第10話 『紫人狼』
ヴァンが『エーステ』への入隊が決定されたこと自体が、国家の末期的状態を示していると言え、隊長もそう判断した。
兎に角平凡な青年だった。高低どちらかに振り切れていればまだ対処は楽だったろう。指示を与えれば一生懸命にこなしたが、全ては想像通りの成果に終わっていた。日々悪化する戦況と相まって、青年の存在は部隊には頭痛の種であった。
平時ならまだしも、敵国首都への奇襲という任務に彼が何を果たせただろうか。盾にも囮にも用いられなかったが、各々が精いっぱいで気に掛けることもなく。恐らく失敗するだろう作戦の中で命を落とすだろうと皆が確信していた。
そして皮肉にも、ヴァンだけが生き残った。
周囲が、自分をどう思っているかわからぬほどの愚かさを彼は与えられなかった。害意ではないにしろ、除け者にされて楽しいはずもない。
しかし、唯一の生き残りであるという事が彼を変えた。
依り代を喪った事と、罪悪感と無力感が生を保たんがための目標を求めた。孤児院では孤児院の言いつけ、軍学校では教官の命令、『エーステ』では部隊の意志。
そして至ったものが、『エーステ』の一員としてのヴェルサへの復讐である。
とはいえ、その意志を鋼とするのは困難を極めた。『天臨』に目覚めてからの部屋の存在は一見すると挫くためのものに思える。農園と盗賊団の追加は彼の罪が『増えた』ためだ。内なる声がかっを苛む。
が、ヴァンにはわかっていた。
その真の目的は達成のためにあると。何故なら怨嗟を浴びせられるたびに、決意が漲っていると感じる。恐らく復讐を成し遂げれば、彼らは解放されるのだ。だから部屋に入り受けても揺らがぬ意志に安心した。
それが表に出てしまったのは予想外だったが。
「「……」」
さしものロデたちも言葉が無かった。
それほどにヴァンの秘密は常軌を逸しているように思えたのだった。戦いにおいては勇武を誇る彼女たちでも、戦場を離れた狂気には太刀打ちができない。
侮りつつも逆らえなかった主人の新たな側面に慄く反面、彼の心が自身らを全く無視して過去にのみあるという事実に言い様の無い嫉妬心が芽生えてきた。
ゼッタはヴァン達が隠れ家に戻ってきてから雰囲気が重いことに気づいた。特に3人組とその部下に元気がなく、食料を詰め込むとき以外『要塞』に籠りきり出てこない。
「あ~、喧嘩したか?」
「ちょっとね」
ともあれ、彼女にはそれほど重大な関心事でもなかった。ヴァンから一応の回答をもらうと、風呂に入るように命じ食事の用意をしてから洗った服を渡して、報告書に一応書き記しヴァイスの来訪を待つことにした。
食事を終えるとヴァンやアトンの顔にも安らぎが戻ってきた。シュピオとゲッサは未だに二人に付いている、シュピオは元が不安げなためにわからなかったが、ゲッサは明らかにこの主人を恐れているようだった。
「ヴァンさん、復讐にしろヴェルサのことを知っておくべきだ」
アトンは隊長らの存在を意図的に無視していた。個人の問題には深入りしない、リキドとワッチの仲も興味はあれど詮索しなかった。
「知ってるよ、あいつは……」
「『天臨』のことじゃない、どういう思考をして誰が味方で誰が敵か、それこそ便所の間隔までだ」
ゼッタが食卓での話題には似つかわしくないと眉をひそめたが、あくまで彼女だけにとどまっていた。ヴァンでさえ、戦いにおいて卑怯卑劣は名前以上の意味はないと知っていた。
勝利は強者が得るのではない、誰よりも選ばぬ者が手にするのだ。
「どうやって?」
「……」
シュピオがおずおずと手を上げると、ヴァンは間抜けな顔で手を叩いた。
「そうだった」
「待て待て、いいかシュピオ、待つんだ。相手は『ティナの娘』、見つかったら終わりだぞ」
「わたくしたちが負けると?」
「絶対に勝てると断言出来ないとな」
アトンがゲッサをいなす。
「奇襲部隊を一人で全滅させて、農園まで跡形もなくしてるんだぞ。あんたたちも相当だろうけどできるだけ強くなった方がいい」
正直なところ、備考が可能であったシュピオの能力をアトンは信じ切れない。自身が優れている故になどと己惚れることはできなかった。
「それなら、ヴァイスに聞いてみるか」
「そうだ、彼女が一番情報を持ってるだろう。それから、街の金で『要塞』を―」
不意にドアが開いてプロスが顔を出した。
「計画は私が立てますからね」
存在を誇示したのだったが、ヴァンを恐れているのか口調は弱くすぐに消えたために意味はなかった。
「……えっと、そうしてからできれば消耗した後を狙う」
「でもなあ……」
「ヴァンさん、万全を期すならそれくらいしないと」
ヴァンとてわかっている、しかし、割り切るにはまだ青い。
「どれだけ―」
再びドアが開いた。
ゼッタを除いた一行は固まった。佇んでいるのは3人組でも『夜の宣告』でもヴァイスでもない、紫色の鎧だったからだ。
ヴァンは最初それを幽霊かと思った、鎧にしては枯れ枝のように四肢が細く、特に胴回りと腕が殆ど同じ太さに見えたのだ。
犬を思わせる獣を模した造形も相まって、異形の威圧を周囲に撒いている。
「お~、『紫人狼(リーラ)』かあ~」
「久しぶりだねゼッタ」
が、ゼッタだけはその鎧に親し気に話しかけ食事を持ってきた。
鎧の中からの少女の声にヴァンは驚いたが、ゼッタの言い様から鎧が『ティナの娘』であると判断するとそれに納得した。
「ま~、食いな」
「いただきます」
鎧の口を開けると、次々にリーラは料理を流し込んでいった。
「う~、不便だなあ」
「だからヴァイスに協力してるのさ。な、ヴァンくん」
突然呼ばれてヴァンは気おされた。
「初めまして、『ティナの娘』が一人『紫人狼』さ」
「あ、ああ。ヴァンだ」
「心配はいらない、僕もヴェルサの仲間、お母様から逃れたいのさ」
不意にシュピオに激しく服を引かれてヴァンは彼女を見、視界に入った光景に凍り付いた。
隊長、『エーステ』の隊員、アフたちが開け放たれたドアから中へと侵入してきているのだ。
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