同棲してるけど、付き合ってません。

赤崎シアン

第1話

 冷たい夜風が耳元を駆け抜ける。慌ててコートのボタンを留めた。

 近頃は日が沈むのが早くなって、五限終わりなのにもう街灯が点いている。

 日が短くなるにつれて気温も下がって、ついに一昨日冬物のコートを解禁した。

 実家に戻りたくはなかったけれど、父さんもあの人も使っていないようだったゲーム機をついでに救出できたので良しとした。


 駅を越えて十分ほど歩けば、人影もお店の光も少なくなってくる。実際栄えているのは駅周辺だけで、少し離れてしまえばマンションやアパートなどが多く立ち並ぶ、都心からほど近いベッドタウンのようなものだ。

 彼女の家は学校から近すぎず、遠すぎず、学校から歩いて十五分ほどの場所にある。二階建てアパートの二階の角部屋だ。


 この家にも通い慣れたものだなぁ、と思った。通い始めた頃は地図アプリとしてここにたどり着いていたのだから、自分も成長したと思う。

 バッグからキーケースを取り出して、その中の一番新しい鍵を手に取る。この家に住まわせてもらうようになって一週間くらい経った日に、何でもないことのように「無いと不便でしょ?」と彼女から渡された、この家の合鍵だ。

 それをありがたく使わせてもらって、鍵を開け、家の中に入る。


「ただいま」

「おかえりー」


 彼女の声と一緒にテレビの音声が聞こえてくる。今日は珍しくテレビを見ているらしい。もっとも、その内容に興味はないようで、ソファに座ってスマホをいじっているようだった。


「見てないなら消しなよ」

「ん」


 彼女は素直に従ってリモコンを操作した。僕はコートをハンガーにかけて彼女の隣に腰を下ろす。彼女の使っているシャンプーの匂いが微かに香る。

 僕は秘かにその匂いが気に入っている。そのことを彼女に言ったら多分気持ち悪がられるから言わないけれど。


冬見ふゆみくん、疲れた?」

「うん、今日のアンサンブルはテンポが速くて大変だった」

「それはお疲れ様。膝枕する?」

「そういうのは彼氏にしてあげなよ」


 隣から苦笑とともに「いないからいいじゃん……」と呟く声が聞こえるが、聞こえないふりをした。

 僕はこの家に住まわせてもらっているだけで、彼女と付き合っているわけではないのだ。友達だとは思うし、人として尊敬もしている。ただ恋愛感情はない。全く、ない。


あおちゃんは疲れてないの? 今日一限からだったでしょ」

「帰ってからさっきまで寝てたから平気」


 なるほど、それでベッドが若干乱れているのか。朝、直し忘れたのかと思った。


「でもまだ眠い」

「夜眠れなくなるぞ」

「そしたら冬見くん、ゲーム付き合って」


 彼女はそう言いながら俺の右肩に頭を預けてくる。僕を巻き込まないでほしい。

 最近は彼女の中のハードルが下がっているのか、それとも僕への信頼度が上がっているのか、どちらにせよスキンシップが多くて困ってしまう。

 別に嫌というわけではないのだが、親しき中にも礼儀あり、こういうのは彼氏にしてくれ、と毎回思う。


「ゲームは付き合うけど、これはダメです」

「けち。減るもんじゃないでしょ」


 減ってるんだよ。僕の精神力が。


「それより今寝たら、食材が消し炭になるよ」

「冬見くん、そんなに料理下手じゃないじゃん」


 彼女は立ち上がると、冷蔵庫の中の食材を確認し始めた。


「それに掃除は冬見くんの仕事でしょ?」

「そうだね」


 つまり僕が消し炭を作っても後始末をするのは僕だから構わない、ということだろう。そういう意味で言ったわけじゃないのだが。


「夕飯、なにがいい? 返答によっては冬見くんが凍えることになるけど」

「蒼ちゃんの好きなのでいいよ」

「じゃあオムライス。卵ないから買ってきて」

「却下。オムライスは三日前に食べました」

「けち」


 けちじゃない。オムライスは一週間に一回って約束したからね。

 彼女のオムライス好きはかなり重症だ。実際に身を持って体験したが、放っておくと週に五回はオムライスが出てくる。スタンダードなケチャップに始まり、デミグラスソース、ホワイトソース、カレーソース、そして明太クリームソースとレパートリーも豊富だ。そして全部美味しい。ふわふわとろとろのオムレツはレストランよりも上手だと思う。お店を出したらそこそこ人気が出るんじゃないだろうか、ってレベルだ。

 だが、五日も連続で食べればさすがに飽きる。彼女は毎日食べてもいいと言うが、僕は至って普通の一般人なのだ。

 当然僕は抗議。彼女は反論。そして一時間に及ぶ大討論の末、オムライスは週に一回と決まったのだった。


「じゃあパスタね。異論反論は受け付けません」

「了解」


 料理は彼女の領分だ。

 僕は料理は上手くない。僕が食材を調理すると、料理ではなく、になる。味も不味くはないが美味しくもない、微妙なものが出来上がる。

 そういうわけで料理は彼女に任せている。彼女は器用なのでなんでもこなす。羨ましい限りだ。


「何グラム?」

「……百二十」

「はーい」


 僕にできることはないので素直に待つ。

 前に手伝おうとして、邪魔だと言われたのでもう手伝うことはしないと心に決めている。


「テーブル拭いて」

「はいよ」


 流しで布巾をしぼって、ローテーブルを拭いていく。


「このヘアピンはどこにしまえばいい?」

「あ、壊れてるから捨てちゃって」


 よく見れば折れ曲がっていた。ポイ。


「サラダ持って行って」

「はい」


 出来上がったサラダをテーブルに運んで、ついでにドレッシングも出しておく。

 料理ができたのか、彼女がお皿にパスタを盛り付けてこちらへ持ってきた。

 ナポリタンのようだが、ささみをほぐしたのだろうか? 普通のソーセージではないみたいだ。


「はい、ツナナポリタンです」

「あ、ツナなのね」

「ツナは結構色々使えるよー」

「そうなのか……」


 恐らく一生使うことのない知識を手に入れた。


「ほら、食べよ。いただきます」

「いただきます」


 パスタをフォークに巻き付けて、一口いただく。


「どう?」

「美味しいよ」

「よかった」


 そう言うと、彼女は上機嫌そうに笑って、ナポリタンを食べ始めた。






 これは僕――冬見ふゆみ稜季いつきと彼女――蒼井あおいりんがのなんでもないありふれた日常だ。時々僕が怒ったり、彼女が壊れたりするかもしれないけれどそれも含めて僕たちの日常だ。

 あ、それと僕と彼女は本当に付き合っていないのでそこのところを理解してくれると嬉しい。

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