悪の世界・Ⅱ
エリザは不思議そうに玄関の前に立つ少女を見つめていた。
……あの人払いを抜けて、しかも警戒結界を隠匿で超えてくる人間が居るなんて。
見た目は普通の女子高生だ。若干地味すぎるところはあるが際立って変なところはない。だからこそ、おかしい。一挙一動を見落とさないようにじっと見つめながら、
「どちら様でしょう」
まずは問う。
対する応答は
「え、えっと、あの」
明らかに動揺しているのが見て取れる。しかし逃げ出すわけでもなくそこに立っている。
後ろめたい事がある、というわけではないのだろうということはすぐに想像がついた。彼女の様子は今一刻も早くここを抜け出したい、というものではない。きちんと答えたいのに言いたいことが頭の中でぐちゃぐちゃになっている。そういう様子だ。
……よく見れば、あの高校の制服ですね。ということは、彼女に用事でしょうか。
だから、助け舟をだす。
「有寿に用事でしょうか」
「あっ!はい、そう……です!同じクラスの祝春花と言います!せ、先生にこのこれを渡してくれって!」
そう言いながら少女は急いで茶封筒を取り出した。
……本当にそれだけ?
ただ、それだけでは納得がいかない。エリザは用心からではなく、疑念として納得がいかなかった。ポストにそれを入れるだけでいい。
「そ、それじゃ私は帰ります」
「待って」
「エッ」
素っ頓狂な声を上げる彼女。思わずエリザはクスクスと笑ってしまった。
「どうせですから上がってください。アリスもきっと喜ぶでしょう」
そう言って差し出された封筒を受け取らず、玄関を開けた。彼女は見るからにおどおどとしながら門戸を開き、入ってくる。
……大人の言うことを拒めない、優等生タイプね。それに……
やはり何かしらの興味、あるいは思いがあって来ているのだろう。エリザの中でそれは確信に変わる。
「お邪魔します」
「ごゆっくり。あ、そこの部屋で待っててね。すぐ呼んでくるから」
エリザは早足になっていることを自覚した。
◆
……このソファー、一体いくらするんだろう。
部屋に入った春花の最初の感想はそれだった。兎に角座り心地が良い。他にも調度品に目をやるとどれもまるでデザイナーに誂えたようなものばかりだ。
……そうじゃない、どうしよう。
ただただ届けに来ただけのはずだった。ポストに入れればいいだけのはずだった。だけど、そこに魔法があって、踏み込んだ先は更に何かがあった。それに抗いきれなかった。
……それに、もしかしてなんて、考えるんじゃなかった。
祝春花にとって友人の家を尋ねる、という経験はなかった。友人そのものがいなかった。魔女である彼女は誰からも警戒されていた。だから、彼女はもしかしてを考えた。
”もしかすると、友達になってくれるかもしれない”と。
おそらく、先生もそれを見越して春花を寄越したのだろうとは想像に難くない。
だとしても、少し軽率が過ぎたかもしれないと今になって後悔する。
……もしかすると、消される……?
敢えて隠されていたものを暴いた者の末路は往々にして消される。そんなことは小説ではよくある話であり、更に妙である現実においては最早必定。春花は後悔した。
……まだ見返せてない。まだ、死にたくない。
足音が近づいてくるのが聞こえた。
それに気づいた瞬間、春花の体はぴしっと、木彫りのように動かなくなった。頭も、今まで考えていたことが全て飛んでいき、かろうじて動いた首で扉から入ってくる人物を今かと待ち受ける。
軽い足音だ。トトトと聞こえ、ガチャリとドアノブが下がった。
「こんにちは。初めまして!」
可憐な声がまっすぐに飛んできた。
そこに居たのは小さな少女だった。身長は百四十ぐらいだろうか。春花に比べふた回りは小さい。幼い中に凛々しさが芽生えつつある顔立ち、ぷにぷにとしたほっぺ。白いが健康的な細い四肢。純真無垢の概念を詰め込んだような、それでいてどこか子供じみたという言葉から逸脱しているような少女は
「神北有寿です。よろしくね、春花ちゃん」
擬音でいうとニパっというものが相応しい笑顔でそう挨拶した。
「よ、よろしく……お願いします」
春花は乾いた口からなんとかそう返した。
それに気づかないのかスルーしたのかはわからないが、お構いなしに少女は近寄り、隣へとまるで当たり前のように座った。
「すごいね!エリザから聞いたけどあの結界を抜けてくるなんて。あ、それがその時使った魔法?見せて見せて!!」
「えっあっその」
答える前にノートの切れ端が奪われる。広げたそれを見て有寿と名乗った少女は目を輝かせた。
「凄い……これ、春花ちゃんが考えたの?」
「あ、うんそうだけど……」
「うん……意識操作魔法防御もそうだけど、この隠蔽の魔法が奇抜!フラックリンの定義を応用したって言っても通じないっけ。兎に角、これを自分で思いつくなんて!」
……褒められたの?
春花には今まで数えられるほどしかそんな経験はなかった。異常だという烙印を押されてからは、その才を手放しに褒め称える人間は、魔法に取り憑かれた狂人とも言える存在だけだった。その人達はあくまで出来上がった魔法を褒めていた。
だから少しだけ、上気していた。気恥ずかしいというということなのだろうと彼女はこの未知の体験を飲み込む。
「ねね、春花ちゃんは同じクラスなんだよね。学校ってどんなとこ?」
でもその一言で春花は再び固まってしまった。
「……春花ちゃん?」
顔を覗いてくる。悪いことをした?とでも言いたげな、心配そうな表情だと春花は思った。だから、
「えっと、その、私、怖くない?」
尋ねた。
「魔法、こんな使えるなんて、怖くない?」
「怖い?どうして?」
「だって、その、呪われたりするかもしれないとか」
目の前の少女は体勢を戻し、首を傾げる。
……余計なこと、言っちゃった。
その間に耐えられず、春花は更に自責の念を重ねた。
そんなこと、言わなくても良かったじゃないかと。
だが、
「……春花ちゃんは、誰か呪ったことはある?体調不良になる魔法とか、立ち上がろうとすると毎回なぜか足がもつれるようになる魔法とか」
「それは……ないけど」
「でしょ。じゃあ大丈夫」
そう言って笑って、断言する彼女に春花は目を丸く開いた。
「どうして……」
「春花ちゃんが自分で言ったじゃない。呪ったりしたことないって」
「でも」
「それに、私達はきっと、春花ちゃんよりずーっと魔法に詳しいから」
そう言って、彼女は立ち上がった。勿体ぶるように、ゆっくりとした動作だ。春花はその突然の行動の意図を読めず唖然としたままその様子を眺めていた。彼女は少し屈んで春花を覗き込んだ。悪戯をしている子供のような表情。加えて、強烈な違和感がそこにはあった。
……家に入ろうとした時と、同じ。
今度は冷静に、一体何がその違和感を醸し出すのかを春花は考えた。
目の前の少女だ。そう、彼女がまるで可怪しいのだ。だけど、その可怪しさの招待を春花は割り出せない。今までに無かった感覚。まるで目の前の少女と自分の間に透明の壁が在るような、その壁に圧迫されているような。
……そう、魔力だ。
圧倒的な魔力量。人間とは文字通り桁違いの魔力を感じていると春花は確信する。この感覚は魔力によるものだと。
だが、そこにはもう恐ろしさは無かった。初めての感覚に春花はただただ驚いていた。
同時に、一つの結論に至る。確かめようと、喉から手を出すように口を開いた。
「それって」
だが、その口を人差し指で塞がれた。
「実はね私達、魔族なんだ」
春花は、ただただ黙ってその言葉を聞いた。
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