第4話

「ただいま」


 風がドアに遮られて、幾分か寒さが和らぐ。冬場の夜は毎回凍え死ぬのではないかと不安になる。

 いつもなら聞こえてくる彼女のおかえり、が聞こえてこない。部屋の電気も点いていないので多分寝てしまったのだろう。

 靴箱の上に合鍵を置いて、部屋に入る。


 予想通り、寝ているようだ。大きなクッションに身を預けて、静かに寝息を立てている。


「風邪ひくぞ……」


 暖房直撃の位置に陣取って、毛布もかけずに寝ている。

 クッションの隣にスマホが転がっていた。多分、お気に入りの猫動画でも見ていたのだろう。

 ベッドから毛布を剥がして、彼女にかけてやる。ついでにエアコンの風向きも変えておく。


「世話の焼けるお嬢様ですね」


 彼女の髪を撫でるように触る。いつもは後ろで括っているが部屋にいる時は下ろしているので、少し子どもっぽく感じる。

 亜麻色に染まった髪の隙間から覗く細い首筋。僕より二回りも小さな手。全部、僕が触れれば壊れてしまいそう。

 今の生活はまるで薄氷のように、薄く、脆い。彼女が出て行け、と言うかもしれない。僕が親に呼び戻されるかもしれない。いつか時が経って、春が来たら、氷は溶けてしまう。そういう約束の、期間限定の同居人。


 また悪い思考のループに入ってる。切り替えなきゃ。

 僕は、スーツケースから部屋着を出す。シャワーを浴びることにした。



 ~ ~ ~ ~ ~



 少し遠くから物音がする。水の流れる音。

 目を開くと、真っ暗だった。しばらく目を凝らすと、電気の消えた自室だということの気付いた。

 ああ、また寝ちゃったのか。今日は曲書こうと思ったのに。

 多分、冬見くんがシャワーを浴びているのだろう。

 ……ってことはもう十一時過ぎか。

 体を起こすと、肩から毛布が落ちた。私の布団から持ってきたみたいだ。私はそんなことをした覚えはないので、きっと冬見くんが気を利かせてかけてくれたのだろう。


 部屋の電気を点ける。

 夕飯……いやもう夜食か。とにかく用意しないと。冬見くんは昼から何も食べてないはずだ。

 いつもなら冬見くんが帰ってくるまでに用意して、帰ってきたら一緒に食べてたのに。今年最大の失敗だ……。


 洗面所からお風呂場の冬見くんに向かって声をかける。


「冬見くんごめんね」


 するとシャワーが止まって、中の人影がこちらを向く。


「蒼ちゃん、起きたの」

「うん。今から夕飯作るから、うどんでもいい?」

「別に無理しなくていいよ。眠いなら寝てていいから」

「……わかった。うどん作るから」


 後ろから「えっ」という声が聞こえてくるが無視だ。まったく冬見くんは何もわかっていない。

 冷蔵庫からキャベツと人参ともやしを出す。野菜煮込みうどんでいいだろう。時間もそんなにかからないし野菜も摂れるし。

 さっきのイライラを野菜にぶつけて切っていく。

 冬見くんはなにもわかってない。私が冬見くんのための料理をすることを彼は、だと思っている。

 私は料理するのが好きだし、面倒と思ったことは……無いわけではないけれど、基本的には当たり前のことだと思っている。

 それに私はが好きなのだ。

 それを本人に否定されるのは、面白くない。この鈍感。


「あがったよ」

「おかえり」


 冬見くんが部屋に戻ってきた。赤メッシュの髪はまだ濡れている。ドライヤーすればいいのに。

 野菜を茹でていく。あとでうどんも入れるので鍋は大きめだ。


「冬見くん、お腹空いてる?」

「うん、多めでお願い」

「りょうかい」


 うどんは三玉。一緒にめんつゆも入れてしまう。

 そして彼の嫌いなを入れる。これくらいの仕返しは許されるだろう。


「できたよー」


 少し多めに作ってしまった。丼には入らなそうなのでラーメン丼によそって、テーブルに持って行く。

 冬見くんがタオルを首にかけたまま席に着く。


「麺だからタオル、邪魔だと思うよ」

「あ、そか。ありがと」

「うん、じゃあいただきます」

「いただきます」


 冬見くんは毎回、丁寧に手を合わせてくれる。食べてもらう側としてはとても気分がいい。

 冬見くんは基本的にきちんとしている。洋服だって毎回畳んでスーツケースの中に戻してるし、掃除するときは塵一つ見逃さない。

 几帳面か、と言われるとそうではない気がする。ちゃんとすることと別にどうでもいいことが分けられているのだと思う。自分の楽器の扱いは結構適当だし。


「美味しい?」

「……うん、美味しい」


 ちょっと間があった。


「……生姜、入れたんだね」

「体の芯からぽかぽかするでしょ?」

「う、うん」


 そう、彼は生姜が苦手なのだ。ジンジャーエールは飲めるみたいだが、ガリとか生姜焼きとか、生姜が使われているものは基本受け付けないようだ。

 だけども、前に知らずに生姜を出してしまった時は何も言わずに食べてくれた。後日、何かの罰ゲームで嫌いなものを聞いた時に初めて知ったのだ。

 鈍感さんにはちょうどいい罰だ。


「蒼ちゃん、クリスマスどこか行くの?」

「どこも行かないよ」

「実家に帰ったりする? 友達と遊ばないの?」


 矢継ぎ早に聞いてくる冬見くん。

 それが可笑しくて、思わず笑みがこぼれてしまった。


「どこも行かないよ。さすがに大晦日、三賀日は実家に帰るけど」

「そっか」


 冬見くんの表情がちょっと暗くなる。

 やっぱり帰りたくないのだろう。詳しくは聞けていないけれど、お父さんとの関係があまり良くないようなのだ。実家にいるのは苦痛なのだろう。


「冬見くん」

「なに?」


 彼の家のことは私にはどうすることも出来ない。だからせめて、今くらいは忘れて笑って欲しい。


「クリスマス、楽しみにしててね」

「うん、ありがと」


 ほら、やっぱり。冬見くんは笑った顔が一番かっこいい。

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