第14話 喜劇は常に悲しく

 ヴァンと少女は茫然と立ち尽くしかなかった。それほど今目の前で起こった事象は理解不能だったからだ。

「ヴァンさん」

「あ、ああ……」

 アトンに呼びかけられて漸くヴァンは我に返った。

 少女、かつてのヴェルサもしきりに体を触り始めた。

「で、出ない……」

「ヴァンさん、『要塞』を出してみてくれ」

 ヴァンは『要塞』を出そうとした。元々どうやって発現したかわからぬ上に、打ち消したこともなくただ念じるだけであったあが、『要塞』はその姿を二度とは現さなかった。

「で、出ない……」

「ちょ! なによこれ⁉」

 アトンはヴェルサは無視して、ヴァンにゆっくりと告げた。

「消失したのかもしれん」

「無くなるなんてあるの⁉」

「俺も詳しいわけじゃない、だけどヴァンさん、あんたの目的はヴェルサだろ? それを倒しちまったから……」

「達成して満足だっていうのか?」

 否定がヴァンの口を突いて出たが、納得せざるを得ない理由にも思えた。奇襲作戦、農場、生き残ったのはヴェルサへの復讐によって『天臨』が目覚めたため。それ以外には何もないのではないか。

「正直、それが一番説明が付きやすい」

「だったら―」

「こらー!」

 突如ヴァンはヴェルサに押し倒されて殴られた。慌ててアトンが止めに入り、少女を抱え上げる。

「なにしてくれてんのよ! あたしを返しなさいよ!」

「俺は『天臨』を壊したのか?」

「二重でそうだ、で、ここからが大事なんだがまずいぞ。『ティナの娘』を倒したことになる、そして俺の読みが正しいとすると、『黒鉄』自体が消えてる。わかるか? 『ティナ』に感づかれてるってことだ」

 ヴァンはさっと顔を青くした。

「ヴァイスとリーラ!」

「そう、すぐに命令を受けて―」

 瞬きの間もなく、二人はヴァンたちの前に現れた。

 平静そのものの態度が、逆にヴァンを恐怖させた。

「あ、あんたたち、ちょっとこいつらを―」

 反射的にヴァンはヴェルサに体当たりをしていた。倒すことが目的ではない、ただその場から移動させんがために身体が動いていた。

「いたっ! なにすんのよ―」

 ヴェルサはヴァンを蹴り除けつつ抗議したが、直後に緊張を露わにしていた。

 自身がつい今しがた立っていた場所の地面がえぐれて、焼け焦げた跡が残っていたからだ。

 ヴァイスが向けた掌からは、淡い赤色の光が徐々に薄らいでいるのが見えた。

「……『黒鉄』がお母様の手から消えたわ」

「これだけ言えばわかるでしょ?」

 蒼白だったヴェルサの顔が土気色にまで落ち込んだ。

「それを行った者、それを許した不肖の『娘』……許してとは言わないわ、恨んで」

 ヴァンを抱きかかえてアトンは逃げ出そうとした。皆まで言わずとも、『ティナの娘』たちの目的が自身らの抹殺にあることはわかっている。

 その上で、ヴァンを置いていこうとは思わない。

「待った! ヴェルサを―」

「なに⁉ うわっ!」

「さっさと逃げるのよ!」

 ヴァンの叫びに呼応して、アトンの背中にヴェルサが張り付いていた。

 振り払うつもりで駆け出したアトンであったが、ヴェルサは思いのほか強く抱き着いていてむしろヴァンを落とさぬように苦心を注がねばならない程だった。

「逃がす訳」

「ないよね」

 ヴァイスとリーラは冷ややかであった。数千は眼前で繰り広げられた光景、それも『天臨』持ちでもさしたる相手ではない。

「『見えざる線(リンリア)』」

 アトンが動きを止めた。四方を不可視の何かに囲まれて進むことができなくなり、天地も例外ではない。

「『天臨』だ!」

「リーラのよ! このままだと圧し潰されるわ!」

 手の内に詳しいヴァイスが叫んだ。

 咄嗟に手を広げたアトンに圧がかかり、足裏と頭上が圧迫される。

「くそ!」

 ヴァンも斧をつっかえとして射しこみ、ヴァイスと共に両腕を伸ばして少しでも圧迫を緩和せんとする。

「破れないのか⁉」

「素手とか武器じゃ無理―‼」

「なら『天臨』だ!」

 アトンが額を何度も見えざる壁に打ち付ける。何度目かで割れる音がし、前方へ転がり出ることに成功した。

「やった―」

 が、アトンは再びの壁の感触に慌てて全身を広げた。

「早く動くしかないのよ! 捕まってちゃ疲れるだけだわ!」

「わ、わかった!」

 勢いよく殴りつけて壁を破壊し、再度の脱出に成功し駆け出したアトンであったが気づけば壁の中にいた。

「おい⁉」

「遅すぎるのよ!」

 押しつぶされまいと苦闘する3人の傍に、悠々とリーラが降り立った。

「諦めなよ、流石に『黒鉄』を無くしちゃうとね」

 淡々と告げるリーラに、ヴェルサは壁に阻まれるとわかっていながら唾を吐きかけた。

「ふざけないでよね!」

「ふざけてないさ、ヴァンは勿体ないけどね。あの素敵な鎧と『要塞』は残念」

「この!」

 どうにか壁を破ったアトンは愕然とする。貫いたはずの先に二重に壁の感触があった、恐らく3重4重にもなっているだろう。

「まずいぞヴァンさん!」

 初めて聞くアトンの弱音に、反論できる余裕がヴァンにはなかった。肉体はもちろん、斧すら悲鳴を上げ始めている。

「さっさと片付けなさい」

 ヴァイスの言葉が必要以上に冷徹であったのは、彼女が抱える罪悪感の発露でもあった。血のつながりはないとは言え家族を手にかける後ろめたさ、いずれは己は未来でもあろうその姿、目をかけ結果を出したヴァンたちの理不尽な粛清、そしてそれを保身のために断行せんとする自己嫌悪が渦巻いていた。

 結局は『天臨』と地位を失うのが怖かったのだ。

「僕はじっくりいくのが趣味なんだよ」

 リーラは薄笑いを浮かべながらヴァンたちを眺めていた。

 アトンの拳に血が滲み始めている、如何に『天臨』で身体能力があがっても生身では限界があった。いずれは圧迫に対抗できなくなる。

「潰れるよ、潰れるよ、潰れるよ」

 必死の抵抗の最中にも、ヴェルサはリーラとヴァイスを睨みつけるのを止めなかった。

「ふざけんじゃないわよー! お母様もあんたたちもやり返すからね! あとそこの金髪!」

「先にやったのはそっちだ!」

 ヴァンは額に生暖かい感触を覚えた、斧の傷が開いて再び髪を血が染めているのだ。

「あたしがなにしたのよ⁉」

「君が殺してきた人たちの中に、大事な人たちがいたんだよ!」

「『黒鉄』より大事な奴なんかいないわよ!」

 アトンですら感じ取れるほどの怒りの熱がヴァンに湧き上がってた。

「ふざけるな!」

「そっちこそ! 大体あんたのせいじゃないのー!」

 死への恐怖と言いようのない怒りががヴァンの冷静さを奪っていた。彼女を殺せば抵抗力が弱まるだけだと言うのに、斧を支えから外して突き立てたのだ。

 ヴェルサは辛うじてその一撃を避けた。行き場を失った刃は壁にぶつかり弾かれるはずであった。

「うあっ?」

 だが、斧は壁に囚われることなく勢いのままに突き進んでいき、ヴァンもそれにつられていった。

 気づけば囲みを抜けており、彼自身何が起きたのかを理解できていなかった。

「割れた⁉」

 抜け目なくヴェルサが、遅れてアトンが囲みを飛び出した。

「『天臨』?」

「復活したのか⁉」

 リーラとアトンが意見を同じにした。

 斧が『天臨』を纏って強化され、『見えざる線』を破ったのだ。それは恐らく、ヴァンがヴェルサへの怒りを抱いたことに依るだろう。

「なんだか知らないけど!」

「あ! 待て!」

 素早く勘定したヴェルサは逃げ出そうと走り、ヴァンが慌てて追走しようとした。

「あっ⁉」

 しかし、彼女の逃走劇は始まりもしなかった。

「『貫直(ヴェフラ)』……」

 ヴァイスが先ほどヴェルサを仕留んと放った掌からの赤い閃光が、少女の足を抉っていた。

 既に次発の準備は済んでいる、胴体に一撃し更に頭に一撃、それでヴェルサは死亡する、

 だがー

「なに⁉」

 二撃目をヴァンが斧で防いだ。自発ではない、斧が勝手にそう動いていた。

「そうか! ヴァンさん! 敵を仕留めるのは―」

 己が手によってでなければならない。

 『天臨』が再度目覚めた今、ヴェルサに止めを刺すのは自身でないと許さぬと、復讐すべき相手の命を奪わんとするヴァイスの一撃に反応したのだ。

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