第3話 長顎の男
ゼッタに作ってもらった弁当、というよりも食糧の山を包んだ袋を背負った3人組が戻ってくると、ヴァイスはゆっくり立ち上がった。
「食料も無限じゃないのよ?」
「当面のだけだ」
肩をすくめてヴァイスは手を合わせる。
「それじゃあ『送る』わね、少し離れたところに置くから後は君たちでやるのよ」
「わかった」
瞬間、音も残滓もなくヴァンたちは消え去っていた。
「ゼッタ、後はよろしくね」
「お~、わかっただよ。洗い物終わってからねえ」
ヴァイスは、何事もなかったようにゼッタに言いつけて部屋を出た。彼らはあくまで計画の一部であって注力を傾ける対象ではない、他の支度も『ティナの娘』としての役目もある。
成功すれば次の段階へ進める、失敗すればそれまで。現在の彼女の決定であった。
気づけば森の中にいた。
木々の間から街が見えて、ヴァンたちはヴァイスによって飛ばされたのだと理解できた。そっくりそのまま肉体だけが移されたようである。
「あそこがリンゲンか」
大きな街であった。煙突が突き出て煙がもうもうと立ち込めている。ヴァンは故国で見た工場を思い出す、あれがより大きくたくさん並んでいるようだった。
四方を山に囲まれ、隔てた場には湖が見える。街に近い場ほど禿げた山肌を晒していた。燃料に木々を利用しているのだろう。
『要塞』も一緒に運ばれて一行の傍に立っている。
「盗賊団ってのはどこだ?」
「盗賊なんだから隠れてるに決まってるのです」
「どこかに拠点があるだろ? そこを攻めよう」
「よし、俺に任せな。飯をもらうぜ」
「待つのです」
ロデがセイドを封じた。
「なんだよお」
「部下を出そうとしてますね」
「おうよ、飯はいっぱいあるし一人くらいどうってことねえ」
「ダメダメ、ごはんはあってもお金がないのです。装備も支度もできないのです」
『要塞』の場合人員だけなら食糧があれば生産維持ができる。だが、人であるならば食糧だけでは立ちいかない。衣服が無ければ凍え怪我や病気の危険が出てくるし、戦うのであれば武器がいる。そういったものは資金が無ければ生産できない。
『天臨』で生み出された存在であるのに奇妙な話であるが、逆に言えばそれさえ用意できれば『要塞』の兵士たちはほぼ不死身である。致命傷を受けても復帰でき、病気も完治する、何より加齢や疲労による弱体化が心配いらない。
文字通り環境さえ整えば最強の『要塞』となり得るのだ。
その環境が未整備であるが。
「大丈夫だって、ほら」
セイドは要塞から着古した服と靴、そしてすり減ったナイフを取り出した。
「こいつを着せるし、どこに住んでるか見てこさせるだけだ」
「でも怪我をしたら……」
「いや、情報は必要だ」
3人組はヴァンを見た。『要塞』の主は彼、どれだけ審議をしても彼の決定を待たねばならない。最も、自身ら以上に有益な策が出せるわけはないという侮りがあったが。
「……やってくれ」
「そういじけるなって。よっしゃ、出てこーい」
セイドが手を叩くと、『要塞』から衣服を纏った少女が姿を現した。
これといって特徴のない、強いて言えば三つ編みの緑髪と、呆けた表情が目に付く少女であった。
「諜報隊長シュピオだぜ」
プロスが直接戦闘の実行部隊、セイドは諜報や攪乱と言った裏方を主に担当している。彼女らが指定することで、その部下を生み出せるのだ。
ヴァンは、初めてこの光景を見て感動すると同時に一つの疑問を抱いた。
「……お前たちと言いこの子といいなんで皆女なんだ?」
「恐らく本能的にヴァンが、自分が従えられるのは女子供しかいないと理解しているためです」
あまりな言い方にヴァンはロデを睨みつけたが、真実を言い当てられているような気もするのですぐに俯いてしまった。虚勢を張っても、真っ当に自分が大軍を指揮する器だと断言できるほどの自信は湧いてこない。
「よしシュピオ、街と盗賊団を偵察してくるんだ」
「……」
シュピオはセイドに耳打ちして応えた。どうやら人前で話したくないらしい。
「いいよな?」
「ああ、頼んだよ」
シュピオはとことこと歩き出し、反対にヴァンは小屋に入っていった。
「また『お慰み部屋』か? 少しはしゃんとしろ」
「う、うるさいよ」
鍵を開け、ヴァンは扉の中へ入っていった。
3人娘は呆れながらも主人は主人として仕方なしと、少しでも状況を改善せんと自生している山菜や獣の類を探しに出た。
ヴァンが部屋から戻ると、まだ3人娘は戻っていなかった。火を起こし、斧の手入れをしようかと準備をしていると、シュピオが戻ってきた。
「ああ、お帰り」
「……」
シュピオは黙って腰を下ろした。
ヴァンはセイドにしか話さないのかと推測したが、それはそれとして何もせずにいる気にもなれず、弁当から干し肉を取ってきて炙って渡した。子供と言う点しか共通しないが、アフを思い出したのだ。
「食べるか?」
「……」
シュピオは驚いたように干し肉とヴァンを見比べ、ややあってから頭を下げてから干し肉を手に取った。
「あっちにもあるから、足りなかったら食べるといい」
シュピオは干し肉を食べ終えると、立ち上がりヴァンの耳元までやってきた。
ヴァンは気おされつつ、礼でも言うつもりなのかとそのまま待機した。
「……見つけた」
「え? ああ、盗賊団のことか?」
あまりにも小さい声であったのでヴァンは聞き取るのに苦労した。
「……本拠地もあった」
「お疲れさん、それじゃあいつらと対策を……」
「……ごめんなさい」
「え?」
「……振り切れない」
「なに?」
その言葉と、焚き火を蹴り上げられての目つぶしはほぼ同時だった。
「ほお、随分若い兄ちゃんだな」
滲んだ視界に大男の人影があった。
「逃げろシュピオ‼」
自身の守護よりも、シュピオに逃げるように叫んでしまう呑気さにヴァンは呆れつつ、生き延びるために足掻くことにした。周囲の土を握りこんで人影に投げつける。
「っ! 悪あがきを……」
幸運にもそれは成功しヴァンは距離を取って目を拭うことができた。
回復した視界に映ったのは堂々たる体躯の大男である、尖った顎を除けば中々に美男子でもあり、衣服も粗末ではあるがその中でも最低限の洒落を出そうとしている努力が見えた。
「盗賊……だよな?」
「ああ、アトンだよろしくな……で、何しに来たのかもわかるな賞金稼ぎの兄ちゃん?」
斧を構えたヴァンにたじろぎもせず、アトンは目を拭って腰を落とした。何か格闘技の経験があるのだろう。
「できるなら、逃げたいんだけどな」
「そりゃ無理だ、他のお仲間もな」
じりじりとアトンは距離を詰めてくる。素手での戦闘を仕掛けるつもりだろう。
斧を手にしていてもヴァンは後退せざるを得なかった。この様子では『天臨』を持っていて、肉体だけでも武器持ちの自身と立ち会えると踏んでいるのだ。
3人組も見つかっているようだが、自分に比べればそれほど危険は少ないだろう。
「‼ しいいいいいい!」
「!」
そんな思考を呼んだのか、アトンはいきなりの踏み付けを放った。
大げさなほど飛びのいたヴァンだったが、その判断が間違っていなかったことを悟る。アトンの踏み付けた跡には、靴の形に凹んだ石が肌を露わにしていた。体重と筋力ではこうはならない、やはり『天臨』を持っているのだ。
「だああああああああ!」
「うお!」
アトンは踏みつけた足を起点にして一気に突進してきた。
間一髪でヴァンは斧を振りかぶった。衝撃で弾き飛ばされ『要塞』の外壁に背を強かにぶつけたが、アトンにそれ以上の追撃をさせずには済んだ。
「いい斧だな」
ぱくりと割れた額から流れる血を拭ってアトンは笑った。
ヴァンは大きく息を吸って立ち上がる。斧を叩きこまれ、かつ迎撃という威力が最大になる状況で皮膚が多少切れただけなのは戦慄せざるを得ない。
「まずはそれを壊すとするか」
アトンは再び姿勢を低くする。
生き残るために、『エーステ』の斧を破壊させないためにもヴァンは絞れるだけの知恵を絞り切った。
「‼」
「お⁉」
それが小屋への退散だった。部屋に逃げ込もうというのか。
「待て!」
否、ヴァンは一人だけ安全地帯にいて3人組にあとを任せる等はしない。できない。
『要塞』の主としても、個人としても優秀とは言えないが、卑怯な矮小者ではなかった。
「おあ!」
「っとお⁉」
入口は一つ、アトンが侵入するならそこからしかない。
ヴァンは中へ入ると回頭し、斧を前に突き出して突進した。先ほどと同じ構図であり、良くても傷ができるかどうか。
アトンも不退を覚悟した、傷が付こうが体の一部を掴めば指の力で引きちぎれる。
「おああああ!」
が、運はヴァンへと味方した。
斧はアトンの頭部に当たり、その上膝を乗せて体重をかけていた。如何に怪力であろうと、流石に全体重を一点にかけられては抗うことができない。そのままアトンは転倒してしまった。
ヴァンは斧の背に膝の体重をかける。肉と骨が悲鳴をあげているが、ここで下がれば後がない。
アトンも必死に斧を抑えつけるが、少しづつ刃が食い込んでくる感覚は止まらない。
「ヴァン‼」
「すまなかったのです! 盗賊が―」
セイドらの声がしたがヴァンには見る余裕がない。たとえ膝が割れても斧をどけるわけにはいかなかった。
「おお! こちらもか! 今助太刀するぞ!」
プロスの声がヴァンに自信を与えた。膝の痛みが和らいでより力を籠められる。
「くそ!」
アトンは斧から手を離してヴァンの膝へ指を突き立てた。まるで粘土でも突いたかのように内部へ潜り込んでいく。文字通り、素手で肉を抉ったのだ。
「ぐいいいいいいいいいい⁉」
悲鳴と涙、鼻水がヴァンからあふれ出た。例えようもない激痛が彼を襲う。
が、それでも力を緩めない。
アトンは今度は腕に片手をめり込ませようとしたが、それより早く斧が食い込んできてしまう。止むを得ず膝の手も離して斧を抑える。
「ま、参った! 参ったあ! 殺さないでくれえ!」
ついにアトンは降参したが、ヴァンは沁みだす血と激痛に耐えて体重をかけ続ける。
「話す! 盗賊団のことを話す! 寝返る! 頼む! 生かしてくれればなんでもする!」
「―」
「死にたくない! 頼む!」
「‼」
「ヴァン⁉」
ヴァンはアトンを殺さなかった。穴が開き血でぐっしょりと濡れた膝下を庇いながら懸命にたってアトンを見下ろした。
アトンは額を肉が見えるほどに割られ、血が顔全体を彩っていた。
「……話してもらうぞ」
「ああ……約束だからな……」
「馬鹿者、何を考えてる⁉」
すぐさまプロスとセイドが二人の間に割って入った。ロデでなくともわかる愚かしい行為である、素手で肉体を千切れる男を逆襲が可能な状況で放置するなどあり得ない。
ヴァンですらそう思う。ほとんど直感で引いていたのは、もう少し長引けば斧がアトンに致命傷を与えるまで食い込もうとしていたからだった。
「参った……潮時だな」
膝の重傷と歩行が困難になるほどの痛み。が、ヴァンはこの戦いで生命と新たな仲間を得た。ある意味で、『要塞』にも勝る仲間である。
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