第2話

「おきて、冬見くん! 朝だよ!」


 溌溂とした声とともに、先日少し厚くした羽毛布団が剥がれていく。

 寒さと明るさが一気に押し寄せてきて、思わず身を丸くした。

 寒い。そして眩しい。……それと味噌汁の匂いがする。


「ん……」


 枕元に置いてあるスマホを手に取ると、時刻は七時九分。いつものことだが早すぎる。年頃の女の子とは思えない朝の強さだ。実は還暦越えてるんじゃないだろうか。


「冬見くん、何か失礼なこと考えてない?」


 勘づかれたらしい。どういうセンサーしてるんだろう。

 諦めて起きることにする。


「……起きたよ」

「うん、じゃあ顔洗って、寝ぐせも直そう」

「うん……」


 まだ眠い体を引きずって洗面台の前に立つ。

 顔を洗えば目は覚める。お湯が出るのを待ってから顔を洗う。

 泡を流して、鏡を見てみると、髪の毛が重力に逆らって立っていた。角が生えたみたいだ。

 とりあえずお湯で濡らして角を引っ込める。ドライヤーは面倒なので自然乾燥。


「おはよう」

「おはよ。ごはん冷めないうちに食べよ?」

「うん」


 彼女は朝はご飯派らしい。今日の朝ごはんも白米、味噌汁、そして切り干し大根と完全に和食だ。

 僕はもともと朝は抜いていたので異論はない。作ってくれるだけでありがたいのだから文句なんて言える立場にない。


「いただきます」

「いただきます」


 今日の味噌汁の実は油揚げとわかめのようだ。僕は味噌汁が結構好きで、無性に飲みたくなる時があったので、以前はインスタントの味噌汁を常備していたのだが、ここに住むようになってからは毎日朝ごはんに付いてくるのでとても嬉しい。

 やっぱりインスタントと手作りでは味も違うし、具が美味しい。


「冬見くんは今日は何限まで?」

「四限まで。蒼ちゃんもでしょ?」

「私の時間割覚えてるんだ。ちょっと怖い……」

「単純に記憶力がいいだけです」


 全く人聞きの悪い。一緒に生活してるんだから相手のスケジュールは把握しておいたほうが楽だと思ったのに。

 すると彼女は何が可笑しかったのか、いきなりけたけた笑い出した。そして僕の頬を人差し指で突いてくる。


「そんな頬を膨らませないでよ。ごめんねうりうり」

「膨らませてません」

「冬見くんも拗ねることあるんだね」


 また、彼女の口から笑いが漏れる。

 ここで下手に喋れば、最悪今日の夜まで引きずられることになる。それはこっちの精神力が持たない。

 僕は無視を敢行して、早くごはんを平らげることにした。

 彼女もこれ以上は突っ込んでこなかった。


 食べ終わった食器をまとめて流しに下げる。お茶碗は軽く水につけておく。

 彼女のごはんはまだあと三分の一くらい残っていた。食器洗いはまとめてやらないと面倒なので、先に身支度を済ませることにする。

 スーツケースから今日の服を出して、洗面所へ入り


「覗くなよ」

「覗かないよー」


 洗面所のドアを閉めた。部屋と洗面所を分けるドアはあるのだが、鍵は付いていないのだ。さすがに風呂場のドアにはついているけれど。

 彼女には前科があるので、たまにこうして釘を刺している。


 今日は黒スキニーに白のカッターシャツ、その上に黒のセーターにした。どうしてもうちの学校に通っていると黒が無難な感じになってしまう。まあそれは仕方ない。白より黒のほうがかっこよく見えるから。

 次は髪だ。ワックスを手に取って髪全体に満遍なくつけていく。髪が固まってきたら適当に形をつければ終わり。最後は忘れずに手を洗う。


 部屋に戻ると、ちょうど彼女が食べ終わったところだった。

 ちなみに彼女はすでに身支度は完璧で、薄めだが化粧もしている。なんでも六時くらいになると自然に目が覚めてしまうらしい。羨ましい。


「今日もかっこいいね冬見くん」

「はいはい、お世辞でも嬉しいよ」

「別にお世辞じゃないんだけど」


 ……僕をからかって何が楽しいのだろうか。褒めても何も出ないし。


「ありがと、別に食器くらい自分でやるのに」

「これから洗うんだからいいだろ」


 スポンジに洗剤をつけて、食器を洗っていく。お茶碗、お椀、小皿。そして味噌汁に使った小さい鍋と炊飯器の釜も一緒に。

 洗い物はわかりやすくていい。やり過ぎがないから。

 水を切って、乾かす用の布巾の上に並べたら終了。ちょろい。


「私そろそろ行くね」

「うん」


 彼女が重そうなリュックを背負ながらこっちに言ってきた。

 僕は手を拭いて、一応見送りに玄関まで一緒に行く。


「忘れ物ない?」

「うん、大丈夫。鍵、お願いね」

「了解。気を付けてね」

「はーい」


 彼女がブーツを履いて、こちらを見上げる。ヒールのある靴を履いても、僕より結構小さい。

 僕は可愛らしくていいと思うのだが、彼女は実は気にしているらしい。


「じゃあ、いってきます」

「いってらっしゃい」


 ドアを開けて、彼女が出ていき――あ、という声とともに振り返った。


「冬見くん、いってらっしゃいのキスはしてくれないの?」

「彼氏としたら?」

「けち」


 そう言って笑って行ってしまった。

 早く彼氏作ってくれ。マジで。

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