第39話 リウ、桔梗を押し倒す

 少女達がこの世界にやって来てから2度目となる土曜日。


 翌日日曜日は彩姫が何の用事も無いという事で、皆でピクニックにいく予定だ。その代わりといっては何だが、この日彩姫はいつも通り仕事がある様である。


 そんな彩姫を「大変だな」と思いつつ、桔梗は今日何しようかと考える。

 誰かと相談し決めるのが最適なのかもしれないが、現在リビングに居る彼の周りには誰も居ない。


 というのも、桔梗自身も何故かはわからないが、この日は普段よりもだいぶ早く起きてしまったのである。その上で、寝覚めもスッキリとしていた為、こうして1人ソファに座り寛いでいるのである。


 カチカチと時計の秒針が動く音が響く。


 体感3年前には当たり前の様に聞いていたこの音も、少女達がやってきてからは耳にする機会が無かった為、何やら新鮮で、そしてどこか落ち着く。


 よく胎内の音を聞かせると赤ん坊が泣き止むという話があるが、感覚としてはそれに近いか。


 何というか、耳馴染みがあるからか、ここが自身の安住の地だという実感が湧くのである。


 と、そんな久しぶりの静寂と時計の音に身を委ねていると、ここでトントンと一定のリズムを刻む音が加わった。


 思わず音の方へと目をやる。


 そこには階段があり、遂に音が止むと、階段の前にフリル多めの黒ネグリジェに身を包んだリウの姿があった。

 肩紐が肩から外れ、少しだけはだけているのだが、当の本人は全く気づいて無いのか、眠そうに目を擦る。


 と、ここでリウの視線が桔梗を捉える。


 まさか自分以外に起きている人が居るとは思わなかったのか、小さく首を傾げる。


「……桔梗?」


「あれ、リウ。どうしたの?」


 桔梗は桔梗で驚く。というのも、リウと言えばシアと双璧をなす程に寝起きが悪く、普段は誰かが起こして貰っているのである。


 桔梗の声に、リウは相変わらず眠い目を擦りながら、


「……ん、なんか……目が覚めた」


「あらま。もう一回寝る?」


「ううん。……もういい」


 降りてきた以上二度寝はもう良いと思ったのか、リウは言葉の後洗面所へと向かう。

 そして顔を洗ったりした後、再びリビングへと戻ってくる。


「おはよう……桔梗」


「おはよ」


 挨拶をした後、リウはソファに座る桔梗の元へと近づくと、彼の横にちょこんと座る。

 そしてそのままボーッとした後、まだ眠いのか再びうつらうつらとし始める。


「眠いならまだ寝てていいんだよ?」


 異世界に居た時も含め、基本的に桔梗達の起床時間は午前8時である。対して現在は午前6時。まだ起床時刻まで2時間もあるのだ。


 桔梗の声に、リウはうんと頷く。


「……大丈夫」


 ぼそりと蚊の鳴く様な声で呟いた後、遂に耐えきれなくなったのか、コテっと桔梗の肩に顔を乗せたまま、リウは再び夢の世界へと旅立っていった。


「まったく」


 言って桔梗は小さく笑う。そしてスヤスヤと気持ち良さそうに眠るリウの頭を軽く撫でた後、彼女を起こさないよう再び訪れた静かな時間を1人過ごした。


 ◇


 あれから1時間が経過し、午前7時。


 ここでリウが再び目を覚ます。しかし未だ寝ぼけているのか、そのまま少しボーッとした後、


「……んぅ……あれ」


「おはよ、リウ」


「……寝ちゃった?」


「寝ちゃったねー」


 桔梗が微笑むと、リウは桔梗の左腕を柔らかく掴み、


「……桔梗が……あったかいのが……原因……」


 言って、頬を染め微笑みながら、その腕をギュッと抱え込む。


 リウの豊かな双丘が桔梗の腕に密着し、形を変える。その柔らかな感触に桔梗は顔を赤くした。


 とは言え、これ程までに嬉しそうにしている彼女に、恥ずかしいから離れてと言うのも気が引ける。


 どうしたもんかと、もう一方の手で頬を掻く。


 しかし、やはり良い方法が思いつかず、とりあえずは彼女が満足するまでこのままで居ようと考え、リウの温かさを感じながら再びボーッと過ごす。


 その後、少しして。桔梗は疑問を覚える。


 というのも、リウの方から一切反応が無いのである。


 ……もしかして、また寝ちゃった?


 そう考えながら、桔梗はリウの表情を伺う。

 すると突然、リウは息を切らし始めた。


「……はぁ……はぁ……」


「ん? リウ?」


「……桔梗……急に……きちゃった……」


 リウは桔梗の腕を掴んだまま、切なげな瞳で彼を見つめる。そして──


「……もう……我慢……できない……」


「…………ッ!」


 言葉の後、リウは桔梗を押し倒すと、彼の上に覆い被さった。


 ハァハァと荒い息を吐くリウ。その額からは普段見えないツノが覗き、彼女の瞳が赤く染まっている。


 桔梗はその姿に、しかし決して慌てる事なく、優しげな声で、


「とりあえず、


 桔梗がそう言った瞬間、リウの背から黒い靄が固まった様なものが数本伸びる。


 そしてそのうちの1本の先端が、まるで口の様にパックリと縦に開くと、蛇が獲物に咬みつく様に、桔梗の首元へガブリと咬みついた。


 瞬間、桔梗の身体から魔力が抜けていく。

 それこそ、異世界の魔法自慢でさえも一瞬で枯れ果ててしまう程の魔力が。


 しかしそんな多量の魔力も、桔梗にとってみれば微々たるものとは言わずとも十分に許容範囲である。その上、別段痛みも無いとなれば、桔梗の負担などゼロに等しいと言える。


 因みに桔梗の魔力純度が高い為、この量で済んでいるが、一般人ならば現段階で数千人が魔力枯渇により死んでいる。


 それだけ、リウのスキル『暴食』は恐ろしいのである。


 こうして、定期的に訪れるスキルの発作、一般人ならば恐怖でしかない発作の対応をしていると、暫くして、一定量魔力を吸収したからか、リウの瞳が元の色へと戻り、ツノも見えなくなった。


 リウは黒い靄を桔梗の首元から離すと、そのまま霧散させる。


 それを見て、桔梗が声を掛ける。


「どう、落ち着いた?」


「……うん、桔梗……いつも……ありがとう」


「はいよ」


 言葉の後、リウは桔梗の上から退く。桔梗は起き上がると、そのままソファから立ち上がった。


 そして肩を回した後、リウへと視線を向ける。


「さて、じゃあ久しぶりにやるか」


「……今から、やる?」


「うん、朝の運動がてらね」


 桔梗の言葉を受け、リウも立ち上がる。


 ──そう、発作の後にはまだやらなければならない事がある。


 それは、溜め過ぎた自身の魔力の発散。


 つまり──


「さ、闘うか」

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