第15話 誕降
『天臨』の兆しを喜ぶべきか、はたまたそれがヴェルサの命を永らえさせていることを苦悩すべきかヴァンには即座に判断できなかった。
ともかく今は、『白流星』ヴァイスの攻撃を斧でどうにか防いでいるという現状に対処せねばならない。
「手伝おっか姉さま?」
「無用よ」
ヴァイスはリーラを退けてヴァンに両手を向けた。弾かれてしまうなら数で補えばいい、消耗する技でもない。
「忘れちゃ困るぜ!」
「!」
そこへアトンが突っ込んだ。大振りで速度もない殴打のために容易くヴァイスは回避したが、ヴァンへの攻撃は中断せざるを得なかった。
「ヴァンさん! その斧で一撃できればこいつらの『天臨』も消せるかもしれないぞ! 希望が見えてきたぜ!」
ヴァイスは顔を顰めた。その危険性は想定していたが、言葉に出されると不安定なヴァンの『天臨』が強化される恐れがあった。
「よ、よし!」
奮起したヴァンであったが、あいにく彼は戦闘にそれほど長けてはいない。よりによって斧をヴァイスへ投げつけると言う、『天臨』を潰すための最も安直な行動を取ってしまった。
「ば、ばかー‼」
ヴェルサが怒鳴ったように、その一撃はあっさりとヴァイスにかわされた上に斧すらリーラに掴まれてしまった。
ヴァイスはアトンの打撃をいなして、掌底を叩きこんでからの接射『貫直』で彼を吹き飛ばし、ヴァンへと腕を向けた。
伏せる、というよりも倒れこんで辛うじて直撃を避けたヴァンであったが、連射が可能な技の前ではさほど意味がなく地面に接すると同時に足を抉られた。
「ヴァンさん!」
アトンがヴァイスに飛び掛かったが、彼の肉体をしても『貫直』の直撃を受けて重傷で済む以上の防御力を持ちえず、数発を叩きこまれて完全に動けなくなった。
「お仕舞いよ」
ヴァイスはヴェルサへ掌を向けた。
さしものヴェルサも、足掻きつつも覚悟を決めていた。抉られたこの脚では回避できるはずもない。
「ぬあああ!」
その運命を覆したのはヴァンであった。
自身も抉られた足と出血の止まらない額を抱えながら、ヴァンはヴェルサを押し転がして『貫直』をどうにか躱し彼女の上に倒れ込んだ。
「どきなさいよ!」
「少しは感謝しろ!」
我ながらおかしな言葉とヴァンは思った。彼女を生き残らせているのは善意ではなく己で仕留めるためであるのに。
「ヴァンさん! ……『天臨』を!」
「消そうとしてるよ!」
『天臨』で体が勝手に動いているのかもヴァンには最早わからない。一寸先も考えられず、ただただその場その場を反射的にこなしているのだ。
「あんたなんかに……!」
「こっちだって嫌だ!」
ともあれ、ヴァンはこのヴェルサをヴァイスから護っている。
しかし、それにも限界が訪れた。
「あああ!」
ヴェルサ諸共肩を抉られて、ついに立ち上がれなくなった。足に力を入れても血が噴出する感覚があるばかりで、最早痛みも感じ取れない。
「くうう!」
それでも、少年は少女を引きずろうと足掻いていた。
さしものヴァイスも呆れて、思わず手を止めてしまう。
「何をしているの?」
「こっちが聞きたいよ……」
真意であった、体が勝手に動くのだからどうしようもない。
その一方で、ヴァンの心には湧き上がる感情があった。
「そいつは助けるのか」
「俺たちは殺して」
「痛い」
「寒いよ」
「苦しい」
「よくもやったのです」
「許さぬ」
「呪ってやるぜ」
ヴァイスは硬直し、リーラは歓声をあげた。
周囲から亡霊たちが湧き上がってきてヴァンに迫っていたのだ。その中には、3人組と『夜の宣告』らの姿もある。消滅しただけの彼女たちまでも、生きるしかばねのような凄惨な姿であった。
ヴァイスは迅速に気を取り直しヴァンらを抹殺せんとしたが、亡霊に囲まれてしまった上に『貫直』も阻まれてしまっていた。
打撃も、剣劇を見舞っても亡霊たちには通じずヴァンへも届かない。
「仇なんだぞ」
「俺を殺した」
「農場も」
亡霊に囲まれ外部から途絶したヴァンは、ヴェルサに馬乗りして首に手をかけていた。
元より自身で殺害するためにヴェルサを護っていた、その好機が到来すれば実行に移すのみである。
「やるんだ」
「殺すのです」
「やれ」
「やれよ」
「……」
「やりなさい」
「やらせないわよー! この野郎!」
ヴェルサは足掻いたが、仮にも軍人であったヴァンには力では敵わなかった。それでも、ひたすらに足掻き生を掴まんとしている。
「……あれだけ殺して生きようって言うのか」
「当たり前でしょ! あたしは『ティナの娘』よ! 選ばれたのよ! だから何でもするの! 『ティナの娘』だから!」
「女も子供もたくさん殺した、罪もない奴も」
「だったら何よ! 『ティナ』に逆らったんだから当たり前でしょ!」
ヴェルサの揺るがぬ根底、それは『ティナの娘』であることだった。全てが『ティナの娘』に集約して微塵も揺るがない、故に葛藤も後悔も存在しないのだ。
『ティナ』こそが絶対、それ以外は認めなかった。洗脳と言って良いかもしれない。
「消すしかないです」
「やるのだ」
「最早それが救いだ」
亡霊の呪詛を受けて、ヴァンはヴェルサの上に這いあがって手に力を込めた。
ヴェルサは暴れてヴァンの引っ掻くが、既に満身創痍な上に次第にその勢いも弱まっていく。
「俺たちの仇を討て」
隊長が囁く。
「恨みを晴らして」
アフが呟く。
「救いを」
禿げ頭が教唆する。
「目的を」
「果たせ」
「ヴァン」
三人組が背を押す。
「……」
「復讐を」
シュピオとゲッサが見守る。
「……‼」
あとほんの数刻続ければヴェルサは死するはず。その時点でヴァンは手を外して止まらぬ汗と震えに襲われていた。
「何をしてる」
「やれ」
「……だめだ」
亡霊の呪詛にヴァンは反論した。
「だめだ……だめだ」
逃避の言葉に熱がこもっていく。
「何をしているのです」
「ここでもダメか」
「ばかが」
「……だめだ」
確固たる意志でヴァンは亡霊に反論した。呪詛に耐えるのでも、身体を奪われるのでもない。初めて自分の想いをぶつけた。
「ヴェルサは悪党さ……でも、これ以上して何になる?」
「命がある」
隊長が呻いた。
「命ある限りあらゆる危険が待つ、またこいつが『ティナの娘』になったらどうする?」
「なくなった、俺が消した」
ヴェルサがヴァンの腕に噛みついた。首絞めからの回復後、逃走よりも脅威の排除に動いたのだ。重傷のせいで正確に急所を狙ってはいるが、咬筋力が伴わない。
「そんなのわからないのです」
「でも、今のヴェルサは子供だ……それを殺していいのか?」
「今更良心など」
「ふざけんな」
ヴァンは大きく息を吸って吐き出した。体中に痛みが戻ってきている。
「だめだ、殺せない」
「若造」
「腰抜けが」
「なんでお前が」
「俺は何の役にも立たないさ、意気地もない。隊長たちの方がよっぽど生き残った方がいいだろさ……でも、絶対に殺さない」
亡霊たちの姿がふっと揺らいだ。
「仇は討ったぞ……これからは、俺の人生だ」
ヴァイスの眼前から亡霊が消えた。
しかし、それは状況の好転を意味しなかった。
「うん?」
「なんだ?」
「あれ?」
「ここは?」
「なんじゃあこりゃあ?」
「ん~?」
「どうなったのです?」
「むう?」
「あ?」
「……」
「え?」
3人組、『エーステ』の隊員ら、アフと農園の者たち、山賊の集団が亡霊の姿をかなぐり捨てて揃っていた。
「ってなわけで……まずは生き残るぞ」
そして上空に浮かんだ『要塞』、復活した『天臨』を掲げてヴァンは這いつくばりながら斧を手にしていた。
「なんだここは⁉」
「あれ⁉」
『要塞』からは、アトンとヴェルサの声がした。
「うーん、なんか健全で好きじゃないな」
「復活したの⁉」
ヴァイスとリーラを前にして、ヴァンは苦痛の中に強がりの笑顔を見せつけた。
「『天臨』の名前が決まったぞ……その名も―」
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