第6話 勝利の副作用
「ぬっ、ぬっ……」
リキドは傷口を冷静に観察し、『天臨』を以て回復を行おうと斧を引き抜いた。僅かではあるが傷が蠢き閉じようとしている。
「回復するのです! 止めを刺すのです!」
ロデはそれを見逃さず二人に攻撃を命じた。
「任せ―」
「死ね―」
迫るプロスとセドンであったが、何故か止めを刺す直前で凍り付いたように固まってしまった。意識はしっかり存在し、互いに視線を送ってこの異常事態をどちらかでも説明できないか嘆願した。
「ぬあありゃあ!」
その隙を見逃すリキドではなく、斧で二人の腹を薙ぎ払った。
血を流しながら二人は倒れ、一瞬光を発して消えてしまった。『要塞』の一部であり復活は可能であるが、それには資金が要る。今は消えたままでいるしかない。
「ヴァン! 小屋の蓄えを―」
「よくも二人を!」
ヴァンの耳にロデの言葉は届かなかった。
今の彼にあるのは沸騰した怒り、自身を見下していたはずの二人を目の当たりにして何故か沸き上がる怒りであった。
彼女らはともかく、彼には『エーステ』の隊長たちやアフと農園の人々と同じ仲間なのだ。それが傷つけられて、復讐よりも合理的な行動を取ることはできない。
突進したヴァンにアトンが続いた。この状況ならリキドにも勝ち目があるかもしれなかったし、ヴァンを放っては置けなかった。
「てめえら! さっさと来い!」
リキドは、ヴァン達を迎え撃つべく斧を構え直しながら盗賊たちに怒鳴った。無論、帰ってくるのは冷ややかな視線と逃げ出す者の背中姿のみである。
見捨てて逃げ出そうとした上に、保身のために売ろうとまでした相手なのだから当然だ。リキド本人にすらその行動は予測できた。
しかしながら、彼は叫ばずにはいられない。生まれてこの方何も与えられなかった故に、奪うことでしか生を成し得なかった。
だからこそ、生き残るためにはあらゆることを惜しまない。例え無駄とわかっていても試してはみる。だからここまでこれたのだ。
「ぬううえい!」
「ヴァンさん危ない!」
アトンはヴァンを抱きかかえて倒れ込んで、斧の一撃を躱させた。潰されたヴァンが奇妙な音を立てて息を吐き出したが、頭を割られるよりはましだろう。
「だっしゃ!」
「かっ!」
アトンは蹴りでリキドの手から斧を弾き飛ばし、そのまま飛び掛かって目を突こうとした。『天臨』で強化されていても、元が眼球では皮膚や筋肉程強固にはならない。
防御しようとしたリキドであったが、膝の傷で動きが鈍り片目を潰されてしまった。
「ぐむううううう!」
「なにっ⁉」
が、驚愕したのはアトンの方であった。
リキドは眼球に指を入れられたままの手を両手で掴み、噛みついたうえで体を回して関節技でへし折ろうとしてきたのだ。
「このおおおおおおおおお!」
「ぐふっお⁉」
ヴァンが頭蓋に斧を振り下ろした。食い込みはしているものの、それでもリキドは手を止めず、むしろ力強くすらあってアトンの足をもごうとしていた。
「うおおおおおお!」
「ヴァンさん! 頼むう‼」
半狂乱でヴァンは斧を叩きこみ続けた。ずっと同じ傷口に当たるわけにもいかず、深化する傷と増える生傷でリキドの頭部は恐ろしい様相になってきていた。
「がむっ⁉」
斬撃が20を超えたころ、不意にリキドは手を離して立ち上がった。
あっけに取られる二人を無視して、よろよろと歩き出す。
「ガキガキガキガキ……ガキガキガキ」
ふらふらと彷徨った後、リキドは盗賊たちの方へ向かっていった。最初は恐れて避けていた盗賊たちだったが、一人が斬りつけ『天臨』が切れて傷を負った彼が斃れると、集まって攻撃を始めた。
「この野郎!」
「裏切り者!」
興奮が興奮を呼び、日ごろからの反発も加わった。道義でなく肉体的な疲労でようやく集団が離れた時、そこには肉が残っているだけであった。
この時になって、ようやく盗賊たちは自身の立ち位置に考えが至った。アトンとヴァンを見て、媚を浮かべて平伏する。
「あ、あの俺らは……」
「今すぐ消えろ」
アトンの冷徹な一言が全てを物語っていた。幾人か蓄えの分配について交渉をしようと目論んだ者もいたが、アトンの怒りの眼を見て命取りになりかねないと断念した。
盗賊たちはすぐさま霧散した。持ち出す財産で悶着も起きなかった、それほどアトンは不機嫌であったからだ。
ヴァンは斧を振り下ろした興奮でマヒしていた足の痛みが再発し、座りこんで茫然とリキドだった肉を見つめていた。いつの間にかシュピオが背後に寄り添っている。
「全く、何を考えてるのですか」
「あ……」
「火は私が消しましたよ。優先順位ってものをわかっていませんね」
小屋は一部が焦げているだけで健在であり、ロデはどこか得意げだった。
ヴァンはロデの説教も頭に入ってこなかった。殺人は初めてではないが、慣れてるほどこなしてもいない。斧の攻撃による痺れと震えが収まらず呼吸をするのも億劫なほどだった。
アトンに目を向ける。彼はリキドだったものを見下ろしていた。
その表情は伺えない、ただただじっと長い時間見下ろしていた。
「アトン……」
「あああああ!」
アトンが、遅れてヴァンが構えた。
不意の侵入者の声は、見張りのワッチのものだった。相も変わらず呻きながらもよろよろとアトンの隣に立つと、リキドを見下ろしてしゃがんで揺さぶった。
「ワッチ……」
「ああ……あああ……ああ」
ワッチはすっくと立ちあがると、今度はバーバーの傍まで行って同様のことを繰り返した。
「あああ……」
そして、素手で地面を掘り始めた。
「ワッチ、俺がやるから……」
「あああ……」
「俺も手伝うよ」
見かねたアトンとヴァンが介助した。恐らく墓を建ててやろうとしているのだろう。
アトンは他の山賊たちも同様にしたがったが、流石に膨大過ぎる数に断念せざるを得なかった。
「あああ……」
ヴァンたちは最後まで知る由もなかったが。ワッチはリキドにとって幼馴染と言える存在であった。盗賊団以前からの付き合いであり、あのリキドをして利と情を測りにかけても情に傾くほどには気にかけていた。それを誰にも漏らさず、ワッチも喋れぬために終ぞ表に出ることはなかった。
巨体の二人を埋めるのには時間がかかった。アトンが器具を持ってきてくれたおかげで多少は楽になったものの、終える頃には太陽が沈み始めていた。
「ワッチ」
「……あああ」
小屋に入るように促しても、ワッチは墓の前を動こうとしなかった。無理に連れ込んでも騒いで外に出てしまう、諦めて一行は小屋に入り、アトンは毛布と食糧を置いてやるしかできなかった。
「さあさあ、シュピオ、蓄えを探すのですよ」
シュピオは頷くと、とことこと歩き出した。
アトンはヴァンの怪我を治療する、出入りがあった分どこに何があるかは大体わかっていた。蓄えだけはリキドによって隠匿されていたが。
「ごめん……」
「何がだ? 俺は最初から復讐のつもりだ。手助けをしてもらって感謝してる」
アトンの言葉は本心である。が、二人を討って得た感情が喜びからほど遠いものであったことがそれに含みを持たせた響きを与えていた。リキドからは拾われて以来暴力と命令以外を与えられていない、バーバーは先達ということで常に見下されていた。悲惨な思い出は星の数ほどなのに、良い思い出は5指に収まるだけしかない。
にも関わらず、歓喜は訪れてくれなかった。成し遂げた復讐の成果に悩む彼の姿は、ヴァンに強い印象を残していた。
「……」
「ありましたか?」
戻ってきたシュピオはロデに耳打ちし、次にヴァンに耳打ちした。
「……地下の寝室の隠し戸の奥」
「ああ、ありがとう」
シュピオは頬を赤らめて背中に隠れてしまった。
「ほら、ヴァン、いくのです。二人を生き返らせるのですよ」
「わかったよ」
ヴァンはシュピオとアトンに支えられて身を起こした、このまま戦闘の要を封じたままではいられない。
地下の寝室はアトンも初めて入った。他の部屋はそれなりに見栄えにも気を使っているのに、そこは簡素そのものであった。頭目としての見栄が必要でない場であるので、頓着しなかったのだろう。
「おお!」
シュピオが開いた隠し戸を開けてロデが感嘆し、ヴァンとアトンも驚きを隠せなかった。
丸々小屋全体程もある空間に、金銀財宝が唸っていたのだ。誰もが生涯に初めて見るほどの量だった。金の海で泳ぐ、が実行できること疑いようもなかった。
「これを『要塞』に入れるのです」
「わ、わかった」
ヴァンとアトン、シュピオも手伝って財宝の幾ばくかを持ち出した。
そのまま外に出て、呼び寄せた『要塞』へと置いて外へ出る。
間もなく、傷跡一つないプロスとセイドが姿を現した。
「復活したぞ!」
「あの糞豚はどこだ!」
「元気で良かった……死んじゃったよ」
「なに⁉ ふざけおって!」
「死体をいたぶってやる!」
「後にするです、今は『要塞』にお金を運ぶです。さあ」
ロデはほっとした、ここまで急いだのもアトンの存在と他の盗賊団の脅威があったからだった。前者はいつ裏切られるかわからず、後者も気を変えて襲い掛かった場合アトンが味方のままでいるか倒されないという保証もない。
この点に至らない、というよりも信じ切っているヴァンはロデの頭痛の種であった。
猛る二人を抑えて、財宝を運び込む作業が始まった。休んでろと言われたヴァンが無理に手伝ったり、アトンに手伝わせるとくすねる危険があるとプロスが主張してヴァンが怒ったり、ワッチが動かぬのをアトンが気にして遅れたりと悶着はあったが、真夜中には積み込み終えて食事にありつくことができた。
「私の部下を増やすぞ」
「いや、俺が先だ」
プロスとセイドはどちらの戦力を増強するかで早速喧嘩を始めていた。これほどの資金があれば可能とあって高揚しているのだ。
彼女らは本来指揮官であり、用兵を行う側であったから当然の流れである。
「維持費を考えているのですか? まずはプロスの部下を優先して、あとは『要塞』にです」
「よし!」
「なんでだよ!」
ロデに増員を却下されたセイドが抗議する。
「汎用性を重視するのです、今のままでは戦力が少なすぎます。先ほどの不覚を憶えていますか?」
「あれは勝手に止まったのだ」
「そうだぞ」
「その原因がヴァンにあるのです」
「え? 俺?」
「敵対した相手の総大将、今回の場合は頭目のリキドを倒す寸前に硬直したのは。『要塞』の敵を滅するのはヴァンでないといけない制約があるからなのです」
3人組が一斉に顔を顰め。流石のヴァンも気分を害した。
「なんと!」
「マジかよ!」
「ええ、全く不幸なことばかりです」
「悪かったな」
「以上から、敵を殺さずにヴァンでも勝てる程度に弱められる戦士、つまり精鋭が必要なのです。
「というと、我が最強の部隊『夜の宣告(ゲーベン・シェラフ)』だな!」
アトンがヴァンに耳打ちする。
「どんなのだ?」
「わからないよ」
「わからないって、ヴァンさんの『天臨』だろ?」
「俺は動かせるだけなんだ……多分、『要塞』は金が十分ある状態が本当の姿で、今はそこから切り詰めてるんだと思う」
「なるほどな、まあ俺だって自分の『天臨』をしっかりわかってるわけじゃない……それはそうとやっぱり名前があった方がいいんじゃないか?」
「そうかなあ……」
ヴァンはそれほど名前にこだわりはなかった。プロスのいう『夜の宣告』という部隊名も大仰な気がする。
「それでは……よいですね?」
「ああ」
すでに決まっていることへ命令を下す虚しさを覚えながらも、ヴァンはロデに了承を出した。
まず『要塞』が劇的に変化した。あばら家だったそれは元の4倍以上もある球体を形作ると、木片が金属へと変形する。さらには淡く光る幕に包まれて、且つ空中浮遊するようになった。
3人組の鎧や衣服も新調される、根幹はそのままに底上げされた形になり、如何にも大物と思わせる気品や威風が漂っていた。
「飛行能力と、『天臨』による防壁を加えてあります。名付けて『隔てしもの(ヴェーレ)』。攻撃機能はまだ早いのです」
「名前いる?」
ロデは無視して、『要塞』の入口を開けさせた。
内部から数十人の黒と金の鎧を着た美女たちが躍り出た。プロスの部下と言うことからか、全員が銀髪で赤い目を持っている。
ただし体格や顔立ち、髪型や鎧の形状と武器は各々で異なるため、画一的な印象は受けにくい。
「閣下……お待たせいたしました」
「こちらこそすまぬ、シェン」
隊長と思しき偉丈夫が恭しくプロスに頭を下げると、他の『夜の宣告』らも従った。どの顔にも感動が刻み込まれている。
「これからは我が身を投じてお役にたちましょう」
「然り‼」
「頼りにしているぞ。さ、腹を満たすのだ、空腹では動けん」
隊員らが歓声をあげて食事に向かう中、隊長シェンは険しい顔でヴァンに詰め寄ってきた。
「ヴァン、わかっていると思うが閣下に恥をかかせるなよ」
「おい」
アトンが声を荒げる。3人組もだが、主であるヴァンにあまりにも不作法すぎるではないか。
「いいんだよアトン。わかってるから」
「お前はロデ閣下の言を遂行していればいいんだ」
それだけ言うと、シェンはプロスも参加し宴になりつつある場に向かっていった。
「ヴァンさん……」
「腹は立つけど、どうしようもないよ」
どうとでもできるからこそ、ヴァンは寛容にならざるを得ない。それこそ命令すれば意のままに彼女らを操れ、無礼な発言の罰を与えることもできた。
しかし、そうしたところで利点はなかった。ヴァンの自尊心が安らぐだけで、根本的な解決にはならない。何故なら全員がどれだけ悪態を吐こうが従うのだから、そもそも反逆ですらないのだ。
かつ、そうしたところでヴァンの軍事的能力が乏しいことも事実である。図星を点かれてそれに権力をかさに着た報復をすれば、己の品位を貶めるとヴァンは思っていた。
何より『仲間』だ。
「それはそれとして……ちょっと行ってくる」
「あ、ああ……」
「いい加減にしろよー!」
「解決にならぬぞ!」
「女々しいぞヴァン!」
「うるさい! 俺の勝手だ! これは絶対にやめないからな!」
いつもの部屋へいくために『要塞』に乗り込んだヴァンに、数が増えた分だけ大きくなった罵声が飛ぶ。
ヴァンは意地になった子供のように怒鳴ると、そのまま『要塞』の中へ消えていった。
「なんで部屋を消しちまわねえんだ」
「消せないのです、厄介ですね全く。それよりも、ヴァイスと連絡を取る方が重要です」
アトンはいたたまれなくなった、似た場面の経験が彼にもあったからだ。
リキドとバーバーへの復讐後の展望は何もなかったが、せめてヴァンの傍にいてやろうとこの時彼は決心したのだった。
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