枷と柵
馬を走らせること小一時間。曇天のままだが雨は上がり、視界はわずかに改善される。ときおり魔物や獣の気配は感じられたものの、襲われることはなく順調に距離を稼ぐことができた。
姫様によれば、このままのペースで走ると隣接するケウニア王国との国境まで一刻半ほどらしい。時制は一日が十二刻らしいので、元いた世界の基準でいうと三時間というところか。基準になる時計が都市部の鐘くらいしかない世界では、感覚的なものでしかないけど。その鐘は何を基準に撞いてるんだろう?
「マークス、大丈夫か」
「は、はい? 大丈夫ですよ姫様。どうかしましたか」
「すまん、お前ばかりに無理をさせた。少しはどこかで眠っておくべきだったな」
「非常時ですから、お構いなく」
死ねば好きなだけ休めます、なんていうセリフが出そうになって止める。ぼくの身体であるマークスのことを考えれば、そこは冗談に出来るものではない。
さらに三十分ほど進んだところで、クラファ殿下は馬を止めた。
「潮時だな」
「
「いや。探知
この世界で戦闘職の魔力持ちといえば魔導師、もしくはエルフだ。森林での戦闘を前提とするなら、後者の方が可能性として高い。
姫様から聞いた話とマークスの知識を総合して、国境まで概算で七、八十キロと想定する。迂回を考えれば百キロほどか。
いまは夕刻に差し掛かってきているから、おそらく抜けられるのは真夜中になる。
「姫様、夜目は利きますか」
「いや。まして相手がエルフとなれば、夜の間は動けないな」
眠れない動けないで朝まで待つなど拷問でしかない。ぼくは“
「これは?」
「
ヘルメットに装着するタイプだ。普段は跳ね上げておいて、暗くなったら下ろして使う。
ヘルメットは姫様の頭には少し大きいようなので、
「目の前が緑色に染まるな。これは魔法か?」
「似たようなものです。魔力は使わないので探知はされないと思いますよ」
“魔力”の代わりに
有限なので、使わないときはスイッチを切っておいてくれとだけ伝えておく。
姫様には
現状さほど雨の心配はなさそうなので、ギリースーツとディパックとポンチョは、ぼくが預かる。ナイトビジョンも、いったんは収納。
「世話になった。達者でな」
クラファ殿下は、ここまで乗ってきた栗毛馬を撫でて、解放する。ぼくを乗せてくれた芦毛馬も、“まあがんばれや”みたいな顔でひと声
「このまま四、五ファロンほど道沿いに移動、そこから森に入る」
「了解」
四、五ファロン。一キロ前後か。探知阻害の反応があったのが、その辺りなのだろう。
薄暗くなりかけた森の小道でも、姫様の金髪はひどく目立つ。それを隠すのと森のなかでの雨垂れ避けに、
「マークスは、何でも出してくるな。すごい魔法だ」
「ここまでに奪ったカネで買ってるんです。姫様も必要なものや欲しいものがあれば、いってください。扱っていれば調達しますよ」
「必要なものは既にもらった。……欲しいものは、“阿呆のいない世界”、だな」
「売っていると聞いたこともないですね。きっと、どこも売り切れなんでしょう」
軽口を叩きながら、しばらく歩いたところで姫様が手を挙げてぼくを停止させた。身振りで前方を指差し、森に入ると示す。数百メートル先に、小道を塞ぐ倒木が見えた。その奥には、兵士が待ち伏せているのだろう。
「七人いる。倒すか?」
「迂回しましょう。弾薬の無駄です。可能な限り、戦闘は避けます」
そんなことができると思うのか、と姫様の視線が笑み含みで伝えてくる。ふたりとも、当然わかっているのだ。この状況で戦闘の回避など望むべくもないことも。“可能な限り”というのはつまり、問題の先送りでしかないのだということも。
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