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俺は車で馴染みの牛丼屋に向かった。高岡さんも自分の車でついてきた。
こんなところでいいんですか! と彼女は驚いていたが、俺は今日はここの飯が食いたかったんだ、と言うと、彼女も納得したようだった。
あらためて明るい場所で見ると、彼女はとんでもない美人だった。いかにもスタイルが良さそうな体に上品なパンツスーツを纏っている。はっきり言って牛丼屋の中では浮いていた。
だけど、彼女は居心地悪そうにもせず、女一人だとなかなか来られないんですよね、なんて言いながらニコニコと定食を食べている。
……。
意外に性格は悪くなさそうだ。いやいや、待て。ほだされてどうする。こいつはストーカー予備軍なのだ。それに、俺は、女はもう……
「……で、何で俺にそこまで固執するわけ?」
俺はど真ん中にストレートを投げ込んでみた。
「そんなの決まってます。長坂さんに助けていただいたからですよ。あの時、ほんと、私どうしようもなくて……だから、どうしてももう一度お会いして、お礼がしたかったんです」
「それじゃ、もう気が済んだでしょ。これっきりだね」
「ええ、そうなんですけど……実は、もう一つご相談したいことがありまして……」
「え?」
俺はかなり嫌そうな顔をしたらしい。慌てて彼女が首を横に振る。
「いえ、すみません! ご迷惑でしたら……別に……」
そういう彼女の顔が、えらく悲しげに見えた。
……。
「……で、なに?」
あーあ。
やっちまった。この、頼りにされると断れない性格、何とかしないとなあ。
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高岡さんの相談というのは、たわいもない話だった。彼女のノートPCの調子が悪い、というだけのことだ。使っているといきなり電源が切れる。修理に出そうにもこれがないと仕事が滞るという。心当たりがあったので見てみると、やはり案の定だった。
冷却ファンが死んでいてCPUがオーバーヒートしている。とりあえず、ノートPCの下に置くファンがあるからそれを買ったら? と言っておいた。
「さすが専門家ですね! ありがとうございます! また助けられてしまいましたね!」
高岡さんが嬉しそうに言う。
「いいって。もうお礼もいいから」
「いえ、またいつかお礼させてください。それにしても……確かに、最近なんかノートがやけに暖かいなあ、と思ってたんですが……逆にこの時期、その熱で助かってたんですけどね」
「熱なんて、そもそもろくでもないものだけどね」
「え?」
「知ってる? 熱はね、全てのエネルギーの成れの果てなんだよ。石油も、電気も、原子力も……最終的には熱になる。その流れは不可逆だ。そして、熱になってしまったら、もう何も取り出せないんだ」
そう。俺はいつもシステムの排熱に苦労させられている。納品の際には空調やレイアウトまで考えなくてはならない。熱は俺にとって敵以外の何物でも無い。確かにこの時期はまだマシだが、夏なんていつシステムが止まるか戦々恐々としている。
まあしかし、こんな話をしたところで彼女に通じるとも思えないし、ドン引きされるのがオチだろう。
ところが。
「熱力学の第二法則ですね」
「……え?」
俺は思わず高岡さんの顔を見上げる。なぜか彼女の目が輝いていた。
「別名『エントロピー増大の法則』。でもね長坂さん、熱から何も取り出せない、というのは正確じゃありません。むしろ、現代文明のエネルギーはほぼ全て熱から生まれている、と言っても過言ではないです。内燃機関しかり、火力発電しかり、原子力発電しかり、当然地熱発電も……つまり、わずかにぬくもりを感じる、という程度でも、温度差さえあればそこからエネルギーは取り出せるんです。その温度差が全くなくなった状態がエントロピー極大で、そこからは確かに何も取り出せませんが」
……。
そうだった。彼女はエネルギー系企業の総合職だったんだ……
そこからはもうずっと彼女のターンだった。いや、一応俺も少し反撃を試みたのだ。
「そうは言っても、水力発電や風力発電には熱は関係ないだろ?」
「そういう発電のベースになっている、地球の水や大気の循環は……もともと太陽の熱によるものですよね?」
……見事に返り討ちだ。
だが、不思議と悪い気分じゃなかった。一度彼女が「ゼーベック効果って知ってます?」と聞いたとき、「ああ、ペルチェ素子の動作の逆過程だよね?」と応えたら、「さすが!」と言って彼女はまた目を輝かせた。なんと言うか、会話のテンポが心地よい。
しかし……
何が楽しくて俺たちは牛丼屋で熱について熱く語っているんだろう……熱だけに……って、やかましいわ!
俺が自分にツッコミを入れたときには、既に時計の針は23時を回っていた。
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