俺だって」
あれは背負ってる奴の顔だ。何も背負ってない俺にはもう、何も言う資格はないような気がする。でも、それでも言わなければならない。俺が変えてしまったんだ。なら、また戻すもの俺の役目だ!
ベチン。というムチで叩いたかのような音が聞こえた。
「馬鹿! あんたがそんなんでどうするのよ!」
俺なんかより先に五代が動いていた。
「……もう、お前を傷つけたくないんだ」
奴は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしながら、殴られた部分を抑えて彼女を見据えた。
「……私、二人きりなんて嫌よ。何があったって子供を産んでやるんだから!」
彼女の意思は堅い。傍から見ているだけでもよくわかる。多分、コンビニを利用しに来たお客様にでもよくご理解頂けるだろう。
「美咲……お前……」
「寂しいのはもう嫌だから。それにあんたはどうなの? 子供欲しくないの?」
「……そりゃ欲しいに決まってるだろ。クラスメイトとかみんな子供を作って幸せそうだったし、大きくなった子供と外で野球とかサッカーとかやりたい……絶対それって最高に充実してんじゃん……でも、お前を失うのだけは嫌だ」
彼は何をそこまで懸念しているのだろうか? 今は子供を産んで死ぬなんてことないのに。
「……なぁ。なんでそこまで心配するんだ?」
「そ、それは……」
そう質問すると、ピクリと眉が動いた。
「……なにか病院で言われたのか?」
彼は俯き、なにも言わなかった。グッと拳に力を入れて。
「……最近、SNSとかニュースとかで話題になってる事件知ってるか?」
「いや、知らないけど……」
「……最近ニュースになってたろ? 都内の大学病院で死んじゃったっていう」
「……あ、あぁ。確かにあったな」
「……あれさ、まだ一般には公開されてないみたいだけど、病気だったんだって。お腹の子供と一緒になって生きて、 子供を繭みたいに包んで母体にも根を張る。それが透明でCTとか使っても分からないし、身体から異常な数値も出ない。寧ろ、子供の成長を手助けまでするらしい……」
「……それっていいことなんじゃないのか?」
「……いや、それが違うんだ。母親に必要な栄養素まで奪い、寄生……いや、共生するんだ。で、子供と母親が離れた時、母親が必要な栄養素までも一緒に取ってしまうことになり衰弱して死に至る……」
「……で、でも、ここは日本だぜ? 医学だって世界と比べたってトップクラスじゃないか」
「……その日本で死んだんだろ。人がさ」
その一言で、まるで世界中が死滅してしまったんじゃないかと思わせるような静けさがやってきた。車道を走る車も、後ろのコンビニからも何一つ音を発さない。無の世界だ。
「……そのくらい知ってる。でもね。やっぱり私、子供欲しい」
そんな空気を壊したのは彼女の意思だった。こんなの部外者の俺が口を挟める訳が無い。もう、この場は彼らの時間だった。
「……もうやめてくれ。頼むから……お願い。危険を冒してまで子供を作るなんて……嫌だ……」
いつもイケメンな陸斗の顔がクシャッと歪んだ。
「……陸斗。一回しか言わないからよく聞いてね。私さ、本当に陸斗が好き。だから、欲しいの赤ちゃんが……本当はそれだけなんだ。だから、止められないよ。この気持ちは……」
五代はレンズ越しにただ真っ直ぐに陸斗を捉えた。その瞳からは大粒の涙が流れ、マスクを濡らしていく。
「泣……く……なよ……俺だって……俺だって好きだ! 大大大好きだ! この世で一番愛してる! ……だから、嫌なんだ。君を失うことだけは……」
そう言って彼は彼女に近寄っていったが、彼女はそれを手で押しのけて拒絶した。
「……弱気な陸斗は嫌い。いつだって全力なあなたが私は好き」
それから暫くシーンとしていて、この場にいるだけでも足が震えてくるような緊張感のようなものすらもあった。
怖い。けれど、俺にはこれを見届ける理由があるし、俺は親友だ。ここで引くわけには行かねえ。
「……お前、言ったじゃねえか。立派な父親になるってよ。あれは嘘なのか?」
彼は何も答えを出さなかった。
「……じゃあ、問い方を変える。本当にしろ。これ以上彼女に嘘なんてつくな」
俺がそう言うと、イケメンがイケメンらしくはにかんで。
「……馬鹿野郎。嘘なんて言ってねえよ。それに好きな女の涙なんてこれ以上見たくねえ……しな」
陸斗は彼女を強く強く、抱き締めた。彼の顔はグッシャグシャで歪み散らかしているし、彼女と同じく大量の涙を流し、ワンワンと泣きじゃくっている。男なのに泣くなんてしょうもない。と、思える奴だっているだろう。でも、俺の目にはいつものイケメンな陸斗が写っていた。
「かっこいいじゃねえか……畜生……」
もらい泣きなんて生まれてこのかた一度も無かったのに……俺からも涙が溢れてくる。あの日から俺の涙腺が脆くなっちまった気がするぜ。
「……俺も覚悟決めるよ。美咲だけに背負わせない。病気なんてこの気持ち一つでどうにでもしてやらぁ!」
拳を空に高く上げて、彼はそんなことを言った。でも、案外どうにかなるのかもしれない。
「何それ」
五代はふっと笑った。
「病気は気からってな! ならないって思ったらならねえんだよ! あんなもん! そうだよな賢人」
「あぁ。そうだな……俺もそう思う。負けねえ強い意志さえあれば何にだって臆することは無いさ」
「……ありがとな。おかけで決心がついた。俺、子供作るよ」
「あぁ。頑張れ!」
俺は二人の背中をパシン。と、叩いてやる。すると、二人は痛そうに背中を摩ってはいたが、笑って「おう!」「うん!」と、それぞれ返事をして見せた。
さっきの弱々しい彼らの姿もうそこにはなく、いつもの二人が理想の形で俺の前に立っている。
二人の問題は解決、したのかもしれない。でも、俺の中にあるしこりはどんどんと膨らみ、それが影になる。俺にあんな関係が築けるのだろうか? 不安は募るばかりだ。
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