ジム友

 ヒロシは、スポーツジムではあまり会話をしない。

 学生時代は体育会系のクラブにいたこともあるだろうか。練習の時に私語をしないことが染み付いていることもある。仕事では営業をやっており、話好きで豪快と思われているが・・。元来は人見知りの性格のところがある。そういう性格だから、一人で入会したこのジムに長く通っていても、いわゆるジム友というものがいない。普通は話し相手やらグループやら出来るものだが、ヒロシは相変わらず一匹狼なのだ。黙々とワークアウトして、シャワーを浴びてあっさり帰るのが常だ。その割には周りの会話に聞き耳を立てているのだある。


 さて、あのダンス系のエクササイズに参加した頃から、ジムに行く都度に良く見掛ける男性がいる。年はヒロシより年下か。40後半か。この男性はヒロシとはまったく正反対であった。とても社交的なのだ。老若男女を問わず回りと良く会話している。インストラクターとも臆せず良く話している。体育会系のヒロシの方がかなり年上だが・・、ヒロシにとってインストラクターというと教える立場のイメージが強く、恐れ多く話せない。だから男性の気後れしない性格を羨ましくも思っている。男性の名前は、聞こえてくる会話で”トヨダ”ということがわかった。ヒロシとトヨダはとても対照的なのだ。



 11月中旬のことだった。ヒロシは、仕事を早く切り上げ平日夜のプログラムに参加した。このところ、この時間を狙ってジムに来る。理由は・・太ってきたからだ。仕事帰りに飲みに行くことが多く、今年の夏・秋は特にだった。それもあって、週末にのみ来ていたジム通いだったが、遅まきながら痩せるために平日一回の夜のジム通いを自分に課したのだ。


 今日は例のダンス系プログラムだった。平日夜のよる9時からであり、しかもこの枠は通常60分のところを45分と短縮されて行われる。遅い時間ということと、常連には物足りないということもあってやや空いている。さらに天気が悪いと極端に参加人数が少なくなる。だが、ヒロシにとっては、いつも後ろの方に控えめに陣取ることもあり、空いているとインストラクターが良く見えて有り難い。だからこの時間は良く来る。


 この日の夜はとても冷え込んだ。残暑が11月までずれ込む昨今であるが、この日は秋を通り越してもう冬がきたかというような気温であった。冷え込みが厳しかったせいか、プログラムには20人ほどの参加だった。人気のプログラムなのでいつもは50人ぐらいは入るが、この時間帯はこういうことは良くある。


 20人の中で・・男性の参加はヒロシだけであった。女性の参加が多いエクササイズではあるが、通常、男性は数人はいる。ところが、スタジオに入ってみると、なんと、その日の男性は自分のみ・・。

「男は俺一人か・・、気後れするな。」

 いつもとは少ない20人といっても、その中で男性一人だけというのはどうも気後れする・・。


 そんなことを考えていたら、開始直前に、あのトヨダがスタジオに入ってきた。トヨダも、参加者がいつもより少ないことと、男子がいないことをみて少しギョっとしたようだ。だが、奥の一番後ろにヒロシがいることを確認して、すぐにホッとした表情をした。社交的なトヨダも流石に男性一人は苦手とみえる。女達にはわからないだろうが、とにかく、ヒロシとトヨダはプログラムの最中、互いの存在を有り難いと思った。


 夜10時前にプログラムは終わった。ヒロシはそのままロッカーに引き上げて、汗だくのウェアを脱ぎ風呂場へ直行した。このジムは嬉しいことに風呂がある。平日夜に一汗掻いた後にはゆっくり湯につかり極上の気分だ。この日も、ざぶんっと湯舟に入りほど良い疲れの心地よさに浸った。


 するとすぐに、あのトヨダが入ってきた。彼も同じようにどぶんと湯につかるとヒロシに話しかけてきた。

「お疲れ様でーす。今日は人が少なかったですねー。」

「あー、お疲れ様です。」

ヒロシとトヨダの最初の最初の会話は、この短いやりとりだけだった。



その後、二人がジムで会った日は、風呂場でちょっとした会話をするのが恒例となった。大抵は、社交的なトヨダの方からヒロシに話しかける。ある週では、

「今から帰ったら、もう、ビール飲んで寝るだけですよね。」

「ははは、汗を流した後のビールは最高ですね。」


ある週では、

「お風呂から上がるの早いですねー。実は僕も早く帰って寝たくて、さっと入るだけにしてるんですよ。」

「あー、僕は単にせっかちなだけで・・。」


ある週では、

「どちらにお住まいですか? 僕はここまで車で来てるんですがね。20分ぐらいのところに住んでいます。」

「僕は自転車で5分ぐらいのところです。」


そして、年明けには・・ようやくのことだが互いを紹介し合った。

「名前、言ってませんでしたね。私、トヨダといいます。」

「あっ、私は名前を存じ上げていました。私はヤマモトといいます。」

二人は、こんな感じて風呂場で一言二言の会話をしていた。


 2月となった。平日の極寒の夜だった。雪が降りだしている。ヒロシは、仕事場を去る時にいくつかの飲みの誘惑を振り切り、休肝日を兼ねてジムに行くことにした。一旦、帰宅して着替えて家を出た。いつもは自転車なんだが雪が積もってきている。この日は歩いて行くことにした。なんとかジムに辿り着き。予定のダンスプログラムにも間に合った。雪ということで参加者はやはり少ない。でも、トヨダも来ている。この雪の中でも来るとは互いに熱心だ。


 プログラムが終った後、いつもの通り風呂場に入った。いつもの通りトヨダが声を掛けてきた。ただし・・これまでとは違う会話となった。

「ヤマモトさん、今日は歩きですか? 雪で大変でしょう? ご自宅は環状線沿いですよね。私の通り道ですよ。私の車に乗っていって下さい。送りますよ。」

これは有り難い。ヒロシは乗せてもらうことにしました。



風呂を早々に切り上げ、着替えた後、二人でジムを退館し駐車場へと向かった。トヨダの車は軽バンだった。どうやら仕事用らしい。乗せてもらって、ほんの5分程のドライブの中で、二人はいつもより色々と話しした。いつもの通りトヨダが話をリードする。

「僕、何歳に見えます?」

「僕より年下ですよね?」

「ははは、今、60才、還暦ですよ!」


ヒロシはびっくりする。人間観察を間違えたようだ。それにしても若く見える。トヨダは続ける。

「整備工場をやっているんですがね、もう仕事はいいや、リタイヤして適当にやっていこうと思ってるんですよー。ジムもその一つでね。」

「それはいいですねぇ。」


そして・・、後もう少しでヒロシの家近くというところでトヨダは続けた。

「今度、ヤマモトさんも飲みに行きましょうよ、お酒飲むんでしょう?飲む感じだよねぇ。ジムの人達とたまに行くんですよ。いろんな人が来ますよ。えっ、ジムの人達を殆ど知らない?大丈夫ですよー、僕が皆にヤマモトさんを紹介しますからー。」


ヒロシはまんざらでもない返しをして、さらに礼を言い、その会話を最後に軽バンを降りた。雪の中を行くトヨダの車を見送りながらヒロシは思った。


「あららら、こういう展開か・・。これをジム友と言うのかなぁ・・いずれにせよ・・一つだけ言えることがある。また、飲む機会が増えそうだな。太らないためのジム通いなんだが・・、まぁこういうのも嫌いじゃない。」


ヒロシは人見知りであるが・・どこかで八方美人の自分を自覚し、それも悪くないなと・・にやけているのであった。

(了)

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人間模様11 スポーツジムの人々 herosea @herosea

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