姫と姫と王妃
エルロティア王家の末裔。
クラファ殿下の母君も、エルロティアの姫君だったか。正直この辺り、マークスの記憶や知識はあまりハッキリしない。五年ほど前に母君が原因不明の病で亡くなられたこと、それ以降ヒューミニア内で親エルロティア勢力の排除と粛清が行われ、王宮内でのクラファ殿下の扱いが急速に悪化したことくらいだ。
クラファ殿下の現況に対する対処に追われていたか、もしくは雲の上の話と思って聞き流していたのではないかと思われる。
「姫様には、頼りにできる方はおられないのですか」
「最も頼りにしていた人物は、濡れ衣を着せられ粛清された。信用に足る人物も、軒並み国外追放になったな」
やはりエルロティアの影響力からの切り離しか。よくわからない。
側妃とはいえ王が他国の王族を娶ったのであれば、その時点では外交的判断があったと考える方が自然だ。なぜ、それが覆されたのか。
エルロティアとの友好関係を切り捨てた決断。そこには当然ヒューミニアの政治的意図があったのだとは思うが、それに踏み切った理由とは別に、判断の主体が王なのか王族なのか配下なのかその全てなのかがわからない。結果的に全てが敵に回ったのだから同じことだともいえるが。
「これだけの部隊が夜営に入ったのだ。周囲に敵は配置されていない。ここで一刻ほど休もう」
「はい」
「貴様は、少し眠っておけ。今度はわたしが見張りをしよう」
「しかし」
「ここから先、貴様が使い物にならなければ困るのはわたしだ」
お言葉に甘えることにして、姫様にはそのまま食べられる高栄養価ブロックとペットボトル入りのミネラルウォーターを渡す。
焚き火の近くで横になると、すぐに眠りが訪れた。
◇ ◇
「マークス、そろそろ出発するぞ」
どれだけ眠っただろうか。目覚めても周囲は漆黒の闇に包まれていた。わずかに消え残った焚き火の光で、クラファ殿下の姿は見える。
「
「いや。お前が眠る前から“すいっち”は切ってある。魔力……ではなく、“でんき”の力が衰えるのだろう?」
「そうです。少しでも弱まったら教えてください」
簡単に身の回りの装備を再確認、身支度を整えて出発に備える。
「体調はどうだ」
「ずいぶん楽になりました。少し前までは、あまり頭が動いてなかったようですね」
「そんなものだ。そして大概、手遅れになるまで気付かん」
姫様は笑って、消えかけた焚き火の跡を踏み消す。ここでする必要はない行為なのだが、森の民の末裔として母君から火の始末は厳しく躾けられているのかもしれない。
自身で、それを意識しているかは不明だが。
“森の民と呼ばれる耳長族だ。長弓と魔法を使う”
エルフについて訊いたとき、クラファ殿下はそう答えた。おそらく、彼女は自分がエルフとしての資質や資格を持っているとは考えていないのだ。せいぜいが血縁と郷愁程度のもの。本心はともかく、表面上はそういう印象を受けた。
警戒しながら進むこと数時間。敵の姿はなく、森のなかに戦力を配置していた様子もない。投入したエルフ傭兵部隊が倒されるとは思っていなかったのだろう。さらに数時間。樹間の隙間から見える空が、わずかに明るくなってきたような気がする。まだ闇は深く、“気がする”以上のものではないが。
「マークス、“ないとびじょん”の
「電池を入れ替えますか?」
「いや、もう必要ないだろう。
目が暗闇に慣れたのもあるかもしれない。ぼくも周囲の輪郭がうっすらとわかる程度にはなってきている。
姫様はヘルメットを外して、こちらに差し出してきた。ワッチキャップごと受け取って、代わりにブーニーハットを渡す。もう雨は降っていないが、金髪は暗闇で目立つのだ。本人もそれはわかっているらしく、頷いて被り直す。
ゆるい傾斜を登ると森が開けて、ちょっとした高台に出た。
まだ暗いなかで地表のディテールは影の濃淡でしかないが、北東方向にいくつか灯りが見える。
森より先に、ヒューミニアの村落はない。明かりが見えるとしたら伏兵の陣地か集落だが、光の間隔が広いので集落と思われる。夜間の見張りのために立てられた
「あちらは、もうケウニアですか」
「そうだ。あれは、たしか交易で栄えた
「ええと……タロン、ですか」
「そんな名前だったかな」
街の名前は、マークスの知識のなかに入っていた。
おそらく、姫様とともにヒューミニアを逃れて北を目指す日が来ることを、彼は事前に予想していたのだろう。
「こっちだ。おそらく街に向かえばケウニアの兵が阻止線を敷いている」
ぼくは姫様の先導で高台から西側に、街から離れるようにして降りてゆく。
ケウニア領内に入るにつれて、森は密生した原生林からある程度の間伐、もしくは商業的伐採を行なったような跡が見られるようになる。獣や魔物も、森のなかにいたときほど頻繁には気配を感じられなくなってくる。
そこだけでいえば良いことなのだろうが、集落に近付けば逆に悪いこともある。
「
どこか遠くで、追われて必死に逃げているらしい複数の物音が響いていた。隠れてやり過ごそうと身を潜めたぼくらの耳に、足音と悲鳴と下卑た笑い声が大きく聞こえ始める。
よりによって、なぜこちらに来るかな。
「わたしは、悪運の持ち主らしいぞ」
心の声が聞こえたのか、姫様が乾いた笑いを漏らした。
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