第9話 ある変化
ヴァンは、後々まで故郷の反乱運動を鎮圧したことを非難されても十分な理解ができなかった。
確かに孤児だった彼を育んだのはかの国だ、しかし、恩義を感じさせぬ恩を以ては忠誠を求むるのは酷であろう。
命令に従い死ね、その一点だけを遂行可能になるまで成長させるのが孤児院の方針だった。それを絶対とするほどヴァンは純真無垢ではない。
故に、『要塞』に乗り込んで空を飛び同胞を害することに躊躇を憶えることはなかった。『エーステ』の隊長たちもアフの農園の仲間もすでに無い。あるいはその場であれば葛藤に苛まれたかもしれないが、生憎反乱の地は初めて訪れる場所だった。
首都に次ぐ大都市であり、戦火に苛まれることもなく街並みは整然と保たれていた。一見すると反乱の気配は見えないが、それならヴァイスはヴァンらを送り込まなかっただろう。災厄は沈黙を以て進行し、抗議の間もなく襲い掛かる。
「えー、君たちの反乱はすでにわかってる……首謀者も! だから……えっと……」
「武装解除して降参しろだ」
「あ、ありがとう。武装解除して降参しろ! ……武器を捨てて、参ったって『ヒンメル』に言うんだ! えっと、首謀者は死刑だけど……他の人は助かるかも! 『白流星』ヴァイスの名での宣告である!」
『要塞』からのヴァンの宣告への返信は言葉によるものではなかった。。
都市の人々は騒ぎだし、どこからか持ち出した武器をもって上空に浮かぶ謎の球形達に向かって威嚇し罵声を浴びせたのだった。
いよいよ『ヒンメル』が本腰を上げて鎮圧に来たのだと判断し、決死の覚悟を決めたのだろう、次々と殺到して群衆へと膨れ上がっていく。
「おかしいな?」
「元から降参するような集まりでないし……」
「ヴァンがバカなのです」
アトンの気遣いをロデが台無しにした。
日の出と共に出発したヴァン達は、ヴァイスから文章を渡された。
「私の名前と刻印での降伏文書よ、最初にこれを読んでみるといいわ」
「そうすれば降参する?」
「いいえ、攻めてくるでしょうね。そうしたらこっちのものよ、『ティナの娘』の代理へ攻撃したんだから名分が立つわ」
やや不満げにヴァンは文書を読んでしまい込んだ。有用な策略がおしなべてそうであるように、巧妙というよりも悪辣な技に思えたからであった。
彼が属していた『エーステ』はむしろそちら方面を専門にしているはずなのだが、当事者と第3者の視線の違いによる矛盾なのだろう。
「大丈夫よ、『ティナの娘』を前に逃げるだけの器量はないわ。支持と体面のために必ず向って来る」
「そういう心配をしてるわけじゃ……」
「ヴァン、綺麗汚いを言えるのはそれを押し通せる力を持ってからよ」
ヴァイスに言い込められてヴァンは『要塞』に乗り込まざるを得なかった。
はた目には奇妙に見える態度であったが、アトンには理解できる気がした。
彼も同じく故郷というものに思い入れがなく、属していた山賊団の壊滅に自然に手を貸したが、もしヴァン達が所謂汚い手を用いていたら戦後別れていただろうと断言できる。
要するに我儘なのだ。しかしながら、生き方に置いて優先されるべき思想である。
「攻撃なのです」
「ようやく出番だな」
「腕が鳴りますね閣下」
「「万全です!」」
「くそ! 俺もいくぞ!」
「まずは『飛ぶ焔』で牽制するのです」
弓矢や石で『要塞』を落とさんとする人々へ『飛び焔』が降りて行った。
「今から威力を見せるぞ! ……それでも向かってくるなら知らないからな!」
ヴァンの叫びと同時に、建物のいくつかが『抉れて』いった。
どよめく人々の前は完全に一つの建物が消失するに至って、一人また一人と武器を投げすてて逃げ出した。
「怯むな! まやかしだ!」
鼓舞しようと一人の男が振り上げた剣が根本付近まで消失する。直前の威勢をかなぐり捨てて男は剣を放ると走り去っていった。
「『鉄槌』を使うまでもないですね」
男の逃走が二度目の契機になったのだろう、群衆は蜘蛛の子を散らすように逃走を始めた。悪あがきに『要塞』に武器を投げつける者もいたが、せめてもの抵抗と言うよりも面子のための意味合いが大きそうだった。
それでも数十名が残っていた。勇気と無謀に魅入られ怒声をあげながら『要塞』を威嚇する。
「ロデ、あれは私たちで片付けてよいだろう?」
「『鉄槌』よりも安く済みますね……いいでしょう」
「よっしゃ、俺もいくぜ」
ヴァンも無言で斧を構える。
「ヴァンさん、今回はいいんじゃないか? 多分だけどあそこに首謀者はいないぞ、こいつらで倒せないってことは……」
アトンは途中でヴァンの非難と3人組らの称賛の視線に気づいた。
ヴァンは流儀として、ロデらは自身の存在確固として出撃に一言ありである。アトンの発言はそのまま指標の一つになってしまったのだった。
「そうだぞヴァン」
「消失の危険の方が大きいぜ」
「大人しくしてるです」
ヴァンは明らかに反論に詰まっていた、アトンの言が正しいなら自分が出ても意味がない。前線に赴きたいと言う理由で『要塞』そのものを消失させてしまえば元も子もなかった。
「いや、やっぱり……ヴァンさんはな?」
「プロス参る!」
「『夜の宣告』続きます!」
「俺も出るぜ!」
「わたくしはまたも留守番!」
「……」
プロスたちが次々光に包まれて消失したかと思えば、地上に現れて残り組に突撃していく。
数の上では劣る彼女らだったが、さながら大人と子供のように敵を蹴散らしていく。訓練された兵士でないながらも、やはり常人には歯が立たない強さを持っていた。
「悪かったよヴァンさん。でも、復讐一番だろ?」
「……わかってる」
その光景を不満げに眺めるヴァンをアトンは必死に慰めていた。今回は是非は置いて自分が原因となったのは確かである、正しいことが彼を傷つけてしまった。
「そもそも大将が前線に出るのがおかしいのです、あのでかっちょの時は、恐らく二人なら一撃で殺してしまうから動きが止まったのです。無抵抗にしてからヴァンにやらせれば解決なのです」
「おい!」
無神経且つ悪趣味なロデにアトンは憤ったが、彼女のきょとんとした顔を見ると怯んでしまう。自身に間違いなどないという絶対的な自身が気味悪かったのだ。
「いいんだよアトン、本当なんだから」
「で、でもな……」
「ロデ閣下に従うのです。閣下の知略は正しいんですから」
ゲッサが便乗する。戦闘に出れない分を他で挽回しようとしているらしかった。
「そろそろ戻っていいんじゃないか? もう―」
「待った、また出て来たのです」
ヴァンが場を変えようと発言したと同時に、ロデが何かを見つけた。
要塞内部にその外の光景が映し出される。
死屍累々の中に立つプロスたちに、怯みながら接近していく人影があった。
「‼ プロス! セイド‼ 絶対に攻撃するな! お、俺が今行く!」
「どうした⁉」
「知り合いだ! だめ! 話すから何もするな!」
ヴァンとアトン、ゲッサとシュピオは光を放ち『要塞』から消えた。
ロデは何者かと映し出されたその人物を凝視する。
粗末な服を着て痩せた男、より深化した禿げ頭を晒すのは、農園のアフの教育係であった。
「待て待て待って!」
プロスたちは突然現れたヴァンに面食らい、そのおかげで教育係への注意が逸れた。
「あ、あのえっと……」
ヴァンは教育係に説明しようとして、名前も知らないことに気づく。そもそも顔を合わせたのもヴェルサの襲撃の直前しかない。
「農園の……」
「! そう!」
教育係は憶えていた。
「……やっぱり、お前が『ティナの娘』と組んでぼっちゃんを……農園をやったんだな……」
が、望ましい再会とはなりえない。
ヴァンの表情と肉体が凍り付いた。
教育係は震える手に果物ナイフを握り込んだ。
「俺は―」
「見間違いだと思ったんだ、けれど、その赤髪と斧はお前のじゃないか……『ティナの娘』と一緒にいたろ……そして今も」
次第に教育係の言葉に熱が宿り足が早まっていく。
「やっぱりお前が……」
アトンとゲッサがヴァンの前に出て盾となった。目的は異なれど護衛の対象であったからだ。
教育係はやや気おされた風に立ち止まったが、それでも再度歩み始めた。
「俺も生き残ったんだよ……忘れようと思ったんだけどさ……こんなのされたら……無理だ、無理だろ?」
ヴァンは呼応するようにアトンとゲッサをどけて前に出る。
それを彼らが阻止できなかったのは、ヴァンの顔に異様な迫力があったからだった。その表情を現す言葉が思いつかない程に、諦観に満ち満ちている。
「あああ!」
教育係が突進するのをヴァンはいなして首筋に斧を叩きつけた。必要以上の力が籠ったのは、せめて一撃で楽にしてやろうという慈悲である。
それも虚しく、教育係は倒れこんで痙攣しながら呻き続けていた。即死させることに失敗したのだ。
ヴァンは斧を頭部に振り下ろすことでその生命を絶ったが、同時に立っていられなくなった。
「ヴァンさん!」
「……戻ろう」
ヴァンが発光し消失するのに続いてアトンらも『要塞』へ帰還する。最後まで表情が変わらなかったことが、アトンを焦燥させた。
『要塞』はそのまま飛び去り、住民たちが恐る恐る姿を現した頃には死体が残るだけだった。隠れて一部始終を見ていた者もいたのだが、言葉の全てを拾うことはできず『ティナの娘』の使者により反乱者が苦も無く一掃された以上の語りは出せなかった。
程なく『ヒンメル』の治安維持部隊が増員され、参加者と首謀者とされる者たちが『正当な理由をもって』逮捕されると運動は一挙に衰退した。
「帰ったぞ」
「不甲斐ない敵でした」
「歯ごたえねーよな」
「侮りは禁物です」
飛行する『要塞』内ではプロスらが祝杯をあげていた。ゼッタに作ってもらった弁当を広げて酒を呷る、が、どこか乗り切れていない雰囲気があった。
「何か食べないと……」
「腹は減ってるんだけど……」
原因はヴァンである。教育係の一件から、ずっとふさぎ込んでいた。
ロデたちも農園の惨劇は目の当たりにしている、犠牲になった者と直接の面識はないがヴァンがどのように過ごし、且つ先ほどの意味が分からぬほどでもなかった。
「……部屋に行ってみるか?」
「今はいいよ……」
と、部屋に通じる扉が突然開いた。
アトンやロデたち、そして当人たるヴァンまでもあっけに取られる中、闇の広がる内部から人影が現れだした。
すぐさまに戦闘態勢を取ったプロスたちは、あっ、と声をあげる。洗濯中のヴァンの服、即ち『エーステ』の軍服を着た一団こそが人影の正体であったからだ。
そればかりか、アフをはじめ農園や山賊団の人々も出てきており教育係の姿まであった。皆一様にヴァンに向かって、彼を囲んだ。
「やれやれ、待ちきれなくて飛び出してきたのですか?」
ロデは安堵し、プロスらにもそれが広がっていた。慰めるための機能が、ヴァンの心圧に反応してついに扉から出て来たのだと判断したのだ。
が、アトンは不吉なものを敏感に感じ取っていた。リキとバーバーやワッチまでいるのは明らかにおかしく、それにしてはヴァンは恥じらいも照れもせずに、ただただ青ざめているだけだったからだ。
「新入り……」
「……隊長」
ヴァンと同じ斧を背負った中年男が前に出る。厳めしい顔立ちに古傷と日に焼けた肌が、歴戦の戦士を思い起こさせた。
「なんでお前が生きている……」
瞬間、ゲッサは悲鳴をあげた。
扉から出て来た人々が、死体と見まごう姿に変じていたのだ。傷つき、血を流し、手足が欠損している者も多数であった。アフをはじめとする農園の者は焼け焦げており、教育係は首が取れかかって頭が割れている。
「どうしてお前が」
「俺には家族がいたのに」
「農園が消えちまった」
「痛かったぞ」
「なんでこんな目に」
「お前のせいで」
「ぼっちゃんも俺も」
彼ら、部屋の中の死人たちはヴァンを責めた。激しくはない、しかしその分怨嗟が籠り魂まで染み入りそうな冷ややかさがあった。
「ヴァンさん……」
ヴァンは青ざめつつも、教育係に手を下した時と同じ諦観で責めを受け続けた。死人らは恨みつらみを何度も口にすると、今度はヴァンにすがっていった。
「俺は死にたくなかった」
「俺だって」
「助けて」
「痛い痛い痛い」
「治してくれ」
「生きていたい」
おそらくは死ぬ間際のうわ言を繰り返し、死人らは徐々に姿を消していった。
最後に残ったのは『エーステ』の隊長である。
「お前さえいなければ……」
そう放って消え、部屋への扉は閉じられた。
誰も言葉を発せられなかった。
「ヴァンさん……」
「よし」
気を張って声を出したアトンにヴァンは応える。
青ざめて震えながらも、その音色に嘘偽りはなかった。
「まだ、仇を討とうと思える。俺はまだ、いける」
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