第5話

【俺は至って正常なんだか世間が狂っている】


五話


「あーあ。イケメンはいいよなぁ」

 ベッドにダイブして枕に顔を埋めて出た言葉がそれだった。

 あの容姿で子供も最愛の人との間に出来てるとか人生勝ち組過ぎんだろ。思い出しただけで、あの時出来たシコリがどんどん膨らんでいくように感じる。

 ため息をついて程よくガス抜きをしつつ、ゲームを起動した。こんな時はゲームをして鬱憤を発散するのが一番だ。

 それから何分かやっていたが、そのシコリが無くなることは無く、一方的に胸の奥で膨らみ続ける。

 二人は子供を作るってことを改めて考え直し、一寸先は闇のはずなのに、彼らは以前より一層いい顔をするようになった。

 何故、二人はあんなにキラキラと輝いて見えてしまうのだろうか?

 やはり答えなんか出ないまま、二人の観察をする日々がまた始まった。

 いつもよりちょっと早めに家を出ると「あ、こーはいくんだ!」と、元気一杯な声が飛んできた。

 声の方を見やると、明るめの茶髪を肩にかからないくらいに伸ばし、可愛らしい八重歯を覗かせてニコッと笑う女の子が居た。

「げ……先輩」

「こーはいくん!」

 二度目のその呼び掛けの直後、甘える猫のようにすり寄ってくると、大きな胸を押し付けるようにして俺の腕に巻きついてくる。

「や、やめてくださいよ」

「本当は嬉しいくせに!」

「そりゃ嬉しいですけど……じゃなくって! なんですか!」

 つい、うっかり本心が漏れちまった。

 先輩はキョトンとした顔で俺を捉えて、三秒ほど目が合った。白い頬が次第に赤く染まっていく。

 そんな乙女チックな先輩を見ていたら、あの先輩を可愛らしい女の子だと頭が認識してしまったせいか、頬が熱くなるのを感じた。

 顔をブンブン横に振って彼女から視線を逸らすと、俺は何事も無かったかのように歩き出す。

 それから会話は発生せず、なんと切り出していいかも分からずに、俺の後ろをストーカー並の距離に捉えた先輩と、時々目が合い、慌てて逸らす。なんてことを繰り返して学校に着いた。

 幸いなことに高学年の下駄箱は二年の俺とは違う場所にあるため、先輩からは逃げられた。

 でも、まだ心臓がドクドクとうるさい。クソ……あれから先輩を見る目が変だ。


*****


 一年前の冬、高一だった俺はいつものように登校し、下駄箱を開けると、一枚のピンク色の便箋が入っていた。ハートマークのシールで封を閉じられたそれは、一目でラブレターというもんだと俺は気がついた。

 そりゃその時は、校舎内を叫びながら走り回りたくなるくらい嬉しかった。

 その衝動を抑えながら人目につかない場所でコソコソとそれを開くと丸字で『放課後に職員室に来なさい。平野』と、いう文字があった。

 その文字に舞い上がっていた俺のテンションは直角に急降下し、マイナス域に到達。変な汗が背中からじわりと湧き出してくる。

 平野先生と言えば数学の教師だ。黙っていれば美人だしスタイルもいい。だが、俺ら生徒からは魔王なんて言われて恐れられているそんな先生だ。

 なんと言ってもあのキリッとした眼力だ。何者も逃さないかのような鋭い青い瞳がこちらの恐怖を煽る。

 俺だってあの目を見ていれば怒ったらやばいことくらい重々承知しているので、眠らないようにやばい時は前の授業に睡眠したりして誤魔化して目をつけられないようにしていたんだ。

 なので、数学の授業中に寝ていたとか最近の中間の点数が悪かったとかそういう訳では無い。なら、何故?

 もしかしたら、前の授業で寝ているのが悪いのか? いや、悪いんだけど平野が怒るのはお門違いだし……

 なんてことを考えていたらあっという間に放課後になっていた。

 マフラー等の防寒対策を取り、席を立つと職員室に向かった。

 恐る恐るノックし入ると、クラスと名前、平野先生に用事があることを伝える。

 すると、奥から今から部活でもやるのか動きやすそうなジャージ姿に身を包んだ華奢な先生が、清涼感溢れる短い茶髪を前髪を赤いピンでパチッと留めながら出てきた。背も俺より頭二個分低く、なんだか可愛らしいような気もしないことも無いのだが、ギラギラ光る青く光る高圧的な瞳が、睨んでいるようで怖いし、禍々しいオーラまで見えるような気がする。まあ、この圧倒的存在感で先生は魔王だなんて言われるようになった訳だが。

「松平か。何か私に用事か?」

「……え? あの。俺を呼んだのは先生の方じゃないんですか?」

「ん? いや、こちらからの要件はないぞ」

「そう……ですか。じゃ、大丈夫です。ごめんなさい」

 頭を掻きながらあのいかにもって感じのラブレターの事を言おうか悩んだが、恥ずかしさが勝った。「これ先生ですかー?」なんて死んでも聞けるかってんだ。

「そうか……数学のことならいつでも答えるから来いよ」

「はい。ありがとうございます。失礼しました」

 その一言を発して、廊下に出ると、さっきまでの緊張感から解放され、ふぅ……と、息をつく。

 流石魔王。あれと一対一で話すのは骨が折れる。

 だけど、話した感じは全然魔王っぽさがなく、寧ろ優しそうな印象があった。

 それより……この手紙はなんなんだ? この程度のことで苦痛を感じることはないから別に咎めはしないけど、理由がさっぱりわからない。

 そして、翌日にも同じような手紙が入っていた。それが一週間ほど続いた。

 流石にこれがドッキリの類なら、もうそろそろドッキリ大成功の札でも持って来て欲しいものだ。CMばかりでオチまで長すぎるお笑いは正直ダルい。

 週末を挟み月曜日、俺は家を早く出ることにした。理由はこのイタズラをしている犯人を特定するためだ。

 朝練をしている部活をやってる奴らに混じって、朝焼けに見舞われながらも登校する。

 昇降口に着くと、小さな人影が見えた。基本朝練は文化系の部活はやらないので、人影が見えるだけでも怪しい。

 その人影を追い、下駄箱の影に隠れ覗き込むようにして見ると、嬉しそうに大きな胸を揺らしながら背の低い女の子が、俺の下駄箱辺りで嬉々とした表情を浮かべていた。手には白い紙のようなものが見て取れる。

「……なにしてるんだ?」

「ギクッ!」

 彼女は背筋をピンッ!と張り、壊れかけのロボットみたいにガクガクと首を回して、こちらをクリクリとした丸い琥珀色の瞳で捉えた。ライトブラウンのサイドテールを子犬の耳のようにしゅんと垂らす。なんだかそれが主人に許しを乞うている犬みたいで可愛らしい。

「……言葉にする人は初めて見たよ……あれ?君はあの時の……」

「あ、あっははっ! どうしたんだね? こーはいくん!」

 彼女は話を逸らすように、活発そうな笑顔を浮かべて、後ろに手を隠しながらぴょんぴょんと飛んでみせた。その度、体型には合わない胸がたゆんたゆんと揺れる。きっと櫻井もこのくらいあればモテたんだろうな。なんて思う。

「……ん? こーはい?」

「うんっ! こーはいくん!」

 そう言われて初めて気がつく。そういえばオレンジ色のネクタイだ。

 この学校はネクタイの色で学年を分けているのだが、一年が紺、二年がオレンジ、三年は緑となっている。

「先輩なんですか……まあいいや。で? 俺の下駄箱に何か用ですか?」

 先輩が後ろに隠していた手から、白い何かがヒラヒラと落ちた。形や大きさから見て手紙で間違いないだろう。

「あ……」

「それはなんですか?」

「え、えっと……」

 人差し指を突き合わせて戸惑う先輩に、俺はリュックサックから紙をを取り出して見せてやる。

「……一週間前くらいからずっと、こんなものが届くようになったんですよね。先輩?」

「そ、そうなんだ! 凄いね!」

「はぁ……なんのつもりですか? 怒りませんから説明してください」

 櫻井に諭すように先輩に言ってみると、もじもじと太ももを擦り合わせながら、彼女は言った。

「……あの日覚えてる?」

「まあ一応」

 勿論、彼女とは初対面ではない。でも、これで顔を合わせたのは二度目になる。あの日と言われたら彼女と出会った日ということになる訳だ。

「僕がその……痴漢された時助けてくれたよね。その、ありがとう。あの時はすぐに駅員さんに連れられちゃってちゃんとお礼、言えなかったから」

 まさかの僕っ子だったことに驚きつつも、当たり障りのないことを言っておく。

「無事だったならよかったです。俺もあの日は忙しくてあのくらいしか出来ませんでしたけど……」

「いや、本当に助かったよ! 僕あーいうの初めてで怖くて声が出なかったもん!」

 そこまではよかったんだ。でも、彼女は「……私の気待ち受け取ってね」と、言った後、バックを漁って一枚の紙切れを出した。

 それはあの手紙なんかよりガサツでどうしようもないくらいにヨレヨレになっている一枚のノートを切ったもののように見える。

「じゃあね!」

 そう言い残して先輩は顔を真っ赤にして、駆け足で去っていった。

 どうせあのくだらないものなんだろうな。と、思いつつそれを開くとボールペンで『好きです』と、極簡単な文が書かれていた。

「……ガチのラブレターじゃねえか」

 こんなものを貰って嬉しくない男子なんかいない。でも、ダメだ。否定しないと。ここで彼女を受け入れてしまったら俺自身を否定することになる。

 恋愛は身を滅ぼすのだ。焼かれてしまう。なら、やらなければいい。簡単なことだ。

 俺は先輩の事をあの時は丁重に断った。


*****


 でも、今は違う。

 恋愛は温まる程度なら良いものなんじゃないか。と、思えるようになった。

 恋愛全てが悪いわけじゃない。それに身を焼かれるやつが総じて悪なのだ。

「おーい。松平?」

「え? あ、うん……どうした?」

「さっきからずっと呼んでたんだぞ? 何かあったか?」

 最近、昼飯を二人と食べるようになった。二人っきりがいいと思ってこれまでは櫻井と体育館裏で風を浴びながら食べていたが、そこには行ってない。

「いや、別に」

「あ、そうだ。美咲。こいつに聞いてみれば? 母さんに聞くのは恥ずかしいんだろ?」

「えっ? で、でも……」

 二人の間で何やら会話が進んでいる。

「五代の母さんに勝てるもんなんて持ってないと思うけど、何か用があるのか?」

「お前の弁当って自炊だろ?」

「まあ、そうだな」

 何気なく卵焼きを食べながら答えると、なんとなく話の流れが見えてきた。

「そこでお願いがあるんだ」

「料理を教えろってんだったら無理だぞ。基本適当に作ってるし」

「またまたぁ! 旦那! そう固いことおっしゃらずに!」

 掌を擦り合わせて仏に願うように陸斗はそんなことを言うが、五代は黙々と見栄えの悪い弁当を食べている。

 手には何枚もの絆創膏が貼られ、彼女の頑張りがみてとれる。その反面、陸斗の手には傷一つ見えなかった。弁当も彼女のに比べると上手いし形も整ってる。どうやら彼女が弁当を作ってるってわけじゃなさそうだ。

「……五代。俺が間に挟まってもいいのか?」

 視線をやると五代は横に首を振った。

「これは私らの問題だから。ここで頼ったらまた楽をしようって逃げちゃうと思う……お母さんになるんだもんね。こんな所で逃げたらこの先の辛いことから目を背けちゃいそう。だからいいよ! 私、頑張る!」

「そっか。頑張……いや、頑張ってる奴に頑張れって言うのはおかしいか。あんま、気負いすぎるなよ」

「うんっ! ありがと!」

 でも、まだこの時の俺にはわかっていなかった。それなりに酷い経験を積んで他の奴らよりかは出来るように感じていたが、それは大きな誤りだった。

 家に帰り、いつものように夕飯を作っているとスマホが鳴った。画面には陸斗の文字がある。

「もしもし? どうしたんだ?」

 俺がそう聞いても奴は何も言わず、なにか嫌な予感がした。

「陸斗?」

「……美咲が倒れた」

「なんだって……? どこの病院だ!」

「海浜病院……」

「わかった」

 俺は火の始末あたりをして家を飛び出し、自転車で駆けた。

 病院に走って入ると、先に来ていた陸斗は待合室で俯き、いつもキラキラと輝いていた瞳からは輝きが消えていた。

「陸斗……どうしたんだ?」

 自転車をぶっ飛ばしてきたからまだ呼吸が荒い。

「……流産したって。なれない事のストレスが原因だって……」

弱々しい声で彼はそう言った。

「……俺が悪かったんだ。彼氏なのに。あの子の父親なのに……なんで美咲のこと気がついてやれなかったんだろ……」

 彼はグッと拳を強く握った。

 俺は何と声をかけていいのかわからず、ただ立ち尽くした。

 なんで俺はこの事態を想定に入れれなかったんだろう? 母体に負担をかければ当然こうなることだって予想出来たはずだ。それなのに、なんで……

「……あいつさ。バイトもやってたんだってさ。子供が出来たらお金もかかるからって。それ、俺も今日初めて知ったんだ……クソっ! 俺が不甲斐ないから!」

 地面に手を付き、拳を床に叩きつけながら、ぽたぽたと、彼の目から涙が零れた。

「そうか……」

 俺はそれくらいしか言えなかった。偉そうなことばかり言って結局俺は子供だった。甘く見ていたのは子供を作ったことがない俺だったのかもしれない。無駄に二人の不安を煽って結果、母体に無理をさせた。

 この事態を産んだのは……こいつでも彼女でもない。俺だ。俺なんだ。

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