魔法の始まり

 魔族。

 千九百九十九年七月、恐怖の大王が現れ世界は滅びる。ノストラダムスの予言は一部成就した。

 太平洋沖、チリに近い場所でその大質量は顕現した。その時に起きた津波だけでも数億の人口が減ったという。

 それたけではなかった。

 現れたソレは一辺が四キロメートルある四角錐型の岩の上に荘厳な、しかし奇妙なデザインの城らしき物が建てられた、後に魔王城と呼称される空に浮く建造物だった。

 魔族はそれと共に現れた。

 圧倒的な魔力を秘め、中には幻想的な姿……例えばドラゴンであったり悪魔のような姿をしている者も居た。

 彼等の大半は言語の通じぬ戦闘狂、或いは冷酷無比な侵略者と伝えられている。事実、最初の一撃で十億近い生命を奪ったのだ。加えてその後に起きた魔族との世界大戦……第三次世界大戦とも魔族大戦とも言われる戦争により四十から五十億の人類を死に追いやったとされる。

 例えば、中国大陸は魔族との戦争で滅びた。

 例えば、アメリカ大陸の住人はたった六体のドラゴンによって殆ど殲滅された。

 例えば、アフリカ大陸は魔導核兵器と呼ばれる人類史上最も強力な爆弾により半分が消滅した。

 結局のところ、瀕死ながらも辛うじて残った国連軍により魔王城の守備を突破し、魔王を打ち取った。魔族は散り散りになり、大方処理され、今では片手で数えるほどしか生存していないとされる。

 魔族の目的とは何だったのか。

 異次元からの侵略者。それが人間の出した回答だった。

 ここまでが、一般的に知られている魔族の全容である。

 その際に生まれた魔法技術は魔族によってもたらされたというより、魔王城の出現によって人類が認知することが可能になった、という方が正しい。加えて言えば、それまでにも魔法を使えるものは時代時代に居たが、その科学的証明の不可能性と魔法使いの秘匿性が魔法を空想上のものであると断定させていた。

 だがしかし魔王城の出現と共にもたらされた膨大な魔力により、地球全土の魔力量が増大。加えて姿を隠してきた魔法使いの台頭により本格的に魔法は技術として発展していく事となる。

 魔法とは、誰もが持つ魔力を使い様々な現象を引き起こす技術である。

 だが、個々人の魔力量には大きく差があり、かつ魔法を使う才能もまた大幅に異なる。それにより技術としての発展は非常に遅々としたものであった。その欠点を少しでも解消可能とした現代魔法基礎を固めたのが日本であったとされる。

 というのも、魔法を邪悪なもの、悪魔の仕業であると捉えて使用を嫌う欧米と比べると遥かに馴染みが早かったのが要因であり、現代魔法の主流である呪文による簡易的な魔法行使が実現。それにより戦争終盤では魔法を使う兵士で構成された部隊の編成や戦艦の建造が行われ、勝利の鍵を握りすらした。

 しかしながら、魔法とは魔族ひいては悪魔の技術であるという見方が今だ根強く残っている。


  ◆


「私以外にもこの家だけで三人、全世界を含めると私達は私が把握している限り五百三十四人が生きてる」

 春花は唖然とした。

 教科書でしか知らない魔族の存在。それが五百人以上もまだ居るという。信じられない話に驚愕するほかがない。時折ニュースで生き残り魔族を発見した、退魔したというものが流れることはあった。

「それでね、春花ちゃん」

 加えて、彼女は言葉を発する。

 甘く、甘い、声だ。

「私達の仲間になって欲しいんだ」

 まるで悪戯を一緒にしようとでも言うかのように。目の前の少女は言う。

「私はアリス。第十三代エリフィシア国王ヴォルグ=キングが娘、アリス=キングがお願いします。祝春花。私達の仲間になりませんか?」

 言葉上は荘厳でも、声色はむしろ楽しむかのようなものだった。

 春花は自分の心臓の音を聞いた。

 期待。

 期待で全身が熱を持った。

 だけど、言葉が出ない。息の仕方がわからない。どうすればいいのかわからなくて、当たり前の事をする為のリソースすら無くなって、春花はただただ動けなくなっていた。

「……ダメだった、かな?」

 だけど、その一言が金縛りを解いた。アリスは心配そうな顔をしていた。

「仲間って、どうして」

 辛うじて口が開いた。だから当然のことを聞く。

「これから私達は、私達が生きる為に、生きていく為に世界を変える。私達は魔族わたしたちの国を作る為に行動する。でも、たった五百三十四人しか私達は居ない。少しでも、少しでも仲間が必要なの」

 春花は少しだけ落ち着く。

ーーなんだ、そういうこと。

 一種の落胆を覚えていた。ただ、彼女に選ばれたのではない。大勢の中の一人になってくれと言われたにすぎない。それが春花の落胆だった。それを解ってか、アリスは春花の両肩を掴んだ。

「でも、ただの仲間じゃなくてね、私は春花ちゃんと友達になりたいんだ。仲間で、友達に。だけど、それはこの世界の人間を裏切るという事。私は、春花ちゃんに、人間を裏切ってって言ってるの」

 裏切り。その言葉を聞いて春花は少し目を逸らした。

 そして、口を開く。

「……一体、何をするの」

「その前に一つだけ、私達……魔族についての一つの誤解だけ。私達は来たんじゃない。連れてこられたの」

 春花は歴史を思い出す。

 確か、侵略を目的にこの世界にやってきたのだと。

「侵略者……じゃなかったってこと?」

「態々王様がお城ごと侵略しにくるなんて可笑しな話だと思わない?」

「……言われてみればそうかもしれないけど」

「私達はこの世界の何者かに呼ばれた。どこの誰なのかは解らないけど、数世紀かけて作られた魔法陣と天体運行によって完成された世界を超える魔法によって”魔力と一緒に”連れてこられたの」

 つまり、

「この世界に魔力、ひいては魔法をもたらす為におまけとして呼ばれたのが私達。でも望まれない存在だったからこそ私達は排除の対象となった」

「でも」

「ううん。そんな選択肢はなかったの。端から戦争しかなかった。私達は個々人が強すぎる。この世界の人間と共生しようとすれば普通のやり方じゃ主従関係になってしまう。だから、人は自分達を守るために戦った。それは正しい選択だった」

 耳を疑った。

「自分達を虐げてきたのに、正しかったなんてどうして!」

「人にとってそれが正しかった。それだけ。私達にとっては間違っていたし、倫理的に言っても間違っていたのかもしれない。だけど、生物的には正しい」

 だからといって、

「それを黙って受け入れる事は正しくない。間違ってる。だから、否定する」

「……戦うって事?」

「そう。五百三十四人と協力してくれたこの世界の人間とが住める国を作る為に戦争をするの。この世界の人間の誰もが望まない国を作る。その為に、私達は世界を相手に戦う。この世界の人類を相手に戦う。だから、私達の仲間になるっていうことは世界を裏切るってこと」

 だけど、

「もし、春花ちゃんが人の世界、人間社会に未練があるのなら全部忘れて元の生活に戻ってもいい。だけど、でも、きっと。春花ちゃんはすっごく生き辛いと思う。人間だから、生かされているだけ。誰からも生きることを望まれてない。そうじゃない?」

 春花は次に言う言葉を迷った。

 何から話せばいいのか解らなかった。

 だけど、目の前の少女が言うことは、春花にとっての真実だった。

 世界は、社会は、別に春花が生きていることを望んではいない。むしろ死すら望んでいる。自分自身ですら。

「私は……世界に裏切られてきた。人間が嫌い。忌み子と恐れた親が憎い。ただただ才能があるからって、私を腫れ物扱いしてきたクラスメイトが恨めしい。他人よりずっと上手く魔法を使えてしまう私が怖い。私は、私は」

 漏れ出したのは怨嗟だった。誰にも言うまいとしていた怨念だった。ただひたすらに耐え、ただひたすらに待ち、ただひたすらに心に留めた言葉を、春花は口にしていた。

 どうして。

 私だけ。

 私は。

 人の世界に裏切られてきた。

 それが、春花の世界。春花にとっての世界。

 だけど今、春花は抱きとめられた。自身よりずっと温かい体温。吐き出していた心を堰き止めた。

 背を撫でられる。幼く、曖昧な記憶の中でだけあった感触が蘇る。

 気がつくと泣いていた。嗚咽だけを吐き出していた。

「大丈夫だよ。春花ちゃん。大丈夫」

 優しく、甘く、温かい。

 春花は込められた感情を初めて受け取るかのようだった。

「私、生きたい。誰かに必要とされて、共に居てもいいって、認められて!」

 だから、泣きじゃくった。

「これからはたくさんの中の一人で、でも私の特別だから」

 そこは春花の望んだ場所だった。

 それこそが、春花のスタートラインだった。

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