会敵

 森のなかは薄暗いが、まだ暗視スコープが必要なほどではない。暗いのは密生した葉陰が光を遮っているからだろう。その分、雨も降り込んでいないため地面はそれほど泥濘ぬかるんでいない。ブーツの感触を確かめるように歩いていたクラファ殿下は、慣れてきたのか少し速度を上げた。


 通過するたびパキパキと耳障りな音を立てる茂みに難儀しながら、進むこと一時間ほど。

 姫様が腕を上げてこちらの注意を引き、方向を示した後に指を三本立てる。わかりやすいな。

 おそらくエルフなのだろう、フードを被った人影が三つ。弓を構えて、周囲を警戒している。こちらの存在に気付いてはいるのかもしれないが、位置までは把握していないようだ。距離は、二百メートルほどか。拳銃弾のUMPでは微妙に遠い。SKSカービンなら仕留められると思うが、敵地といった方が良い森のなかで音を立てるのは自殺行為。

 “自分がやる”と身振りで示し、姫様は木陰を縫って移動を始める。


 シぺぺンと微かな音がなって、三人が倒れ込む。呆気ないといえば、呆気ないけど。近付いてくるぼくを見て、姫様は“周囲の警戒をするので身ぐるみ剥げ”というような指示を出してきた。なんで?

 躊躇ためらいつつ懐を探ると――ひとりは女性だったので別の抵抗があったが――金貨の入った革袋と、筒状の書類を発見した。確認は後にして、インベントリーに収納する。

 ぼくが合流すると姫様は弾倉を交換して、最初の弾倉には使った分の弾薬を補充した。この辺りは性格だろう。常にフル装弾状態を望むひとと、ある程度撃ってからで構わないひとがいる。ぼくも前者だし、自分の命が掛かっているとなれば、なおさらだ。

 先に進むうちに、暗さが増してきた。空が見えないのでハッキリしないけど日が陰ってきたのだろう。

 暗視スコープナイトビジョンを出すと、姫様は頷いてツバ広帽子ブーニーハットを差し出してきた。調整用のワッチキャップを被らせ、ヘルメットの装着を手伝いながら小声で疑問をぶつける。


「さっき書類を見付けましたが、あれは」

「ケウニアは第二王子トリリファと共闘関係にあるようだが、ヒューミニアの友邦ではない。利害が一致しているうちはともかく、なんの保証も契約もなしに兵を出すほどおめでたくはないだろうと思ってな」

「ヒューミニアとの交渉に使えますか?」

「使えんな。あいつらは、わたしと交渉する気もないだろう」

「え」

「弱みになるものが“相手の手に渡った”と思う・・・だけでも意味はあるのだ。それで判断を誤る可能性・・・だけでも引き出せれれば十分だ。……いまはな」


 そのまま前進、ぼくらは無言のまま北上を続ける。小道からどのくらい離れたのかわからないが、鬱蒼とした森のなかで方向感覚がおかしくなりそうになる。

 実際には、マークスの五感が“元日本人のぼく”よりは遥かに高いため、なんとか方角を認識し続けることができているが。ランドマークのない海面を漂流しているのと変わらない感覚で、不安がないといえば嘘になる。


「……マークス」


 姫様が、暗闇のなかで小さく声を出す。声を出しての確認が必要な状況か。暗視ゴーグル越しの緑の視界で、彼女が指した先には大きな光。焚き火のようだ。その周囲に七、八名の人影がある。

 舐められたもんだ。日が暮れたから試合終了か。人間相手に森のなかで夜戦を行う不安感なんて微塵も持ってないってことか。

 いままでは・・・・・、そうだったんだろうな。


 姫様がハンドサインで、“右側の四人を自分が担当する”と伝えてくる。ぼくの担当は、左側の三人。人数はこちらの方が少ないが、弓を構えた見張りが含まれている。

 ぼくは頷いて、自分のUMPサブマシンガンを構える。この銃を使った、最初の戦闘だ。試射くらいするべきだったと、いまになって気付く。舐めてたのかボケてたのか、ぼくもエルフたちの油断を笑えない。


「なにがおかしい」


 暗視ゴーグルを装着した怪物のような姿で、姫様が咎めるようにぼくへと囁く。正直にいうべきかどうか迷ったが、上手く伝わらないだろうと諦めて首を振った。そして口から出てきたのは、思ってもみなかった言葉だった。


「怖いんです」

「奇遇だな。わたしもだ」


 姫様は、小さく笑う。ひどく嬉しそうに、唇が弧を描いた。そんな風には見えない。その気持ちが伝わったのか、彼女はぼくの目の前に両手を上げる。

 タクティカルグローブに包まれた手は、小さく震えていた。


「いまも怖くて、不安でしょうがない。お前がいなかったら、きっと蹲って泣いてた」

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