征途の石塊

「きゃ、ぷぁッ⁉︎」


 倒されたか蹴つまずいたか、転げた女性がぼくらの目の前の茂みに刺さる。必死にもがいている様子から大した怪我はなさそうだが、これで逃げおおせる可能性は潰えた。

 彼女ではなく、ぼくらの、だが。


「こっちだ! 一匹捕えた!」

「サッサと持ってこい!」


 近くで上がった男の声に、遠くで誰かが答えた。向こうに何人いるのかは気になるけれども、それより気になるのは目の前でジタバタしている女性がエルフのように見えること。そして、近付いてくる男がそれなりに整った皮鎧を身に纏っていることだ。

 ケウニアの正規軍が、エルフ狩りをしている? この女性が犯罪者か何かだというならわからなくもないけれども、粗末な木綿の上下を着た彼女は人間でいえば農家の娘というようにしか見えない。


「手間掛けさせやがって、おとなし、くぷッ」


 立ち上がったクラファ殿下が、逆手に持った戦闘用ナイフで男の胸板を刺し貫いていた。

 グリンと刃をこじると、男はすぐに脱力して崩れ落ちる。


「マークス、すまんな」

「構いませんよ。他に選択肢はなかったでしょう?」

「いや、わたしの悪運の方だ」


 姫様は自嘲気味に笑いながら、兵士の服で刃の血糊を拭った。

 ぼくらを見て悲鳴を上げかけたエルフ娘の口を手で塞ぎ、殿下は静かに首を振る。


「逃げるなら好きにしろ。助けが要るなら待っていろ。すぐ済む」


 ぼくと姫様は呆然としたままのエルフ娘を置き去りにして、さっき声が聞こえた方に向かう。

 ざわめきと焚き火の明かり。その周囲で、慌ただしく動き回る気配がした。


「兵士らしきものは五人だな。周りに囚人のような者たちが大勢いる。マークスはここで援護してくれ」

「了解です」


 姫様にいわれて、周囲を警戒しながら木陰の闇に身を沈める。

 目の前に広がる光景は急拵えの野営地といった感じではあるが、雰囲気は殺伐としていた。

 傍の格子付き馬車から啜り泣きと呻き声が聞こえてくる。捕らえられたエルフが積んであるのだろう。二台ある馬車のうち、もう一台の扉が開かれ、引きずり回され殴られた女性が放り込まれるところだった。


「逃げた奴には、後でたっぷり罰を与えてやるからな! 手を貸したやつも! 逃げるのを見て黙っていた奴も! みんな一緒にだ!」


「罰を受けるのが貴様でなければ良いがな。ここの指揮官は誰だ」


 怒鳴っていた偉そうな男の前に、クラファ殿下はズカズカと近付いてゆく。UMPサブマシンガンは背中に回され、腰に下げた高価そうな剣をガチャガチャと派手に鳴らしながらだ。

 その立ち振る舞いがあまりに堂々としているため、男は身構えつつも戸惑い顔で答える。


「俺だ。……自分です」

「ああ、腑抜けの無能とは貴様のことか。問題が起きたとの報告は受けている」


 傍若無人な行動に高慢な態度と冷え切った声。どこをどう見ても上流階級出身者であることは明白である。

 練度や規律がどうであれ軍に所属する者が正体不明の上位者に無礼な態度を取る危険性を知らないわけがない。


「いや、それは」

「くだらん言い訳は要らん。現状を正確に・・・報告せよ。確保した資材・・の実数もだ」

「待て、アンタいったい……」

「サッサとしろグズが! これ以上隠し立てすれば、譴責けんせきでは済まんのだぞ!」


 他国とはいえ王族だった殿下の方が遥かに役者が上だ。

 指揮官だという男は機先を制され気迫に飲まれ、目の前にいるどこかの・・・・偉い誰か・・・・に対して唯々諾々と報告を始める。


「い、移送中のエルフが二十七、馬車の鍵を開けて逃げたのが四、ですが全部捕らえました」

「嘘がふたつあるな」


 吐き捨てられた殿下の声に男はビクリと身を震わせ、周囲の部下たちが責任逃れのため、そそくさと逃げの姿勢に入る。

 クラファ殿下から、兵士たちの視線が外れた。


「まあいい、それは後だ。こちらのはヒューミニア行きか。ケウニア首都イメルン送りか」

「ヒューミニア、です」

「なるほど。もう十分だ」


 ヒュンと風切り音がして、男の首が飛ぶ。

 周りにいた部下たちも、状況を把握する間もなく首を刎ねられて崩れ落ちた。焚き火に血飛沫が掛かり、首なしの胴体が倒れ込んで火の粉が散る。ジュウジュウと焦げる異臭が立ち上り、格子越しに見ていた囚人たちがヒッと押し殺した悲鳴を漏らす。


「声を上げるな。騒ぐと死ぬぞ」


 細剣を収めた姫様がUMPサブマシンガンを構えながら、ぼくに馬車を指し示す。

 自分が警戒に回るのでエルフを解放しろということか。ぼくは彼女の意思を汲んで兵士たちの死体を探り、鍵を見付けて馬車の扉を開いた。


「……あなた、たちは?」

「ただの通りすがりです。向こうに、逃げた女性がひとり隠れてますが」

「それは、捕まったなかでも未成年の子たちです。みんな、もう御終いだって覚悟していたから、彼女たちだけでも逃がそうと思って」

「“おしまい”?」

「そう、ヒューミニア送りになって帰ってきた者はいないから」


 初耳だな。ぼくはもちろん、マークスにとってもだ。

 振り返って反応を見る限り、クラファ殿下も聞いたことはなかったようだ。


「貴様ら、逃げる先はあるか?」

「はい。故郷に戻ります。森に入れば、人間からは逃げ切れます」


 エルフなら、そんなもんか。逃げたエルフをエルフの傭兵たちが追い立てる、なんてことにならなければいいけど。

 姫様もそこが気になったのか、捕まっていたエルフたちに尋ねる。


「武器はあるのか」

「兵士の馬車にいくつか。あとは、兵士の持ち物を譲ってもらえれば助かります」

「ああ、好きなだけ持っていけ。マークス、余剰の武器を渡してやれないか?」

「構いませんよ」


 道中に倒した敵から剥いだ弓やら剣やらを“武器庫アーモリー”のインベントリーから出す。

 好みや使い勝手は知らないけど、数でいえば二十七名だかのエルフが武装するには十分だろう。


「「「ありがとうございました」」」


 囚われのエルフたちとは、ここでお別れだ。手を振って立ち去る彼らは、武器を手にすると雰囲気がガラリと変わった。油断なく周囲を警戒しながら、足音も立てず溶け込むように森のなかへと消えた。


「……ああいう連中と、森で戦うところだったんですね」

「まあ、そうだな。マークスの能力と道具がなければ、呆気なく死んでいたところだ」


 ぼくの能力はともかく、銃と暗視ゴーグルがなければ詰んでいたのは事実だ。これでトラブルのピークを超えていたんならいいんだけど。そんなわけないんだろうな。

 ぼくが姫様を見ると、彼女は首を傾げるようにして唸った。


「ケウニアの軍がエルフを狩って、ヒューミニアに送る。そんな話を聞いたことはないし、その用途もわからんな。どういうことだ?」

「女性ばかりということは……なんというか、奴隷なのでは?」

「ヒューミニアでは、エルフの女は、あまり好まれん。手間暇掛けてまで送るほどの利益は見込めない。それに、先ほどの女性たちを見た限り、失礼ながら年齢も見た目もそういう用途・・・・・・のために集めたようには見えんのだ」


 考えても答えは出なかった。問題も疑問も、いまは先送りにするしかない。

 ぼくらはケウニアの国土を縦断して、隣の国に抜ける。北西方向ならマウケア、北東方向ならコルニケアだ。そこまで行けば、少なくともヒューミニアの追っ手は引き離せるだろう。


「姫様、ケウニアを北に抜けるまで、どのくらい掛かるかわかりますか?」


 ヒューミニアからエルロティアまでは、馬で一ヶ月ほどと聞いた。その間に三国が挟まる――ケウニアの北側二国は東西に並んでいるため、通過するのはどちらかになるが――ということであれば、それぞれ行程は二週間といったところか?


「街道を馬で行くなら十日、“ばいく”で突破できれば三日だが……難しいだろうな。途中にいくつも関所・・があるらしい。全てを襲撃していては、まともに進めんほどのな」


 なんだそれ、と思ったぼくはマークスの知識をさらって、それらしきものを探し出す。

 ケウニアの街道は、驚くことに国や軍や公的機関ではなく盗賊団が牛耳っている。関税徴収も通行税の徴収も思うがまま。しかも、政府公認。犯罪者を取り締まるべき軍や衛兵が、徴税を盗賊団に回収業務を外注アウトソーシングしているという笑えない状況だ。

 その税率は“裕福な行商人でも、ケウニアを抜ける頃には丸裸になってる”といわれるほど、ひどい。


「では、このまま街道から外れた位置を北上しますか?」

「その方が良いだろうな」


 また歩きか。この世界での距離感覚も馬が一日に移動できる距離も知らないので概算だが、“馬で十日”となると……四百キロくらいか? そんな距離を、しかも不整地を歩くと二週間以上は掛かりそうだ。

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